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プロローグ(後々のこと)


 エヴァンは思う。

 思えばルカヤは、産まれた時から運の悪い女だった。


 今日は昼過ぎから雨。

 シトシトとした降り始めからは予想も付かない土砂降りは、高校の下校時刻どんぴしゃに重なった。

 エヴァンが肩しか濡れなかったのは傘と運のおかげだ。


 家に帰ると、風呂場からシャワーを浴びている音がした。

 両親は共働きだ。同居の祖母は悠々自適な老後に突入している。この時間帯に風呂に入る必要はない。

 だからこんな夕方にシャワーを浴びるのは、二歳年下の妹であるルカヤぐらいだ。

 彼女をよく知るエヴァンはすぐに、出かけ際に傘を忘れていったのだと予想がついた。


 今朝のテレビのなかで、顔のパーツが小綺麗に収まった女子アナが知らせた降水確率は60パーセント。

 玄関で靴紐を結ぶ彼女の背中に注意をうながしたのは記憶に新しい。

 その時はきちんとすぐそばに傘をたてかけていたのだ。

 だがルカヤは数秒前の兄の警告を忘れ、見事にずぶ濡れになった。


「天気予報じゃ雨って言ったぜ、俺は。頷いてたのは一体なんだったんだ?」

「ごめんね。家を出てちょっとしてから気づいたんだけれど、大丈夫って思ったんだもの」


 風呂場のドア越しに声をかければ、申し訳なさそうな謝罪が返ってくる。

 ルカヤの声は女性としては少し低い。しかしナッツ系のコーヒーで煎れたカフェオレのような甘いたおやかさがある。

 気弱な台詞がよく似合う声だった。


「しょうがないヤツだ。しっかり暖まれよ」


 エヴァンは窓をみやる。

 激しい雨がしきりに降っていた。

 しとどに降りしきる水はガラスのうえを透明な帯のように伝い落ちる。


 これではルカヤの髪と服は、桶に投げ入れた布のようにたっぷり水をふくんでしまったに違いない。

 適当にバスタオルをひっつかみ、玄関に戻る。

 案の定、玄関から風呂場まで小さな水たまりが点々とできあがってしまっていた。


「あーあ。こりゃクソババアが怒るぞ」

「兄さん、お風呂から出たらすぐに片付けるから……」

「いいよ、俺がやっとく。どうせ手間もかからねえし」

「自分のことだからいい。迷惑かけられない」

「うるせェなあ、気にしなくっていいのによ。俺がやるっていってんだから。いいから部屋行ってろよ」


 振り向けば、風呂場のドアが半分開いていた。

 ルカヤが頭に白いタオルをかぶせ、顔を覗かせてエヴァンを見つめる。


「でも……」


 言いよどむルカヤの眉は下がっていて、心から困っている様子だ。

 黒猫めいた黒橡(くろつるばみ)の髪がしっとりと艶を浮かべている。エヴァンと同じ瑠璃色の瞳は湯で上気した頬もあいまって――美しい。


 呆れの溜息をついたエヴァンは黙ってタオルを投げつける。

 それがごまかしだと妹は気づいただろうか。


「オメーがいるとババアがうるせえんだよ。終わったらさっさと髪かわかして部屋にいとけ」

「……はい」


 ルカヤはシュンとうなだれ、再びドアを閉じる。

 祖母とルカヤは大変仲が悪い。正確には祖母が一方的にルカヤを疎んじ、溝を埋める隙を許さなかった。

 祖母のルカヤへのあたりの強さといったら、八つ当たりとしか思えないもので、彼女としても会いたくない人物なのだろう。

 

 押しに弱いルカヤは真っ正面から祖母の理不尽に怒り返すことなどできず。些細なことをしでかすたび、ガミガミ雷を落とされるのが幼少からの常だった。

 だから何かあると、エヴァンは無理矢理ルカヤを部屋に引きこもらせた。


 ルカヤが逃げたのではない。兄の命令に従ったのだから仕方がない。

 そういって祖母と喧嘩するのはいつもエヴァン。

 ルカヤは兄に頼り切りな自分を苦にしながらも、甘んじていた。


「それでいい、ルカヤ」


 どうせどんくさいルカヤでは、祖母の憤懣の的にされるだけなのだから。

 エヴァンがよいというまで、大人しくベッドの上で膝をかかえるルカヤの姿を脳裏に浮かべ、エヴァンは柔らかく微笑んだ。


「全く。手のかかる、可哀想な妹だぜ」


 あがる口角は、あくまで自分を慕う妹への愛情のつもりだった。





 五年後。エヴァン二十一歳の秋。

 彼は愛する女の首をしめた。

 白い喉は子猫のように柔らかかった。小さな頃からつみあげた愛憎がわきあがる。

 ひとつひとつ。それとともに骨張った指先が沈む。


「本当に運の悪い女だ」


 馬乗りになったエヴァンの下であえぐ女は、それをきいてぽろぽろ泣いた。


「酷い。酷い人だよ、あなたは」

「……安心しな。お姫様が棺のなかで寝ている間に、全部終わらせてやるからよ」


 指に力を込め、女の吐息を奪った瞬間。

 彼はそれを幸福と感じた。


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