序章
「痛っ」
痛い、と感じた気がした。しかし、そう感じただけだったようだ。声に出してしまったものの身体のどこかが痛いという訳ではなさそうだ。固い地面に長い間眠っていたのか身体を起こすと身体が軋むような痛みを感じた。
「うーん。」
先程感じた痛みはそんな寝起きに感じるような痛みではなく、なんというか外傷的な傷を負ったような鬼気迫るようなものだったのだが、今となってはどこが痛かったのかすらわからない。
軋む身体を無理矢理立ち上がらせ辺りを見回すと長い回廊のようなところにいることに気が付いた。縦横に3メートルくらいの幅があり、壁と天井には道なりに沿って鉄パイプが敷き詰められている。
「どこだ?ここは」
自分が何故こんなところに寝ているのか、記憶を辿る。最後の記憶は..
「あー...」
思いだした。
いつも通り学校に行こうとして、
自転車に乗って、
いつもの交差点で時計をみたら、
遅刻10分前で、
赤信号だったけれど突っ切ったら..
「だよなぁ..。」
最後の記憶を呼び起こした限り、交通事故で大怪我をしたのは間違いないだろう、しかし病院のベッドで目が覚めて、知らない天井を眺めているならばまだ合点もいくんだが、何故こんな無機質な場所で横たわっていたのか、理解ができない。
一度立ち上がり、身体を調べると少なくとも五体満足なのは間違いなさそうだ。いや、そもそもどこも痛くなく固い地面で長時間寝ていたからであろう軋みと気だるさ以外は概ね快調だ。
ひとまず身体の無事が確認出来たので、次点で現状の把握なのだが、
「全くわからん。」
とりあえず外に出てここがどこかを確認するためにも前に進むことにしよう。と言っても現状北も南もわからないため前進しているのか、後退しているのかもわからないのだが、ただ立ち尽くすよりはマシだろう。
等間隔に灯されている明かりと天井と壁一面に敷き詰められている鉄パイプ、どこからともなく鳴り響くごうごうとした機械音からしてどこか大型の工場か地下鉄の入ってはいけないようなところなのだろうか、思い返して見ても記憶にある場所でないことは確かだ。
現状を無理矢理解釈するのであれば、あの交通事故で入院した俺は何年間か記憶を無くし、その間に身体は完治して、今ここで唐突に記憶が戻った、なんてところだろうか。
「本当、無理矢理だけど。」
それもこれも全ては外に出てみないとわからない。
30分くらい歩いただろうか。何やら開けたところに出た。テニスコート3面程の広さはあるだろうか、未だに外に出れるような気配は無いが、息の詰まりそうな回廊から抜けられたことに少し安堵する。開けた空間の先にはまたここと同じような回廊があるのが見て取れるため、まだ先は長そうだった。
「相当広いなここ、新宿の地下道かそれ以上じゃないか?」
そう、これだけ長いこと歩いたが外に出れるような道など無く、人の気配もなかった。知りうる限りの場所を思い浮かべるも道を進めば進むほど自信が無くなってくる。
先程歩いて来た回廊を抜けたのでここらへんで小休止でもと思ったのだが、不思議と身体は全く疲れていなかったので更に進もうとすると、
コツコツと先の回廊から人の足音が聞こえてきた。助かった、人だ。とりあえずここがどこか聞いて出口を教えて貰おう。
先の回廊から現れたのは軍服の少女だった。歳は自分と同じくらいだろうか、帽子を被っている上に遠くてよく見えない。見たこともない軍服なのでどこか海外のものだろうか、
「すいませーん!ちょっといいですかー?」
テニスコート3面分を響かせるくらいの声を出す。少女はこちらに気付きこちらへゆっくりと歩き出す。
「ちょっと迷ってしまって、ここから-..」
少女は歩く速度を変えずに帯刀していた刀を抜く。
俺は血の気が引いていくのを感じた、なんかヤバそうだ、コスプレ?いや、こんなところで?偽物だろ?でも初対面の奴に偽物の刀抜くってのもヤバくね?なんなんだよ、なんだってんだよ!
刀が本物にしても偽物にしても今向かって来ている少女の頭はおかしいことは間違いない、俺は元来た道をダッシュで逃げようと振り返った。
「もう斬ったよ?」
振り返ったら目の前ににっこり笑った軍服の少女がいた、嘘だ。だって50メートルくらい距離あったじゃないか、瞬間移動!?
そんな考えが一瞬よぎったあと、腹部に激烈な痛みを感じ、倒れこんだ。
「ああああああああああぁぁぁぁ!!!!」
激痛の叫びをあげる。
痛みの先を見ると下腹部が胴体と切り離されている、ドクンドクンと脈打つ度におびただしい量の血が腹から流れ出て血溜まりになっていた。
あぁ、もうだめだ。どんどん視界も暗くなる..。
「あれ、珍しい。キミ新人かぁ。まぁ大変だけど頑張って」
少女の声が聞こえ、目の前が暗転する。
ーー下降:40ーー
「痛っ」
痛い、と感じた気がした。しかし、そう感じただけだったようだ。声に出してしまったものの身体のどこかが痛いという訳ではなさそうだ。
だが今回ははっきりと覚えている。軍服の女に上半身と下半身を真っ二つにされたことを。思い出して慌てて下半身を見ると、ある。斬られたはずの下半身は異常なく身体についている。試しに足を動かしてみる、問題なく動く。
夢だったのだろうか、夢にしてはずいぶんと生々しかった。
とは言え身体が無事なところを見れば夢幻と思うしか..
「何処だここ」
辺りを見回すと初めに見た回廊とは打って変わって森の中に倒れていることに気が付いた。
これはもう色々なんかおかしい。自分の持っている記憶も、置かれている現状も、何もかもが。
「どうしたってんだよ..いよいよ頭おかしくなったか?」
前回と同様にまた歩き始める、方角も分からずただひたすらに。情報を得るために。
ひとまずは高台を目指すべきだろう、人のいる方角が少しでもわかれば御の字だ。高台を目指すために見通しの悪い森の中の斜面をなるべく上へ上へと登って行く。やがて頂上付近にたどり着いたのだろう。真ん中に大きな岩があり、周辺は全て下り坂になっている軽い広場に出た。大きな岩の頂上は木々の上まで頭が突き抜けているところを見ると、岩の上まで登れば周辺の地形程度は把握できるだろう。山を登りきり、更に岩登りかとは思ったがたまにはこんな運動も悪くはないだろう。
幸いにもロッククライミングをしなければならないような急斜面の岩ではなかったため難無く登りきることは出来た。出来たのだが..
「なんなんだよ、これ..」
絶景は絶景だ。だが、ここが日本ではないことはわかった。いや、正確には海外でもないだろう。辺りには美しい森林が広がり、遠くには湖らしきものも伺える。その先には本来ならば地平線が広がっているはずだろう。しかしその先にあるのは..
「壁..か?」
地平線からそびえ立つ巨大な壁。その壁の左右には果てが無く、上を見ても果てはなかった。この山がそんなに高い山でないにしても、自分の位置から伺える壁の左右の端までの距離は間違いなく200kmを越えている、更には上にも果てがない。富士山ですら、いやエベレストですら眺めれば見える頂上が、どんなに首を上に向けて眺めても視認することが出来ない。
「ははっ..」
乾いた笑いと共に腰が抜けて思わずその場に座り込んでしまった。