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第36章 やまと ふみこ師匠との出会いによって

和子がやまとふみこ師匠と出会ったのは2013年のはじめの頃だった。明子から「会って欲しい人がいる」と言って、紹介されたのだ。あまり乗り気ではなかったが、南座の新舞踊の会のチケットにつられて、京都まで行った。

新舞踊とは、演歌や最近の曲に合わせて着物で踊るもので、日本舞踊よりも時間も短いし曲に馴染みがあるので人気があった。古典だけでなく、新舞踊を教えている踊りの師匠さんは松尾塾にもいた。舞踊を習うきっかけになっていいことだと思う。たぶん、時間も短いので、舞台に立つのも安いのだろう。若い踊れる子はいるか?と楽しみにしていたのだが、所作が綺麗でないので興ざめ。昼食時に、やまとふみこ師匠を紹介され、名刺交換をしたのだが、明子のまるで人気タレントでもなったかのような不遜な態度に、話がとん挫

してしまった。明子は、わけもわからずセッティングされた相手の素性を知るべく話をし始めたところで、「自分の名前に先生をつけるべきだ」と意見してきて、話の腰を折ってきた。誰の依頼で、京都まで来て、話をするにも困惑しているのに。常識外れのバカさ加減に話もしたくなくなってしまったのだ。相手が大御所の舞踊家なのに、まだ若い名もない明子のことを先生などと言う非礼がわからないのだろうか?和子は明子に雇われているわけでもなく、むしろ迷惑をかけられている位なのに、「先生」なんて口が裂けても言える筈がない。そんな、みっともない出会いだったのだが、師匠の方からお電話を頂き梅田のラウンジでお話を改めて聞かせて頂くことになったのだ。師匠が、お願いしてきたプロデュースのひとつに、「命がけで自分の芸を受け継いでくれる若者を捜している」というものがあった。他にも2軒の相談があったのだが。

「明子さんは?」と聞くと、祖母と会ったのだが、態度が悪いのでお断りしたのだと言う。明子の親戚の方が師匠の踊りに惚れ込んでいて、「残念な子がいるので、師匠の力でどうにか」と相談があって会ったのだが。その意向が伝わっていなかったようで、話は流れたようだ。和子は師匠の今までの活躍を聞いて、「今、企画しているパリ行きに興味はないか?一度娘に会わせましょうか?」と提案したのだった。パリの大舞台に次女を立たせるために武庫川大学で日本舞踊を習わせていたのだが、イマイチ乗り気ではなかった。母親のムチャブリに腰がひけてるだけだとも思っていたが、大舞台に出るには何曲か踊れるようにならなければならない。『師匠の得意な【連獅子】を教えてもらって舞台に出れるとなれば、次女も乗って来るはず』とのカンは当たった。松尾塾にいた時から【連獅子】に憧れていた次女は師匠と会うことを快諾してくれた。しかし、まだ和子は一度も師匠の踊りを見ていない。「踊りは、いつ見ることができますか?」と聞いたら、2月20日だと教えてくれたのだ。すぐに動くのが和子の体質。

師匠が70歳の誕生日の日だった。豪雪の中、高速バスに1人で乗って信州に。【滝の湯】という所で、師匠の踊りを記録するために集まっていたスタッフ以外のゲストは和子だけだった。随分バスが遅れたのでタクシーで駆けつけ、師匠の誕生日会に参加した。次の日が朝からビデオ撮り。夜の7時まで昼食以外はほとんど休憩なしで踊っていた。疲れ知らずの体力。しかも和子が思いついてリクエストした演目も完璧に踊られた。師匠の踊りは、今まで見たことのない美しさ。薄化粧だし、衣装も特別変えるわけでもないのに、演目が変わると全く違う人物が踊っているのかと思うくらい素晴らしい。京の四季を踊れば、どこから見ても20歳に満たない若い女性にしか見えない。手の位置も、そこになければ、その情景は写し出されないと思われた。こんなに素晴らしい踊りは見たことがなかった。ぶっ通しで、7時間程だったか?まじろぎもせず感動して観ていた。すごく幸せな時間だった。師匠のプロデュースをすることに決めた。ずっと、踊りを見ていたかった。多くの人々にも見せてあげたかった。

だから奉納舞にも参加させてもらった。あの歌舞伎座を40公演連続満員御礼にした師匠の【道成寺】の記録は今も破られてはいないらしい。外務省からトルコや中国や様々な国での渡航依頼があったという若かりし頃の武勇伝は周囲の人から聞いた。師匠は9歳で尾上流に入り、踊りの天才だった初代家元に教えてもらった。しかし、若くして亡くなった師匠より優れた舞踊家がいなかったせいで、自分で流派を立ち上げて家元になった。まだ20歳ソコソコだったのに、その才能は、その若さと美貌もあってマスコミでももてはやされた。沢山の弟子に囲まれ、青山に月何百万円もするマンションに住み栄華を極めていた時、熊野古道で踊り開眼。そこから流派も弟子も名誉も捨て自然の中で舞い続けたのだと言う。自然のエネルギーと対峙しながら舞うと自分の奥底から湧き上がる何かに憑かれたように踊りまくった。人々の喝采も名誉もいらない。風を感じ大地を蹴って飛び上り目には見えない偉大な力に魅入られて、ただ踊りたかった。そこから、世棄て人のように奉納舞の世界に入って精神的世界と繋がり舞を極めていくこととなった。108の一宮参りを終えたのが2、3年前だと言う。自由気ままに和歌山で好きな温泉を楽しみ隠遁生活をしていたのに、もう一度舞台に立ちたくなって出会ったのが和子だったようだ。奉納舞にも2度同行させて頂いた。「神社には神様はいないけれど、日本を元気にするために掃除しているみたいなもの」と精力的に行っていた。呼ばれるのだと言う。師匠たちが踊り始めると、確かに雨が上がり、光が差して、まるで龍でも飛び込んだかのような大きな音を立てて風が屏風を吹き飛ばしていた。しかも、前日と違う詩を師匠が吟じ始め、尺八や演奏者が必死で合わせていたこともあった。後で、その詞が、その神社ゆかりのものだったと知って、メンバー全員驚いたこともあった。日置神社は熊野の一宮で精神世界系の人はパワースポットとして必ず訪れる所だ。師匠が、そこに行こうとすると、同行者みんな体調が悪くなった。演奏する女性は真っ青になってお腹を押さえている。師匠もカエルのようなゲップが止まらない。運転手も苦しそうだった。和子だけは何ともなかったのは、行く前に川本先生に霊査して頂いていたせいだと思う。こんな状態で奉納できるのかと心配するのだが、本人たちは、いつものことのようで平気で丹丹と先を急ぐ。しかし、

和歌山山の水害で途中の道は寸断されていたし、那智の滝までの道は閉ざされていて、朝早く出発したのに到着は大幅に遅れた。しかし、奉納舞が終わるとメンバー全員の体調はもとに戻って皆元気になっていた。何より天気が雨が上がって改正だった。まるで洗った後のすがすがしさ。空気も木々も土の中にいる生き物たちも喜んでいるかのようだった。しかし、次の1時に予定していた熊野大社についたのは5時だった。大鳥居の建立の時に依頼を受けて師匠が舞った間柄だったので応接室に通されお土産まで頂いた。「今度、いらっしゃる時は、ウチだけのために来てくださいね」と言われて苦笑する師匠に後で「ついで参りはダメだって言ううじゃあありませんか?」と和子が言うと「だって私もなかなか時間が取れないものだから、同じ仲間の神社だからいいかなって思って」と笑っていた。真剣にかしこまらないのが何だか好感を持てた。

若くして天皇が主催する【園遊会】にも呼ばれて、自分で運転して乗り付けて周囲を驚かせたり、当時誰も使っていなかったコンピューターを車に乗せて仕事していたり。女性嫌いの玉三郎と一緒に地方公演をしたりと、お堅い舞踊の世界では数々の武勇伝?破天荒とも言われる逸話を多く残していたようだ。あの贅沢の極みの衣装を世界的なデザイナーと組んで披露したかと思うと、文楽劇場で簡素な前進タイツとtシャツのような衣装でおどってみたり。いつも何かを壊して、新たなものを求めている姿は、上品にしゃんと状態を正して颯爽と歩く師匠からは想像できないが。【出会いによって人生は変わる】と言うように、この出会いは和子はもちろん、未来に夢を持てないでいた次女の運命も変えることになる。


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