一話 3
昼休み。食後の満腹感もあり、かなりの眠気に襲われていた。
春眠暁を覚えずとはいうが、時間帯は関係無いらしい。
「さて、飯も食ったし、木陰でのんびりするか……」
広場から少し離れた場所にある大きな大木。木の葉が太陽の光を阻んで程良い木漏れ日となり、暖かい風が緩やかに吹く。この場所はお気に入りの昼寝スポットだ。
いつもの場所でいつもの様に横になり、瞼を閉じて眠りに着く。
「昼間から、そんな所で眠りこけてるとは良いご身分だなぁ? 右近寺ぃ?」
聞き慣れない声に、ウトウトと寝呆けまなこをこすりながら、ゆっくり起き上がる。 見覚えの無い男が立っている。彼は誰だろう? まだ視界は、ボヤけて見える。
「……ん? 誰だ?」
「あぁ? お前は人の名前を覚えれないのかぁ?」
目の前にいる男は、硬派な不良という雰囲気ではなく、まさにヤンキーといった感じで俺の嫌いなタイプの人間だ。短髪の髪は黒く、天に向かって全体を立たせている。
「いや、お前の顔には全く覚えがないんだが……」
眠気もあるせいか、全く思い出せない……。
「てめぇ、相変わらず調子にのってんな?」
「相変わらずって何だよ……、ホントに覚えが無いんだよ……」
実際に覚えが無いので仕方がない。
「てめぇの去年の文化祭の時に何したのか覚えてないのか? あぁ!?」
声を荒げて男が詰め寄ってくる。
「去年の文化祭……? あぁ、思い出した。妹がぶつかったとかで因縁つけてきた奴をぶん殴ったな様な……」
「その殴られたのが俺だよ!」
「あぁ、その節は悪かったなすまん」
その声が五月蝿いのもあってか、ボヤけた視界から鮮明に映り男の顔を思い出した。
「で、誰だっけ?」
顔は思い出せたが、名前がどうにも出てこなかったので聞いてみる。
「殴った奴の事も覚えてないのかよ? どんな神経してやがるんだ?」
いちいち挑発なのかよく分からないがカンに触る言葉を挟んでくるな。
「覚えるも何も、先生からの指導は別々だったろ? だから知り得ない情報だ」
「うるせぇ! 覚えてないなら覚えとけ! 俺は熊六 兆だ!」
親切な事に名乗ってくれた。また忘れる気もするが。
「分かった、覚えとくよ……。じゃあおやすみ熊六……」
「寝るんじゃねえぇぇぇぇぇぇ!!」
大音量に睡眠を妨害される。朝の麻衣の声よりも大きく耳触りな声だった。用件も済んだろうし、寝てもいいだろう?
「うるさいなぁ……、まだ何か用でもあるのか?」
こういう手合は構わないに越した事は無いんだが。
「てめぇ……、話の流れ読めよ! ちょっとツラ貸せ……」
その言葉を遮るように何か素早いものが目の前を通り過ぎる。
「何だ? 今のは?」
「や、矢? ……あ? え!?」
熊六は腰を抜かしていた。見た目と違い小心者なのかも知れない。
飛来物が向かっていった先を確認する。その先には妙な物があった、いや刺さっていた……。
「何だこりゃ?」
羽の付いた細い木の棒、恐らく木に刺さっている先端は鋭く尖っているだろう。矢だ。
棒の中ごろには何かが結びつけてある。文字の書かれた紙だ。展開についていけなさそうになるが、冷静に整理してみる。
矢に何かが書かれた紙が結ばれている、実際に見た事は無いが……。
「……これは、矢文? 何処から飛んできたんだ?」
矢が飛んできた方をみると木の影から弓が見える。
あれで隠れているつもりなんだろうか………?
木の方に歩いていくと、弓がビクっと震えている。状況が分かってなければかなりシュールな光景だ。
木の影の震えている弓の先を覗き込む。そこには小柄な女の子がいた。震えている為か何か小動物の様にも見える。
「この矢を飛ばしたのはお前か?」
その女の子に声をかける。
「は、はひ! 私でふ!」
まるで上官に敬礼する下士官ような背筋の伸ばし方でこちらに向き直った。明らかに噛んでいたが。
茶色のショートカットの髪は丁度耳を隠すぐらいの長さ、デフォルメに書かれた兎のヘアピンがコメカミの辺りに付けている。ネクタイを見ると同級生の物では無かった。瞳は真ん丸の琥珀の石みたいに、木漏れ日と合わさって輝いて見えた。
「そのネクタイは一年か?」
「は、はい! 一年の早乙女 紅葉と申します!」
問いに対して間髪入れずに答えが返ってきた、名前のオマケつきで。
「これは何のつもりなんだ?」
さっきの矢に結び付けられていた紙を見せながら再度問いかける。
理由も無いのに射掛けられるのは流石に勘弁して欲しい。
「そ、そ、それはですね、弓道部の伝統のですね……」
「弓道部の伝統? 矢を校内の木に撃ち込むなんて伝統があるのか?」
妙な伝統もあるもんだ。何の意味があるんだろう?
「い、いえ、そうではないんですが……」
紅葉は言い淀んだ。
「……じゃあ何なんだ? 弓道場以外でそれを使うのは流石にまずいだろ?」
「そ、そのですね……」
顔を赤らめながら紅葉は、聞こえるか聞こえないか分からないような小さな声で答える。
ほとんど聞こえないので答えて無いに等しい。
「はっきりしないな……、俺は流石に見ず知らずの後輩に矢で射掛けられる覚えはないんだがな……」
「その文を読んで頂ければ分かります! 失礼します!!」
急な大音量で答えが返ってきたかと思うと、次の瞬間には紅葉は走り去っていた。
尋常じゃない音量とそのスピードに少々呆気にとられてしまった。
手に残された手紙を一瞥する。
「読んでみれば分かるって何だ……?」
果たし状か何かであろうか?
そんなに人に恨まれるような事はしてきていないつもりなんだが……。
「何々? 拝啓……? 随分丁寧な手紙だな」
読み進めようとしたところ、怒声とともに横から手が伸びてきて、
「右近寺! てめぇ紅葉ちゃんとどういう関係なんだよ!? それ見せやがれ!」 手紙を兆が奪い取り読み始める。
「…………右近寺ぃ、放課後校舎裏まで来いや」
短い沈黙のあと、何やら震えながら熊六がそう続けた。……震えてる感じはさっきの紅葉とは全く違ったが。
「意味が分からないな、何で俺がそんな所に放課後行かなきゃならないんだ?」
「うるせぇ! この手紙を返して欲しければ放課後にこいよ!」
間髪入れずに言葉を放つ。手紙をぐしゃぐしゃにしてポケットに押し込み熊六は去っていった。