2.
それから二日、僕は部屋から出ないままで過ごした。
ママは数度部屋に来て、僕が座るベッドの上を黙って見つめて、それから何も言わずに階下に降りて行った。
ルーも学校から戻るたび僕の部屋にやってくる。そしてやっぱりいつものように、これまでのように、その日あった様々を報告していく。
まるで変わらない、いつも通りの日常。
──けれど。
また少し胸が痛んだ。でも、泣いたりはしなかった。
夜になって、待ち侘びていたチャイムの音が聞こえた。とうとうパパが帰ってきたのだ。
僕は部屋を抜け出して、下へと降りていった。一階は大騒ぎだった。ルーはパパの腕にとりついてはしゃぎ回っているし、ママも随分久しぶりに笑顔になっている。
パパは疲れた素振りなんか少しも見せずに二人に付き合い、それから、
「あの子の部屋に行ってくる」
そう、悲しい顔で言った。
二階に上がるその背を追って、僕は黙ってついて行く。
友達と喧嘩した時、将来の夢の話をする時、好きになった女の子の話をする時。
そんな男同士の話をする時は、いつだって僕の部屋だった。パパは僕を子供扱いなんてしないで、いつでも一対一で、きちんと相談に乗ってくれた。
でも今夜は、ママもルーも一緒だった。
「ああ……そのままにしてあるんだな」
「ええ」
簡潔に応えて、ママは少し涙ぐんだ。
「あの子がまだ、そこにいてくれる気がして」
空のベッドの上を見つめ、小さく深くため息を漏らす。くっついて来ていたルーが、さっきまでの笑顔が嘘みたいに顔を歪めた。お兄ちゃん、と呟いて、やがて大声で泣き出した。
パパは黙って、そんな二人を抱き締めた。
ママが部屋を片付けずにいてくれたから。ルーシーが欠かさず毎日ここに来て、その日の事を話し続けてくれていたから。
僕はまだ、ここに居ていいような気がしていた。僕さえ忘れてしまえば、全部嘘になってくれるような――そんな気さえしていた。
「おかえりなさい、パパ」
聞こえない事は承知の上で、僕はそう呟く。
大丈夫。パパが帰ってきたから、ルーもママももう安心だ。
だから、僕は居なくなっていい。
踵を返すと、僕は皆の横をすり抜けて出た。
「約束は、果たせたかな?」
驚いた事に、そのひとは廊下に居た。パパもママもルーシーも、誰一人気が付いていない。丁度、僕に気付かないのと同じ様に。
いちいち言葉にしなくても察してくれるふうだったから、僕はただ頷いた。
あの日は風が強くて。
僕はベランダの物干しの高いところに引っかかってしまった洗濯物を取ろうと踏み台をして、そうして不安定になったところを、一際の強風に押されたのだった。
あまり痛みはなかったと、それだけは不思議なくらい鮮明に覚えている。
それから僕は、ずっとパパを待っていた。
僕が居なくなって、その後の事が心配だったから。パパが帰ってくるまで僕が二人を守るって、そう約束していたから。
でも大丈夫。今日パパは帰ってきて、そうすればママにもルーにも、もう怖い事はない。
だから――僕は居なくなっていい。
週末は、居間に布団を延べるのが習慣だった。そうして眠ってしまうまで、家族皆で漫然と、他愛の無い話を続けるのだ。
もう交わる事の出来ない、暖かな時間。
みんなにキスしてきてもいいかと尋ねると、そのひとはそっと背を押してくれた。
パパとママに。
それから二人の間の妹に。
ルーが抱き締めて眠っているのは僕があげたテディベアで、決して泣かないつもりでいたのに、やっぱり涙が滲んでしまう。やはり未練を覚えてしまう。
だけど僕はこのひとに、連れて行ってもらわなきゃならない。
だから僕はここでみんなに、さようならをしなくちゃいけない。
おやすみ、パパ、ママ。
それにルーシー。
愛しているよ。ずっと。