第20章 中高一貫校での素晴らしい環境
いきなり6年生になって中学受験をしたいと言い出した長女が、かなりレベルの高い中学に受かることが出来た。小学校の先生も信じられないようだった。歌舞伎点もあったと思う。【それぞれが芸術品】と、子供たちの才能を勉強以外でも認めてくれる学校だった。兵庫県の雲雀ヶ丘学園に通った2人の娘たちは学校が楽しくて仕方ないようだった。勉強が好きなワケではないが授業も参観日に行って見たが、面白かった。英語もわかりやすく発音はねーてぃぶ。何より参加型なので、楽しく英語が学べそうだった。歴史の先生も本を書く位、有名な方らしく、見て来たかのように面白おかしく物語ってくれる。テープにでも取って、続きが聞きたいくらいだった。生徒もイキイキとしていた。先生も、かなり優秀なキャリア組ばかりで、余裕すら感じられた。私立ということもあって、お給料がいいのか?良い先生が集まっていた。子供たちは夏休みも毎日部活で学校に行っていた。元々サントリーの創業者が支援している学校だったので、教育方針もユニーク。多方面に才能のある生徒が多かった。西の堀越学園とも言われるように、タレントや有名モデルもいた。剣道で日本一や、新体操で日本一の子も娘の友人にいた。「やってみなはれ、やってみなわかりまへんで。」と言うサントリーの創始者の言葉が全てを物語っていた。テニス部や剣道部は強いらしく、優勝旗やトロフィーが飾られていた。指導者たちが素晴らしかったからだと思う。ある時、「数学、褒められたよ」と自慢するので、点数を見て驚いた。「28点で?」と聞くと「前より6点も上がったって、褒めてくれた」と。「いやいや、それでも悪い点には変わらんやろ」と思ったが、他人と比べず、前回の自分と比べて努力を褒めるなんて、なかなかできることではないと感動すら覚えたものだ。とにかく、受験して受かったのが不思議な位、成績は良くなかったのに学級委員や体育委員、文化委員をしていて、目立っている。成績が悪くてもリーダーシップを取れるとは。とにかく本人の【やる気】を大切にしているらしい。5月の運動会では次女が一番前で号令をかけ体操をしている。体育委員のようで、運動場を走り回っている。卒業生の出し物が凄い。当時流行っていた黒澤明の【乱】をモチーフにして、上から見ると黒と赤の衣装がアーティスティックに模様をえがく。剣道とアクロバティックな忍者の闘いは真剣勝負のように火花が散っていた。3年生になると、クラスごとで、「こんな出し物が出来るなんて」と大感激だった。衣装も演出も、シナリオもクラスのみんなで考え、練習するのだそうだ。この体育祭が終われば、3年生は本格的な受験体制に入る。なので、実質、クラスで力を合わせて、作りあげる最後のステージということだった。文化祭も各クラスの出し物も面白かったけど、2日に渡って繰り広げられるクラス対抗合唱コンテストは、大好きだった。ピアノも1クラスに2人以上演奏できる子がいて、東京芸大に入れる位だから素晴らしい。コンテスト受賞歴のある子がゴロゴロいるのが信じられない。歌も、甲乙つけがたいほど上手い。
最初はやる気のない生徒を、よくここまで上達させることが出来るものだと感心する。文化祭の時は、娘は文化委員と学級委員をしていた。指揮者をしていたこともあるし、クラスの出し物のピーターパンの演出と、当日出来ない子のフォローで何役にも早変わりをして出演していた。前日まで、クラスがまとまらないで、言い合いをして泣いたことを担任から聞いた。「よさこいソーランの振り付けか何かで争いがあって、傷ついていたので家でフォローお願いします」と言われたが、遅かった。朝からぐずぐずしているものだから雷を落とした後だった。しかし前日までまとまらなかったクラスの子の気持ちがひとつになって良いダンスパフォーマンスだった。終わった後、みんな固まって泣いていた。途中で音源が飛んで、十分力を発揮できなかったので悔しかったのだろう。しかし、音が切れても、皆が大声で歌いながら踊って、むしろ感動的なステージだった。学級委員の娘が学園祭の実行委員に「もう一度、どこかで躍らせて下さい」と諦めきれずに交渉して、学祭の後の芸達者の子たちが集う後夜祭で披露させてもらうことが出来た。学園祭の後、学生はそれぞれ用があって、舞台など見ることは出来ない。なので、お疲れ様会のような感じで、芸達者な子がプロ顔負けのステージを学生向けにやるのだが。和子は学生に交じって、毎年楽しみにしている。東京芸大に受かった天才的なバイオリニストや、ピアノコンテストで優勝し子が中心に3人でピアノデュオ。ソニーミュージックにスカウトされた子の歌とかダンスパフォーマンスとか。漫才やコント。クラスの人気者が出るだけで爆笑と応援の嵐。ジャャンルも広い。講堂は毎年超満員だった。ここで、あのダンスを披露できるようになったことは、逆に幸運だったと思う。そのダンスのために、どれだけ練習したことだろう。本気でぶつかり涙するくらい、みんな真剣そのものだった。その文化祭で、孤立していた子も、少し荒れていた子も仲良くなって、クラスはまとまったらしい。こういうイベントを学生の自主性で執り行い、見守ってくれる先生に恵まれ本当に幸せだと思う。先生も「記録は残さなかったけれど、記憶に残る学年でした」と言って笑っていた。だいたい、中高一貫校なのだから、中学の卒業式などは淡々としているものだが。「何か、感動的な仕掛けは、あるんでしょ?」と学級委員をしていた次女に言ってみたら、猛然と動き始めた。『卒業式の後、時間を貰う承諾を受けに教頭室にいたら、担任が血相を変えて「また、何しでかしたんか?」と怒られたし』と口をとがらせて怒っていた。「先生には内緒でやりたいから、教頭も本当のことを喋れないし、ヒドイ目に合った」と言っていた。先生に内緒で、各クラスの学級委員を集め、歌の練習をするのは至難の業だったことだろう。楽しみにして卒業式に行ったら、いきなり壇上で娘が司会を始めた。本来シナリオを書いて、他のクラスの学級委員に司会を頼んでいたようだが、その子が感動しすぎて泣いてしまい、声が出なくなった。そこで、急遽娘が司会する羽目になったようだ。「3年生、起立して後ろのご両親に、お礼を言って下さい」という号令で「父さん、お母さんこれまで育てて下さってありがとうございます。おかげで、無事卒業できました。これからも、色々ご苦労おかけしますが、よろしくお願いいたします」と。「ありがとうございます」と「よろしくお願いいたします」の所だけ、リフレインしてみんなで声を合わせて言った。よく声が合っている。父兄席か泣き声が漏れる。「全員、前を向いて下さい」と言うと生徒の中にも涙を拭いている姿が見えた。「先生方、3年間、本当にありがとうございました。先生方に感謝を込めて、歌を贈らせて下さい」と言うと、日本一に輝いたという男子がピアノを弾いて、檀上の指揮に合わせて歌を唄う。そして、花束贈呈。素直な子が多いようで、泣いている子もいる。それを見ている両親も涙ぐんでいる。親も子も純粋。来賓も感動しているのがわかる。高校で別れるわけでもないのだが、先生は変わる可能性が高いので、その時々に、ちゃんとお礼やご挨拶することは大切だと思った。帰りがけに娘に会うと「どう?感動したやろ?」と言う。「お父さんお母さんありがとうって、言った口からこれだ」と、涙ぐんだのを後悔した。でも、和子のリクエストに一生懸命応えてくれたことは嬉しかったし、誇らしかった。こうして、子供たちは叱られても先生方の愛情を信じ、部活にも専念して、次のステージを模索しているようだった。自分の輝ける場所を探している姿は痛々しくもあった。
家計が厳しくなっていたので、十分なおこづかいも渡すことが出来なかった。裕福な家庭の友人たちとの付き合いは、きっと厳しかったことだろう。未来を自由に夢見るにも、お金は必要だから家計のために高校生からバイトもしてくれた。9時までの縛りがあるのだが、仕事は好きなようで、よく働いた。社会勉強にもなると、和子は自分に言い訳していたけれど、実は情けなかった。
長女の中学3年生の時の担任は学年主任の厳しい先生だったが「こんな成績で高校ではついて行けるのでしょうか?」と聞いたら「それを指導するのが僕たち先生の仕事ですから。大丈夫。行きたい進路が決まれば勝手に勉強を頑張って有名大学に入っている子も沢山見て来ていますから」と言った。信じられなかったが、実際高校生になったら豹変。春の合宿あたりから、あれこれ将来について考え初め、先生がそれに寄り添ってくれて、成績もいきなり上がった。自分の人生では、あり得ないことばかりだった。和子も進学校で偏差値至上主義の先生に進路を勝手に決められ、不本意のまま受験し失敗した口だ。なのに、どんなに偏差値が高く無理だと思われる大学を目標に掲げても、先生方は真摯に受け止めて、最善を尽くしてくれる。【偏差値40代でも、有名校に受かる】という本やドラマを見るが、そんなことが本当に起こるなんて信じられなかったが娘たちはそれを現実にしてくれた。先生方の力によるところが大きい。そういえば、ダイヤモンド社の特集で、入学した時よりも、レベルの高い大学に受かる学校に選ばれていた。何より、羨ましいのは6年間、学校に行くのが楽しくて仕方ないところだ。こちらが「休みなさい」と言っても絶対に目を離すと学校に行っている。朝、病院に行って、学校に「お休みします」と連絡しているのに行くから、遅刻の回数が増える。
友人も多かった。綺麗な子ばかり連れて来るものだから、次女の受験の時、娘は「美人じゃなければ受からない。」と思い違いをして、イジけていた。確かに、お母さん方も美人が多い。会社経営者や医者など高収入のご主人たちだから、こんなに美人を射止めることが出来るのだろうか?良い環境の中で、一番敏感な思春期を良い環境の中で過ごせたことは、これからの大きな宝物となった。女性は、大切に育てられれば愛情深い人間に育つ。松尾塾も雲雀ケ丘学園も、親がやれる最高の環境だったと自負している。何より、親よりも優れた師に恵まれ、親よりも素晴らしい才能を開花したことは、一番の財産だった。
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