羽化不全
「これからは、蝶のように強く美しく大空へ羽ばたいてください。」
成人式の時に、会長が話したスピーチの言葉が、何故か頭の中で反芻する。
蝶と言えば、蛹から羽化に失敗すると羽化不全になってしまうらしい。こうなると、体の一部が奇形になってしまい、自然では二週間程度しか生きることができないという内容を思い出した。
そんな式の帰り道に、手持ち沙汰で会場の近くにある小さな公園へ寄ってみると、偶然ベンチに座っている友人がいた。足を運んでみると、私に気づいたらしく声をかけてきた。
「よお、久しぶり。」そう言って、友人は柔らかい笑みを浮かべた。
彼は私の友人で、中学校の三年間ずっとクラスが一緒だった。部活動は別々だったが、教室では休み時間の度に話を交わし、暇な日があれば、よく遊びに出かける仲だった。
「本当に久しぶりだな。いつ以来だ?」私は久々の邂逅に微笑みを隠せず、つい口角が上がってしまった。
「中学校の卒業式以来だよ。高校は別々の学校にそれぞれ進学して、それ以降はバッタリ会わなくなったよな。」
「それから、式に参加するため、地元へ帰ってきたって訳さ。」
といった他愛のない会話のキャッチボールを交わす。夕日が二人のシルエットを映し出す。
「人生で、今日ほどめでたい日もないな。式から帰る奴らは、みんな幸せそうに笑い合ってる。それが心の底から羨ましくて、惨めな気持ちになる。本当、俺は度量の狭い人間だな……」
彼は遠い目で、公園のブランコをぼんやり眺めている。
「どうしたんだいきなり?何か女々しいぞ。」
私は咄嗟に茶化したが、 友人の様子がどうもおかしい。私の記憶によれば、彼は少し抜けているお調子者であるが、誰に対しても明るく振舞う人気者の印象であった。
しかし、今はどうだ。ハレの日のスーツ姿はしわでくたびれ、顎に無精ひげを生やしている。言動はおどおどし、こちらの機嫌を頻繁に伺ってきているように見える。まるで別人だ。何かに怯えているような言動をする人間ではなかったはずだ。
「あのさ……、お前に相談があるんだけど。」
「いやぁ、そんなこと言われてもなぁ。」
こんなめでたい日に相談事を持ち込むのは、遠慮してほしい。幸せなムードが台無しになってしまう。だけど、今の友人を見ると、迷子になって泣いている子供と話している気分になる。心配だという気持ちもふつふつと湧き出てくる。
「いいから聞いてくれよ。頼む、後生の頼みだ。」
「そこまで言うなら聞いてあげてもいいけど……。」
友人のただならぬ雰囲気から、私はうっかり、肯定の返事を返してしまった。
「ありがとう。早速話すんだけど、最近なんかさ……、辛いことが重なりすぎて、全部どうでもよくなってるんだ。」
「つまり、どういうことだ?」
友人は、深呼吸を2回した後、語り始めた。
「…………二週間前にさ、父親が亡くなったんだ。」
「え。」
思考が一瞬止まった。しかし、そんなことをお構いなしに友人は言葉を畳みかけてくる。
「元々、うちはあまり家族関係が良くなくてさ。中学の時、祖母が祖父のDVが原因で自殺したことをきっかけに、親父がうつ状態になったんだ。それから、体がどんどん衰弱していって、年始にすい臓がんで亡くなった。正月明けだったから、葬式関連の予約が込み合ってさ。親戚のおじさんの入信している宗教の様式に習ったものをやった。ルマ・デラーって変な言葉を何回も唱えたなぁ……。」
友人はあまり自分のことを話さない人間だったため、驚きを隠せなかった。突然の独白に私は、必死に話題を逸らそうとした。
「……お前、もう少し落ち着いたらどうだ。ほら……、中学の時、彼女さんがいただろ?確か……よしみちゃんだっけ?」
「よしみとは別れたよ。出来心で高校の友人を紹介したら、鞍替えしやがった。そいつは頭がいいから、俺なんかとは別れて付き合いたくなったんだろうなぁ……。」
彼がそう言うと、私は返す言葉も捻りだせず、何も言えなくなってしまった。
「今日の式も無理やり参加してみたが、やっぱり雰囲気に酔うことはできなかった。どこか、自分たちの幸せな空間を汚すなって蔑んだ目で見られるように思えて、優越感を得るための道具として見られてる気がして。俺だって、普通になりたいのに……。」
「……お願いします。どうか俺のことを助けてください。憎しみの連鎖から救い出してください。もう、お前しか頼る人がいないんだ。」
そう言って、彼は溢れ出る涙を噛みしめながらゆっくりと頭を下げた。
友人が声を発する前に、私は、 「突然そんなこと言われても、私もどうすればいいのか分からないよ。」と困惑を声にした。
ただでさえ、友人の変貌に驚きを隠せないのに、凄惨な家庭の話までされたら、頭で処理しきれない。辛いことが募りに募った故の結果だろうけど、私は、どうしてあげればいいか私は分からなかった。
暫く、沈黙が続いた。
それでも、友人の助けになればと思い、必死に言葉を探した。ツギハギの言葉を何とか組み合わせて繋いでいく。そうして私は、この状況を破らんとするため、一呼吸置いた後、 「……ごめん。やっぱり、私はお前の力にはなってあげられない。」と話した。
「どうして……。」 友人は茫然としている。
私は、真っすぐな眼差しで友人に語り掛ける。
「私が言うのも烏滸がましいけど、辛いことがあったことは同情する。本当にご愁傷様です。でも、厳しいことを言うと、お前は、それを乗り越えて生きていかないといけない。そうしないなら、どんどん腐っていくよ。」
そうだ。今日で私たちは大人の仲間入りだ。どんなに苦しい試練が来たとしても、足を止めてはいけない。落ち込む暇なんてない。負の感情すら、力に変えて目の前のことに尽力していくこと。これしか、私たちにできることはない。
しかし、私がそう返した瞬間、間髪を入れず、友人は豹変し、切羽詰まったような強い口調で反撃してきた。
「どうしてお前も否定するんだよ?お前だったら。絶対に受け入れてくれると思ってた。お前だったら。悲劇から救い出してくれるヒーローみたいになってくれると思ってた。俺はもう、悲劇を乗り越える人として生きていかないといけないことに疲れたんだよ。」
顔を真っ赤にしながら、こっちに訴えかけてくる。
「おい、これ以上はもうやめておこうぜ。悪かった。せっかくの祝いの日なのに。な?」
これ以上話し込むのは、友人にとって毒だと思い、私は友人を宥めて会話を中断しようと試みた。
「………………使えねぇ。」
ツカエナイ?
ふと、彼の無意識に吐き出した言葉を耳にした瞬間、 私は頭の中でプツンと糸の切れる音がした。
「お前、ふざけるなよ。人が相談に乗ってあげてるのに、その態度はなんだよ。」
彼は、急に明るい自分を装い、 「ごめんな?俺は、本当にどうしようもないくらい最低だよな。自分に酔っているかもしれない。でも、何度もぶつかって、その末に認め合っていくのが人間関係だろ? だからお前に対してもこうするしかなかった。」
とおちゃらけたような口調で場を収めようとしてくる。
「……そうやって大げさに振舞って気を引こうとする。」
友人が、無理やり口角を上げた作り顔でこちらを見つめてくる。気色が悪い。
「そういうところなんだよ。世界がお前を中心に回っているわけじゃない。誰かに背負わせられたら、人のせいにできるからな。よしみちゃんだって、本当は鞍替えしたんじゃなくて、今みたいなお前の態度に愛想を尽かしただけなんじゃないか?」
友人は、間髪を入れず、「ふざけるな。そんなわけない。俺は苦しいんだ。何もかも……どうでもよくなってしまうぐらいにな。」と言い放つ。
「相談したことだって、苦しんでいてるのは、お前じゃなくて上の世代だ。お前は、ただ他人の感情にタダ乗りして、楽をしようといるだけだろ。虫が良すぎるんだよ。保険をかけて、傷つくことを避けようとしている。亡くなったにもかかわらず、図々しいんだよお前は。」
ああ、流石に言い過ぎてしまった。でも、ここまで話したなら、最後まで筋を通した方が友人の為になる。
「お前は一人で変わらないといけないんだよ。挫けそうになっても踏ん張って、葛藤を乗り越えて行かなくちゃいけないんだよ。」
私は改めて、友人に諫めるようなことを言った。しかし、彼は、性懲りもなく、当たり散らかす。
「どうして俺が変わらなくちゃいけないの?俺は被害者なんだぞ?傷つけられた側が、どうして変化を強いられなきゃいけないんだよ?俺1人じゃどうにもならないって思ったから、悩みを吐き出して、悲しみをお前にも分けてあげようと思ったのに。俺だけじゃあ負の連鎖を止められない。激情を抑えられない。だから、誰かを巻き込んででも解決する。そう言ってるだろ。」
「お前が今、しようとしていることは、信頼を重ねることじゃなくて、誰かに依存することだ。それも、自分で問題を解決しようとせず、一方的に相手に押し付けているだけのな。」
徐々に彼の顔が歪んでいく。
「違う!俺がしようとしていることは、依存じゃない。辛い時は話を聞いてあげて、信頼を重ねていく。それが友人関係ってやつじゃないのか?」
……呆れて言葉も出ない。数年経てば、どんな人であれ、多少は落ち着きを心得るはずだ。友人がこんな幼稚な人間であったことに対して、私は軽蔑の態度をとること決心する。
「……今まで誤解してた。幸せになろうとする気持ちはあるのに、不幸で可哀そうな自分を手放すことができない。不幸から抜け出す努力ができないから、普通に生きるの諦めて、全部無茶苦茶にする 。これが今のお前のロジックだ。お前は薄っぺらくて、虚しい人間なんだな。」
「やめてくれよ。お前に何が分かるんだよ?努力の話をしているんじゃないんだよ。」
友人が吹っ切れた声で返す。同時に、友人の振りかざしたこぶしが虚空を切る。
私は、そんなことに目もくれず「努力?大した苦労もせず、困難にぶつかったら、それをあやふやにして胡麻化してるうちに時間が過ぎ去っちゃったんだな。そして、取返しがつかないところまでいったら、なりふり構わずに被害者アピールをする。お前は、大切な時期に積み重ねてこなかったんだな。」
中学校の部活動を思い出す。私は、1年生の秋、レギュラーに選ばれなかった悔しさをバネにして練習に励み、引退試合では、県大会に出場することができた。一方で、彼は、3年間ベンチにすら選ばれていなかったが、まだ本気を出していないだけと口癖のように言っていた。
「もう、俺を否定しないでくれ。」
私はしゃがみ込み、友人の顔を覗き込む。
「じゃあお前は、野垂れ死ぬのか?父親が亡くなって、これからどうするんだ。大学のことは?将来についての計画は?まあどうせ、何も決めずに、全部先送りにして、ふらふらしているんだろうけど。」
顔を真っ赤にして髪を搔きむしっている友人に対して、私は関心が徐々に薄れていく。
ちょうど、ポケットに潜ませている携帯が振動した。電源を入れて通知を確認すると、内容は飲み会の誘致についてだった。
確認を終えると、 「じゃあ。僕は、友人達から飲みに誘われてるから。これっきりだ。」
「待ってくれ。行かないでくれ。俺は被害者だぞ……。こんな苦しい目にあっているのに、どうして見捨てられないといけないんだ。振り分けた役割を遂行することもできない裏切者。俺が苦労をわざわざ話して、打ち上けて、理解し合う機会を作ったのに。むしろありがたいと思ってほしいくらいだね。それをどうして縁切りに利用しようとするんだ?…………頼む。」
何も態度を変えない友人に対して、すっかり愛想を尽かしてしまった。
「もういい。本当は喜んでるんだろ。良かったな。怠惰な自分でいられる理由ができてさ。そうやって、ずっと人のせいにして生きていけば?」
笑顔を繕い、白い息と共に言葉を吐き捨て、私は公園を後にした。
あの人は、すっかり歪んでしまった。もう、ああなってしまっては手の施しようがない。仮に、関わりを持ってもこちらが消耗するだけだ。体のぼてりが冷めていくのを感じる。
蛍光灯に虫が止まっているのを見て、ふと羽化不全について思い出した。彼は、これから蝶のようにうまく羽ばたいていけるのだろうか。それとも、蝶にもなれず、蛹の中でゆっくり朽ちていくのだろうか。
最後に見たあの人のしわくちゃになった顔はまるで、羽をもがれ、地を這う醜い芋虫のように見えた。そんな悪辣でどうでもいいことを想起しながら、私は、友人たちの元へ足を急がせ、夜のネオンに溶けていく。
「うん…………。やっぱりそうだよな。」
私がいなくなった後、薄暗い常闇の中で、彼は一人で安堵の表情を浮かべていた。




