第五章 真実の重み
月曜日、大学で和也と顔を合わせたとき、彼はいつもと違った。
「おはよう」
「……おはよう」
挨拶は返してくれるけれど、視線が合わない。
講義中も、隣に座っているのに、会話がない。
昼休み、私から声をかけた。
「篠崎くん、土曜日はごめん」
「別にいいよ。バイト、大事でしょ」
その言葉に、棘がある。
「怒ってる?」
「怒ってないよ」
でも、明らかに怒っている。いや、怒っているというより、傷ついている。
「篠崎くん」
「星野さんさ」
和也が初めて、真っ直ぐ私を見た。
「俺、星野さんのこと、もっと知りたいって思ってた。でも、星野さんは何も話してくれない。バイトのことも、プライベートのことも」
「それは……」
「別に全部話せって言ってるわけじゃない。でも、何か壁を感じるんだ。俺だけが一方的に近づこうとしてる気がして」
その言葉が、胸に突き刺さる。
「ごめん」
それしか言えなかった。
「謝らなくていい。ただ……」
和也は一度言葉を切った。
「俺、星野さんのこと、好きだと思ってる。でも、星野さんが俺のこと、どう思ってるのか分からない」
告白だった。
はっきりとした、告白。
心臓が激しく鳴る。嬉しい。嬉しいのに、苦しい。
「私も……」
言いかけて、止まる。
「私も、好き」
そう言えば、きっと和也は喜ぶ。
でも、その先は?
嘘をついたまま、付き合うの?
いつかバレたとき、もっと傷つけることになるんじゃない?
「私も、篠崎くんのこと……」
「うん」
「好き。でも」
和也の表情が、希望と不安で揺れる。
「でも?」
「私には、言えないことがあって」
「言えないこと?」
「うん。それを知ったら、篠崎くんは私のこと、嫌いになるかもしれない」
和也は首を横に振った。
「そんなことない。星野さんがどんな人でも、俺の気持ちは変わらない」
その言葉が、優しすぎる。
そして、怖すぎる。
「本当に?」
「本当だよ」
私は深呼吸をした。
決めた。
言おう。全部。
「篠崎くん、今度の土曜日、時間ある?」
「うん、大丈夫」
「話したいことがあるの。ちゃんと、全部」
和也の顔が明るくなる。
「分かった。どこで会う?」
「また、連絡する」
その日の講義が終わり、私は一人で図書館に向かった。
静かな閲覧席に座り、スマートフォンを取り出す。
店長に連絡を入れる。
『今週の土曜日のシフト、休ませてもらえませんか』
すぐに返信が来た。
『どうしたの? るるが休むなんて珍しいね』
『大事な用事ができて。お願いします』
『分かった。でも、次は頑張ってね』
『ありがとうございます』
画面を見つめながら、私は決意を固めた。
土曜日、和也に全部話す。
「るる」としての私も。
二重生活のことも。
全部。
そして、それでも受け入れてくれるなら――
受け入れてくれなくても――
もう、嘘はつかない。
水曜日の夜、店でいつものように接客をしていた。
「るるちゃん、最近何か違うね」
常連のお客さんに言われる。
「そうですかにゃ?」
「うん。何というか、吹っ切れたような顔してる」
「そうかもしれませんにゃん」
本当に、吹っ切れたのかもしれない。
もう、隠すのはやめようと決めた。
全部さらけ出して、それでも愛してくれる人を信じようと決めた。
その決意が、自分を軽くしてくれた。
閉店後、更衣室でみゅう先輩が声をかけてきた。
「るるちゃん、決めたんだ」
「はい。土曜日、全部話します」
「偉いね。応援してるよ」
「ありがとうございます」
メイクを落とし、メガネをかける。
髪を下ろし、パーカーを着る。
「星野紬」に戻る。
でも、今日は違う。
「紬」も「るる」も、どっちも私。
どちらか一つが本当の自分なんかじゃない。
両方が、私なんだ。
金曜日の夜、私は和也にメッセージを送った。
「明日、午後二時に、駅前のカフェで会えるかな」
すぐに返信が来た。
「OK。楽しみにしてる」
楽しみ。
その言葉を見て、少しだけ罪悪感を覚える。
明日、彼を傷つけてしまうかもしれない。
でも、それでも。
本当のことを伝えなければ、前に進めない。
ベッドに横になり、天井を見つめる。
明日。
明日、私の人生が変わる。
良い方向にも、悪い方向にも。
でも、もう後悔はしない。
自分で決めた道だから。