第4章 天王寺博の子供劇場
帰国して、すぐ東京進出をしようと思っていたのだが、ニューヨークの旅でお世話になった方々に頼まれ、1年ほど大阪でフリーで仕事をしていた。ちょうど、ふるさと創成とかで1億円が配られ、その使い道に各自治体が奮闘し、広告業界は忙しかった。しかも、経済は上向きで、文化や芸術にスポンサーが潤沢なお金を出してくれていた。博覧会や音楽祭があちこちで催されていた。大阪も21世紀協会を中心に【天王寺博】を企画していた。友人が、その事務局にいたのだが、初めてやる担当者たちが会議や会食で予算を食い潰し、100日間実施しなければならないイベントの費用が足りないと相談してきた。天王寺博とは天王寺動物園を中心に、美術館や博物館が集中しており、友人が担当している子供劇場ではキャラクターのテンパク君を使ったショーが連日繰り広げられる。子供たちが参加できる催しなのに、まだ内容も決まっていない。100日間テンパク君と絡んで盛り上げ役のるMCも手配できていない。なのに、予算は50万円もないのだと言う。
100日間の人件費は別として、MCの手配。つまり、募集と選考会を実施しなければならない。どこかの派遣会社を使えるほどの予算もない。そしてショーの台本も出来ていないし、音楽や照明スタッフもいない。どうやって、100日間、子供向け着ぐるみショーをするつもりなのだろ?友人は、ほぼボランティアのように動いていた。責任感が強い者が損をする。ただ、声優希望だった友人は、子供たちに生物の命の大切さを伝えたいとの熱い想いを抱いていた。イベントのシナリオなら書いたことは何度もあったが、あまり子供が好きではなかった和子は子供目線での台本は、得意ではなかった。そこで、大阪では有名な着ぐるみ制作をしている会社に頼んだ。台本はボランティアで書いたが、音撮りもその会社の優秀なスタッフに、頼み込んでやってもらった。ラッキーだったのは、当時テレビで【さんまのまんま】のまんまちゃんで活躍していた岡崎さんが関わってくれたこと。さすがに、ポイントは外さないし、和子が書いた台本も噛み砕いて子供たちが喜びそうな内容になっていた。大まかなストーリーは決めていて、テンパク君の声は入れてある。あとは、毎日違うMCのアドリブで会場の子供たちを、どれだけ巻き込むことができるかにかかってくる。
さすが、あちこちの遊園地やデパートの屋上で着ぐるみショーをしているだけのことはある。予算がないので、半分ボランティアだが、子供たちの笑顔が見たいスタッフには、それも気にならないようだ。この時に、初めて仕事を依頼して急に親しくなったおかげで、面白い試みをする時にはイベントに招待されることが多くなった。その会社が育てている10代の若者たちが夢を追いかけてダンスや歌に専念している姿に接することが出来た。芸能界とつながっていて、ミュージカルや京劇を真似た作品を創作して売り出していた。バク転を連続12回以上出来る子が、孫悟空の劇中でその芸を披露するのだが、命がけで汗だくになって迫真の演技をする姿はほんとうに感動的だった。みんな芸能界を目指しているだけあって歌やダンスもうまいし、ビジュアルも素敵だった。ある時、みんなで打ち上げだか、カラオケバーみたいな所に行ったことがある。次々に繰り広げられる歌が凄すぎて、そこにいたお客から盛大な拍手が。そして、みんなでオリジナル曲を披露してくれた時の幸せなこと。ブロードウエイミュージカルにも劣らない。勘当の嵐。あれは何だったんだろう?それから、沢山のアーティストと触れ合う機会があったが、あの時以上の感激は味わったことがない。技量や才能なるものを越えたもの。情熱とか、体を張った命の輝きなるものだったのか?まだ、粗削りだけど、だからこそ目が放せない。
しかし、命がけのチャレンジは事故とも背中合わせ。1日1回の公演でも難しいバクテンを2回しなければならなくなった時、少し回数を減らすよう提案されたのだが、断っていた。そしてベント最終日に悲劇が起こった。12回目のバク転が回りきらず、首の骨を折って救急車で運ばれたのだ。それまで疲労が溜っていて、体が自由に動かなかったのだろう。プロなら、セーブするだろうことも、10代の、駆け出しのアーティストには全力で燃え尽きることしか考えられないようだ。その後、彼がどうなったのかは知らない。
ただ、どんなに素晴らしい芸も、危険と隣合わせではリスクが高すぎる。これからアーティストのプロデュースをすることがあれば、健康管理やコンディションには一番留意しなければならないと見せつけてくれた事故だった。




