第十四話「ともにあるひと」
エヴァンは眠気を抑え、メールを一通ずつ削除する。
今朝に渡されたラブレターは帰ってからシュレッダーする予定だ。
妹は渋い顔をする。だが違う。彼女たちの気持ちを踏みにじるためではない。
住所がなくても、手書きであればじゅうぶんに個人情報だ。
恋愛はこじれる。
応えるつもりがないのは事実だが、女達が勝手に牽制し合って争いになるのは面倒臭い。
「エヴァン、また女か?」
「流石色男だね」
二人の友人が、椅子を動かしてエヴァンの隣を陣取る。
その指はエヴァンの携帯に向いていた。彼らは中学時代からの同級生だ。エヴァンについてはそれなりに詳しい。鞄のなかの手紙についても言っているはずだ。
「まあな」
素っ気ないひとことに、友人はひきつった笑いを浮かべる。
女好きだとでも思っているのか。
勝手にそう思っていればいい、とエヴァンは鼻を鳴らす。
「恋愛自体はよくするもんだけどさ、お前のはちょっとモテすぎだよなあ。こんな無情なのに」
「オレぁちゃんと前もって言ってるぜ。遊びは遊びだってな。弄ぶような真似はしねぇ」
「男前なんだかクズなんだか。そんなんじゃあ結婚できねえぞ」
「結婚だぁ?」
特定の女性と長続きしないエヴァンの未来を想像できなかったのだろう。
「別に女にはことかかないからって油断してると、ホントの愛を取り逃がすぜ」
「テメーがいうのかよ。いま何人と付き合ってる?」
「バッカ、結婚と恋愛は違うだろ。結婚は人生をともに生きていくたった一人と。恋愛は人生を豊かにしてくれる華だぜ」
何股もするくせ、運命の人と結ばれたいなどと結婚に夢見ているロマンチストな友人はやれやれと首を振った。
「たった一人の女と、なぁ」
やあやあ軽口の応酬をはじめた友人たちを傍目に、エヴァンは何の気なしに校舎の窓に目をやる。
だだっぴろい校庭が見える。
昼休みのそこには誰もいない。たまに教師が歩いていくぐらいだ。
エヴァンも時折そこで授業を受ける。
さして好きでもないが、妹は体育がとても好きだった。
黒橡の髪が風を受けてなびく姿が目に浮かぶ。今はもう視れない光景が。
次に今まで付き合った女達の顔を想像してみる。
思い出せはするのだが、未練ひとつなく次の顔を浮かべられた。
エヴァンは彼女達がいなくてもいつでも次がつくれたし、彼女達もまたエヴァンがいなくても大丈夫な女達ばかりだった。
妻を得るとは要するに、妻と自分を核にした新しい家庭を作るということだ。
それは構わない。だが問題なのは、その女を選んだならば、もう他に誰もおけないということではないか、ということだ。
(オレがいなくなっちまったらルカヤは誰が守ってやるんだ? あんなおっちょこちょいでへこみやすくて、そのくせ素直で忘れっぽくて、すぐ簡単にだまされちまうようなヤツを?)
あの妹を弾き出した家庭に自分がいる。
エヴァンにはどうしても想像できなかった。
する気も、ちっともわかなかった。
エヴァンがルカヤと一緒にいてやるのは、哺乳類が呼吸をするように当然のことだった。
(コイツのいうことも、満更まちがっちゃいねェか)
横目で友人を一瞥する。
エヴァンは友人が多い。しかし家庭環境について頑なに話さないようにしていた。
だからエヴァンの内面に渦巻く感情を知っているはずがない。なのに、なかなか的を得たことをいうものだ。
ルカヤと同じベッドで寝起きするようになって一ヶ月。
最初は安らぎとぬくもりに包まれていた就寝は、試練の時と化している。
ふかふかのベッドに、半分の月のように埋まっている妹の寝顔が、可愛くて仕方がない。
だらしなく半開きになった口はまだまだあどけない。
朝に弱いエヴァンは決まって二度寝する。
覚醒すると、綺麗にアイロンがけされた衣服と熱いカフェラテが用意されている。
健気に朝を彩る気遣いに、きゅううと胸が締め付けられる。
風呂からあがると、ゆるい寝間着に身を包んで、本を呼んでからベッドに潜る。
マラソンをやめ、入院を経たルカヤの身体は、筋肉が落ちて女性らしい曲線が目立つようになってきていた。
眠る前、髪が邪魔くさいのか、ルカヤはよく髪をいじった。
首をさらしたり、耳にかけたり。
後れ毛がはねるうなじをみると、腹の底にどろりとした感情が宿る。
エヴァンは自分の感情から目をそらす性格ではない。
どうやらエヴァンのルカヤへの感情は、事故を皮切りに崩れだしているらしい。すぐ自覚した。
気を抜くと、男が女へ抱く全ての愛の種類が、ごちゃまぜになってまっすぐ注いでしまいそうになる。
さながらダムの決壊だ。
エヴァンの変化など知らず、ルカヤは毎朝、無防備なエプロン姿で朝食を作る。
後ろ姿は以前より痩せた。
日に日に簡単に手折れそうになるルカヤを眺めると、ぶわ、と獰猛な衝動が鎌首をもたげるのだ。
どうしてルカヤはこんなにもひたむきで、他者に尽くせるのだろう。
この純粋さはどこから来る?
美しいと褒めそやされるエヴァンは、こんなにも汚い想いを抱え、容易く暴力と欲望に手を伸ばすというのに。
妹への愛しさを覚えるたび、憎んでいるかのような想像が頭いっぱいに駆け抜ける。
最も思い浮かべるのは、思い切り押し倒して、真っ白な首を絞める想像だ。
憎しみに歪まない顔が、人間らしく歪むさまを見てみたいという下劣な欲求だ。
自分はおかしいのか。このままでは本当に妹を傷つけてしまう。疑問だったので調べてみた。
こういうのを「キュートアグレッション」というらしい。直訳で可愛いものへの攻撃性という。
喜んだ際に分泌されるドーパミンが、人が攻撃的になった時にも分泌される物質でもあるかららしい。人の脳は不思議だ。
科学的に説明できるのだと知って、エヴァンはほっとした。
きっとこの想いは一時的だ。祖母の家から出られれば解決していくはずだ。
一時の感情で妹を食い物にするなど、あってはならない。
妹は幸せになるべきなのだ。
衝動に負けないように、エヴァンはまた女と付き合いはじめた。
なに、相手もエヴァンを使ってイイ思い出を得ている身だ。責められるいわれはない。
(高校が終わるまでだ。耐えろ。耐え忍べ)
友人達が思うより、エヴァンは遙かにタチが悪い。
のんきにエヴァンの女性歴を揶揄する友人達を軽く拳骨する。余計なくちはきこうとしなかった。
しかし。もしも。もしもこれが偽りでなく。ルカヤを幸せにできる男が現われず。これからもルカヤがあわれなままで。エヴァンも他のひとに出逢えなかったなら。
その時は、愛を得ようと思う。




