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告解

作者: しのぶ

告解とは、司祭(神父)に罪を告白して、赦しを受けるキリスト教の儀式(秘跡)。宗教改革以前から存在する教派には共通の儀式で、教派によって訳語が違うそうです。一応資料を見て書いていますが、所々おかしいかもしれません。

「神父様、告解をしたいのです」


と声をかけられて、司祭ベラルミーノは意外に思った。大抵の人は日曜日にしか告解しない。最近はそれさえ怠る、不真面目な信者も少なくない。このような平日に一人で教会にやって来て、告解しようというのは、よほど信心深い人か、よほど悩みのある人であろう。

相手の男を見ると、痩せてというよりはやつれて、目の下には隈、顔には深いシワ、沈痛な面持ち、どうやら後者のようである。


「わかりました。先に告解部屋に行っていて下さい。私は着替えてきます」


ベラルミーノは愛想よく言う。自責の念に駆られている人には安心感を与えるのが大事である。もとより、神父は常に親切心を忘れてはならぬ。


部屋で祭服に着替えながら、ベラルミーノは鏡を見て思う。


(もう、一年か…)


かつては自分が司祭になるなど思いもしなかった。


ベラルミーノは元マフィアであった。

数年前、麻薬の取り引きのために向かった先で、待ち伏せていた敵対組織に襲撃され、五人の仲間は全員死亡、ベラルミーノも二発銃弾を受けたが、仲間の死体の下で死んだふりをして生き残った。


病院に入院したベラルミーノは復讐を誓う。だが同時に、敵の刺客が病院にまで自分を殺しに来るのではという恐怖に付きまとわれ、夜も眠れず、ベッドの上でも銃が手離せないという状態であった。


退院するより前に、自分の組織と相手の組織が全面戦争をやって、敵は壊滅。ベラルミーノの組織もほとんど崩壊したと聞かされた。それを聞いて、安心感と同時にやるせなさを感じ、世の無常を感じたベラルミーノはマフィアを抜けることを願った。

許されてファミリーを抜けたベラルミーノは、信心業に励みだし、やがて聖職者となった。司祭となってもうすぐ一年、その生き方に、かつて感じたことのなかった喜びを感じ、ようやく魂の平安を得た思いであった。



告解部屋には、告解する者と司祭用の二つの入口があり、中は壁で二つに仕切られ、壁に空いたごく小さな窓を通して、告解する者は司祭に対して罪を告白する。窓が小さいので顔を隠すことができ、心理的な抵抗を軽減する作りになっている。


ベラルミーノは告解部屋に入ると、傍らの机に祈祷書を置いて、待っていた男に声をかける。


「お待たせしました。ではどうぞ」


窓越しに男が言う。

「はい。…どこから話せばいいのか…。ああ、私は大変重い罪を犯しました…。大変言いにくいことです。」


「どうぞ、神の慈悲を信頼して下さい。神はあなたを許されます」


「…わかりました…ここで告白したら、警察にも行くつもりです」


どうやら、刑事事件にもなるような、けっこうな罪のようだ。そこで、先輩の司祭の話を思い出した。

『ベラルミーノ、罪の告白を聴くときに大事なのは、聴いた罪に自分自身が呑まれてしまわないことだ。

司祭の中には、他人の罪の告白を聴き続けたために、自分でも同じような罪に落ち込んでしまう者がいる。たとえ、最初は高潔な志を持っていても、だんだん影響されて、流されてしまうんだ。

いわゆる、「あなたが闇を見つめる時には、闇もあなたを見つめている」

というやつだ。流されてはいけない。呑まれてはいけない。常に超然としていられるように、神助を求めることだ。告解を受けるたびごとに』


「(我らを試みに引きたまわざれ…邪悪より救いたまえ)どうぞ、告白なさって下さい」


「はい。…私は、昔マフィアでした」


「ほう」


「しかし私は自分のファミリーに不満を持っていました。それで、敵対していた組織に裏切りの誘いを受けた時、それに乗りました。麻薬の取り引きに向かう先…その場所は秘密だったのですが、私はそれを彼らに教え、彼らは待ち伏せていて襲撃しました。六人全員死亡したと聞きました」


「…」


「その後、私がいた組織とその敵対していた組織は全面戦争に入り、敵対組織は壊滅、私がいたほうもほとんど崩壊しました。私は一人で逃げて、数年間隠れ住んでいました。しかしもう、これ以上隠れていることに耐えられなくなったのです。隠れていた間、あらゆる罪に溺れましたが、忘れることができなかったのです。…」


「…」


相手はまだ告白していたが、ベラルミーノは聞き流していた。周囲の景色がぐるぐる回っているように思える。

相手は告白を終えた。言わなければならない。定型文を言って赦しを与えなければならない。


だが、彼には言えない。

どうして言えようか?死んでいった仲間を思い出した。病院のベッドで誓った復讐を思い出した。いや、私情に流されてはいけない。彼は聖職者だ。聖職者として、赦しを与える義務がある。それは天来の義務だ。

だが、彼には言えない。


うつろな気持ちで、傍らの机を見たベラルミーノ、机の上を見てぎょっとした。


祈祷書の隣に、銃が置いてあった。

置いてあるはずもない銃。

ベラルミーノは魅せられたように、それに触れ、手に取って持ち上げてみた。硬く、冷たく、重量感のある、確かな質感。幻覚ではない。

弾巣振出し(スイングアウト)式のリボルバーで、露出した弾巣の中には六発の弾がぎっしり詰まっている。(そういえば、死んだ仲間たちも、俺を入れれば六人だ)弾巣を戻してから発射するのに、二秒もかからないだろう。小さな窓のせいで、相手からは死角になっていて見えない。密室、壁越し、外す要素はなし。かける力は、ほんの少し…


「神父様?」


やめろ、俺に話し掛けるな。裏切り者め。だが、ここで撃てば、俺のほうが裏切り者になりはしないか?裏切り。欺き。背信行為。それがどうした?ほんの一瞬だ。あとでいくらでも悔俊できる。俊順している暇はない。今を逃せば、二度と好機はないだろう。


「神父様?」


マフィアだった頃の先輩の言葉を思い出した。

『ベラルミーノ。ファミリーは一つの身体だ。一部が攻撃を受ければ、残りの全部で防ぐ。一部が失われれば、残りの全部でやり返す。仲間の仇が討てない奴はファミリーの一員じゃない。いや、そんな奴は人間でさえない』


同時に、聖職者の先輩の言葉も思い出した。

『司祭が神父と呼ばれるのは、全ての人の精神的な父だからだ。流されてはいけない。呑まれてはいけない。何があろうとも…。』


「神父様?」


なぜ、今なんだ?という考えが脳裏をよぎる。もっと早くこいつが現れていれば…こいつを撃って、仇を討ってからマフィアを抜けて、聖職者になっていればよかった。そうすれば、こんな迷いもなかった。いや、今討っても構わないんだ。色々処分されるだろうが、どうでもいい。後でいくらでも悔俊できる。まさか、拒まれはしないだろう。こんな罪でも赦そうというのだからな。いや、拒まれたって構わない。迷い。昔なら、こんな迷いはなかった。なぜ、今なんだ?どうした、出来ないのか?意気地無し、卑怯者、臆病者、それとも、逆か?どうすればいい?撃つのが勇気か?撃たないのが勇気か?いや、勇気などどうでもいい。どうすればいい?どうするのがいい?なぜ、今なんだ?ほんの僅かな距離。指一本分の距離。指一本分のルビコン川。迷っている暇はない。やるのか?やらないのか?僅かな一歩。これは神が与えたチャンスかもしれない。それとも悪魔の囁きか?神意はどこにある?俺の意志はどこにある?僅かな一歩。あと一歩。踏み出すなら今だ。今踏み出さなければ永遠に踏み出せない。今だ。今!


銃を置いた。


「赦します」


「…神があなたを赦されますように…父と、子と、聖霊との名において…」



相手は感謝しつつ去って行った。彼が去って行った後も、ベラルミーノは部屋の中に留まって、椅子にぐったりもたれていた。聖職者としての務めは果たしたが、人としての務めを果たさなかったように思った。同時に、やはりこれで良かったとも思った。どちらとも決めかねる思いだった。


ふと机を見ると、銃は無くなっていた。やはり幻覚だったのだろうか?いや、あれは確かに現実だった。いやむしろ、現実以上に現実だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 重いテーマですね。 私は、この小説の終わりかたに、どうやら納得出来なかったようです。 告解を終わった時に見えた銃で男を撃った方が、男は救われたのじゃないのだろうかと思えて仕方がありません………
[一言] とても考えさせられるお話でした。 ベラルミーノさん自身の中に、聖職者としての自分が確固として生まれていたことを確認できたのだから、それによってようやく完全に足を洗うことができたのではないか…
[一言] 告解室という狭い中で、神父の葛藤が巧く描かれていてハラハラしました。少し哲学的なテーマですね
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