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始発のベル


 翌週の月曜日、地下三階の遺失物センターには、いつものように湿った空気が沈殿していた。

 天井の配管は相変わらず不機嫌な音を立てており、蛍光灯はチカチカと頼りない明滅を繰り返している。物理的には何ひとつ変わっていない。

 けれど、湊の目に見える景色は、以前とは少しだけ違った色を帯びていた。

 デスクの片隅、一番奥の棚に、あの白木の箱が鎮座している。

 タグには『長期預かり』の文字。期限の日付欄は空欄のままだ。

 あの日、朝一番の電車で東京に戻った僕たちは、泥のように眠り、そしてまたここへ出勤した。沙織は「必ず迎えに来ます」と、泣き腫らした目で約束してくれた。その言葉だけで十分だった。

「湊くん、これ」

 六車が差し出したのは、泥で汚れた片方だけのスニーカーだった。

 以前の湊なら、舌打ちをして「廃棄」の箱へ放り込んでいただろう。だが湊はそれを受け取ると、デスクの引き出しから古布を取り出し、泥を拭い始めた。

「子供用ですね。きっと、親御さんに抱っこされた時に脱げたんでしょう」

「ああ。きっと今頃、裸足で困っているか、新しい靴を買ってもらっているか」

 六車が穏やかに笑う。

 ここにあるのはゴミではない。誰かの人生の断片であり、躓いた痕跡だ。

 僕たちはここで、彼らが再び走り出す準備が整うのを、あるいは思い出として振り返ることができる日が来るのを、じっと待っている。

 そう思えば、頭上を轟音と共に駆け抜けていく電車の音も、どこか頼もしく聞こえた。

 湊は綺麗になったスニーカーに、丁寧にタグを結びつけた。

 ここは終着駅ターミナルではない。

 忘れられたものたちが、次の出番を待つための、静かな始発駅なのだ。


社会に出たばかりの頃、毎朝満員電車に揺られながら「自分はどこへ運ばれていくのだろう」という漠然とした不安を抱えていました。

 ダイヤグラム通りに運行される巨大なシステム。その正確さに安堵する一方で、一度レールを外れてしまえば二度と戻れないのではないかという強迫観念が、常に背中に張り付いていたように思います。

 本作は、そんな「立ち止まることを許されない社会」への、ささやかな抵抗として書き始めました。

 主人公の湊は、効率を求める現代の若者の象徴であり、六車は、効率よりも情理を重んじる旧き良き時代の案内人です。二人が出会った場所が、華やかな駅のコンコースではなく、忘れ去られたものが吹き溜まる地下三階であったことは、必然だったのかもしれません。

 人生には、どうしても荷物が重すぎて、歩けなくなる瞬間があります。

 そんな時、その荷物を「捨てた」と自分を責めるのではなく、「一時的に預けたのだ」と思える場所があれば、人はまた息ができるようになるのではないか。

 骨壺という極端なモチーフを選んだのは、生と死、記憶と忘却のあわいにある最も重い荷物を描きたかったからです。

 執筆中、タイトルの選定には大いに悩みましたが、最終的に『落とし物ターミナル』という言葉に落ち着きました。終着点ターミナルだと思っていた場所が、実は新たな出発点でもあったという希望を、読者の皆様それぞれの解釈で受け取っていただければ幸いです。

 今、何かの重さに耐えかねて、暗闇の中で立ち尽くしている誰かの元へ、この物語が「預かり証」として届くことを願って。

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