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未完結「A-レクトル」  作者: 牝牡蠣
アシュラ-レクトル
8/62

一章⑧

        *         *         *



エドオルムから派遣された、トッケイを含めた海警隊の不明貨客船の探索は始まった。船の航路の変更は海警隊が行い、トッケイはアシュラの捜索に専念することとなった。海難事故での活動に特化した海警隊に戦闘をさせることは不可能であったからである。捜索はエドウとパルと、ディオの二手に分かれることとなった。どちらも、船の構造に詳しい海警隊一人と、エドウの選りすぐりのサプレッサー隊員が、エドウには一人、ディオには二人付いて四人編隊で動くこととなった。エドウ率いる探索隊は主に船内部を、ディオ達は旅客デッキの探索をすることとなった。


海警隊の十二人は艦橋を目指し、一斉に船内を駆けていた。それは、彼らが海難救助以外のこういった緊張に慣れていないため、全員で動くことにより自分達の領域を死守しなければ実力を発揮できない、と考えたからであった。たしかに全員で行動している彼らに死角はなかった。

彼らが艦橋に向かう道のりは、黒い斑点を散らばした腐りかけの木の床板のあちこちがめくり上がり、そこから寂しい黒土色の鉄板を覗かせていた。

海警隊およびトッケイが捜査を始めてまずなにより驚いたのは、船内の明るさであった。大概の場合の難破船は主電源が落ちていることが普通であり、このように明かりがついていること事態がまずない。そもそも船が動いている以上、電力供給ができていないわけがないのだが、海警隊の面々は言い知れぬ恐怖を感じていた。難破船の末路というものを十分に理解していた彼らは、暗闇の中での荒れ果てた現場というものには慣れてはいた。だからこそ、明照されながら見せ付けんかとするように目前に広がる船内の凄惨さは今までの現場になかったまったく別の恐怖を海警隊に植え付けたのである。

その恐怖に介在していたのは紛れもない、人の意思であった。



         *         *         *



 船内は三次元的に広がった迷路のようになっていた。しかも、船内の図面すら知ることも無くアシュラの探索をすることはそれなりの労も覚悟せざるを得なかった。ダヴィの衣服に固着していた重油からまず当たるべきは機関室であった。

エドウは懐に爆弾を仕込んでいた。何らかの支障によって船の航路が変更できなかった場合、船を爆破させ沈没させようとエドウは考えていた。それは彼がシャチューヌの体面を気にした行動に感化されているわけではなかった。彼はこの一連の事柄を一種の祭事のようなものだと思い込んでいた。ダヴィの出現、パルとのジョウザン、そして謎の貨客船への潜入、それらの激烈な経験は、彼の中で愉快で滑稽なお祭りと奇妙な回線によって繋がったのである。エドウはこの愉快な祭りの終わりを告げに来たのである。それが貨客船の航路変更の後、爆弾を置いて爆破するという安易なものか、貨客船の入港によりサリヴァンが壊滅に陥るかは誰にもわからない。

 誰にもわからない、今ここで作戦にあたっている全員が確かにこの念を持っていた。そんな彼らを乗せながらクローヴィム号はサリヴァンへと、その帆を乱すことなく躍進した。



         *         *         *



海警隊の面々は船橋へと入り込んだ。そこは最新の設備で埋めつくされており、サリヴァンへの経路もすべて自動操縦で行われていた。海警隊はその様子を見て唖然としてしまった。この船がロロノアダヴィの潜伏先であり、アシュラの貯蔵場所であったとしても、これだけの設備はそれですべてが説明できるはずがない。それは、この船がダヴィとアシュラ以上の、何か大きなものに動かされていることを暗示していた。隊員の一人が無線を手に取ると怒鳴りつけた。

“こちら海警隊。艦橋に到着。これから航路の変更作業に入る。これは私見であるが、嫌な予感がする。注意されたし。”

 無線が終わると、皆は夢から醒めたようにコントロールパネルと計器の前に立った。しかしその指先には言い知れぬ不安が纏わりつき、微かな震えがおきていた。こんな船からは一刻も早く降りたい海警隊は皆そう思っていた。

彼らはそんな感情に支配されていたのだろう。誰一人として上空から近づくシャチューヌを乗せたヘリコプターと市装兵の装備をつけたカムギを運ぶ高速船の存在に気づける者がいなかった。



         *         *         *



ディオは単独によるアシュラの探索を行っていた。それは、捜索開始早々、ディオはサプレッサーの二人に海警隊の護衛に付くように命じたからであった。彼らと共に、アシュラと交戦した場合、只の足手まといにしかならないとディオが考えたからであった。それはサプレッサーの無駄死を少しでも防ぎたいという念もないわけではなかった。

船上の旅客スペースは思った以上に複雑な構造ではなかった。まず手始めに、隠し場所としてうってつけである、調理室や食材倉庫などを備えた場所から探すこととした。

ディオは手近で最も大きい旅客スペースへと足を踏み入れた。そこはゆうに五百人は入れようかという広い場所であった。空気は密度が低く、決して活動的ではないが常に動き続ける静脈流のようである。そこは月光により大体の物は見えていた。様々な装飾の凝った遊具があちらこちらに散らばっている。この船の運行当時はそれらの物は旅客から愛でられていたのかもしれぬが、今のディオにとっては邪魔以外の何物でもなかった。

床には、野晒しにされたためか色落ちして名柄すらもわからない酒瓶達があった。それは、突風か何かで剥がされた天井の一部から射し入る月明かりに照らされている。ディオが探索していたこの場所は、どうやらバー・ラウンジのようであった。その荒みようは、当時の華やかであったろう趣きのすべてを暗い海へと流してしまったようである。その情景は、どこか威きり立っていたディオの神経を幾分か穏やかにした。今さっきまでの自分はあまりにも情にほだされていた、ディオはそう感じ、バー・ラウンジの探索を続けた。


酒を置いてある大きな棚の丁度裏側にある軽食用の調理場や、スタンドショーのために設けられた演者のための楽屋、隣の棟に移るための連絡橋のための二階などがあったが、ここにアシュラはなかった。この場所の資質であろうか、ここは人の足が自然と近寄ってしまう場所であった。それがわかった以上、ディオがここにいる理由はなかったが、それでもディオは探索を続けた。彼はこの場所にどこか居やすさを感じていたのかもしれない。


こんな所にイシエと一緒に来ることができたらそれはきっとさぞ楽しいであろう。ディオは脳裏に青くしなやかなドレスを着たイシエの姿を思い浮かべた。この時のディオはあきらかに異常であった。彼の作戦への意思は、自身のまったく意図せぬところで改変されつつあった。それはイシエの負傷に対しての一連の精神的不調が彼にこの上書きの察知を遅らせていた。

“ずいぶんと楽しそうだねぇ。ディオ君。

 二階の連絡橋の物陰からのっそりと月光の下に姿を現した金髪の少女、シャチューヌはディオを見下すように言った。

“えぇ、そうなんです。なんだかすごく、気分が、落ち着いているんですよ。”

 本来ならば成立しないような会話をディオは穏やかな声音でしていた。

“それは良かった。ここのガラクタの配置や装飾はすべて僕が君のために行ったものだからね。でもこれはまだ未完成なんだ。だから、最後の仕上げを今ここで、しようと思うんだ。それは、君のハラワタでこの飾り物のシカの首にマフラーを付けてあげることなんだ。”

 そう言ってシャチューヌはシカの首をディオに投げつけると、ワンピースをはためかせながら、眩い光に包まれた。それはジョウザンシステムであった。ディオはシカの首を叩き落すと、その光の中から数本の医療用メスがこちらに放たれたことを認知した。ディオは咄嗟にその場から飛び退いた。メスからは回避することができたが、足元に横倒しになっていたイスに躓き、背中を強打した。床には月光にメスが煌いていた。彼はすぐさま体勢を立て直し、散乱物の物陰に入った。

“どうしたのですか。ワタクシに解体されに来たのではないのですか。”

 その声は五十代ぐらいの痩せぽちの男の甲高い声であった。ディオは懐に忍ばせた短刀へと手を伸ばした。相手がジョウザンシステムを使っているのならこちらには勝ち目はない。そもそも、トッケイ以外にジョウザンシステムを持ち、使うことのできる人間など考えもしなかったので動揺はしていたが、その男の殺気がディオのそれを瞬く間に吹飛ばしてしまった。



         *         *         *



アシュラ探索をしているエドウ達は、クラーヴィムの心臓部である機関室へと向かっていた。エドウとパルは一度も言葉を交わすことなく海警隊員の後ろに着いており、さらにその後ろには、サプレッサーが一人着いていた。

 このサプレッサーはエドウと面識があり、個人的な依頼でこの作戦に参加していた。彼はサプレッサーとしての自分に誇りと覚悟を持っており、そんな彼に背中を預けることのできたエドウは、多少の安堵感を覚えていた。それは、彼の隣を走っているバディのパルが、逝き急いでいるように思えて迂闊に気を抜けなかったからである。パルは今、血の酩酊でも興しているのだろう、エドウはそう考えていた。彼女の足どりは野暮ったらしい田舎の牧人のような不精の大胆さを思わせることがあった。それは果て見えぬ草原を闊歩するならばよいかもしれぬが、今この船内でその歩き方をするのは賢明ではなかった。それに気づけぬのは、彼女がやはり若輩だからであろうか。

“パル、少し力みすぎだ。それだと死ぬぞ。”

エドウの相棒としては当然の、好意的な威圧を声がけに驚いたパルであったが、彼女の動きが何一つ変わることはなかった。彼女自身が今の自分の動作を理解し切れていないのである。この足取りばかりは自分の意思で矯正せぬ限り、真の意味で収まることはない。今の彼女が自身の動作を顧みることができぬ以上、彼女を周りの三人でカヴァーして行くしかないであろう。しかし、考えてみれば、今回の任務はアシュラの探索であり戦闘ではない。なれば、エドウのパルに対する不安はただの考えすぎであるかもしれぬが、やはりエドウにはどうしても船内で飛び散る血のイメージを拭い去ることができなかった。それは洗脳にも近しい固定観念であった。


突然、先頭の海警隊員が“停止及び散開”の合図を後方者に示した。


それを受け全員は、通路の物陰やヘリの隆起部に体を反らせるようにして身を潜めた。海警隊員が何かの異常を発見したのである。狭い通路は一瞬にして生気を失った。

海警隊員の目線の先にいたのは、全裸の男であった。その全裸の男は後ろから来たエドウ達の存在にまったく気づくことなく、酩酊者の如くおぼつかぬ足取りで歩いていた。その男はどうみても自分達に危害を加えるようには思えなかった。だが、この妖しげな貨客船において、そのような状態でいる男に対し、違和感ないし危機感を感じた海警隊員は脚をすくませてしまったのであろう。しかし、エドウはそんな海警隊員に同調することなく、その男の背後に忍び寄り、男を組み伏せた。男の体は床に叩きつけられ、肉が波打った。エドウはその男に覆い被さるように床で絡み合うような状態になった。その体からはどこかで嗅いだことのある獣のような肉香がした。エドウは組み伏せたまま男の体を器用に転がし、顔を見た。


エドウは言葉を失った。その男の顔はロロノアダヴィ、尋問をした時に見たあの顔、シュナイターパルによって殺された酷く歪んだ顔ではない、エドウをその眼差しによって苦しめたあの顔なのであった。


エドウはひどく動揺した。組み伏せたダヴィに下から髪を掻き上げられるような感覚で頭皮の内ではダヴィの姿、声、言葉、臭いのイメージが、エドウの脳内の血流を一方向へと押し変えていく。それは津波のようでもあった。このままでは自分は何の抵抗もすることなくすべてを飲み込まれてしまうだろう。エドウはただ呆然と自分を見つめる男の上でがむしゃらに体を動かした。それは気が狂った小童のような、腕白さと猟奇性とが見事に調和した、気味の悪いものであった。

“この男は死ぬべきだ。”

 それが混乱したエドウが唯一導き出すことのできた想像であった。彼は懐の拳銃を取り出し、ダヴィの頭を鷲掴みにすると、まったくの無抵抗であったダヴィの眉間に弾丸を叩き込んだ。後頭部から血と脳片が複数のなだらかな曲線を描くように飛び散った。ダヴィは世にも酷な叫びを洩らした。そして、ダヴィは頭部を床に思い切りぶつけることで、無機的な音を打ち鳴らした。エドウは頭を撃ち抜かれて絶命しているダヴィを眺めながら立ち上がった。ダヴィの出現から絶命のこの瞬間までそれは刹那の出来事であった。

 この間のエドウをより動かしたものは明確な殺人衝動ではなく、誰しも持ち得るような願望の類のものであった。

死体となったダヴィの脊椎はアシュラの電気刺激によって振動し、人の耳には聞き取れぬ微細な音波を発した。それは同属であるアシュラ患者、クローンダヴィの覚醒を促すものであった。

大量のアシュラの元にはアシュラ患者がいる。そんな妄想は紛れもない事実となったのである。それにたいしてのエドウの挙動は不安定なものとなった。所詮、彼の貨客船探索に関する根回しや準備とは彼の中の妄想、映像のキャメラワークを豊富にさせる以上の意味などなく、現実への対処として、まったくの効果を見込んではいなかった。そんな愚かしいエドウがこの状況の中で唯一頼れたもの、それが爆弾であった。

エドウは懐の爆弾へと手を伸ばした。それは確固たる物体としての、人肌の温みを受けた鋭利を曲面によって形づくられていた。

エドウの中に貨客船爆破という選択肢はたしかに存在していた。しかしそれは、爆破という構築された映像と、それを引き起こす直接の原因となる爆弾との聯関に乏しいものであった。いうなれば、多感な青少年が描くステレオな夢物語と大差のないものであった。だが、ダヴィとの接触によってエドウの中で構築されていた映像は一つの形に集約された。その時彼は始めて、甲板の酸化した鉄の臭いが爆破によって大気中に一気に解放される瞬間を脳裏に焼き付けた。それは彼の性根に居座っていた暗い薄弱さがなんとも滑稽な形で現われた瞬間であった。

“大丈夫ですか!”

 周りの三人の声がけに対し、白痴となっていたエドウは反応した。この時エドウは、血まみれで頭を撃ち抜かれたダヴィの姿を見てしまったパルに対し、何の気をかけることもしなかった。それはバディとしてのあまりの不手際であった。

 エドウは機関室へと一心になって駆け出した。それは、彼がダヴィの出現によりただただ爆発の炎の映像にのみしがみつく狂躁状態にあることを意味した。しかし、この判断はあながち間違いではなかった。

 先ほどエドウが殺した人物がダヴィだとわかったのはエドウとパルの二人だけであったかもしれないが、その時点でダヴィがこの世に二人存在したこととなった。むろん、どちらかがカエダマということも考えられなくはなかったが、両者の目にエドウが与えられた恐怖は、別人の眼であったならば、ここまで錯乱することもなかったであろう。エドウはこの二人のダヴィが同質の個体、クローン人間だと考えた。それはとても信じられるような話ではなかったが、アシュラを作り出した科学宗教ポノウェの存在を念頭に置けば、けして笑い事で済ますことのできる話ではなかった。ポノウェがもし、クローン技術によってダヴィを生み出していたとするならば、それは一体とは限らない。それはエドウ自身がポノウェに属していた当時の、人々の崇拝の対象となるようなある種の神秘すらも感じさせたポノウェの活力、先進性を鑑みての考えであった。

 猛然と機関室へと向かって行くエドウの後ろで、パルは崩れるようにして転んだ。そんなパルに対し、エドウは怒声を浴びせた。周りの二人は義務的にパルを助けた。彼女はそのか細い足を小刻みに震わせながら、

“ダヴィが来る、ダヴィが来る……。”

 と、何度も何度もレコーダーのように呟いていた。ジョウザンシステムの適合者としての完成がダヴィを察知していたのである。パルはエドウの怒声を聞いていなかったかのように彼の元に駆け寄ると、

“エドウ、ジョウザンを、ジョウザンを。でないと、殺されちゃぁう、喰べぇられちゃぁう…。”

 と、泣きながらにジョウザンシステムの使用を懇願した。それはエドウも内心は同じであった。だが、彼には爆弾というものがあったが、彼女にはそれがないためにジョウザンシステムに頼るしかないのであろう。

 その時、これから行く機関室へと続く階段から、エドウ達のいる階に降りてくる者がいた。それはディオでも艦橋に行った海警隊でもない、薬品と糞尿を混ぜて気化させたようの臭いを、姿が見えぬ位置からでもその息遣いによって運ぶ者であった。

 エドウは口元に無線を近づけると、厳かに喋り出した。


“こちらエドウ。重要なり。繰り返す、重要なり。船内にて多数のアシュラ患者と交戦。ついては、本船の航路変更は難儀と判断せり。よって、機関室の爆破によって、本船を沈没させる。爆破は一時間後、0323とする。それまでに各員速やかに脱出せし。”



         *         *         *



 ディオは目の前の老体に悪戦を強いられていた。戦闘のセンスからいえば、ディオの方が勝ってはいたが、相手のジョウザンシステムの前ではこちらがどれだけ武装をしようと丸腰でいることと同じであった。老体の身のこなしはディオと同等かそれ以上のものであり、両者は狩人と野兎のような一方的な関係に陥っていた。

“そろそろカンネンして、ワタクシに調理されてしまったらどうですかな?”

 老体は声に、余裕から生まれる張りを持たせていた。

 これ以上の戦闘は無謀だと感じたディオは脱出の機会を窺っていた。幸い、この場所にはそこら中に物が散らばっており、身を隠す場所に事欠くことはなかった。ディオは休憩用の黴のついたソファの後ろで息を殺していた。できるならば、相手と剣を交えずに脱出がしたい。ならば、その機会は限られたものであった。老体はホールを遊回しながら楽しげにディオを探していた。

“ネズミといえども、こうも隠れられてはどうしようもありもせんね。アブリ出しますか。”

 老体はそう言うと、手に持っていたメスを自身の咽喉へと突き立てた。そして、ばっくりと二つ目の口を作るかのように切り開いたのである。すると老体は、血液を煮沸して気化させてしまったかのように消えたのである。これはデュオウルフがダヴィ捕縛の際に見せた業と非常に似ていた。ディオはその光景に目を疑った。これこそ、ヒノマルに伝わる秘術なのであった。

ディオは物陰から飛び出すと、血の生温かさが充満した大気の前へと立ち塞がった。

“私はカイゼヨウの直系でジョウサイの名を受け継いだ者だ。これは秘薬による秘術とお見受けする。あなたの名を聞きたい。”

 この言葉はディオの真の名であった、カイゼヨウジョウサイとしての凛とした言葉であった。

“そうか、君はヒノマルを作ったカイゼヨウの一族だったのか。これはとんだ失礼を。ワタクシはニュー・ビル・サマーでお抱えの医師をしていたシルヴァンという者です。ワタシはあなた方の作ったヒノマルに心底惚れ込んでしまいましてね、気がついたらこんな体になってしまったワケですよ。”

 大気中に漂う老体ことシルヴァンは笑いながら答えた。ジョウザンシステムに適合する条件はアシュラ及びヒノマルが深く関わっているらしい。それは、朽ち果てた身体という自然因果の前提を飛び越さ無ければならないことを意味していた。

 そんな話を仁王立ちで聞いていたディオの姿はどこかに怒りを感じさせた。それは彼の中で同属が見つかったという親近感よりも自分の他に秘術を使える者が存在していること、秘術は自分だけが正当に扱うべきだという奢りから来ているのであった。ディオは沈黙の中に殺意を込めた。彼の念頭に脱出という言葉はもはや無かった。

 大気は生物的に震え、酸素を著しく減少させた。震えはさらに激しくなり四方八方のガラスを割った。その途端、熱されたホール内へと外の外気が入り込み、大気はうねった。それはすべて、ホール内の中心にいたディオへと向かっていった。ホール内に充満していた気化したシルヴァンも一緒である。四方八方から襲い掛かってくるシルヴァンに対し、ディオはなす術が無かった。



ディオの全身を気化したシルヴァンが覆った。シルヴァンはディオの呼吸の自由を奪い、さらに穴という穴からディオの体内へと侵入していった。ディオは悶絶した。体内からじわりじわりと焼かれていくのである。シルヴァン自体の能力の低さか、はたまた秘術の特性か、一瞬にしてすべてを焼き払おうとはしなかったが、なによりもシルヴァンは、それを楽しんでいたのである。熱により気管や肺胞が焼け死に、縮み上がっていく。骨は正常な強度を失い、徐々に脆くなる。しかしそれは、脳への加熱によって髄液が枯れ、知覚や思考が狂わされていく中でのディオの感覚であったのかもしれない。

“ああ!愉快、愉快。この瞬間がヒノマルを使っていた時の感覚とよく似ているんですよ。この状態になると、ワタシはもうただただ人をコロシたくってしょうがない。ああ、あなたを焼けるなんてワタシは幸せ者だぁ~!”

 シルヴァンはディオの内臓を炙りながら喘ぐように語っていた。


 だが、ディオはそんなシルヴァンの語り掛けなど一向に気に留めなかった。ディオは集中していたのである。身体を内側から焼かれていく中で意識を集中させることは並大抵の荒業ではなかった。ディオの集中はある一つの現象となって現われた。


それは風であった。


ホール内に吹き込んできたその作為的な風はディオに纏わり付いていたシルヴァンの混じった大気を吹き飛ばした。気化したシルヴァンは煽られるがままに一箇所に集められ、人の形へと昇華された。ディオはその瞬間に空かさず、短刀を投擲した。丁度、シルヴァンの左眼球を抉るように刃は刺さった。シルヴァンは痛みのあまり、投擲された短剣の勢いそのままに仰け反るようにして倒れこんだ。

“痛い、痛い、痛いぃぃぃ~!”

 シルヴァンは床に這い蹲りながら泣き叫んだ。それはその齢からすれば見るに絶えないものであった。ディオは息も絶え絶えに、そんなシルヴァンに言い放つ。

“お前はカミカゼも使えないようだな。カミカゼとヒノトリが合わさって、初めて秘術が完成するんだ。お前のような者に秘術を語る資格はない。その口、二度と秘術のことなど言えぬようにしてやる…。”

 ディオは憔悴を隠しきれていない足取りでシルヴァンへと近づいた。ジョウザンシステムと生身で戦うという離れ(わざ)は、彼の心身を著しく疲弊させた。

シルヴァンは光を放つと金髪のワンピースの少女シャチューヌに戻っていた。しかし、ディオの凶剣は降ろされることはない。その場でうずくまっていたシャチューヌは自身に刺さった短刀を引き抜くと左眼球がこぼれた。

“ああぁぁ……。クソッ、クソッ……。”

自らの眼球をもう片一方の目で見た少女は嗚咽を洩らした。涙と血が交じり合ったものが少女のつぶらな瞳から垂れた。少女シャチューヌは渾身の声を上げた。

“殺せ、殺せ、ダヴィィィッ!そいつを殺せぇぇぇっ!”

 すると、床を突き破り出てきた手がディオの足を掴んだ。咄嗟のことであったため、ディオは無様に両手をついてしまった。その間に、いたる所からクローンダヴィがホール内に入って来た。ディオは手をつく際に、持っていた短刀を手離してしまった。そのためか、先ほどまでの彼の激情は急速に冷めていった。

 彼自身、なぜ自分があそこまで怒り狂っていたのか、それを支えていた論理、ヒノマルの秘術の後継者という奢りも、今のディオにはわかりかねた。だがその感情は、ディオを何百というクローンダヴィに囲まれるという危機的状況を作り出していた。

ディオはぬっくと立ち上がると、短刀を握り直した。シルヴァンがいない今、ディオは人並みの判断力を取戻していた。この場から逃げ出すにはどうすればよいか、彼は反射的に観察し始めていた。



         *         *         *



エドウの無線を受けた艦橋の海警隊は甲板へと向かっていた。この作戦において一番の権限を持っていたのはエドウであり、彼の判断は絶対であった。海警隊はそんな彼の指示に異を唱える者はいなかった。

彼らはとにかく、この船から離れたくて仕方がなかったのである。艦橋という密室の中で増幅される外界への恐怖を、彼らは静寂を持って耐えるしかない。しかし、先ほど聞こえた銃声は彼らをさらに追い込んだ。その銃声は彼らの中で増幅され、銃声以上の意味を持ち始め、死の観念そのものへと変貌していったのである。彼らの精神はこの異質の中で崩壊寸前まで追い詰められていた。そんな中でのエドウからの脱出の命令、死の観念とも云うべきものからの追跡からの解放は、彼らの顔にどれだけの生気を取戻させたことか。彼らは航路をもうちょっとで変更できるかもしれぬというところで、艦橋から飛び出し、逃げるように退散していった。甲板に向かう途中で、ディオが艦橋に向かわせていた海警隊員をサプレッサー二人とも合流できた。海警隊の面々は極度の不安からは解放させていた。

ヘリコプターのエンジン音が聞こえる。救援が来たんだ。

海警隊は我先にとヘリコプターの元へと急いだ。それはなんとも無様な姿だったが、人間としての生存のための反応であったことに疑いの余地はない。甲板に出ると、最執部の輸送用のヘリコプターが着陸していた。その中から、一人の女性が何かを叫んでいるようであった。その女性は入崎であった。ヘリコプターに駆け寄った海警隊の一人は開口一番に言った。

“船内にはアシュラ患者がいる模様。エドウ特務官の判断でこの船は0323に爆破されます。”

“それはエドウから聞いています。ここにいるのは危険です。早急に撤退しましょう。”

 海警隊員は人としての最後の善良を持って返した。

“船内にはまだ三人残っています。もう少し待ちませんか。”

 入崎は隊員の顔を見ずに腕時計を見た。時刻は0307であった。

“わかりました、あと十分待ちましょう。それ以上はこちらに危険が及びます。”

その隊員はゆっくりとヘリコプターに乗り込んだが、中にいた隊員は誰一人として彼を咎める海警隊員はいなかった。彼らは一人の、海警隊員の人命救助という誇り高き責務によって人としての情を捨てずに済んだのである。彼らはむしろ、自分達の恥辱と共に、感謝の念すら覚えていた。



 

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