第21章 伝統ある家柄でない者のジレンマ
松尾塾子供歌舞伎は本来高校受験を考えて中学2年生までしか在塾できないのだが、中高一貫校は受験がないので、特別中学3年生までやらせてもらうことができた。6歳で入塾した次女の卒塾が20周年記念の年だった。そこで主役を頂いてNHKのBSでも放送され、華々しい最後を飾ったこともあって、辞めた後に反動で荒れた。歌舞伎は元来男性しか舞台に立てないし、どんなに好きでも未来がない。日本舞踊も高くて一般家庭の人には敷居が高い。それでも、憧れるくらいの実力のある師匠がいたなら、何かしら努力したのだろうが、塾長以上に尊敬できる人がいない。日本舞踊のチケットを頂いて、勢力的に観に行ったのだが、ピンと来る人には巡り合えなかった。それでも、松尾塾での体験を活かして、教師になる夢を持ち、受験に挑んでいた。日本文化学科で、国語の先生の資格を取得しよう言っていた。しかし、勉強には身が入らないようだった。子供たちは、よく幼稚園の先生とか学校の先生になるという夢を持つ。長女も次女もそうだった。考えてもみたら、身近な大人は先生しかいなかった。他の選択は思い浮かばなかっただけなのかも知れない。得に良い教師に出会えた娘たちは、学校に行きたがったし、楽しい学生生活を送ったのだろう。受験校で先生と志望校で争い、不本意な大学受験を迫られた和子にとって、信じられないくらい羨ましい事だった。本当に理想的な学び舎だった。そして、自分が何者で、将来どんな職業に就くのかなんて想像すらしないのに、その決断は大学卒業時にゆだねられ、就職活動で決まった会社へと進んでしまう。和子も大学時代に山ほどのアルバイトをして、将来の職業を模索したものだ。幼い頃に入れた松尾塾での経験が社会に、どう役立つのか?大きな愛情と資金を与えてもらえた者の義務とは?返しきれない恩を、どう社会に役立てれば良いのか?親は親なりに苦悶していた。歌舞伎役者として素晴らしい本物の舞台を10年近く踏んだ子供たちの耳も美意識も磨かれていた。「一流の教育を」との仙台の塾長のこだわりが生み出した子供たちが大人になって、さあ?歌舞伎なんて見たことも無い、日本舞踊など習ったことも無い大多数の日本人に囲まれて、いったい何ガできるのだろう?いや、本物を知らない人に囲まれていても忘れられないだろう。代代引き継がれてきた日本人の魂ゆすぶる春化春闘のdnaに記憶されたあの音、あの舞、あの物語を。追っても得られない。求めても与えられない。そんな世界にいた記憶が、むしろ二人の娘たちの未来に暗雲たる影を落としてしまうのではないか?それとも、どんな企業に入っても、どんな職業についても、あの時の経験が自信となって逞しく闊歩してくれるのではないか?と。とにかく、次々に、新たなチャレンジと情報を送り続けた長女は幼い頃からの夢だった保育士の資格を取得して、小学校の教師の資格までも取得してくれた。あんなに小学生の時に勉強嫌いだったのに、教える立場になるなんて笑える。次女も同じように教師を目指したが、それは親や周囲の人に口裏を合わせていただけだったと、わかった。だから、あれほど歌舞伎には熱中できたのだと。そして、、その道を閉ざされたと思った途端、すべてが空虚で力が入らなかったのだと。
本当は伝統芸能の世界にいたかったと知るのは、意外な場所でだった。




