傲慢なる少年の傀儡
幕間
「ちくしょう!」
少年は怒りの声をあげた。
体中に痛みが走り、立ち上がることすらままならない。
「くそ、ゲームのような力があれば、あんな奴らに勝てるのに」
それは事実、この界隈でゲームで彼に勝てるものはいなかった。
だが、現実は薄汚い路地で、惨めにのたうちまわっているだけであった。
「ちくしょう!」
「……奇跡を起こしてあげようか?」
いつの間にか、少年のかたわらに一人の青年が現れていた。
腰まで伸びた漆黒の髪、雪のように白い美貌の白衣をまとった青年。
「その前にとりあえず、その傷をいやさないといけないな」
青年が少年にむかって手をかざす。
すると瞬く間に傷が癒えていく。
「これは……」
「君も欲しいだろう、こんな力を。この力さえあれば、君は世界の頂点にたてるよ」
そういって青年は、黒色の宝石を少年に差し出した……。
最近、宮本市の繁華街は、一人の小学生と、その護衛らしい巨漢が牛耳っていた。小学生はやりたい放題やっているが、その護衛があまり強くて、チーマーも、やくざも、そして警察さえも、まるで歯が立たないらしい。
護衛の巨漢は、ジーパンにTシャツという出で立ちで、少年の意のままに動いているとのことであった……。
そのあまりにも異常な状態のため、世界を滅ぼす存在「魔獣」を倒すために結成された魔獣討伐援助機関「円卓の騎士」は、調査の末、同事件を魔獣によるものと認め、DB―029武闘影と呼称。
円卓の騎士に所属している能力者たち「騎士」にその情報の伝達をはじめた。
1
「すみません、編集長、この葉書なんですけど」
自分の席で、タブロイド紙を読んでいた編集長は、机の前にやってきた記者を見る。
抜けるような白い肌と、烏の濡羽のような黒髪のやせぎすな青年。
記者の名は字伏戒那。まだ入社して2年だが、熱心に仕事をしていた。
「なんだ。面白いネタになりそうか?」
「ええ、町を支配する小学生。オカルトって訳じゃないんですが、信憑性はありそうですよ。」
戒那の言葉に、編集長は眉をひそめる。
「おい、そんな信憑性なんてうちの雑誌には関係ない。面白くなければオカルト雑誌なんて売れないぞ」
ここは、オカルト雑誌では老舗であり、また販売部数もトップである「ミュー」の編集部であった。
「すみません……、けどオレのカンがこいつはクロだって言ってます。今までオレがこう言って外したことがありましたか?」
その言葉は嘘ではなかった。
毎月百何枚送られてくる怪奇現象の体験リポートの中から数枚を選び、取材するのが彼の役目だが、確かに彼が取材を行うと、実際に科学では解析できないような痕跡などが残っている場合が多かった。
「編集長!」
戒那が、編集長を見る。いや、睨んでいた。
普段は穏和でまじめな青年だったが、睨むとかなり威圧感があった。
その右の瞳がなぜか赤黒くなっている。
編集長はため息をついた。こうなったらこの戒那は梃子でも動かない。
「わかった、取材を許可しよう」
「ありがとうございます。さっそく取材へ行って来ます。」
戒那は、取材道具を手にすると編集部からでて、車に乗りこむ。
「おっと、コンタクトはもう外していいな」
戒那は右目のコンタクトを外す。すると本来なら黒いはずの右目が、赤く輝いていた。
柘榴のような、そして血のような赤に……。それは、人の瞳ではなかった。
葉書にかすかに残る邪気−魔獣のみが放つ異質な気−を、その瞳「緋柘榴眼」は確かにとらえていた。
「くっくっくっ、この葉書に残る感じからすれば、間違いない。……魔獣だ。魔獣の仕業だ。」
狂ったような笑みを浮かべる戒那は、すでにオカルト雑誌記者の顔ではなくなっていた。
そこにいるのは退魔師、魔を滅ぼすことを生業とするものの表情であった。
その体が、小刻みに震えている。
それは武者震いか、……それとも恐怖か……。
「……さてと滅ぼしてくるか」
自分に言い聞かせるように呟くと、車を発進させる。
魔獣と戦うために……。
2
連絡所である教会の駐車場につくと、自転車のそばに一人の少年が立っていた。
童顔の小柄な少年。どこにでもいるかわいらしい少年だが、戒那の「緋柘榴眼」は、
常人には見えない彼の隣に立つ女性も映し出していた。
氷のように澄み切った霊気を放ち、裾を短くしたような巫女装束をまとった女神。
二人の姿に、戒那は見覚えがあった。
どんな術者がいるか確認するために、円卓の騎士だけが立ち入ることが許されるBAR「マーリン」を訪れた時に、少年もそこにいたのだ。
「おや、坊主、確かおまえマーリンにいたな?」
少年のほうも戒那に気づいたらしく頭を下げる。
「お久しぶりです。<女帝>の騎士山崎響です。響って呼んでもらえばいいです」
「……そうか、オレは<悪魔>の騎士字伏戒那だ。ま、仲良くやろうや。足引っ張らない程度にな。」
二人が挨拶を交わしたとき、駐車場に白と黒の二匹の猫が入ってくる。
「……式か……」
その二匹の猫が、式、または式神と呼ばれる陰陽師が創り出す魔法生物と、戒那は瞬時に悟った。
あらゆる邪気や呪力を見ぬく緋石榴眼よりも早く、彼の中に流れる字伏の一族の”血”が彼に伝えたのだ。
その使い魔が、有数の陰陽師の家の当主に代々仕えている使い魔であることを。
そして……
その知識とともに、持ち主である当主に忠誠を誓うよう”血”が呼びかけてくる。
(黙れ!)
戒那は、表情に出さないようにしながら、呪いにも似た血の言葉を心の中で拒絶する。
「ああ、すみません。美湖さんたちをとめてもらえませんか」
春風のような柔らかく暖かい声とともに二人の前に一人の男性が現れる。
緑色のスーツを着こみ、腰まで伸びた黒髪を首の後ろで束ねた長身の男。
その眼鏡をかけた顔は、とてもやさしそうであった。
使い魔たちは、主の命も聞かず、響と挨拶をかわす。
「………くっくっく、本部も粋なはからいしてくれるじゃねえか。よお、また会ったな。霧上の!」
戒那は、皮肉げな笑みを浮かべて男を見た。
……恐怖を押し殺して。
その男もBARで、戒那はあっていた。
日本でも有数の実力を誇る陰陽師の一族、霧上家の現当主の兄にして、世界でも五本の指に入る禁呪の使い手。それゆえに<吊るされし人>の位階をもった男、霧上幻一郎。
「ああ、……たしか戒那さんでしたよね。今回はよろしく。」
にこやかに幻一郎が挨拶をする。
「ふん、今日はお仲間同士だ、せいぜいよろしく頼むぜ。」
戒那は、幻一郎を睨むと、一人で連絡所へ向かう。
……その手がかすかに震えていた。
「どうしたのですか?」
「どうやら嫌われてしまったようですね」
二人の会話を無視して連絡所に入ると、恰幅のいい神父がいる。
「騎士の方ですね? ようこそいらっしゃいました。」
神父は、安堵のため息をつくと3人にコーヒーを出して、状況を説明する。
……噂の小学生、不破勝彦という名の小学6年生で、格闘ゲームで右に出るものはいない。
護衛が現れる前から、ゲームの腕を鼻にかけた嫌な奴で、チーマーにボコボコにされたこともあったらしい。
護衛の名は、マルス。
噂では衝撃波を放つこともできるらしく、勝彦のいいなりにならない奴は、ボコボコにされる。
勝彦は自分を王のように宣言しているが、誰も勝つものがおらず警察も手を焼いている。
勝彦は現在学校にもいかず、普段ゲーセンにいるらしい。……
「……さて、どうします。私は怪我をした人に話しを聞きたいのですが」
幻一郎が二人を見る。
「なら、コレをやるから調べてみてろ」
戒那が、葉書を幻一郎に渡す。
「これは?」
「雑誌にこの事件のことを投稿してきたガキの葉書さ、そいつに聞いたほうがはやいだろ?」
「そうですか、ではいただいておきましょう」
幻一郎は微笑んで葉書を受け取る。
「僕は、本人に会ってきます。」
二人の会話を聞いていた響が宣言する。
「……なら、私もいきましょう。この手紙の持ち主に会う前に、どんな人か見ておいたほうが、わかりやすいでしょうし。」
「ありがとうございます。」
幻一郎に軽く頭を下げる響を見て、戒那は不機嫌そうに唾を吐く。
「ふん、ならオレは警察にでも行ってみるか。アンタも後ろから刺されたくはないだろう?」
挑むような目つきで睨む戒那に対し、幻一郎は微笑でかえす。
「ええ、ええ、まだ死ぬ気はないですから」
「いいだろう。ククク…オイ、いきなりガキとぶつかって殺されるんじゃないぞ?」
「そちらこそ、警察官と喧嘩しないでくださいね?」
一触触発の雰囲気で二人は対峙する。
「二人ともやめてください。魔獣を倒すことが先決でしょ?」
響がとめにはいると、戒那は口元に歪んだ笑みを浮かべる。
「それもそうだな、じゃあ、そっちはまかせるぜ」
3
「まったくこまったもんだね。字伏のぼうやも」
「そうよ、そうよ、あんなきょうけんみたいなのをのばなしにしていいの?」
アミューズメントパークへ続くアーケードを歩いていく幻一郎の肩で、彼の使い魔である黒猫の美湖と美由が口々に戒那について雑談していた。
「そういえば、戒那さんはBARでも幻一郎さんに挑発していましたね? どうしてだろう」
隣を歩いていた響が、素朴な疑問を口にする。
「まあ、彼も大変なんですよ。現人形の一族の出身ですからね」
「現人形?」
「ええ、私の家の口伝にはこうあります。『そは人にして人にあらず、動く人形にして将棋の駒なり、我が家の矛となり、盾とならん』」
「? よくわからないな……」
「まあ、家を捨てた私も似たようなもんですし、響さんには関係のないことでしょ。………さて、ここですね」
二人は「アクアビート」という看板のアミューズメントパークの前で足を止める。
アーケードの中心近くにあるのに、人通りは少なかった。
平日の昼間だとしても。
それにこの時間ならば、授業にでているはずの小学生くらいの男の子が十数人店内にいる。
10代半ばくらいの少年たちもいるが、どこか小学生たちに怯えているような感じだった。
「ねえ、不破くんて、どこ?」
近くにいた小学生に尋ねると、小学生は、卑しい笑みを浮かべる。
「へえ、お兄ちゃんもバカの一人なんだ。不破くんなら、上でゲームしているけど、邪魔するなっていわれているから、ねえ、そこのお兄さん、このお兄ちゃんたちやっつけてよ」
すると近くにいたチーマー風の少年が、2、3人やってきて響たちを囲む。
「わりいな、逆らうとオレらも痛い目あうんでな」
チーマーの一人が、獰猛な笑みを浮かべて言う。
「別にいいよ、痛い目にあうつもりがないから」
面倒くさそうに響が答える。
「なんだと、コラ!」
少年たちが激情にかられて響に殴りかかろうとするよりも早く、響が舞った。
美しき戦いの舞いを。
流れるように掌打を打ちこみ、あるいは殴りかかろうとするその手を握り捻る。
ほんの数秒で、ある者は宙に舞い、あるものは急所を打ち抜かれ悶絶する。
さらに響は、神速の踏み込みで、驚きの表情を浮かべる男の子の前に立つと、右拳を顔面にむかって打ちこむ。
「ひやあああ!」
悲鳴をあげる男の子の顔面の数センチ先で響は拳を止める。
「あんまり虎の威を借っては駄目だよ」
へなへなと倒れこむ少年にむかって忠告すると、響は階段にむかう。
「優しいですね」
一部始終をみていた幻一郎が横にきて言う。
「子供ですしね、幻一郎さんもそうするでしょ?」
「……そうですね」
二階には赤い帽子を被った小学生と、そのそばに控える巨漢の青年しかいなかった。
少年は響たちを見て、不敵な笑みを浮かべる。
少年特有の無邪気な微笑みとは違う、醜い傲慢な笑みを。
「なんだ、お前たちは?」
「君が不破君だね。ぼくは山崎響、君とゲームで勝負しにきたんだ。」
響の申し出に、少年の笑みがさらに醜く大きくなる。
「このオレに勝負を挑むとはな。……まあ、退屈していたところだ、勝負してやろう」
二人は、2D格闘ゲームG−HAND2の筐体の前にそれぞれ座る。
(夜叉姫、援護を)
(わかりました。響様)
響の心話に、不可視の霊体になって控えている夜叉姫が答える。
そしてゲームがはじまった。
最初は勝彦優勢の戦いであったが、彼を守る女神にして、武術の師である夜叉姫のアドバイスもあり、次第に響が巻き返し互角の勝負になる。
そして、
「ブラストナックル!」
わずかな操作ミスの隙をついて、響のあやつっていた主人公キャラ「ラグナロック」が、必殺技を使い、勝彦の使っている巨漢のキャラ「ダナン」を倒す。
「へえ、凄いものですね。」
幻一郎が感嘆の声をあげる。
「運が良かっただけです。」
そういって勝彦を見た響は異変を察した。
「なに、こ、このオレが負けるとは、そんな馬鹿な、馬鹿な!」
勝彦は絶叫した。
今までの自尊心を粉々に打ち砕かれ、呆然としていた勝彦であったが、その瞳にだんだんと狂気の輝きが宿る。
「おのれ、許さないぞ、このオレより強いなんて、オレがこのゲーセンの王なんだ。ゲームでも格闘でも!!!」
怒り狂う勝彦と、そのそばに控える青年から、邪気が溢れ出す。
「いけ、マルス。全力で殺してやる!」
勝彦の手にTVゲームのコントローラーのようなものが浮かび上がり、マルスが一歩前に踏み出す。
「……見ましたか? 響さん」
「はい、手のうちはなんとなくわかりましたし、逃げましょう」
響は精神を集中し、呪力を放った。
それはある少女の苦悩を取り除く際、手に入れた幻影を創り出す呪力であった。
瞬く間に、響と幻一郎の体が、数体にわかれる。
幻影による分身であった。
「夜叉姫!」
「はい、響様」
夜叉姫の手から放たれた氷の霊力が、氷柱となって少年の持つコントローラを襲い、その隙に二人は逃げようとする。
だが、
「逃げれるとおもっているのか」
マルスが氷柱を弾き、さらに分身した二人に向けて拳から衝撃波を放ち襲いかかる。
衝撃波は正確に「幻影」だけを襲い、瞬く間に幻影すべてを消滅させる。
「逃がさないぞ、この僕の”目”から逃げ出せると思っているのか、あの人からこのマルスをもらった僕は無敵だ!!!」
マルスの動きに自慢を取り戻したのか、不敵な笑みを浮かべて勝彦少年は叫んだ。
(あの人? 魔獣を勝彦くんに渡した奴がいるのか?)
用心深くあたりを響はみまわした。それらしい気配はない。
響は少年を見た。
自信を取り戻した傲慢な笑み、だがその瞳は憎しみをこめて響を睨んでいる。
(かなり僕に負けたことを根に持っているな。けど、それなら幻一郎さんのほうは……)
「夜叉姫、世界を!」
響の命に答え、夜叉姫は凍れる霊力を解放して宣言する。
「……世界よ、凍れ……」
霊力が吹き荒れ、”世界”が、そして”時”が、響を残して凍りつく。
凍れる世界の中を、響は移動する。
幻一郎から少しでも離れるために。
わずか数秒の時間、世界は凍り、そして再び世界は動き出す……。
「逃がすか」
世界がもとに戻った瞬間、マルスが移動した響の足元に衝撃波を叩きこむ。
「テレポートができるのか、ただの人間じゃないな。面白い」
勝彦少年は予想どおり、響しか見ておらず、幻一郎は視界に入っていない。
「幻一郎さん、今のうちに!」
響の言葉に、幻一郎はにっこりと微笑む。
「はい、ではあとで助けに行きます。」
「ちょっと幻一郎!」
「たすけなくていいの!」
二匹の使い魔が口々にいうのを無視して、颯爽と幻一郎は逃走する。
「……さて、どうしようか、姫」
響は、そうぼやくと怒りに燃える少年に対して、拳を構える。
4
「不破勝彦ってガキのことで聞きたいことがあるんだが…」
警察署のカウンターで、戒那は唐突に話を切り出す。
まわりにいた警察官たちが「不破」の名に敏感に反応し、戒那を見る。
「誰ですか? あなたは」
用心しながらカウンターにいた警察官が尋ねる。
赤黒い服をまとい、右目が赤い青年。
あまりにもあやしすぎる。
「正義の味方…じゃダメだよなあ。アンタみたいな下っ端じゃダメだ。署長はいるか?」
不遜ともいえる態度に、警察官が困惑する。
「……しばらく待ってくれないか」
「ああ、待ってやるよ」
カウンター近くの椅子に座り、戒那は署長が来るのを待つ。
そんな戒那を複数の視線が襲う。
不安、おそれ、好奇、あらゆる感情が戒那にむかって向けられる。
(……我らは、術者の盾、目立たず影に徹するもの……)
ふと、一族の教えが頭を掠める。
現人形たる字伏の一族の教えを。
現人形、その身を呈して高名な術者の手足となり、盾となるもの。
その役目を果たすため、字伏の一族は、様々な実験をその身に施した。
しかし、そのような特異な力を持ち、その力を振るって魔を討つ技を身につけようとも現人形として生まれた者はその一生を術者の手足として終えるものであった。
それは一族の教えであり、一族に連なるものの”血”には、すでに術者に畏敬の念をいだく遺伝子が組み込まれていた。
だが、戒那には納得がいかなかった。
代々、伝えられ、さらに研鑚を究めた退魔の技は、決して術者に劣るものではない。
いや、太平の世を安穏と暮らし、錆付いた技しか継承しない多くの術者にくらぶれば、
その技ははるかに凌ぐ。
それが戒那の想いであった。
その想いを立証するために、戒那は家に無断で円卓の騎士団に赴き、世界最強の証でもある”騎士”として選ばれたのだ。
だが、それだけでは満足できない。
(多くの術者を出し抜き、世界を滅ぼす最大の敵”魔獣”を一匹でも多く屠り”字伏”
の名をしらしめるのだ。)
しばらく待っていると、署長らしき人物が戒那のもとに部下を数人連れてやってくる。
「私が署長だが、なんのようかな? はじめてみるが?」
「不破勝彦のことで知ってることを教えてもらおうと思ってな。こういうもんだ。」
戒那は、円卓の騎士の身分証明書を見せる。
その表紙には、蝙蝠の羽をもった人形の化け物「悪魔」が描かれていた。
一瞬の驚きのあと、署長は戒那を畏怖と敬意の入り混じった顔で見た。
それは本来、字伏の一族が術者に向ける表情。
「…………どうぞ、署長室へ」
はるか年下の自分に対する丁寧な署長の態度に、戒那は口元に笑みを浮かべて、署長室に入る。
傲慢ともとれる笑みを、……そして子供が誉められるときのような笑みを浮かべて……。
5
不破勝彦は怒っていた。
自分の目の前にたつ少年に。
彼は、誰にも負けないはずであった。
あの男から力を、彼の分身たる存在たるマルスを得たときから、勝彦は誰にも負けない力を持ったはずであった。
(許さない)
この世界は弱肉強食、強い者の自由にできるものだ。
ゲームでいくら強くても、本当の力がなければ自分の自由にはならない。
だが、今はゲームと同じ最強の力を手にいれた。
だから、何をしてもいいのだ。
自分は世界の王なのだ。
そんな想いが、彼の心を満たしていた。
だが、目の前の少年は、その彼の矜持を傷つけた。
だから殺す。
少年の思考に、相手を許すとか、認めるなどの考えはなかった。
この世界は自分を中心として回っているのだ。
人は、この想いを「傲慢」とよぶ。
傲慢な小学生は、目の前の少年を見た。
愚かしくも彼の前に立ちはだかる少年を。
……円卓の騎士<女帝>の騎士山崎響を……。
「さて、そろそろ殺してやるよ」
「嫌です。」
響の答えに、勝彦はニヤリと笑う。
小学生らしくない傲慢で尊大な笑みを浮かべて。
「無駄だよ、さっきから何度も試しているけど無駄だろ? この僕の目から逃れることはできないよ」
「……そうだね、どれだけ早く動いても君はその動きを見ぬく。君がゲームが得意なのもよくわかるよ。だから……」
響は悪戯っぽく笑う。
「ゲームをリセットするよ。……夜叉姫、吹雪を」
夜叉姫が放った吹雪が、室内一杯に吹き荒れる。
一寸先も見えないほどの吹雪が。
それは確かに、リセットしてブラックアウトした画面のようであった。
「貴様! どこにいる」
勝彦は叫ぶが、響は答えない。
吹雪がやんだとき、すでに響の姿はなかった。
「くそ!」
腹立たしげに勝彦は、近くの椅子を蹴る。
「今度あったら絶対殺してやる!」
6
戒那が、警察署長から情報を聞き出し、車に乗って連絡所に向かっていると、携帯電話が鳴った。
戒那は、面倒くさそうに電話を取り出すと、受信ボタンを押す。
「戒那だ。」
「もしもし、戒那さん?合流したいのですがよろしいですか?」
電話の向こうから聞こえてきたのが幻一郎の声であった。
「…なんだ? 何かあったのか。」
「響さんが囚われの身になってしまいましてね、今から助けに行きたいんですよ、お願い出来ます?」
内容とは裏腹な穏やかな口調に、戒那は理解するのに数秒の時間を要した。
「なんだ、あの坊主がか?おまえと一緒に行ったんだろう?」
「私はどうにか逃げてきただけですよ。響さんはどうも逃げられなかったみたいで……」
幻一郎の答えに、戒那は呆れかえった。
「なんだ、おまえのへまの尻拭いをオレがしないといけないのか?」
そこまでいって戒那はふと気がついた。
術者である幻一郎が、字伏の一族である自分に助けを求めていることに。
「……まあいい、霧上の嫡男たっての願いだ。今回だけは聞いてやる。ありがたく思えよ。」
そういいながらも、自然と笑みが浮かんでくる。
落ち合う場所を確認した後、電話を切り車を走らせていると再び携帯の着信音がなる。
「なんだ? ……もしもし」
「戒那さんですか、響です。」
「おお! 無事か?」
「何とか逃げれました……。」
響には安堵のため息をつく。
「なら、合流するぞ。合流場所をきめよう……」
戒那は、幻一郎と響を車に乗せ、連絡所に戻ると3人が調査して結果をもとに作戦を練る。
そらから数時間後……。
「さてと、これで準備はいいな」
円卓の騎士本部を通じて用意した液体の入った瓶をもって戒那が言った。
「俺は、あんまり血を流したくないんでな、頼むぜ。」
「頑張りましょ……、負けると死にますけどね」
響の言葉に、戒那は楽しそうに笑う。
「クックックッ…死にそうになったら逃げるさ…オレ達は使い捨てじゃないらしいからな。」
「……終わったら、お詫びを兼ねて何かおごりますよ」
幻一郎が、穏やかな笑みを浮かべる。
「マーリンで?」
ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべ響が尋ねる。
円卓の騎士しか入れないBARマーリンは、飲食は無料なのであった。
「いえ、別の店ですよ」
「……いいよ。オレはおまえに貸しを作っておくほうが気分がイイ……」
ニヤリと戒那は笑う。
「まあ、これだけやりゃあ上等だろう。後は……足を引っ張るなよ。」
7
アミューズメントパークは閑散としていた。
店内で吹雪や、氷柱が現れる。
そんな超常現象に、少年たちはおびえ、逃げていったのだ。
残っているのは、勝彦と、彼を守る存在マルスだけであった。
「一人で寂しくないのですが、もっともそのほうが好都合ですが……。響さんをいじめた罪、たっぷり償っていただきましょう」
幻一郎の声を聞き、勝彦が3人の方を見て、ニヤリと笑う。
「ふん、しょせんみんな敗者なんだよ、だから逃げる。だけど、オレは逃げないよ。強いからな。……ふん、お仲間連れてきたのか。まあ、いい、どうぜオレが一番、オレが王だ!」
「ガキが……、他人の力で調子こいてんじゃねえっ!」
戒那が上着を脱ぐと、その下から赤黒い服が現れる。
毒々しい色のこの服こそ、字伏の退魔装束であった。
「ふん、これはオレの力だ。ちょっとゲームの力を現実にだしただけの。それだけで、オレは強くなったのさ、この世界も力が正義だ!」
勝彦の手に、コントローラのようなものが現れる。
「随分と自信過剰ですね、その鼻っ柱を折って差し上げますよ」
幻一郎は呪を唱える。
「……汝、全ての物を見ること禁ず!」
「夜叉姫、氷を!」
幻一郎の呪文とほぼ同時に、響も夜叉姫に命じる。
夜叉姫が腕を振り、氷の矢が勝彦に向かって放たれる。
「ふん、そんなもん! ぼくを守れマルス!」
勝彦がコントローラを操作すると、勝彦を守るようにマルスが立ちはだかり、幻一郎の呪力を受け止め、氷の矢を腕ではじく。
「ほれ!」
戒那が、手に持っていた瓶を放り投げる。
「なんだ、そんなもん」
つまらなそうな声をあげながら、勝彦がマルスを操作して瓶をはたき落とす。
地面に叩きつけられた瓶が砕け散り、中の液体が飛び散る。
その刹那、戒那は呪を唱えると、液体が瞬く間に霧状になり勝彦を覆う。
水を操る呪。戒那の得意とする呪の一つであった。
「霧なんて起こしてどうするんだ?」
突如のことに戸惑いながらも、勝彦が笑う。
戒那は呪を唱えたまま、勝彦は睨む。
その右目が赤く輝いていた。
「……あ、……あれ……、ね……む……………………い…………………」
勝彦の目の焦点が合わなくなったかと思うと、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
「おまえの力はその程度だったってことさ」
すやすやと眠る勝彦をみて、戒那が笑った。
液体の正体はクロロホルムだった。
ゲームのようにマルスを操るのなら、勝彦の動きを封じればいい。
攻撃なら反応するかもしれないが、霧ならば反応が遅れるという予想をたてたのだが、
どうやら的中したようだ。
マルスは勝彦を守るように立ちはだかっているが、攻撃する様子はない。
「けっ、コントロールはなくてもご主人様は守るっていうのか。……まあ、そんな大した力はないだろう。……じゃあ、あとは任せたぜ。」
戒那は、そういうと後ろへ下がる。
「では、ぼくが行きます。」
響が、精神を集中し術力を解放する。
付近に漂う死霊が響の意思に応じ、マルスに襲いかかる。
「いくよ、姫」
「はい、響様」
夜叉姫が響にちかづくと、その体が響の中に吸い込まれていく。
「はっ!」
跳躍した響の背に、きらきらと輝く氷の羽が現れる。
マルスが死霊を押しのけ、響に応じようとした刹那、幻一郎のはなった砂塵がその視界を覆い、戒那の投げたナイフがマルスの脇腹に突き刺さる。
ほんの一瞬、マルスの注意が戒那に向けられる。
その隙に響は、氷の羽をはばたかせながら、天井を蹴りマルスめがけて急降下する。
マルスに衝突する瞬間、響は空中で一回転し踵をマルスに打ちこむ。
落下と回転のパワー、そして氷の霊気が込められた踵落とし。
刃のように鋭く研ぎ澄まされた一閃が、マルスの右腕を肩の根元から切り落とす。
「夜叉流武術 月読の章 朔……」
技の名を呟きマルスの足元に膝をついて着地すると、すかさず響は両手をマルスの両足にむかって突き出す。
響と同化した夜叉姫の氷の霊気が、響の掌から放たれ、氷がマルスの足と床を結びつける。
「いまです!」
「わかりました。」
響の声に、幻一郎が微笑みを浮かべながら答える。
「約束だぜ、ヘタうった分はしっかり働けよ。クク……」
戒那は腕を組み、援護する素振りすらみせない。
「いいですよ、では働きましょう。美湖、美由」
それまで幻一郎の肩にいた二匹の使い魔が飛び降りると、幻一郎は呪を唱えて、印を組む。
幻一郎の体が圧倒的な呪力が湧き上がる。
そして幻一郎は、その呪力に言霊により一つの方向性をあたえる。
「汝の存在を禁ず!」
それは森羅万象の理を無効にする魔術「禁呪」の中でも、最強の力と難易度を誇る技であった。
その呪力の流れを、戒那の緋石榴眼は捉えていた。
一部の無駄もなく、美しき完成された呪力を。
そして幻一郎は、その呪力を解き放つ。
……マルスではなく、勝彦にむけて。
呪力の流れを感知し、マルスが力で強引に氷を引き剥がし、呪力と勝彦の間に立ちはだかる。
「守るのはいいですが、自分の防御がおろそかになっていますよ」
幻一郎は笑った。
さわやかな春風のような笑みではなく……
……闇の底に眠る悪魔の笑みで
その刹那、マルスの左腕と両足を、白と黒の紐が絡み付き動きを封じる。
それは、変幻自在の美湖と美由が変化した姿であった。
さらに幻一郎が呪を唱えながら、懐から取り出した小瓶を逆さにする。
すると小瓶から零れ落ちた砂が、疾風のごとき速さ、いや音を超えた速さでマルスに襲いかかる。
最強の呪力とともに。
身動き取れないマルスにむかって
「砂塵乱舞・呪縛殺!」
呪力と衝撃波の余波が店内に荒れ狂い、マルスのまわりの椅子や筐体が吹き飛ぶ。
(これが霧上の力か……)
字伏の血が強制するまでもなく、戒那は畏怖の感情を抱く。
「おや?」
幻一郎が首をかしげる。
呪力と砂塵がやんだ店内にマルスが立っていた。
全身に無数の傷を受け、血を噴き出しながらも。
「おいおい、仕事しろって言っただろう。」
内心の動揺を隠し、戒那がぼやく。
「仕方ないでしょう、少ししくじっただけですよ」
幻一郎が苦笑しながら呪を唱えると、床に散らばった砂が集まり出す。
「もう一度動きを止めます。」
響が床に手をつくと、氷の霊気が床をつたいマルスの足元を再び凍らせる。
そこへ、槍の形を創りあげた砂がマルスの胸を貫く。
だが、マルスはまだ倒れない。
「しゃあねえなあ〜」
戒那はナイフで自分の右手首を切り、鮮血が噴き出す。
「なにをするんですか!」
戒那の奇妙な行動に、響が驚きの声をあげる。
「これが、オレの武器なんでな」
血塗れになった右手をぶらりとさげて戒那はマルスに近づく。
その時、響は気がついた。
手首から噴き出した血が、まとわりつくように腕の右手に集まっていることを。
……そして、その血の色が、緋色になっていることを。
「字伏の技をみせてやろうか」
戒那は左拳をマルスに打ちこむ。
マルスは氷を蹴り砕き、左へと回りこむ。
だが、緋石榴眼は、その動きを完全に見切っていた。
戒那の体が動いた。
字伏の血が伝え、磨きぬかれた技が自然と繰り出される。
まるでマルスの体に吸い込まれるように、緋色に染まった手刀が突き出される。
とっさに左腕でマルスは手刀を受け止めようとするが、緋色の血に触れた途端、煙をあげて溶けはじめる。
これこそが、字伏一族の最大の成果、秘薬と遺伝により創りあげられた血であった。
術者の任意によりその色と力を様々に変化させる血が、緋色になった時、その血は魔獣に対して強酸のような効果を及ぼす。
すなわち、触れた魔獣を溶かす力を。
「ふん」
緋色の血をまとわりつかせた手刀がマルスの胸に突き刺さる。
「……字伏式奥義 刺散華」
右手とともに体内に入った緋色の血が、爆発する。
その衝撃に耐えきれず、マルスの体が四散し、緋色の血がさざんかのように咲き乱れる……。
「クックック、ざまあみやがれ!」
戒那が声たからかに叫んだ。
術者の盾となり、世界の影の存在であるはずの術者の影に生まれた自分が、魔獣を倒したことに酔いしれる。
「見たか、親父!」
幕間
「……ああ、マルスが!」
マルスが滅んだショックにより目を覚ました勝彦が、マルスの破片をみて叫ぶ。
「ちくしょう、また強い護衛をもらってきてやる!」
「……いいかげんにしろ、ガキ……」
戒那はゆっくりと勝彦に近づいていく。
「な、なんだよ、子供相手に本気になりやがってこのタコ!」
怯えたような顔を浮かべながら叫ぶ勝彦を見て、幻一郎と響は苦笑する。
戒那は、勝彦の首根っこを捕まえて、引き寄せる。
「イイか、ガキ。俄仕込みで手に入れた力なんて本当の力じゃねえぞ……、血反吐を吐いて手に入れた力のみが、誇っていいもんだ。……おまえのは只の傲慢だよ。」
戒那は無造作に勝彦を放り投げる。
まともな受け身も取れず、床に転がった勝彦は苦痛に顔を歪めながら立ちあがる。
「覚えていろ!」
憎しみのこもった目で睨み、戒那たちを指差して勝彦は叫んだ。
その手が……。
……塵となって消える。
「……うわああああああ、手が、手がなくなった。」
恐怖でひきつった顔で叫ぶ。
「勝彦君!」
響が、思わず叫ぶ。
「無駄だ。それはそいつが手に入れた力の報いだ。」
戒那が響を止め、言いきった。
魔獣は滅ぶとき、塵へと変える。
魔獣と融合した勝彦も、必然的にその定めを追うのだ。
そのことは響も理解していた。
だが。
「ねえ、君をこんな風にしたのは、いったい誰なんだ」
彼を魔獣へと導いたと思われる男の事を知るために、響は彼の心を読んだ。
……チーマーにボコボコにされた勝彦の前に現れた少年。
ゲームなら負けないと復讐心に燃える少年に、現れた白衣をまとった黒髪の美貌の青年。
「……奇跡を起こしてあげようか?」
そういって青年は、黒色の宝石を少年に差し出した。
その宝石の名は、魔玉。
魔獣が滅んだあとに残る宝石、魔獣の欠片であった……
「……彼は、騙されていたんだ。」
心を読みとった響が二人に読み取った情報を説明する。
「痛いよ! 死にたくないよ! 誰か助けてよ〜!」
勝彦は泣き崩れる。
その両手が先端からどんどんと塵へ還っていく。
「なんとかできないんですか?」
響が二人を見る。
「できませんね。だまされていたとはいえ、すき放題やっていたのは事実ですし、塵は塵へとかえるのが定め。助ける必要も、理由もありません」
にこやかに微笑みながら、冷酷なことを幻一郎は言った。
戒那も同じ気持ちであった。
だが。
泣き叫ぶ勝彦の姿は、この街を傲慢に支配しようとした魔獣の姿ではなく、死をおそれるただの少年の姿であった。
「……チッ」
戒那は、泣き叫ぶ勝彦の背後に回りこむ。
響は、戒那の行動に目を大きく開く。何かいおうと口を開くが、言葉はでなかった。
その行動が最善の方法であることは、響にもわかっていた。
そしてそれは、響にはできない行為であった。
苦しんで死ぬよりも、一思いに殺すという選択は……。
戒那が右手を振り上げる。
(人を魔獣に変える男か、ってことはまたこんなことが起きるのか……、楽しみだな) ふと戒那は、そんなことを思い浮かべた。
響も、苦しむ勝彦を見ながら決意した。彼を魔獣に変えた男を許さないことを。
そして幻一郎は、春風のような笑みを浮かべて立っていた。その瞳の奥の感情はまったく読み取れない。
戒那が呪を唱えると、右手が緋色の血に染まる。
「じゃあな」
戒那は、手刀を打ちこんだ。
勝彦の背中から、心臓へむけて。
手刀は完全に心臓を貫き、次の瞬間勝彦の全身が塵へとかえる。
……ただ、戒那の手に魔玉だけが残されていた。……