N博士の発明と失敗
学生Rは毎日がつまらなかった。友達がいないわけではない。楽しみがないわけでもない。しかし打ち込めるものが何も無かったのだ。
Rは他の人とは違う特別な才能を持っていた。子どもの頃からRは何をやらせても他人以上のことができた。ピアノを習わせれば1週間も経てばソナタがスラスラと弾けるようになる。勉強させれば途端に学年10位以内。スポーツならどうだとサッカークラブに入らせてみればあっという間にエースストライカーである。
それならば将来の選択肢が増えていいじゃないかと思う人もいるかもしれない。しかしRは何事も他人以上のことはできるのだが、その全てが中途半端だった。いわゆる器用貧乏というやつである。そんなこんなでRは何をしてもある程度上達するが、それより上を目指そうとするとすぐ壁に当たって飽きてしまう。新しいことを始めて、少しうまくなって、飽きる。こんな同じことの繰り返しの日々から抜け出して、新しい毎日が訪れないかなと、Rはいつも思っていた。
明日はテストだ。しかし当然勉強などしない。しなくても余裕で点が取れるからだ。もう高校生だというのに将来の夢も何もない。その日もまた一日が無意味にすぎていった。
次の日の朝もいつもと変わらない目覚めだった。
Rは学校に向かう。学校に着くとみんなが勉強している中、テストまで机に突っ伏して寝た。これもいつものテストのときと何も変わらない。つまらないのも変わらないままだ。
そうしている間に時間が過ぎ、用紙が配られテストが始まった。ここまでもいつもと何も変わらない。
しかし問題をさっと見てRは異変に気づいた。問題が難しすぎる。これは数学だが、ざっと見たところどうやら大学で研究するレベルの問題だろうと思う。
ははあ、さてはM先生が間違えて別のテストを持ってきてしまったに違いない。こんなものこの教室にいる誰にも解けるはずがない。すぐに誰かが指摘するだろう。
しかしどこからもそんな声は上がらない。それどころかみんな普通に解きにかかっている。
どういうことだ。もしや、よく考えれば実はとても簡単な問題なのか。しかしどう考えてもRには全く分からなかった。刻々と時間が過ぎていく。結局Rはそのテストを1問も解けなかった。
こんなはずはない。今回の範囲は完全に理解していたのに。いや、そもそも他のみんなも解けたはずがない。Rは隣に座っている同級生Dに話しかけた。
「今回のテスト、なかなか難しかったね。」
「え!ただE(u) = ∮M|du|dx の臨界点として定義されてるリーマン多様体の間の写像の u : M →Nのことを聞いてるだけの問題だったから、けっこういけたと思うけど。」
まるでわけの分からない言葉で返された。本当に日本語だろうか。
ま、まあいい。数学はたまたま勉強する範囲を間違えていたみたいだ。Rは気を取り直して次の教科を受けることにした。
しかし、その日のどの教科もRの理解できる問題は皆無であった。
帰り道、Rはすっかり自信をなくし、落ち込んでいた。
どうして、みんな急に天才になってしまったんだろうか。いや、僕がバカになっただけなのか。
「どうじゃ?自分がみんなに置いてかれてしまった気分は。」
そのとき、ふいに後ろから声がしてRは振り向いた。そこには白衣を着た見知らぬ老人が立っていた。
「だ、誰ですか、あなたは。」
Rは驚いて、胡散臭そうにその男をジロジロ見た。
「わしは博士のN。君の今の状況を知る者じゃよ。」
「えっ、今の状況って、それはつまりみんなが急に頭が良くなったことですか!」
「ああ、実は私がそうしたんだ。まあ詳しい話は研究所に行ってからにしよう。ついておいで。」
そう言うとN博士は歩き出した。もちろんRもついていく。
N博士の研究所は思いのほか近所にあった。
「ここがわしの研究所じゃ。意外と君の家から近いじゃろ?」
「ええ、そうですね。こんなところに研究所があったなんて全然知らなかった。しかしそんなことは今はいいです。僕に何が起こったんですか。早く説明して下さい。」
「まあ、そう急かすな。君の周りの人が急に頭が良くなった、いや正確には君がそう感じただけなのだが、それはこの装置の作用なのじゃ。」
N博士はそう言うと、Rの制服の胸ポケットに手を入れ、中から小型の機械を取り出した。
「あれ、いつのまにそんなものが入っていたんだろう。全然気がつかなかった。これが何か関係しているんでしょうか。」
「ああ。実はこれは私の発明品でな。リモコンでスイッチを入れるとある特殊な電磁波を出すようになっておる。そしてその電磁波が人間の脳のある部分に蓄積されると、人間の記憶・演算能力を司っている脳のある部分が異常に退化するんじゃ。この電磁波が大体数十分間も蓄積されれば、数学でいうと高校3年生の学生でもただの掛け算すらできなくなるんじゃ。」
「なんだか難しくて良くわからないな。つまり、昨日一日中この電磁波が、僕の胸ポケットから発生していて、それで僕がバカになったってことですか。」
「まあそういうことじゃな。ちなみに退化するのは脳のほんの一部分じゃから思考回路にはなんの影響もない。だから現に君はわしの言ってることを理解できるじゃろ。まあしかし、その仕組みの全てはまだ解明できておらん。まだまだ謎の多い電磁波じゃよ。」
「なるほど。確かに今九九を計算しようとしたら「九九」という言葉は頭では分かっているのに、その計算はどうしても出来ませんでした。本当に僕はバカになってしまったんだなぁ。いや、待てよ。でも僕の友達は確かに臨界点だのリーマン多様体だの訳の分からないことを言っていましたよ。それに試験の問題だって明らかに難しいことが書いてあった。僕だけがバカになったんならおかしくないでしょうか。」
「ほう。それは面白いことだ。しかし現実では何も変わっていないのじゃよ。おそらく脳の一部だけが退化したことで生じる様々なズレが幻聴、幻覚となって現れたのだろう。そのせいで友達の言葉がまるで数学者の講義のように聞こえ、簡単なテストが数々の数学者が頭を悩ましてきたような問題に見えたのかもしれない。」
「そうなんですね。しかし勘弁して下さいよ。なんでそんなことをしたんですか。」
「よくぞ聞いてくれた。実は今、私は未来の日本を危ぶんでいるのだよ。今の日本のゆとり教育は若き有能な人材の芽を摘み取ってしまっている。君も素晴らしい才能を持った人材の1人だが、自分の才能を鼻にかけてついつい怠けてしまっておるだろう。このままでは将来、日本にはろくな人間がいなくなる。そうなる前に君のような人に、1回気づいて欲しかったんじゃよ。周りから置いていかれていく気持ちを。そして自惚れなど捨てて日々精進してほしいと思ったんじゃ。」
「そういうことだったんですか。こっちは本当に焦りましたよ。でも博士の言うことも良くわかりました。これからは周りを見下していないで、自分のために物事に励み上を目指します。」
Rはすっかり改心した。明日からはつまらかった毎日が、何かに向かって努力する素晴らしい日々に変わってくれそうだ。
「そう言ってくれると、わしがこの装置を作った甲斐もあったということじゃ。君がワシの装置の成果の記念すべき1人目だ。」
「ありがとうごさいます、博士。ところでそろそろ退化した僕の脳をもとに戻して欲しいのですが…。」
「おお、そうじゃな。どれどれ装置を貸してくれ。えーとここのスイッチをこうして…。ん?こんなスイッチあったかな?あれ、そもそもこれはどうやって使うんだったか…?」
なんだかN博士の様子がおかしい。そこでRは大変なことに気づいた。
「博士!この装置電源が入ってます!」
「な、なんじゃと!ということはしまった。わしの記憶・演算能力まで退化してしまったのか。こうなってはもう装置の使用方法も作り方も思い出せないぞ。君のたいかしてしまった脳ももとに戻せない…。本当にしまった。」
そこでN博士は、Rのジトッとした視線を感じたのか慌ててこう付け足した。
「し、しかしそう悲観することはないぞ。君は紛れもない天才だ。数年も勉強すればすぐみんなと同じレベルにまでまた戻れるはずだ。何もかもできてしまってつまらなかった日々が、みんなより全てが劣っている分必死で努力する日々に変わるだけだろう。
…そうだ、これこそ君が望んでいた新しい毎日じゃあないか。」
最後まで読んでくださってありがとうございました。稚拙な文章で申し訳ありません。