身勝手の末の清閑
広い王宮の隅にある、小さな部屋。
飾り気もなにもない質素な部屋には、暖炉とベッドと、大きな本棚だけがおいてある。
二つあるベッドのうち一つは空席で、もう一つのベッドには、穏やかな表情で瞳をとじた少年が横たわっていた。
そして、少年の隣に腰掛ける美しい少女は、一冊の本を朗読している。
温かい部屋で、雪を見ながら、二人はたおやかな日々を過ごす。
その胸のうちに、決して吐露できない苦しみを、抱えながら。
「 冬の姫君!冬は終わったのですぞ! 」
「 姫君!これでは、あなたのお好きな桜も咲きません! 」
塔の下には、今日も群衆が集まる。
長く続く冬に辟易とした者達が、季節を司る末の姫君に、塔から降りろと叫ぶ声。
毎日毎日それを聞きながら、魔道士の青年クロードは、今日も打てる手はないのかと模索していた。
「 強情なものよ... 」
「 こうなったら、力づくで! 」
脳筋の武官たちはすぐ武力を行使しようとする。
武力を使ってどうにかできるなら、国の上層部がとっくに兵をあげているというのに。
「 馬鹿なことは考えるなよ。いまこの国で、冬の姫君に勝てる者などいない 」
インヴェルノ王女殿下。
イヴ。
クロードの乳兄弟でこの国の王の末娘である彼女は、聡明で心優しい乙女だ。
そしてその気性とは裏腹に、イヴの身体のなかには、未だかつてないほどの魔力が渦巻いている。
故に、皆塔のもとへ行くことはできても、中へ入ることもよじ登ることもできない。
頑なに外へ出ようとせず、ただただ大地を清閑とさせんとする彼女は、一体なにがしたいのか。
彼女のことなら、なんでもわかっているつもりだったのに。
クロードは無邪気に微笑む少女の姿を思い浮かべながら、ふうと息を吐いた。
外ではいまも、途切れることなく白い雪が降りしきっている。
「 プリマヴェーラ様 」
「 あら、カレン 」
ドアの開く音とともに、女性の細い声がした。
名を呼ばれて振り返った少女は、真赤な表紙の厚い本を手にしている。
彼女こそこの国の第一王女、冬の姫インヴェルノの姉プリマヴェーラ殿下である。
「 また、テッドについていてくださったのですね 」
「 えぇ。テッドは大事な乳兄弟ですもの 」
女性はプリマヴェーラに深く頭を下げると、申し訳なさそうに瞳を伏せた。
プリマヴェーラは特に気にする様子もなく、微笑むと本の朗読を再開する。
女性は部屋の反対側へ置かれたベッドに腰掛けると、静かな部屋に響くプリマヴェーラの可憐な声へ耳を澄ませた。
女性は知っていた。
どうして冬が、こんなに長く続くのか。
誰にもいうつもりはなかった。
それはプリマヴェーラの、乳母とその息子への愛故だと知っていたから。
女性エリスの息子、プリマヴェーラの乳兄弟に当たる少年テッドは、生まれつき身体が弱い。
乳児の頃からよく発熱をしたり酷く体調を崩したりすることがあったが、十二になったある日彼は、結核を患った。
この国において、結核は不治の病だ。
エリスやプリマヴェーラの必死の看護を持ってしても、病症は決してよくはならない。
そして医者は、この春は越せないだろうと宣告した。
「 そうして、王子と姫は、幸せに暮らしましたとさ 」
ハッピーエンドの代名詞を口に出すと、ふっと、テッドが目を開けた。
「 ねえさん、それ、なんておはなし? 」
掠れた小さな声で、テッドがそう尋ねる。
プリマヴェーラはその頬をそっと撫でると、柔らかく微笑んだ。
「 木こりの姫、よ。今日は体調が良いみたいね、テッド 」
テッドは答える代わりに少しばかり口角をあげると、また瞳を閉じる。
しばらくテッドの頬を撫でていたプリマヴェーラは、また違う話を読み始めた。
それは幸せな光景だった。
暖炉のある温かい部屋と、おとぎ話を語る姉。
静かに楽しそうにそれを聞く弟と、二人を眺める母。
その外にあるものが、決して明るくないと知りながら、今だけはその幸福に、皆浸っていたかったのだ。
「 ......あぁ、うるさい。うるさいわ 」
塔の中の姫君インヴェルノは、膝を抱えて縮こまっている。
誰もいない部屋で何ヶ月もひとりきり。
窓の外に広がる銀世界など、孤独を誇張するものでしかない。
冬が、冬の終わりをこえたその日から、インヴェルノは泣いてばかりだ。
寂しい。
悲しい。
怖い。
塔の外から聞こえてくるのは、祈る声、怒鳴る声、様々だった。
皆、冬の終わりを望んでいる。
インヴェルノが塔を出ることを望んでいる。
しかし、彼女が最も敬愛し崇拝する姉だけは違う。
インヴェルノが冬の終わる日を迎えても塔を出なかったのは、彼女自身の意思だ。
だけれど、その根底には、愛しい姉の存在がある。
姉はインヴェルノだけに話してくれた。
テッドは確実に、春とされる時期が終わる前に亡くなること。
そうしたら、彼の最期を見ることも、彼の亡骸を弔うこともできないこと。
瞳を潤ませながら語る姉の姿を、インヴェルノは初めて、頼りなく思った。
いつも守ってくれる強く気高い姉を、守ろうと思った。
起き上がることもままならない短い生涯のなかで、インヴェルノに一度でも笑いかけてくれた少年テッドに、報いたかった。
だから彼女は、今日も塔を出ない。
誰もいない塔のなかで一人、群衆の叫びを聞きながら、テッドの死の報せを待っている。
それはとても、悲しい日々だった。
そして、残酷に平等に、時は過ぎていく。
「 テッドが、亡くなった?......そんな、まさか 」
クロードは瞠目した。
久々に会った、乳兄弟の姉からの悲しい報告。
赤子のときから知る少年、テッドが亡くなったというのだ。
「 信じられないとは思うけど、事実よ。そしてあなたに、頼みがあるの。イヴに、妹に、テッドのことを伝えてほしい 」
「 プリマヴェーラ殿下は、行かれないのですか 」
「 えぇ。図々しいとは思うけれど、今だけでも、テッドの亡骸のそばに居たいの。すぐに塔へ入ることになるだろうし 」
「 ......わかりました 」
クロードは、悲しみにくれる間もなく、塔へ向かって走り出した。
プリマヴェーラの話を聞くまで、忘れていた。
なにも話してくれなかったイヴに対して裏切られたような気持ちになって、大事なことを、忘れていたのだ。
聡明で心優しく、泣き虫なあの子はいま、泣いていないだろうか。
待っていて。
いま、行くから。
「 もう限界だ! 」
「 こんな扉、叩き壊してやる! 」
斧を掲げた国民が、それをドアに振り下ろそうとした直前。
凛とした声が、清閑の地に響いた。
「 待ちなさい 」
市井の人間のそれとは明らかに違う佇まい。
颯爽と現れた青年は白馬を降りるとドアへ近づき、国民たちを側から追い払った。
「 申し訳ないが、ここは任せてくれないか。この冬は、必ず終わらせる。あと数日、どうか辛抱を 」
青年は群衆に深く頭を下げた。
王宮に住まう人間からの謝罪に国民たちは困惑していたが、素直に街へ帰っていく。
青年はその背中を見届けると、塔の上の姫君に、優しく呼びかけた。
「 イヴ、インヴェルノ。どうかここをあけておくれ。君はもう、ここに閉じこもっていなくてもいいんだ 」
そう言った瞬間、大きな音とともに、ドアが開いた。
見慣れた白銀の髪が揺れ、白い腕が自分の首元に添えられたのを感じて、思わずクロードは笑みを零す。
クロードの胸に顔を押し付けた彼女は、やはり、泣いていた。
「 どうして泣いてるの 」
「 だって、だって、兄様がここにきたってことは、テッドは 」
「 そうだね。亡くなったそうだ 」
「 なのに、私、一人の塔が怖くて、こうして兄様がきてくれて、嬉しいとか、思って 」
「 うん 」
「 なんて不謹慎なんだろうって、テッドの方がよほど怖かったはずなのにって、こんな私、姉様はきっと嫌いになる。テッドのお墓にだって、いけないよ 」
嗚咽混じりにゆっくりと、インヴェルノは語る。
聡明と、神童と謳われた彼女はまるで子供のように、大粒の涙をたくさん零した。
クロードはただ、彼女を抱きしめる。
その悲しみも苦しみも、すべてを受け入れて。
数日後、冬は終わった。
すべては正常にもどり、インヴェルノは国民にすべてを話し謝罪した。
国民たちは、弔いの白い花を持って王宮へ募った。
テッドは城の裏庭へ葬られ、今でもどんな季節だろうと毎日、季節の姫君たちが彼のもとを訪れる。
そして今日も、一つのおとぎ話を零していくのだ。
「 そうして、王子と姫は、幸せに暮らしましたとさ 」