第7章 憧れの東京でのコピーライター生活
谷口社長はその当時、ベストセラーの本を何冊も出していたし、テレビにも出ている有名人だった。トレンドウォッチャーとしても有名で、当時ファックスで毎週購読者に送られるファックスプレスは画期的だった。社長もデザイナー出身で東急エージェンシーから独立して起業。社長はもちろんこと、社員もみんなユニークで若く活気に溢れていた。ギャラを高く言い過ぎたせいか、担当はいきなり会社の心臓部。メインスポンサーのコピーデレクターに任命された。新宿のファッションビルで有名な新宿ルミネ1、2の両館の年間予算を任されたので、書かなければいけないコピーの量も半端ではない。テレビや大きなキャンペーンのコピーは荻窪、横浜ルミネのクリエーター全員で打ち合わせをする。トレンドウォッチャーの社長が時代を読み、切り口やキーワードをレクチャーした後、プランナーがコンセプトを話す。そして、次にクリエイティブプロデューサーを中心にブレストトーキングが始まり、だいたいのビジュアル案が出そろったら、コピーライターだけ集まってメインのコピーを決める。ポスターや電車の中刷りなどの目につくビジュアルとコピーが決まると、次に新宿ルミネのチームが集まり、その商圏やターゲットに合った情報誌の打ち合わせ。各種イベントはコピーライターとプランナーが打ち合わせて、提案する内容を決める。ファッションビルなので、季節のトレンドを踏まえ、新しいコーディネイトやライフスタイルの提案をするのだが、各ショップを回り、撮影する商品を取材しながら決めるのもコピーライターの仕事だ。選んだ洋服や靴などを、スタイリストと打ち合わせして洋服に合ったアクセサリーやベルトなどのグッズをお願いする。誌面のイメージやバックの色などをリクエストするのはデザイナーの領域だが、良いアイデアがあれば積極的に口を出せるのは嬉しい。若いデザイナーの冒険的な感性と、確かな腕のアートデレクターが組んでいるので、面白くて斬新なデザインが期待できる。プランナーは、年間スケジュールと予算の管理、スポンサーとの架け橋をしてくれるので、密に次情報交換する必要がある。チーム全体で、出かけて行くことは稀だが、大きなイベントや人手のいるキャンペーンの時は駆り出される。一番古い新宿ルミネは担当者も慣れていて、厳しいけれど、頭がいいので言うことも的確だ。ただ、いきなり顔合わせした時に、「館内放送の原稿書いて」と言われたのには驚いた。聞けば社員教育のマニュアルも、トイレに貼っている文言も、文字というものは全てコピーライターの仕事らしい。
その当時、ルミネ2が出来たばかりで、ジュエリーマーケットのショップ案内も作らなければならない。ジュエリーなんて買ったことも、もらったこともないが、取材して各お店の特徴を書かなければならない。さすがに、ショップを回っているうちに、根本的な情報もキャッチできて、価格にも慣れた。小さなダイヤが連なっているテニスブレスが当時人気だった。テニスの選手が付けて有名になったらしい。横浜発のスタージュエリーもシルバーなのでリーズナブルでかわいいと若い女の子からブームになった。シルバーはお手入れが大変なのだが、ティファニーが人気に火を付けた感じだ。
もちろんカルティエやグッチなどのブランド物はプレゼントには欠かせない。珍しいのはイタリアンジュエリー。中が空洞になっている金製品はグラマラスなのに軽くて安い。遊び心満載で、ジュエリー上級者たちに人気があった。ひとつ石のダイヤモンドなら、大きさや色やカットやクオリティが良いほど高いのだが、ファッションビルに来る女性たちが買うのは、頑張った自分へのプレゼントが多く、遊び心満載のデイリー使用が断然多かった。
一生に一度だけのブライダルジュエリーも、高いひとつ石より、デザインの可愛い使用頻度のあるものを選ぶ兆候があった。月給の3ヶ月分と言われる婚約指輪だが、送る男性と受け取る側の感覚のズレに、これからの結婚生活の未来を予想してしまう。
レストランガイドも、上京したばかりの和子には、とても興味深かった。当時、トップスのチョコレートケーキが有名で、いつも人だかりだったし、つばめグリルのような有名店が入っていて、取材がてらお食事するのも楽しかった。若い女性たちが時代のブームを起こすから、ファッションや情報基地であるルミネの担当をするのは、時代を先取り出来ている気がした。その2館のコピーだけでも多いのに和子はつい、他のスポンサーの仕事もしたくなる。一流スポンサーの広告も、タッチしてみたくなる。あれこれ好奇心が強すぎて、自分のキャパを超えてしまうのが悪い癖だとわかっているのだが。
しかし、デザイナーもアートプロデューサーも実力があるので、チームで次々と仕事をこなして行くことが出来た。
ちょうど、入った頃に、タカキューのナイスガイコンテストが別のチームで動いていた。日本中のイケメンたちのプロフィールと写真が続々と集まっていた。担当者は地方の予選に立ち会って、楽しそうだった。そして、みんなで写真を比べながら誰がいいとか、この子がタイプとか女性たちは口々にあれこれ評価し、誰が優勝するのか賭けをしていた。決勝戦は新宿ルミネのホールで行われた。各地区の代表が次々とダンスや歌や得意技を披露し、笑いを取ったりと舞台上はエネルギーに溢れている。その中でTシャツとジーンズというバンカラなスタイルで審査員の注目を浴びたのが吉田栄作だった。元気で明るい出場者の中で、少し影のあるような自然体で存在感のある美男子に票は集まり、見事優勝した。
東京は、芸能界も近い。その頃には今の個人情報保護法などなかったせいもあるが、マスコミ電話帳なるものが書店で売られていて、直接電話して有名人にオファーできる時代だった。【おしゃれサロン】なるイベントに田中康夫やデーブスペクターやピーコなどを選んでオファーしたり、ジュエリーマーケットの情報誌に載せるためにマリアンに取材したりと、芸能人はいくらでも出会うことができた。六本木に遊びに行けば、テレビでよく見る芸能人とすれ違ったり、レストランでは普通に食事をしていたり。広告代理店の営業が、芸能人を誘ってくれて一緒に飲んだり。一度、カラオケスナックに連れて行ってもらったら、水戸黄門のメンバーが飲んでいて、その中の一番若い色男とデュエットしたりと東京は本物があちこちにいて楽しかった。
谷口社長は、近くにいるだけで皆を元気にしてくれる。いつもポジティブで、ピンチをチャンスに変える術を良く心得ている。社員も、実に様々な個性の強いメンバーばかりで、バリダンスを面接の時に披露して、「面白い」と受かった男性もいた。バリダンスが営業に役に立った話は聞かなかったが、男性社員は特に何か一芸を持った特徴のある人材ばかりを選んでいるように思えた。逆に、女性は美人が多い。特に新卒は、絶対に容姿で選んでいるに違いない。毎年モデルのような美人が入社した。デザイナーやコピーライターなどはキャリアが優先しているので出来る者は、どんどん仕事が増える。最初は美人があちこちのプロジェクトで引っ張りだこなのだが、教えなければ何も出来ないとわかると次から声がかからない。なので、9時から5時まで雑誌を読んだり、コピーを取るのを頼まれたりする程度で時間を潰し早々と退社してしまう。和子などは、キャリア組で、「どれほ出来るのか?」と興味津々のアートデレクターと目が合うと「二階堂、2分だけでいいから、打合せに入って」と頼まれてしまう。最初はJRやキヨスクや一流企業の広告にタッチ出来るのが嬉しくて、「ちょっとだけなら」と好奇心旺盛な和子は打ち合わせに入っていた。すると2時間位は席を立つことができない上に、仕事がひとつ増えてしまう。新宿ルミネのコピーだけでも手いっぱいなのに、その日、仕事が終わるのは夜中の3時頃になる。そんなことを繰り返して、少しは学習。どれだけ興味があっても、懇願されても忙しいフリをして、出来れば定時に上がれるよう工夫するようになる。東京は大阪に比べ、仕事は数倍多い。書いても書いても終わらない。書くのは好きだが、毎日最終電車に間に合うよう道玄坂を走っていたら、情けなくなる。みんなお酒を飲んで出来上がっていて、和子を誘うが、夕食もコンビニのおにぎりしか食べていない和子には行く手を阻む男性達が腹立たしいだけ。
経費節減だと経理が言うようになった。夜中に事務所で働いていると経費がかかり過ぎるのだと言っている。以前のように、夜間のタクシー代も出なくなった。社長も「残業するのは能力がない証拠」と朝礼で言うようになった。5時まで、やるべき仕事を済まして、アフター5を楽しむようでなければ仕事にも幅が無くなる。沢山の仕事を抱えて、睡眠も取らず食事もないがしろにしていて健康を害していては良い仕事など出来る筈がない。」という意識が社内に広がって、早く帰る人の方が優秀だと思われるようになった。相変わらず、要領のいい上司に仕事を押し付けられて、夜遅くまで仕事をしているメンバーはだいたい決まってきていた。和子もそのメンバーにいたのだが、ある日、「自分でスケジュール管理しなければ、誰も守ってくれない。上司はひとりも残業していないのだから、どれだけ頑張っても見てくれる人はいない。認めてくれる人もいない。好きで仕事をしているのだが、体を壊してしまっては本末転倒だ。」と気付いたのだ。
上京して1年目は慣れるので精一杯だった。新宿ルミネだけで年間スケジュールをこなすだけでも骨が折れた。その上、ファックスプレスチームだったので、新聞一社と雑誌三冊を読んで、キーワードを見つけなければいけない。新しい事、目についた面白い記事を指定の紙に書いて提出しなければならない。毎週月曜日の昼に、谷口社長が、それを読み上げて分類。よく似た兆候やヒットしている物の見方や、社会の動向などグループ分けした内容を、ひとつのキーワードでくくる。そして、全体の情報から谷口社長ならではの解釈が。未来を見通すかのような、新たな切り口に感動すら覚える。こうやって、コピーデレクターたちは、時代の動きを知り、新しいキーワードを教えて頂いて、クリエイティブに役立たせるのだ。雑誌は好みで選ぶことも出来るが、一方的に配られることもある。
女性は【ターザン】や【モノマガジン】などは、あまり書店でも手に取らない。なので、たまに読む担当になると新鮮だったりする。皆の発表が聞けるので、一週間の媒体に目を通した気になり新しい情報に敏感になる。もちろん、新しい言葉にも反応する。そして、社長の言葉を書き留めたチーフコピーライターがファックスプレスの文章を書いて発信するのだ。社員教育も兼ねた凄いシステムだと思う。そのファックスプレスを集めて、谷口社長が時代の切り口を本にして出していた。だから、【第三の感性】や【眼力】などのベストセラーが続々と書店の棚を飾ることができるのだと知った。本の紙もわら半紙を使うのは、持ち歩くのに軽く、文字が大きいのはページ数が増えるので、書店に並んだ時、場所を取り目立つからだと言っていた。全て計算されてデザインしているのを知って、改めて脱帽した。デザインとかは視覚的、感性のものだと思っていたのだが、緻密に計算され、人の心や目線を読んでクリエイトしていることに驚いた。まさに【そこに、そうあるべき】の動かせない一点が決まっているからブームを作ることが出来たのだ。
平日、睡眠不足のせいか、土日は死んだように眠り、せっかく東京にいるのに遊びに行く元気もない。とにかく時間が無さすぎて、プライベートの楽しみは二の次になっていた。いつの間にか笑顔が消え、栄養不足なのか元気もない。周囲のみんなが敵のような気がしていた。あんなに、憧れて入社したのに。優秀なクリエーターたちと、仕事が出来る幸せに酔いしれていたのはいつの時までだったろう。自分へのご褒美と充電が出来ていないのに気がついて、それから友人たちとの時間を大切にするようになった。
映画のプロデューサーをしている友人は【帝都物語】で成功し、広尾のマンションから、白銀台の高級マンションに引っ越しをしていた。白銀台を食事に行くために散策していた時、大きな白亜の豪邸を指さして、「この家を買うのが夢なんだ」と言っていた。
そして、次作の【帝都大戦】のエグゼクティブプロデューサーとして活躍中だった。帝都物語の時も自らプロのスタジオ撮りを見せてくれた。帝都大戦は大掛かりな銀座の街並みを作り、撮影していた。まだ20代の友人が、この映画のトップだとは、大勢のエキストラには気付かれないので、スタッフ弁当をバスの中で一緒に食べた。そして、撮影場に行くと、勝新太郎がクレーンの上のカメラの所に立っていた。広大な撮影現場で、そこだけが光り輝いて見えた。凄いオーラを発していたのには驚いた。出演者も豪華メンバーばかりで、中学時代から好きな自主映画を撮り続けていた友人が夢を叶えている姿を見て、誇らしい想いがした。




