一話 1
夢を見ていた。無人の公園で、女の子が居た――そんな夢。
「……ぃ……るょ……」
声が聞こえる。霞んだその声には聞き覚えがあった。――一体誰の声だっただろうか?
「お兄ぃ!!」
大音量の声が耳に響いた。同時に腹部に大きな衝撃が加わり呼吸困難になる。その衝撃と音に思わず目を覚ましてしまう。その主は分かっていたが、確認した上で返事をする。
「……あぁ、おはよう……麻衣……」
俺の腹の上に腰掛けているのは妹の右近寺 麻衣だった。金色の髪は、ヘッドホンみたいに右耳から左耳にかけて髪を編み込んで大層なオシャレをしている。俺の寝起きを確認するかの様にのほほんとした鳶色の大きな瞳で覗き込んで来る。
「おはよう! やっと起きた?」
まだ頭に霧がかかった様な感覚だ。いつもは、目覚めが良いは……ず――。
「あ、また寝た。お兄、お兄、お兄ぃ! 朝だってばっ!」
パジャマの胸倉を掴まれ激しく上下に振られる。バーテンダー顔負けのシェイクに気分が悪くなってきた。妹の長かった後ろ髪が見えないなと思ったらポニーテールにしていたのか。あぁー髪の毛がぴょんぴょんしているんじゃー……。
「気持ち悪い……苦しい……重い……」
「もう! 重いなんて失礼しちゃう。朝ごはん冷めちゃうよ」
ようやく目が覚めて頭が回転し始める。
「……――朝ごはん!?」
戸惑を覚えた。……麻衣が料理? ありえない。料理の「り」の文字も、知らない麻衣がだと? 料理の「さしすせそ」の「さ」とは何かと問えば、「サラダ!」と答える妹だぞ!?
「問おう……お前が朝ごはんを作ったのか?」
「お兄が作らなかったら私以外に作る人いないじゃん」
「いや、だって……お前がだぞ?」
「それどういう意味? 私だって料理ぐらいできるよ!?」
麻衣は頬を膨らませる。その時、とある小動物が脳裏を過った。
「……ハムスターみたいだな」
「私、そんなに可愛い?」
「ああ、可愛いぞ。頬袋いっぱいにして、餌が足りないと怒っている顔みたいにな」
頬にグーが飛んできた。本気の拳だった。
「く……まさかハムスターに殴られるとは思いにもよらなかった」
「もう一発いっとこうか? とりあえず、顔を洗ってきなよ」
麻衣はそういって部屋を出て行く。とりあえず言われた通りに洗面所に向かおう。
夏休みも終わり 始業式が始まって数日。まだまだ気温は高いようで、蛇口から流れ出る水はどこと無く温い。それでも、顔を洗えば多少はすっきりする。ふと鏡に映る自分の頬が赤くなっている事に気付く。
「さっきのパンチが効いているな」
ヒリヒリと痛む頬は優しく撫でるように洗顔を終える。タオルで顔を拭きながら食卓に向かう。
「あ、ようやく来た。遅いよ お兄」
妹はまたハムスターのように頬を膨らませている。
「ハム……あぁ、悪いな、さぁ食べようか」
先程の件を思い出し、口を噤んだ。ハムスターは災いの元だ。
「何か言いたかったみたいだけど、何かな?」
麻衣は、拳を見せながら笑顔でそう言った。流石に、もう殴られるのは勘弁なので咄嗟に誤魔化す。
「朝は、ハムが食べたいなと思ったんだよ」
「そう? 残念だけどハムは無かったのよね。とにかく早く食べようよ」
「そうだな、じゃあ頂こうかな」
テーブルには、半熟の目玉焼きの横には綺麗に盛り付けられたサラダ。ワカメの入った味噌汁に湯気の立つお米が並んでいる。
「頂きます」
目玉焼きの目玉を割ってみると黄身がトロリとでてくる。やはり目玉焼きといえば、半熟に限る。いつも半熟で作る為か、作り方を真似するのかな? 黄身のかかった白身を口に運べば、甘みとニッキの様な独特の香りが口の中に広がる。卵と甘味がお互い喧嘩して、一つにならなかった。良く見れば、茶色の粉みたいなものが目玉焼きにかかっている。溜め息混じりに違和感の正体を問う。
「妹よ、この目玉焼きに何をかけた?」
「ん? シナモンシュガーだよ」
「シュガーときたか」
舌に半熟卵とシナモンシュガーが絡む度に不快感が募っていく。口直しに、サラダに手をつけようとするが、すでにシナモンシュガーの魔の手が伸びていた――たっぷりと粉がかかっている。
「ごちそうさま」諦めて箸を置き、席を立つ。
「――!? ちょっと待ってよ! 味噌汁を飲んでみてよ!」裾を掴まれ、強引に席に座らされる。
さっきの満面の笑みから打って変わって泣き顔になっている。表情豊かであるといえば聞こえが良いが、単に落ち着きが無い。その顔を見てしまったので、しぶしぶだが味噌汁を口にしてみる。味噌の香りと同時に妙な甘みが口いっぱいに広がる――。こみ上げてくる嗚咽を抑えて水を飲み干す。
「スポーツドリンクに味噌をとかしてみたの! 熱中症対策だよ、お兄」
「なんてものをコラボしとるんだ貴様は」
これは生物兵器。何故こんなものを生み出してしまったのか問い詰めなければなるまい。
「妹よ、そこに座りなさい。まず、お前は普通の料理が出来ない癖に、何故アレンジができると思うんだ?」
「えー? こっちの方が美味しくて、体に良いと思ったからだよ!」
思わず頭を抱えたくなる……。この家にバイオハザードを起こすつもりなのか?
「……試しに飲んでみろ」
「美味しいに決まってるじゃん! やだなーお兄」
そう言って妹は味噌汁に口をつけた。
「そうお口の中にお味噌の香りが鼻をくすぐってお出汁と程良く絡み合う。同時に、この甘酸っぱさが口いっぱいに広がって――広がって……」
吐き出しおった。どうやら舌は正常だったみたいで安心した。
「絶妙だね! お兄」
「想像を絶するに妙な味だろ? とにかく! これから食事を作るときはちゃんとレシピを見る事から始めるんだな」
「スイートチリソースが余っているから、スープにして試してみようかと思うんだけど」
「きけぇい! ご飯はもう俺が作る!」
なお、全く懲りてない模様。
「だったら早く起きてよね」
「――そうだな」
滅多に寝坊する自分では無かったが、この時は返す言葉が思いつかなかった。
次回2月頃更新予定。前編の続きを書く予定です。