一話 2
「さて、急がないとまずいな……」
時計の針は8時15分を指していた。走らなければ遅刻してしまう時間。
「お兄の寝坊とお説教のせいだよ〜」
「説教の原因は何だと思ってるんだ?」
こめかみを押さえながら、態とらしく振舞ってみる。
「そんな事はどうでもいいでしょ! 遅刻するよ! 」
麻衣は顔を赤くして声をあげ玄関のドアを開けた。
自宅を出発し足早に学校へ向かう。お互い危機感があるのか、さっきのやり取りのバツが悪いのか無言だ。
そんな中、近所の公園の前を過ぎる際、妹によって沈黙が破られた。
「どうした?」
「お兄、覚えている? ここの公園、自殺があったんだって」
「……自殺?」
いつも、この道を通ってはいるが、確かに誰一人この公園に入っている所を見たことがなかった。
「丁度この時期ぐらいだよ。三年前に女子高生が首を吊っていたの」
「……そうか。若いのにやり残した事もあっただろうにな」
そんな事があれば人が居ないのも頷ける。
「……それ以来、一人で公園に行くと――……出るらしいよ?」
「出るって何が?」
「おばけ」
真面目な顔をした おばけ発言の麻衣に不謹慎だが笑ってしまった。
「お前いくつだ? まさか信じてるわけないよな?」
「ほんとだもん! クラスで持ちきりだよ? その女子高生のおばけが、首を絞めに来るんだって!」
「幽霊とか、怪奇現象というのはだな。プラズマが原因ってテレビでやっていたぞ」
俺は幽霊を信じてはいない。怖いという思い込みが幻覚を見せるものなんだ。
「最近、通り魔も出るって言うし。――私、思うの。この公園の幽霊の仕業なんじゃないかなって」
「考えすぎだ。早くしないと本当に遅刻するぞ」
急ぎ足で踏み出し急かしてみるものの、麻衣はまだ立ち止まっている。
「……お兄は、居なくなったりしないよね? お父さんや、お母さんみたいに急に死んだりしないよね?」
悲しそうな顔を見せる麻衣。亡くなった父と母を思い出してしまったのだろう。悲しさを和らげるように、麻衣の頭をポンと叩いた。
「心配すんな。料理できないお前を一人にしたらどうなるか分からんからな」
「あ! 酷い! 朝のはちょっとしたエアレスミスなんだから!」
「ケアレスミスな。空気無くしてどうするんだ。お前は俺にとって唯一人の家族なんだからな」
ツッコミが追いつかない……、こういうのを天然っていうんだろうな……。
「……そうだよね。約束したもんね」
「約束?」全く身に覚えが無く、妙な声が出てしまう。
「お兄? もしかして忘れてる?」
また頬を膨らませる麻衣。
「すまん。なんの約束だっけか?」
「もう! 知らない!」
怒って先に行く麻衣。マンガなら湯気のようなものが出ているだろうな……。なんてどうでもいい事が頭をよぎった。
「麻衣! 悪かったって、ちょっと待てよ」
麻衣の後を追いかけて、少し足早になったところで、曲がり角から急に人影が現れた。
「あぶな……」
俺の声は意味をなさず、人影とぶつかってしまい、長い赤の髪に、サイドテールが尻もちと共に揺れる。
「あぁ、すまない。えーと確か島板さん?」
この子は確か同じクラスの島板レミ、父と母の葬儀の時に世話になった教会の娘だ。
「大丈夫か?」
起こそうと手を伸ばして見るものの、この手を掴まずスカートに付いた土を払った。
「……不注意。もっと回りを見て。もしも私が子供やご老人だったら大怪我をしている所だった」
淡々と告げられ、ぶつかった怒りからか睨みを効かせて来る。世話になった人の娘だが、どうにも摑みどころが無く苦手な印象が強い。
「あ、あぁ……、すまない」
自分でも嫌になるような小さな声が出る。俯いた視界に白くて細い指が現れて、驚いて顔をあげる。目の前には島板の顔があった。
「……ネクタイ」
「え?」
驚きと焦りを混ぜた声が裏返る。
「緩んでるよ」と言って、俺のネクタイを直してくれていた。
「あ、ありがとう」
「もっとしっかりしてよね。妹さんの面倒見ているんでしょ?」
「まぁな。俺達の事……覚えていたのか?」
「昔とはいえ、丁度同じ年だし、覚えていただけよ。早く行かないと遅刻するわよ?」
「あ、忘れていた」
俺とレミは、走って学校へと辿り着く。なんとかギリギリ遅刻は免れた。