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第19章 伝統芸能 歌舞伎の世界へ

帰国したら、松尾塾子供歌舞伎と、ご縁ができ、また、新たな世界へ。何でも一生懸命。夢中になるタイプだったので、ネットワークビジネスを、する時間が現実的に無くなってしまったのだから仕方ない。人は何かをしている時は何も出来ない。器用に3つの事が出来る人もいるらしいが。ビジネスも歌舞伎も子育ても、片手間で出来る事ではない。一生懸命、命がけでやっても成功できるかわからない、遠くて厳しい道のりなのだから。そして、一番幸せだったのは、2人の娘たちは、先生に恵まれていたこと。どんなに親が頑張っても、良い指導者に恵まれなければ成長できない。

福島区にある幼稚園も、少学校も先生が良かった。特に園長は有名人で、園児のためなら必死。パンツだけで体中ペイントしている姿にはあっけにとられたが、子供たちの目はキラキラ耀いていた。PTAと喧嘩しても幼児の手作りカレーを企画したり、様々な体験をさせてくれた画期的な幼稚園だった。小学校の校長も毎朝、校門に立って生徒にひとりひとり挨拶するような子供たちのために、必死でがんばっている女性だった。夏休みでも盆踊りを企画したり、地域の人と協力して子供たちの安全と情操教育に尽力してくれた。娘たちの子供歌舞伎にも、先生方に声をかけて観に来て下さった。歌舞伎や能のお好きな文化レベルの高い先生が多いのには、本当に驚いた

長女が8歳、次女が6歳の時に松尾塾子供歌舞伎に入塾したのだが。主人がNHKの特別番組で松尾塾子供歌舞伎の存在を知り、調べて申し込んでいた。和子たちがアメリカ旅行をしている間に、本人たちの承諾もなく。ただ、「無料で日本舞踊や歌舞伎が習えるなら、やらしてみたい。着物くらい着こなせる女性になって欲しい」という安易な考えで。何より、知らない世界で、自分が一番興味があったのだろう。アメリカから帰国したら、いきなり書類審査があるので入塾動機を書くように言われた。文章は得意なので塾長との面接まで残ることが出来た。子供たちは何のことかはわからないまでも、落ちるのは嫌らしく、次女の態度が悪いと長女が叱っていた。毎年数人しか入れないらしい。遊んでばかりいると、本当に【おバカさん】になってしまうのでは?と少々危機感を持っていた頃だったので、松尾塾との出会いは、良いタイミングだったと思う。土日もなく、お稽古は厳しかった。お金を出して習っているなら辞めることも休むことも罪悪感など感じなかったと思うが、無料で、一流の先生方が東京や名古屋から、わざわざお稽古のために大阪に来てくれるのだから一生懸命頑張らなければならない。よく人はボランティアとかタダだと簡単に受け取るようだが、仕事と違って好意で頂いた物の重さについては、入塾するにあたって子供や主人には話をした。信頼とか、人の好意ほど大切なものはないと和子は思っていた。

「ご恩は大きくなったら社会に返して下さい」と、立派に育つことが何よりと、見返りを求めない、この事業に感動すると共に、大きな責務を感じた。こんな先生の元で、素晴らしい文化を継承、体験できるなんて、夢のようだと思う反面、受ける物にも真摯な姿勢がなくてはならないと感じていた。この高邁な思いに応えることは出来るのだろうか?もし、本当に厳しいけれど、日本人が失いつつあるアイデンティティのようなものを。親では教えられない、歴史に育まれた本物。伝統的な芸能を第一線で活躍している先生方から学ぶことが出来たら、どんな大人になるのだろう?全く知らない未知の世界に子供たちと踏み込むことの不安と期待。こんな絶対的な師と出会いたかった。信じられる、尊敬出来る大人に育てられたかった。松尾塾は和子の理想とする、まさに求めていた学び舎だった。 

アメリカナイズされ過ぎた日本で必要な物が、伝統文化の中にはある。もちろん子供のためということもあるが、無料で教えてくれて素晴らしい舞台に立たせてくれる、この活動や思いを沢山の人に教えてあげたかった。

和子は文化、芸術は大好きだったが、実は邦楽とか伝統文化系は苦手だった。歌舞伎も能も何度も誘われて行くのだが、途中で寝てしまう。まず、音楽が馴染めない。幼い頃から聞いたことのない音は、短時間なら「いいなぁ」と感動することもあるが、長時間だと眠ってしまう。最初クラシックを聞いた時もそうだったので、良い音楽というものは眠気を誘うものなのかも知れない。本当に失礼な話だが、子供のお稽古を正座して見ている時もアクビを押し殺していた。その音楽が体に馴染み、その素晴らしさに感動できるまで5年かかった。子供たちは柔和に、その音楽にすぐに順応していたが。年を取ると、新しい事には、なかなか順応できない。歌舞伎独特の言い回しも、子供たちは、セリフを全部、意味もわからなくても覚えてしまう。子供の脳は、簡単なものも難しいと思われることも、案外関係なく記憶できるようだ。画数が多くて大人でも読めない漢字を平気で書いたり読んだりできるから驚く。多分、眠くなるのは退屈なのではなく脳が、心地よいと反応しているだけかも知れない。それが証拠に、劇場で眠ってばかりいた子の方が上達している。3歳から入塾できるのだが、1年間は基礎のお稽古。正座すら出来ない子供たちが、1年もしないうちに何時間でも星座することが出来るようになる。普段は走り回って、落ち着きがなく暴れ回っている男の子も、何故か先生の姿が見えると正座して両手をついて挨拶をする。威厳というのか?優しく声をかけていると言うのに、固まって泣き出す子供もいる。「泣くんやったら、お稽古にならんから、帰ってええよ」と先生が行っても動かない。ある子は「やる気がないんやったら、帰り」と言われて「やる気があるから来てるのに、何でそんなこと言うねん」と怒った幼稚園児がいた。出来なくて悔しくて、ロッカーに頭を入れて泣いていた子もいた。泣く子の方が上達が早い。必死で向かっているから、思うように出来ないと涙が勝手に出るらしい。出来ないまでも必死にやっている姿を見るのが、ほほえましい。「子供を使って、芸をさせるなんて」と、お門違いの考えで、この素晴らしい試みにケチをつける人もいるが。

3等身くらいの子供が武士の格好をして、多分意味などわからないが大きな声で必死にセリフを言う姿に、観劇しない人はいない。【太閤記】の最後のシーンで秀吉と、光秀と加藤正清が睨みあうシーンで、秀吉の後ろに控えている家来2人が立った途端、劇場は爆笑の渦だった。兜を被って座っている時には分からなかったが、立つと小さい。頭だけが大きくて、チョコチョコ動くと、それまでの緊張感がほぐれて、涙が出るほど可笑しくて思わず拍手の海。本人たちは、なぜ笑われているのかわからなくて怒っている。子供歌舞伎の醍醐味は、小さいのに本格的で、「さすが」と思う反面、ふと小さい子供が演じていることを忘れてしまっていて、それに気づかされて余計に感動できるところだ。プロの歌舞伎役者にも負けない芸も、ツルツルの肌も化粧乗りもいいし、所作が決まっているので、子供でも色っぽい。女形も声変わりする前なので、はまり役。母親の情愛など、理解出来ていないと思うのだけど、涙を誘う。たまに、大きくなって入塾し、初舞台に立つ子供の拙さも、これからの成長を応援する観客の暖かい拍手で、親たちは涙する。そんな感動ストーリーいっぱいの子供歌舞伎の公演は、毎年夏に大阪の文楽劇場と東京の国立劇場で公演されていた。

初代塾長は、幼い頃、貧しくて、好きな踊りをいつも外から覗いていたのだが、ある時踊りの師匠さんに「そんなに好きなら、踊ってみなさい」と言われ、見て覚えた踊りを披露。その上手なことに感動した師匠は、お稽古代はいらないといって、日本舞踊を教えてくれたのだそうだ。それがなかったら、歌舞伎役者の道はひらけなかったし、子供の頃に【歌舞伎】のおかげで、義理人情や親子の情愛を教えてもらえたので横道に反れずに大人になれたのだと。若者が荒て乱れた世に、歌舞伎を子供たちに無料で教えることで立ち直って欲しいとの願いで【松尾塾子供歌舞伎】を創立。自分が踊りの師匠にして頂いた、ご恩を世の中に返したいと83歳で、この事業を始めたらしい。高齢のため数回しか現場で教えることはできなかったが、娘の昌出子塾長が、その思いを引き継ぎ、続けられた。1年間で約1億円の文化事業で、超一流の先生方から歌舞伎や日本舞踊、三味線や長唄を教えてもらえる上に、大歌舞伎に負けない贅沢な舞台に立たせてくれる。それが、全て、松尾寺芸術財団の支援によって塾生は無料。ご縁があった子供たちは本当に幸せだったと思う。このような教育は費用もかかるし、夢のような話で、現実にあるとは信じられない人が多いようで、案外入塾を希望する人は少なかった。入塾できても、続かない人も多いし、親の世代から、伝統文化は敷居の高い、堅苦しいもののように認識されており、広報を担当してみて、「本物や良いものが大衆に支持されにくい」という事実を知ることとなる。本物は、ほんの一握りの人にしかわからないという性質があるかのように。そういえば、オペラの広報をしている時も、そう思った。「何故、本物なのに、凄い芸術なのにブレイクしないのか」と。尊敬する師匠が「それは、世の中には偽物が圧倒的に多いからでしょう。偽物は偽物としか波動が合わない。人間も物も、芸術や文化も。本物と、ご縁があるのは、ほんの一握りの選ばれた人だけなのだから」と教えてくれた。長年の迷いや疑問が晴れた気がした。ほんの、ひと握りの人たちを繋ぐ文化や芸術と、松尾塾長は一般家庭の普通の子供たちにも提供してくれたのだと。そのために、1年で1人の子供のために使った金額を考えたら、受けた恩を社会に返せるだろうか?と、責任重大な気がした。ただ、3歳から9歳までしか入塾できないし、大阪のお稽古場に通うことが出来る子供という縛りがあるので、本当に選ばれた子供たちなのだと思う。ある時、占い師が子供歌舞伎のパンフレットを見て、在塾生の生年月日が掲載されており、全員を占って、驚いていた。みんな、ビックリするほど運勢が良かったそうだ。確かに、お稽古が忙しくて、学習塾など行っていなかったが、レベルの高い中高や大学に進んでいた。運がいいのか?和子の子供たちも、受験には強かったし、何につけても運が良かった。人一倍頑張っても、報いられない和子とは違い、やりたいことが出来るとおのずと道が開かれるという感じがした。無論、努力はしていたが、歌舞伎の厳しい稽古を乗り越え成功パターンを身につけさせてもらったおかげだと思う。

しかし、無事入塾できても、続けるのは思った以上大変だった。先生方は素晴らしい。習う方が、そのレベルに達していないことが一番の問題。子供よりも家族の方の認識の甘さが、実際やってみて露見されてしまう。

同期は最初6人いた。1年間の基礎のお稽古をしているうちに、我が家の2人以外は、みんな辞めて行った。まず、親が熱心でなければ続けられない。子供なので、必ず親の送り迎えが出来なければならない。送り届けたらいいだけではない。お稽古用の衣装に着替えさせ、親もお稽古を正座で見守らなければならない。親共々教育して頂いている感じだ。小さいので、何でも親がかりになる。長時間のお稽古の時は、昼食もいるし、子供の状態に気を遣うのは親しかいない。お稽古したことも、親が次まで出来るよう練習させなければならないし、親と子の二人三脚。いや三人四脚だった。お掃除も先生にお出しするお茶やお菓子も母親がしなければならない。目が不自由なので、子供たちに負担をかける。障害者なので、皆の足手まといだということを自覚して、隅の方に座ってたら「障害者だからって、やるべきことはやってもらわないと」と掃除もわざと一番大変な日に割り当てられる。多分、たまたま入塾した時、テレビ番組の制作の企画が合って、入塾から和子たちを中心に撮影していたので嫉妬もあったのだろう。テレビ受けの事を考えて、初舞台にしては良い役に抜擢されたのも周囲の敵意を受けた要因だったようだ。芸能界も、嫉妬で、嫌がらせをされるが、子供のために親がやることは命がけでかなりえげつない。そんな所で、子供たちの心が汚れるのを恐れて、初舞台が終わったら辞めようと決意していた。先輩たちと同室で教えてもらわなければならないのに、親の嫌がらせに阻まれ初めてのご挨拶にも行かせてもらえなかった。いくら主人たちが力を貸そうと努力をしても、楽屋裏は女の子が着替えもするし男性は居づらい雰囲気。同じ年頃の子供を持つ親の一人にライバル意識を持たれ、「あんたらみたいな、お荷物辞めて欲しいわ」とまで言われた。普通の世界にいたら、ここまで障害のことで貶められることもないのに。悔しくて涙が止まらず東京のホテルで泣きながら母親に電話をしていた。「和子が泣くなんて、よっぽどじゃな」と言って、大阪公演には仕事を休んで手伝いに来てくれると約束してくれた。夏は家業が一番忙しい時で、父も亡くなったばかりなのに無理して来てくれた。おかげで、楽屋でイジメられることはなかった。母の動きは素晴らしく、子供たちも安心して舞台に立つことが出来たようだった。「あんたの世話なんて出来ないんだから、皆の迷惑にならないようヘルパーでも雇って邪魔にならないように」と言われたので、東京で友人に頼んで来てもらったのに、「関係者以外が来ても、役に立たない」と文句を言われる。「とにかく一刻も早く辞めてくれたらいいんや」とパンチパーマのような頭をして太った母親は何の権利があるのか?幅をきかせていた。お年寄りや障害者、入ったばかりの弱い存在の人に、意地悪なお説教をしたがる。悪い事に、イソギンチャクもいて「私たちが入塾した時の方がひどかった。まだマシな方」などと言う。なぜ、自分がやられて嫌だったことを、わざわざ後輩にやろうとするのか?自分たちだけが理不尽な扱いを受けたのは許せないのか?やっと先輩になって、偉そうに出来るのに、後輩を甘やかすのは可笑しいと思っているようだ。もちろん、新しく入った人の中には、お稽古中も子供を見ないで、お喋りばかりしている人もいる。そんな親の子も、落ち着きがなく、お稽古にも身が入らない。他の子たちの迷惑にもなる。先生方は、我慢強く怒ったりはしないが、真剣に取り組まない親も子も目をかけなくなる。子供たちの方が、それを感じて一生懸命になっているのは嬉しい。見放されたら、注意もされない。2度は言うが3度目はない。注意されなくなったら、おしまいだとわかっている。でも、入ったばかりの人は、言われたくないので、見放された方が安心している。こうして【事なかれ主義】の人が増えていくのだろう。怠慢と平凡を望む人には、高見を目指した人にしか見えない風景など関心すらないのだろう。そして、これと言って望みも欲もない人々は、「いい人」と思われたくて努力し「どうでもいい人」に成り下がるしかない。しかし、下手なりに頑張っていると、先生方が壁を乗り越えさせてくれる。一番感動したのは、その役をできる子にやらすのではなく、今は出来ないけれど、頑張ったら出来るだろう子に、期待して難しい役を振ることがある。親の方も大変だが、それをやり遂げられるだろう親の子に大きな約が抜擢されたりする。泣きながら、あるいは先輩の親から泣かされながら、人間力は逞しくなるようだ。幼稚園児のお遊戯ではない。公演は有料で、決して安い金額ではない。共演して下さる方々が国宝級なので、それを考慮に入れれば安いかも知れないが。一般の子でも、ちゃんとした指導者がいたら、プロ顔負けの歌舞伎が出来るのだと。本歌舞伎は、中村屋とか代々の家柄で主役は、それ以外の人は出来ない習わしがある。松竹が決めた衣装や鬘でなければならないとの決め事も多い。新作なら良いが、古典には、決して破ってはいけない決まり事が多く、松竹が守って来たこともあり絶対的な力を持っている。

楽屋を一人で迷いながら劇場を目指して歩いていると、そっと介護してくれる優しい先生方や母親もいた。偉そうな先輩のことを昔から知っている人は「自分だって口だけで何も出来ない邪魔者なのに」と慰めてくれる「入ったばかりの時、先輩から怒られてばかりで、全然来れなかったんよ。全然気がつかないし、よくあんなに偉そうなこと言えるわ。気にしたらアカンで。辞めたら負けやで」応援してくれる。どこの世界にも、人を蔑み、自己中心で人をキズつける人はいるものだ。公演が終わると、あることないこと。いや、無い事ばかり、塾の人に言いつけて追いだしをしようとしていたが、広報をして事務局の方の信頼を得ていたので誤解はすぐに解くことができた。子供たちも初舞台に立つて拍手喝采を浴びたからかと、「ママは何もしなくていいから。お稽古やらせて下さい」と頼み込むものだから、辞めることが出来なかった。やると決めたら、理不尽で意地悪な母親とも闘うつもりで、逃げるわけにはいかない。汚い人間模様を見て、キズつくかと思っていた子供たちも、タフに育ったようで松尾塾でイジワルな親たちと論争していたら「あんな頭の悪い連中と話していると同じレベルだと思われるだけ。どうせ何を言っても無駄なんだから」などと言ったりする。でも、子供たちへの理不尽な扱いや、お年寄りや和子のような障害者に対する態度が許せなくて黙っていられない。どんどん増長して我が者顔で威張っているから、ついぶつかってしまう。「いい加減大人になったら」と子供に言われるけど、「こんな汚い事を野放しにするのが大人の対応なら、ママはピーターパンでいい」と言うと子供たちは苦笑して溜息を付く。でも、ずるい大人や卑怯な事に屈して、その場凌ぎで長い者に巻かれる姿だけは親として見せるわけにはいかなかった。そのおかげかどうかはわからないが、成長して娘は同じことをしていた。友人を守るためには、いじめにも果敢に挑んでいたようだ。「松尾塾のお母さん方に比べたら、お子ちゃまやわ。あんなにえげつない体験をしたら、怖いものなんて何も無くなるわ」と言っていた。良いものだけを見せるだけが教育なのではないのだと気付かされたエピソードだった。


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