第27章 リサーチを兼ねてのパリ
和子は2012年3月パリに伝統芸能をご披露できる場所を捜しに行くことにした。
目の不自由な和子が行くには誰かの介護が必要。そこで娘の卒業旅行に乱入。友人と行こうと思っていた娘に難色を示されたけれど、その母親も巻き込んで行けることになった。
モンサンミッシェル付きで8日間で8万台という信じられない値段のツアーを見つけた時には「行くしかない!」と思った。そんな値段だからもちろんホテルも良くない。しかし学生の貧乏旅行なら十分。フロントの男の子たちも娘たちにはメロメロ。親の和子たちもその恩恵を受けることができた。
フランス人の男性は若くてきれいな女性にやたら弱い。税関男性からパスポートの写真と本人の顔を見るなり声が変わり、満面の笑みでおしゃべりになる。
和子たちの時には見せない歓迎ぶり。自尊心がちょっと傷ついた。とはいえ、娘たちと一緒にいるとタクシーでもホテルでも待遇がいい。昔は和子たちもそうだったのにと懐かしく複雑な気分。
私以外は初めてのフランス。地下鉄に乗りたくても怖がってタクシーばかりで移動する。パリの朝は大渋滞。10ユーロも出せば行けるところも30ユーロ以上かかってしまう。貧乏旅行のはずが、かなりの出費。
その頃、フランス経済が悪い時で1ユーロ100円位という今では信じられない安値だったので、一緒に行った親子は買い物が楽しくてどこに行っても爆買いしていた。卒業旅行に乱入したので、観光や買いみも付き合わなければならない。
ずっと日本文化会館に行って情報を取りたかったのだが、とうとう最終日まで叶わなかった。5時までしかやっていない。和子はこらえきれずルーブルでエッフェル塔が見えたので、近いと思い無謀にもセーヌ川沿いに歩いて日本文化会館を目指した。しかし、なかなか着かない。同行してくれていた親子をカフェに残し、娘と行くことにした。ところが足がもつれて転倒。周囲にいた男性たちが駆け寄って来て助けてくれた。骨折はしていなかったが、かなり派手に転んだので、痛くてしばらく動くことができなかった。時間はさし迫っている。あとどのくらい先にあるのかもわからない。このまま収穫もなく諦めるしかないのか。痛みと悔しさで涙が出てきた。
少し落ち着いたら、どうにか立つことが出来たので足を引きながら先を急いだ。どうにか時間内に到着した。受付で用件を言ったらアポがないと担当者に繋いでくれないと言われた。何か月も前からアポを取らなければ会えないのだと。
和子は思わずそこで泣き崩れてしまった。「明日帰らなければいけない!」のにと嘆願しながら。娘は飽きれて傍観していた。するとフランス人の受付の女性が出てきて来客用のイスに座らせ担当者に連絡をとってくれた。担当者は迷惑そうだったが気にせず用件を告げて資料を色々頂くことができた。担当者の名刺も頂いたので帰国してメールで連絡をとることもできた。そこでパリのジャパンエキスポの情報を得て日本の担当が分かった




