第32章トラブルメーカーと組むリスク
ある夜、明子から和歌山に帰る途中、車が煙を出して止まってしまったと連絡があった。高速道路でのアクシデント。和子以外にも、連絡をしまくったようだ。どうも、ラジエーターが焼き切れたそうだ。随分前から赤いランプが付いていたらしい。無頓着な明子は、その意味がわからず無視。そして、こんなことになった。それは、明子の人生そのものを物語っているようだった。和歌山以外では乗らないと祖母と約束させられていたのでJAFも使えない。近くの車の整備会社に頼んで、運んでもらうだけで8万円かかったそうだ。それからは、車が無いので、活動が止まってしまった。大阪と和歌山を往復するのは時間もお金もかかるからだ。和子の友人が、中古の車を売ってくれる話がった。真っ赤なフィットで、車体にも結構こだわってお金をかけていたので一目ぼれ。「20万円くらいなら大丈夫。でも一応親に見せないと」と言って、乗って帰ったのだが。反対された上に、ぶつけてしまったようで和子に救いを求めて来た。そして、その車を返す時、他の社長に譲り自分は逃げてしまった。おかげで、その20万円は和子が建て替え、毎月その社長から1万円返してもらうという羽目になった。トラブルメーカーだと確信した事件だった。
その当時、パリに行くためのプレイベントとして尼崎にある【あま湯】でイベントが決まっていた。お琴の先生や、詩吟の大御所や藤娘の2人の女性をボランティア同然で手配。次の伝統芸能を目指して、大衆にどう映るか?初めての試みだった。車の一見があって、観に来てくれる人も、乗り気ではなかったし、主役の明子が、また思い違いをして慇懃無礼。助けて頂いている先生方に、不遜な態度を注意される始末。パリ行きに、不安の影が。
不安を抱きながらも、今更キャンセルできない。せっかくのパリのジャパンエキスポの舞台を諦めたくない。でも、現実は、やるリスクとパリでの予想できるアクシデントの数々。そして、出発の日、娘と二人で関西空港で待っていた時、和子の頭の中は、『もし明子が来なかったら舞台を「藤娘」だけで、お茶のセレモニーも誰かに助っ人してもらって、どのようにしてやろうか』と、模索していた。
明子が空港に現れたので、ひと安心。ほとんどの小道具や舞台にいる物は和子たちが持って行っているにもかかわらず、明子の荷物は重量オーバーで、3人で手分けをして手荷物で運んだ。パリのホテルに着いて判明したが、山ほどの「さとうのごはん」が入っていて重かったのだ。お米がなければ、生きていけない。それは、裕子の娘も一緒だったので、滞在中、助かった。飛行機が遅れたためイベント前日の22時頃会場に到着したのだが、舞台も出来たばかり。大きな舞台はまだ出来ていないのでリハーサルが出来ないと出演者たちは困っていた。和子たちはワビサビゾーンの小さなステージだけだったので、次の日にMCの方と打ち合わせをすればいいと言われホテルに帰った。 MC原稿は前もって送ってある。それをフランス語に翻訳してくれていたので、その通り説明してくれたらわかるように噛み砕いて書いていた。今回の見せ場は藤娘たちが平和の思いを込めて折ってくれた「千羽鶴」を踊りの間奏に観客一人一人に手渡しするという企画。行きの飛行機の中でも、ホテルでも暇さえあれば3人で折っていた。それに飽きた明子は奴を折って自分のサインを入れていた。企画内容など理解する気もなく自由なのは、パリ滞在中様々なアクシデントとエピソードを残す。




