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第45章 障碍者ならではの才能

例えば、アスペルガーなどの精神障害の人の作業の正確さは健常者には真似の出来ないもの。ほんの数ミリ歪んでいても、許せない性格だから、その能力を買って、そういう人しか雇わない会社もあるらしい。それで、高いレベルの製品を出荷して、市場の信頼を得ているようだ。また。【オタク】の才能を活かし、成果を上げている会社もある。たとえば、ゲームを世に出す前にチェックするのだが、正常な感覚では出来ない作業らしい。カーレースのゲームをスタートして、いきなり逆走するなんて技、普通考えもしないだろう。しかし、ゲームのオタクなら、想定外のことを色々チェックしてくれるので、バグやトラブルを事前に見つけることが出来るわけだ。

偏差値なるもので、普通とか正常とかを数値化して判断しがちな現代、障害といわれているものが、実は才能なのだと気付く者はいない。平均点まで持って行くことばかりに一生懸命で、せっかくの才能を認識出来ていないのはもったいない話だ。【4分の1の奇蹟】という映画がある。障害者が観ると、心が痛むが健常者は涙を流して感動している。その中で、生物の4分の1に異常が見つかるという話があった。それは、むしろ意味があってのこと。例えば色弱の人は、赤と緑の色を見分けできないが、緑の中で色の違いは鋭く見分けができるらしい。なので、アメリカ軍隊の特殊部隊には必ず色弱の人が必要らしい。自然の中でカメレオンのように、緑の迷彩服を着た軍人を、どんなに遠くからでも見つける能力を持っているからだ。

全盲になることは死にも匹敵するものらしい。たとえば、ローン返済も無くなった男性がいた。住む所は確保され、年金が早く給付されて、ある意味裕福な暮らしになった。しかし、仕事を失った男性は、ほとんど鬱病になるか、自暴自棄になって家族を失うか?ラッキーだとは言い難い。私も、光を失って、当分は引きこもっていた。それでも生きていかなければならない。外に出て行かなければならない。何か、生き甲斐を見つけなければならない。そうして出会ったのがエステティシャンの道だった。醜く太って、年老いて醜くなっっているだろう容姿を変えることなどできるのだろうか?最後の賭けだった。持ち金を全部投資してチャレンジして、ダメなら離婚して生活保護だと心に決めて取り組んだ。本当に痩せるとは思っていなかったが、エステなんてしたことがなかったので最後くらい体験してみたかったというのもある。実は盲目になって、気が楽になった。人の顔色も気にならないし、言葉と裏腹の表情や行動にキズつくことも無くなった。それより、言葉で本音がわかってしまう。見えている人は笑顔や見た目に惑わされるが、発した言葉のエネルギーで魂胆がわかってしまう。

逆に、明るく元気に装っていても、心が「寂しい」と叫んでいるのがわかる。「本当は辛いのに、誰か気付いて欲しい」という悲しい魂の叫びが。見た目で相手にされないとか、バカにされる人も友達になれる。どんなに醜くても気にならない。魂の美しさに気付いて友達になれる。目が見えてないと、避けがたい現実すら気にならないで、自由に妄想できる。全盲同士で話をしていると、絶世の美女にも、ナイスボディにも、20代にもなれる。その妄想話は健常者にとっては滑稽かも知れないけれど、夢の持てない人より数段幸せだと思う。

目が見えないので、他人を認識するには言葉を発しなければならない。「見たらわかる」という甘えは許されない。だから、コミュニケーション能力は高まる。相手にしてくれればの話だが。

目の不自由な人が集まれば、少しの晴眼者の助けさえあれば、今までに無かった物を想像できるかも知れない。出会いによって人生は変わる。一人で出来ることなど知れている。どんな人と繋がるのか?どんな人のお力をお借りできるのか?素直に、信じて進むことが出来たら、学校も就職も結婚も豊かになるように。そもそも、健常者でも完璧な人などいない。みんな何かが欠けていて、その分何かに秀でている筈だ。

健常者の中には心ない人もいて、差別は拭いきれない現実として、打ちのめられそうになるが。最近は「性格が悪いのも一番他人に迷惑をかける障害者だ」と思って相手にしないようにしている。とは言え、多くの人は同情はするものの取扱いが分からなくて困っているという感じかも知れない。相手の立場に立って物事を考えることは大切なのだが。何でキズつき、何を言うと叱られるのか?相手の立場に立つことが無理なのだから怖くて近づけないのではないだろうか?そもそも健常者は障害者のことに興味などない。しかし、発達障害やアスペルガーのような精神障害の子が多すぎて、一家に一人障害者がいるという事実には驚く。ワクチンのせいだとか、環境のせいだとか言われているが、昔から変な人は多かった。出来るだけ関係を持ちたくないと思っているだろうが、これだけ身近にいると他人事と、逃げてはいられない。昔は、家の恥と、他の人に見られないよう、家の中に閉じ込められていた。和子も白杖を持たなければ歩けなくなって、田舎に帰った時の母親の困惑は想像以上だった。「近所の人に見られたら恥ずかしいので、白杖は使わないよう」と言われ、移動する時には母と腕を組んで、移動した。障害は本人以上に親がショックを受ける。これからの未来をあれこれ考えて心配するのは自然なことだろう。「どうして、こんなことになったのだろう?」と運命を恨み、神仏を拝み奇跡を願う。もはや、一人の人格とは見てはくれない。他人の目ばかり気にして、行動を制限しようとする。精神障害の人なら他人に阻止されようが心のまま反乱できそうだが、目が見えないと動けない。言うがまま、何時間も、そこに放置されたりする。近くに、本当に気にしてくれる優しい人がいなければ、忘れ去られてしまう。それでも、文句ひとつ言わない人が多い。目が見えないと、逃げることも出来ないから、ニコニコ笑顔を作って、防御しているのだが、誰も気づかない。身内よりも他人の方が優しくなれる。ヘルパーは仕事なので、喜んでしてくれる。家族で面倒を見なければならないという神話は辞めた方がいい。介護する方もされる方も壊れてしまうから。

誰でも、たまの介護なら余裕もあるから優しくなれる。

しかし、身内だけで面倒を見なければならないと思うと、介護する方が死にたくなることも。目が放せない過酷な状態が、ずっといつまで続くかわからないと、絶望的な気持ちになるからだ。子育ても大変だが、どんどん成長していくので、未来が明るい。老人と障害者の介護は未来が見えない。想像できるのは、今より悪い、困難な日常だ。しかし、福祉のここ数年の変かは素晴らしいものがある。大学でも福祉が学ばれ、資格が取得出来るようになった。10年程前は、就職難もあって、絶対に就職できるヘルパーの資格を取る人が多かった。福祉が未来、欠かせない産業になることは、団塊の世代が老齢化するのでわかり切っていた事だったからだ。事実、老人介護の会社は飛躍的に成長した。今では、世界一の介護先進国とまで言われている。介護ロボットの開発や、アジア諸国からの研修生を受け入れたりと、グローバルに展開している所もある。長寿国日本は100歳まで生きることが普通になりつつあるから。若者は何人の老人を扶養しなければならないのか?と未来に不安しかない。今、若い世代が多いアジアの国々も、あと数十年経てば、老人介護は深刻な社会問題になる。そこで、介護先進国日本で、今から経験を積み自国に帰って展開するリーダーを育成しようというプロジェクトが立ち上がっているのだ。【おもてなし】でオリンピックを勝ち取った日本の介護は、確かに充実していた。経済が上向きで就職難が解消されるまでは。現在、必ず就職出来ると人気だった介護士と保育士が、また減少している。命にかかわる大変な仕事の割に給金が低すぎることが要因。介護や保育に携わろうなんて思う人徳者は、そもそも優しい人が多い。その人の良さにつけこんで、最低賃金に近いお給料で過酷な仕事をやらされる。いくら気持ちが優しくても、自己犠牲を強いられては体も心も壊れていく。人命は大切。でも、若い人の犠牲の上に成り立っているから、辞める人が多い。将来、親の介護をする時に、役に立つだろうと資格を取る主婦も多い。「家で家事をしても、一銭にもならないし、感謝もされないから、ヘルパーしている方が、ずっといい」と言う人もいる。確かに、タダ働きの主婦が、今までの過酷な毎日のスキルを活かせるので、良い職場かも知れない。しかし、元々働き者なのだろう?1日8件とか普通に回って、1時間以内に掃除に洗濯、食事の用意をするのだから凄い。1日何度も食事を作ったら、家で食事を作るのが嫌になり、できあいの総菜を買って食べている人も多い。自転車での移動時間ももったいないので、片手にメロンパンを持ってかじりながら次の家に着くまでに昼食ということも多いようだ。競輪選手のように、電チャリで雨や台風の時にも1分たりとも遅れず到着してサービスに入るのは本当に凄い。日本人は次があるからと、途中で辞めて次に行く人など、まずいない。ギリギリなのにワガママを言われても笑顔で、どうにかしてくれる。こんな国に住んでいるから、質の高いサービスが受けられるのだと感謝している。

「目の障害は、ほかの障害や老人介護よりもいい」と言ってくれる。基本見えないので、言うがまま。頭はしっかりしているので、普通の会話が出来る。弁護士や経営者も多いそうだ。ただ、火や刃物を使うと命の危機もあるし、階段や電車のホームから落ちる人も後を絶たない。そして、人と接する機会が少ないので情報も得られず、長年和子のように障害年金も受け取れないという憂き目に合っている人も多い。良いケアマネージャーやヘルパーに恵まれないと、ひどい目に合っていてもわからない。区の福祉課も、いい加減で内容も理解出来ていない。福祉に意欲がある人が担当しているわけではないようだ。そして区の担当者も、よく変わるし、サービス内容も呼び方も変更ばかりする。年度末には予算を使い切らなければならないのか?仕事をしているとアピールしたいのか?「自立支援の名称が変わったので、福祉課まで来て、書類を書いて下さい」と電話がある。「変わって何か私にメリットがあるんですか?」と聞くと「内容は、あまりかわっていないのですが」と言う。「なのに、目の不自由な私に、ヘルパーを雇って、区役所まで来いとおっしゃるんですか?」と怒りを露わにしていると「別に急がないので、いつでもいいです」と言う。どうしても必要なら、何か言って来るだろうと楽観して忘れてしまったが、もう何年もなるのに何も言って来ない。無駄なこと、一見倹約しているようで費用のかかっていることが多すぎる。

大阪は【維新の会】なるものが【都構想】を訴えて選挙にも勝ち、市民から支持されている。橋下さんは好きだが、彼が市長になって市役所や教師たちの労働意欲は落ちた。市役所に訪れると、観光課も文化部もガランとして静かだ。聞くと予算がないのでイベントもやるべきこともないようで、訪れる人もいないし、9時から5時まで時間をそこで費やしているだけのように見える。だから市がいらないと言うわけではない。お給料もカットして、無駄だとレッテルを貼られた方の立場は?立派な庁舎には記者クラブもあるし、意欲のある優秀な人材も沢山いる。市と府では悩みも、やるべきことも全然ボリュームが違い過ぎる。これが、一体化しても、人数が多すぎ、時間がかかり過ぎる会議に十分な仕事が出来るのだろうか?

一番もったいないのは、ものすごい量の印刷物が名称を変えただけで破棄されてしまうことだ。各種団体に至るまで、封筒や名刺などの印刷物はもちろんすべて一新される。山ほどの書類も、書き直さなければいけないだろう。不要とされた立派なビルやホールや各種施設、外核各団体は?永い歴史の中で育まれたコミニュニティは?

オリンピックのせいか、東京駅周辺でも、古い歴史を物語る建物をすべて近代化して失くしてしまっている。渋谷も、どこに行っても建築ラッシュだ。思い出がいっぱいの築地市場も姿を変えた。

江戸情緒を残す町並みも壊されていく。こんなことで本当に未来を豊かにできるのだろうか?日本人のアイデンティティが失われていくように、無駄だと廃棄された物たちが、反乱を起こすことはないのだろうか?子供たちが歌舞伎を習いに行ったからこそ、気づいたことなのだが、古き良き物が絶滅危惧種になっているのに、誰も気づかない。教育の現場からも置き去りにされたのは、いつの頃からだろう?欧米化が進み、クラシックなどの西洋音楽が中心で、実は先生の中にも邦楽器を演奏できる人が一人もいないこと。韓国社会が間違った歴史を教えていることが国際社会の軋みになっているように。教育の中に、日本人に産まれたことの優位性、選民意識とまでは行かないが自己概念を上げてくれるような勉強が必要ではないのだろうか?

海外に行く度に、日本が好きになる。他国の文化や芸術に触れれば

日本の北斎などの素晴らしさに気付く。他を知ると自分を知ることが出来る。

老齢になって、障害で人に迷惑をかけないよう気遣って、目標や夢を失って、何もしないで生きていくのは、なかなか骨が折れる。とことん落ち込んで、どん底に着いたら、思いっきり底を蹴って上に上がろう。墜ちる途中は、どちらが上で、どちらが下なのか?わからないから、自殺を考える位、とことんもがいて、浮き上がれないなら、時を待つしか仕方

がない。


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