第40章 リスペクトできる師匠と出会えた次女の決断
パリから帰国して、和子はふみこ師匠から頼まれていた【美の種】の企画のために京都に出かけた時、転倒し骨折。手術する羽目になって、1か月入院。そして、車イスでの移動ということもあって、パリのジャパンエキスポの打ち上げ会にも参加できなかった。
2014年は20周年記念ということもあって、ジャパンエキスポには【舞妓はレディ】の映画の出演者が大舞台を飾ったらしい。「一年前で良かった」と花柳先生が言っていた。「多分、着物も豪勢で女優が相手だと、さすがに歯が立たない」と言っていた。見てはいないが、竹中直人や藤純子が来たのなら凄かっただろう。
しかし、和子はむしろ『同じ年に行ってたら観ることもできたのに』と、残念だった。
ふみこ師匠は元々尾上流だったので、藤純子とも、どこかでご縁があったかも知れない。『親しくなるチャンスだったのに』と、どこまでも能天気。あのバブル時代、ふみこ師匠も東京にいて、贅沢な青山のマンションに住み、政治家とも親しく、あの歌舞伎座で単独公演をして超満員だったそうなのだから。一番油が乗って、華やかに活躍していた姿はビデオで残っているが、ライブで見てみたかった。踊りは、きっと今の方が素晴らしいだろう。でも、若くて、粗削りだった時のキラメキを見てみたかった。【芸も壱代限り】と言われるように、ふみこ師匠の踊りは誰にも真似は出来ないだろう。年を経るごとに、動きが冴えわたっている。出会った時からでも、踊りは随分違うのだから。一瞬が、二度と見れない芸術津品なのだと思い知る。記憶に留めておこう。目から光が無くなるまでに。
パリから帰国して、次女は大学を休学してやまとふみこ師匠に弟子入りした。一緒に踊って、初めて師匠の素晴らしさに感動したようだ。目の肥えた次女が、自分から弟子入りを決めたのだから、余程気に入ったのだろう。しかし、他の流派の2倍は高いお稽古代だ。1か月に1回だけのお稽古などは、死にもの狂い。そのへんの踊りの師匠とは教え方がまるで違う。入ってすぐに舞台が用意される。師匠との2人会だ。実力が違い過ぎるのはパリの舞台で共演して痛いほど実感していたらしい。それでも師匠は「百回のお稽古よりも1回の舞台」と、近々に舞台を用意して、自分で舞台を創る術から教えようとしてくれているようだ。チラシや広報、チケットを売ること。会場との契約や音響、照明などなど、スタッフの手配からお弁当などの雑務まで。バイトもしなければ、お稽古代も払えない。「舞踊家になるのが夢」と目を輝かせて、またイキイキと活動し始めた。尊敬できる師といつも一緒にいるだけで幸せそうだった。
2人とも、美食家で好きなものも玉ねぎぎやニンニクにアレルギーがある所まで似ていた。話をしなくても心が読めるらしい。師匠が、よく「言わずもがな」とおっしゃる。和子は文章化されないと理解できないタイプなのだが。師匠と次女はテレパシーで通じ合えるのは羨ましい。第一回2人会を観に来た10代の女性が、踊りを見て食事も食べれないくらい感動し、弟子入りしたいと言ってきた。師匠はハッスルし過ぎたのか?珍しく舞台で足を痛めてしまい、車椅子に乗っていた時のことで、お稽古がなかなか出来なかったのだ。しびれを切らして師匠と同じマンションに引っ越しして来た。ほとんど内弟子のように、その日から師匠と行動を共にするようになった。専門学校も単位を全て取っていたので、卒業は確定していたらしい。10代の子が、いつも師匠に着いて来ているので、見栄えもいい。
東京で師匠と次女の踊りを見た5歳児も引っ越しして踊りのお稽古に参加していた。あちこちで、呼ばれて踊る度に若い弟子が増えた。きっと次女が若いので、親近感があるのだろう。そういえば、大阪でリハーサルを兼ねてチャリティイベントをした時、一人の若い女性が号泣していた。彼女は親の離婚で中国で育てられたのだと言っていた。踊りを見たら、日本人のDNAが反応し、感動の涙が止まらなかったのだと。そして、やまと舞に弟子入りをし、心が癒されたようだ。若い子や幼い子までが憧れる、魂揺さぶられるやまと舞の魅力。老齢化している日本舞踊の世界に、明るい未来の光明が見え始めたようで期待で胸が躍った。




