第26章 東北の大震災が背中を押す
2011年3月11日東日本大震災は、多大な被害で日本中を震撼とさせた。想像以上の被害をもたらした津波は瀬織津姫の再来とも言われ、東北の空に逆さまの虹がかかったとテレビで報道されているのを和子は見た。【逆さ】とは、救いの虹とも言われ、二度とこのような悲劇が起こらないようにと願う象徴だと言っていた。当時コーラスを習っていた和子は、そのことを作詞するように先生から言われた。「もう大丈夫。悲劇も、やがて笑い話になるように」と人々が繋がり合って、平和の願いが世界に広がるようにとの思いを込めて11月11日に提出した詩は曲が作られ、翌年のリハーサルで歌われた。ジャパンエキスポへの旅立ちを祝すかのように。精神世界系では瀬織津姫が震災で蘇ったのだと噂された。瀬織津姫と言えば藤娘ともギリシャ神話のアフロディーテとも言われている。水の神様とも言われるのは何故だろう。目に見えないけれど、ノアの箱舟のように、水で洗い流され、世の中が変化したのだと言う人もいた。
この年から、明子が、しばしば和子を頼って来たのも何か意味があるのだろうか?シャーマンの川本先生は「手足をぐるぐるに縛られて踊っている藤娘の姿が見える。踊りは、あなたにとっては天性のもの。上手だけど、同時に舞踊の世界に雁字搦めになって苦しんでいるのね」と「自由に踊りたいのに、飛ぼうとすると打ち落とされて羽を折られて苦しんでいる姿が見える」とも言っていた。明子はその霊査を気に入ったようだったが、近くで一緒に聞いていた和子の胸は痛んだ。いつも元気に、何があってもぶれないで前だけを見ている印象だったからだ。今まででも、人一倍頑張って来たはずなのに、事もなげに笑い飛ばしている。それが、ちょっと可哀想で切なかった。母親ともうまく行っていないとかで、甘えて来られると母性本能をくすぐられてしまう。しかし、友人たちは紹介すると「エネルギーを吸い取られそう」と言って、和子のことを心配してくれていた。
繰り返される水害は東日本大震災震の前にも各地で被害を与えていた。東京に行くと、アーティストや芸能人がボランティアで、東北に行っていた。「有名になりたかったら、東北に行くことだ」と言う心無い人もいる。イベント業界も打撃を受けていたし、東京集中は問題視され、地方分権が真剣に考えられていた。余震も多いので、大阪にオフィスを移した会社も多かった。国内がシャッフルされているような感じがした。日本国内には、閉塞的な雰囲気が漂っていた。なので、外国に新たなビジネスチャンスを求める人も多かった。クールジャパンの風に乗って、アニメやゲーム、アイドルが海外で人気が出ているとマスコミが報道していた。時代がグローバルになり、国同士のボーダーラインが無くなりつつあるような気がした。だから、日本舞踊や伝統芸能もフランスとかでブレイクできるのではないかと考えていた。お茶も柔道も、座禅もヨーロッパで人気があり、日本以上にもりあがっているのだから。
明子はそのエネルギッシュな行動力で、夜中でも関係なくメールが届き、電話がかかってくる。幼い頃から踊りの小さな流派を立ち上げている祖母に可愛がられ、子供歌舞伎では主役を何度も射止め、大きな舞台の魔力に魅入られた明子は、まだ20代にもかかわらず踊りに邁進。自分で舞台を仕込み、経営者の集まりやイベントにも勢力的に参加していた。日本舞踊にあるタブーやしきたりなど関係なく行動する破天荒な性格は、最初逞しく感じられたものだ。しかもビジュアル的にもいい。
日本舞踊の世界では20年以上のキャリアがなければ一人前だとは思われない。事実、1年や2年ではとても形にはならない。中腰でススっと歩く所作だけでも、何年もの鍛錬が要される。しかし、週に一回、30分位の習い事程度なら、何年やっても演目のひとつも完成させることなどできない。習っている方も、舞台に立つのは高額過ぎて諦めている感じがある。そんな状況の中で、人の目を見張る実力者が、若くして出て来る筈もなく、夢中になることを許される若者などいる筈もないと思っていた。
最初、明子が【オペラ座の怪人】の曲で、オリジナル作品を創ってイベントで踊ると言うので奈良までわざわざ見に行くこととなった。着物も演出も明子が自分で考えたのだと言っていた。踊りは日本舞踊なのだが、音楽や演出は現代的で革新的だった。集客も明子ファンが東京や広島など遠くからわざわざこのためだけに来ているようだった。若くて独身、大和撫子の再来をイメージさせる明子に若い男性ファンがついていた。SNSと言ってもメールやmixiというもので繋がって、情報発信しているようだった。新しい事は勢力的に取り込んでいる感じだった。人を感動させる力もある。思いついたら即行動。スピード感もある。何より歌舞伎や日本舞踊が好きでヒマさえあれば練習している。車に乗っている時も玉三郎の映像をチラチラ見ながら振り付けを覚えている。長い移動時間、カセットテープからは古典の音楽しか流れていないし、それを何回もリフレインしている姿には感動を覚えた。同時に夢も生まれた。この踊りに魅了される若い男性たちや海外の若者の笑顔が目に浮かぶ。もしかしたら、ブレイクするかも知れない。
明子の才能に惚れてノーギャラで手伝うことになった。とはいえ、大阪と和歌山。交通費だけでもバカにならない。伝統文化なんて廃れつつあるので、どれだけのギャラだと仕事として合うのかもわからない。
タレント事務所でもないので、具体的に仕事があるわけでも、スポンサーがいるわけでもない。ただ、一生懸命、突破口を捜しているところが和子と明子が同じだった。テンションもスピードも、思い込みも行動力も。周囲は、それを珍しい生き物のように、観ていたかも知れない。




