椿の花弁
切れ長の目が、その花弁の落ちてゆく様を捉えた。
赤色のその花弁は、ゆっくりとその人の頭へと落ちていった。
朝になる。
まだ夜の面影が残った空を見上げ、少し微笑んでベッドから起きた。
窓からは、小鳥のさえずりが聞こえ、朝を告げていた。
私は、ゆっくりと辺りを見回すと、隣りにいた彼に「おはよう」と呟いた。夜からずっといてくれたのだろう、とても眠たそうに眼を開けて「おはよう...」とゆっくりと言った。私はベッドから身を乗り出し、毛布を彼にかけると、そっと背中を叩いて寝るように促した。
彼は、ニッコリ笑うと、眼を閉じて眠りについた。
彼は、私の事を気にかけてくれる、唯一の同級生であり、また、幼馴染でもある。
昨日も、私が危ない状態になったのを伝えられ、いち早く来てくれたのだ。やはり、どんなに心は丈夫でも、体は耐えきれないところがあるのだろう。
毎朝、腕につながれている細い管で、嫌でも私は患者で、病気なのだと思い知らされる。
管がつながれた先には、液体が入った袋がぶら下がっており、私は点滴をしているのだと分かる。
その時、サッと、椿の花弁が窓を通った。
赤色の花弁は、ひらひらと舞い降りて、窓の下へと行った。
きっと、風で飛ばされたのだろう。
だって、私はその花よりも上にいるから...。
名も知らぬ花弁を見て、一人で微笑んだ。
そして、隣りにいる彼を見て、安心してから眠りに落ちた。
それから少しして、彼は病室に来なくなった。
なんで、彼は、来てくれないの...?
その時、母が廊下で話しているのが聞こえた。
「ええ、本当に有難う御座いました。恵美も喜んでいましたもの。引っ越されるのは悲しいですけれど...新しい土地でも頑張って下さいね」
私のことを気に使ってくれてはいるのだろう、ヒソヒソと静かな声だったが、その声は確かに耳に聞こえた。
彼は、引っ越してしまうの?
何時?どうして?
ずっと、いてほしい...。
「あら、今日で最後なんですの?まぁ、折角だし、恵美に会ってくれたらいいのに...ねぇ、根本さん?」
「ええ、全くですわ。ほら、りゅう、会ってお別れして来なさいよ」
今日で、最後...?
いえ、それよりも、彼はそこにいるの?
ねぇ、じゃあ、なんで会ってくれないの....?
なんで、引っ越すことを、伝えてもくれないの...?
疑問が次から次へと浮かぶ中、お母さん方が「それでは、さようなら」と言い合っているのを聞いた。
待って...!!
私は、立ち上がろうとした。
が、点滴の管がグンッと私を押し返し、立てなかった。
私は、点滴の管を手に取った。
一瞬迷いが生じたが、すぐに決意すると、私は管を引っこ抜いた。
血が点々と浮き出て、私は顔を歪めたが、そんなことに構ってはいられない。
今、ここで会えなかったら...きっと、一生、後悔してしまう...!
私は、驚いている母の横をすり抜け、エレベーターへと乗った。
エレベーターがホールに出ると、一目散に走った。
彼が、いる。もう少し...!
「待って...!」
私は、彼の肩を掴んで、そう言った。
彼は、驚いた顔をして、此方を見た。
真っ赤な花弁が、彼の顔を横切る。
後ろの方には、大輪の真っ赤な花が咲き乱れていた。
ああ、あれが、あの花弁...!
私は、彼の方を向くと、「何故、引っ越すことを言ってくれなかったの?」とハァハァ息を切らしながら聞いた。彼は、眼を丸くしたが、やがてふっと息を吹き出すと、「だって、さよならで終わるのは嫌だから」と言った。
「お前とは、さようなら、で終わりたくないんだ。だって...」
好きなんだもん。そう、彼が言った気がした。
私は、溢れ出す涙を手で抑えると、彼に「私も」と囁いた。
彼は、にっこり微笑むと、紅の花弁を手に取り、「これは、椿、と言うんだ」と言った。
「謙虚な美徳、と言うんだよ」
そう言って、彼は私に紅の花弁を渡すと、微笑んだ。