それ、経費です。
※本作はギャグ・コメディ中心の作品です。
※倫理・制度・恋愛要素などは深く考えず、ゆるくお楽しみください。
ストリートピアノ配信は、順調だった。
投げ銭。
スパチャ。
現金をそっと置いていく通行人。
ノアは淡々と鍵盤を叩きながら、
内心で静かに計算していた。
(……これ、普通に稼げるな)
(借金、思ったより早く圧縮できる)
禁煙デバフも、少しだけ報われる気がした。
――その瞬間だった。
「ノア……それ……」
背後から、苦しそうな声。
振り向くと、
マネージャーの真田が、胃を押さえて立っていた。
顔色が、明らかに悪い。
「そのお金……」
「事務所、通してないよね……?」
ノアの指が止まる。
「え?」
「個人の芸術活動だけど?」
真田は、震える手で手元の封筒を指差した。
投げ銭。
現金。
電子マネーの差し入れ。
「それ、全部……」
「没収……いや、回収……」
そう言って、
ノアの前に置かれた金を、静かにまとめ始める。
「契約上、出演料、投げ銭、現金収入は――」
「全部、事務所管理……」
ノアの思考が、フリーズした。
カチ、カチ、と嫌な音が脳内で鳴る。
――思い出す。
コンカフェでの自分。
「売上は店を通してね」
「個人管理は非合理的」
何度も言った。
何度も回収した。
ぞくり、と背筋が震える。
「……あ」
理解した瞬間、
ノアは鍵盤に額をつけた。
「……僕」
「今、過去の自分に殴られてる」
真田は申し訳なさそうに言う。
「気持ちは分かるけどね」
「それ、全部“売上”だから……」
「後でちゃんと精算するから……」
配信を見ていたヒロは、静かに頷いた。
(そうだ)
(経費とは、こういうものだ)
ノアが他人に向けていた合理性は、
今、完璧なブーメランとなって戻ってきていた。
配信コメントが流れる。
『え、回収されてるwww』
『社会の洗礼』
『芸術家、事務所に負ける』
ノアはゆっくり顔を上げる。
「……つまり」
「僕は無料で弾いてた?」
「違う」
「一回事務所を経由するだけ」
「中間マージン……」
「言い方」
こうして――
ノアは初めて知った。
炎上よりも、
禁煙よりも、
借金よりも怖いものが、この世には存在するということを。
――契約書という名の、現実である。
なお。
その日の配信は過去最高同接を記録した。
皮肉にも、
回収シーンが一番ウケたのだった。




