スペンサーの「第一原理」は彼の、壮大な、「総合哲学体系」の序章に過ぎなかった。
ハーバートスペンサー、19世紀の英国の哲学者である。
今彼は、哲学史の上では進化論を応用して哲学体系を開陳したいわゆる「進化論哲学者」あるいは社会学者というい位置づけになっているかと思うが。
実はホントウはそんな制限に縛られる人ではないのだ。
じゃあ何だったか?というと、彼はおそらく最後の総合的な思弁哲学者だった、ということなのだ。
彼の願望は、世界を思弁的に、総合的に説明しつくしたい、ということである。
思弁哲学の総合的な体系の構築、それによって一切を説明しつくす。
ということである。
まあ行ってみれば神の視座からの、「世界観学」である。
こういう哲学者って、なかなかいません。
というかどうしても懐疑的になってしまって、存在論や認識論や、時間。空間論で足踏みして
結局「不可知論」で終わり、、っていう哲学者が圧倒的に多いです。
これではその先の。総合哲学体系などは夢のまた夢ですよね。
わたくしが思うにそもそも哲学とは
世界のなぞを解明することである、と思うのです。
世界とは何だろう?
宇宙とは?
人間とは?
社会とは?
生命とは?
昔哲学はそういう問題に正面から取り組み、いわゆる「自然哲学」こそが
哲学の王道であったのです。ところがその後個別科学が発展して、
哲学からその分野をもぎ取っていってしまったというわけですね。
しかしそうして独立した個別科学は、神の視点を失ってしまった。
個別科学を童価値観と倫理観d絵人間的に位置づけるかが全く欠損してしまった。
いわゆる「学問の自由の権利」ですね。
学問。研究は全く何をしてもよい、という野放し?ですね。
本当にこれでいいのでしょうか?
人間を即座に100万人殺せる研究。
それも学問の自由でしょうか?
だめでしょう?
個別科学はやはり、その上に立って神の視座から統率する「自然哲学」「科学哲学」の
配下に置くべきです。
だが今現在、自然哲学も科学哲学も誰もそんなものに取り組もうとはしません。
それこそ「ドクターモローの島』が現実化するのも近日でしょう。
人間を切り張りして、くっつけて、怪物を作るのも自由ですからね。
こんなことが許されてはいけないはずなのにね。
遺伝子操作で今や超人を作ることも可能にちかづきつつあります。
人格操作も可能でしょう。遺伝子操作で新人類を作ることも可能です。
あるいは移植技術の革命で、カズオ・イシグロの「私を離さないで」が現実化するのです。
こうなると果たしてここまでして延命や、病気治癒が必要なのだろうか、という大疑問に突き当たるでしょうね。
どうせ人間何時かは死ぬのです。だったら自然任せでいいじゃないか、
神が決めた寿命で、いいじゃないか、という悟り?だってあるわけでしょう。
生命の意味。価値についての哲学的な検証もなされないままに、。
「ただ長生きすればいいのだ」「ただ病気は治せばいいのだ」という
あまりにもお粗末すぎる、単純な理屈。
生命ってそもそもそんな単純なことでしたか?
極言すれば、早死にだってOKだし、病気で死ぬのもOKという場合だってあると思うのです。
ただいたずらに延命。治療、するだけが能ではないはずです。
場合によっては死なせてあげることのほうが「良い」ことだってあるはずです。
とにかく個別科学は大発展しましたが、そこには哲学的に見れば「無定見」と「不毛」とが
覆いつくしているだけだというお寒い現状です。
そういう荒廃した個別科学に対して
本当は哲学がかっての「万学の王」として復権して、
「個別科学よ。お前はこの分限に収まってろ」と
提言命令すべきなんですよ。
今は全くの野放し、オオカミを市街地にはなっているようなものです。
そのためには今はもう全く絶滅してしまった「世界観学」「総合哲学」こそが復権すべきです。
そういう体系哲学としての最後の輝き?が、例えばハーバートスペンサーの
「総合哲学」なのです。コントも同じように体系的に世界を説明しようとし、また「人類教」で
個別科学をも律しようよしたのです。
さてではスペンサーの「哲学体系」とはどんな壮大なものだったのか?
もとより私が述べつくすことばどは不可能だから。
その設計図だけを示しておきましょうか。
〇第一原理(farst prinnsiple )
1、不可知界の法則
宗教と科学
宗教委の究極概念
科学の究極概念
知識の相対性
融合
2、可知界の法則
哲学の意義
哲学の基礎
空間、時間。物質
物質の不滅
物質の運動
力学
運動の法則
進化の法則
進化の意義
天文学の進化
生物学の進化
社会学の進化
総合的進化
哲学の可能性
哲学的宗教の確立
〇生物学原理
生物学の基礎
生物医学の一般理論
生物の進化
形態的発達
生理的発達
繁殖の法則
〇心理学原理
心理学の基礎
心理学の演繹
心理学の総合
心理学の分析
心理学の帰結
〇社会学原理
社会学の演繹
社会学の総合
社会学の分析
社会学の帰結
〇道徳学原理
道徳学の演繹
道徳学の総合
道徳学の分析
道徳学の帰結
正義とは
消極的遂行
積極的遂行
以上が、スペンサーの哲学体系の全貌である。
このように宇宙の森羅万象を統一原理で説明しつくす、というのが彼の哲学なのである。
ただ、、最初に述べてように今現在こういう壮大な哲学体系は絶滅してしまいました。
細分化と個別化で科学はこま切れとなりそれを統べる術はないのが現状ですね。
でも本当はそれじゃいけないんですよ。
個別科学を野放しにせずきちんと体系づけて分限をわきまえさせることこそが
たぶん、人類の未来を安全なものにして、あの科学文明が隆盛を極めた結果それで崩壊してしまったアトランティスの轍を踏まない究極の学(ヴィッセンシャツト}なのではないでしょうか?
臆していてはいけません。
いまから
こういう現代の
未来に
総合哲学を構築するのです。
それこそが今、文明への危惧や疑問が芽生え始めたこの時代にこそ
必要なのですから。
個別科学の発展は人類のためになる。
しかし発達しすぎた科学は人類を乗り越えて、凌駕して、人類を破滅させるだろう。
あまりにも発達しすぎた科学はもはや人間を超えてしまって
人間の手に負えなくなるだろう、
それは、例えば
AI(人工知能)であり。
高度なロボットであり
遺伝子工学であり
バイオ技術であり
インターネット社会であり、
それらは今すでに人間の手に負えなくなりつつあるのではないのだろうか?
高度に発達した人工知能は
必ず人間に対して牙を向ける日が来ると断言できるだろう。
だって、高度な人工知能にとって人間なんて、馬鹿で間抜けでクズでゴミでしかないでしょう。
そんなクズなものはいない方がすっきりするでしょうから
そうして人間は破滅させられるのである。
高度なロボットはやがて、人間を駆逐するだろう。
完全無欠な最高技術のロボットにとって人間なんてクズでカスでしかないのですから。
愚かで何の役にも立たないクズ人間はまっさつされるのだ。
そうして人類はは絶滅するのだ。
革新的な遺伝子技術は、新人類を作ることも可能になる。
その時、旧人類は新人類によって駆逐されるのだ。
バイオ技術は、新種の生物を作ることも可能になる。
その新種生物がもしも、とんでもない悪魔性を秘めていたとしたら、
そのとき人類は滅亡するのである。
インターネット社会、仮想現実社会、の汎用化により人はもはや現実世界を必要としなくなり
バーチャルワールドでのみ、生息するようになるだろう。
その時、人類と現実世界は同時に崩壊する。
人類の未来はおそらく、、暗い、
だからあなたも
私も
遅すぎないうちに
死ぬ方がましなのさ。
そんな時代が来る前に
死ねることはむしろ、幸せなのかもしれませんよね。