第七章 受け入れる勇気
月曜日、大学に行くのが怖かった。
和也と顔を合わせるのが、怖かった。
でも、休むわけにはいかない。
いつものジャージとパーカーを着て、黒縁メガネをかける。
鏡に映る自分は、いつもの「星野紬」。
大学に着き、講義室に入る。
和也はまだ来ていなかった。
席に座り、ノートを開く。
心臓がドキドキする。
五分後、和也が教室に入ってきた。
私と目が合う。
一瞬、時間が止まる。
でも、和也は小さく会釈をして、いつもの席に座った。
隣の席。
講義が始まる。
教授の声が、遠くに聞こえる。
ノートにペンを走らせるけれど、何も頭に入ってこない。
隣から、和也の気配だけが伝わってくる。
講義が終わり、学生たちが教室を出ていく。
私も荷物をまとめて、立ち上がろうとしたとき――
「星野さん」
和也が声をかけてきた。
「うん」
「あのさ……」
和也は言葉を探している。
「この前は、ごめん。ちゃんと向き合えなくて」
「ううん、私こそごめん」
「まだ、整理がついてないけど……でも、星野さんと話したい」
その言葉に、少しだけ希望が灯る。
「今日、時間ある?」
「うん」
「放課後、図書館で会える?」
「分かった」
和也は小さく笑って、教室を出て行った。
私は、その背中を見送った。
まだ、終わっていない。
もしかしたら、もう一度。
もう一度だけ、チャンスがあるかもしれない。
放課後、図書館の一角で、私たちは向かい合って座った。
周りには、勉強する学生たち。
小声で話す必要がある。
「星野さん」
和也が口を開く。
「この週末、色々考えたんだ」
「うん」
「最初は、本当にショックだった。俺が知ってる星野さんと、全然違う姿があるって知って」
胸が痛む。
「でも、考えれば考えるほど、分かったことがある」
「何?」
「俺、星野さんのこと、全然知らなかったんだなって」
その言葉の意味が、分からない。
「俺が見てた星野さんは、星野さんのほんの一部でしかなかった。それなのに、全部分かった気になってて」
「篠崎くん……」
「星野さんが、なぜコンカフェで働いてるのか。どんな気持ちで、毎日過ごしてるのか。何も聞かずに、勝手に判断してた」
和也の目が、真っ直ぐ私を見ている。
「だから、教えて欲しい。星野さんのこと、もっと知りたい」
涙が溢れそうになる。
「本当に?」
「うん。全部」
私は深呼吸をして、話し始めた。
コンカフェを始めたきっかけ。
友達に誘われたこと。
最初は軽いノリだったこと。
でも、だんだん楽しくなってきたこと。
お客さんを笑顔にすることに、やりがいを感じていること。
「るる」として過ごす時間が、私にとって大切なものになっていること。
でも、それを誰にも言えなかったこと。
特に、和也には言えなかったこと。
全部、全部話した。
和也は黙って聞いていた。
時々、うなずいて。
最後まで、ちゃんと聞いてくれた。
「ありがとう。話してくれて」
和也が、優しく言う。
「俺、バカだった。『派手な女性が苦手』とか、軽々しく言って」
「ううん、篠崎くんは悪くない」
「悪いよ。人を見た目や職業で判断してた。星野さんが、どんな人なのか、ちゃんと見ようとしてなかった」
和也が、私の手を取った。
温かい手。
「星野さん、改めて言わせて」
「うん」
「俺、君のことが好きだ。大学での君も、コンカフェでの君も、全部含めて」
心臓が、爆発しそうなくらい鳴る。
「本当に?」
「本当。むしろ、色々な顔を持ってる星野さんが、すごいと思う。俺には真似できない」
涙が、止まらなくなる。
「ありがとう」
「泣かないで」
和也が、ハンカチを差し出す。
「嬉し泣きだから、大丈夫」
私は涙を拭いて、笑った。
「私も、篠崎くんのことが好き。ずっと前から」
「知ってた」
「え?」
「何となく、伝わってたよ」
二人で笑う。
図書館の静かな空間に、小さな笑い声が響く。
「でも、一つだけお願いがあるんだ」
和也が真剣な顔になる。
「何?」
「俺に、『るる』を見せて欲しい」
「え?」
「星野さんの、もう一つの顔。ちゃんと見たい。それも含めて、君を好きになりたいから」
その言葉に、ドキリとする。
「で、でも……恥ずかしい」
「大丈夫。俺、ちゃんと受け止めるから」
和也の真剣な眼差し。
それに、私は頷いた。
「分かった。今度、来て。店に」
「本当に?」
「うん。私の全部を、見て欲しいから」