第18章 初めてのネットワークビジネス
当時、まだ日本に進出していなかったニュースキンは、主人の仕事関係者から情報が入っていた。【21世紀最大のビジネスチャンス】として。主婦である和子には興味がなかったが、頂いた化粧品が、あまりに良かったので使いたいとアメリカから輸入してもらっていた。和子は肌が弱く、どの化粧品を使っても痒くなって顔にはブツブツが沢山出来ていたのだ。百貨店の1階を歩くと化粧品会社の美容部員に必ず捕まり「お顔は綺麗なのに、お肌が」と、基礎化粧品を勧められるのだが、どれを使っても、痒くてダメだったのだ。しかしニュースキンの化粧水は、初めて肌が痒くなくなったし、娘の肌荒れも、一瞬で治った。当時はエイズ問題で胎盤エキスの使用が規制される前だったこともあって、それは凄い効果があった。しかも安い。当時から30年経っても変わらない2千円というのも嬉しいから、一度も浮気をしたことがない。社長のブレイクM・ローニーは和子と同じ年だ。モルモン教徒なので、体に悪いものは取り入れない。煙草もお酒も、コーヒーすら口にしないそうだ。社長のお姉さんが肌が弱く、何を使ってもダメで「どうして肌に良い成分だけで化粧品が作れないのだろう?」と嘆いているのを聞いて、作ってみようと思った様だ。理想の化粧品の成分表を持って作ってくれる会社を捜したが、どこに行っても断られた。ただ1社だけが作ってくれたが、「一体いくらで売るつもりなんですか?」と聞かれる位、通常の化粧品の数十倍の原価がかかっていた。なので、容器を作る費用がなくて、樽に入れてもらって欲しい人に容器を持って来てもらってブレイクしたそうだ。その時、クリームをすくったスプーンが、その会社の宝物として飾られていた。そして、肌トラブルに悩む人々を助け、世界中に広がった。日本でも人気のネットワーク企業だ。【口コミビジネス】とは今のネット社会には当たり前のビジネススタイルだが、1年に5000社が出て来て、そのうち残るのは1社とも言われている。なので本物に出会うのは難しい。シンプルに感動したら人にも言ってしまう。そのPRに対して、お礼が頂けるという非常に律儀な会社だった。次女のアトピーが治ったのを契機に周囲のママ友の間で人気が出た。和子は親切心で教えてあげただけなのだが、自分の分が頂いたお礼で払えるので主婦としては助かる。良いものをつい広めたくなるのはコピーライターの時から変わらない。
子供が小さい時に、ニュースキンのおかげで日本中がビジネスにカッコつけて遊びまくったものだ。セミナーをしている時も、子供たちは誰かに遊んでもらえる。あちこちのダウンの家やアメリカ旅行もアップの家でお世話になった。ホテルで泊まるより、生活感があり、その土地の美味しいものを食べられるし、ディープな魅力を地元の人が案内してくれるので、お得だ。子供たちには色々なことを体験させたかった。体験に勝る学問はないと思っていた。ニュースキンのアップは、同じ年の九州出身の女性だった。非常に面倒見が良く、優しい人だった。プライベートでも、どれだけ彼女に助けられたかわからない。元々ディズニーランドに子供を連れて行ったのがご縁のはじまり。シェラトンホテルを取るつもりでいたのだが、「ホテル代高いのでもったいない。良かったら我が家に泊まって下さい。家内も子供が好きなので喜びます」と熱心に主人の知人に言われたので、甘えて宿泊させてもらうことにした。しかし、到着したのに家には誰もいなくて、連絡が取れたのは約束時間をかなり過ぎていた。実はたまたま、その日がニュースキンの日本上陸の日だった。話を聞くと、その日突然、アメリカから友人が来て、「一人10部しか契約書が貰えないので、悪いけど一緒に並んで貰ってほしい」と懇願されて、朝早くから並ばされたのに、凄い人でこんなに遅くなってしまった」と言っていた。その口調から、浜松町のビルを囲んで長蛇の列に並んで見た光景が見えるようだった。なにしろ「何事?」と思う位、凄い状況だったらしい。オープンの何時間前から並んでいる人が身に着けているものが、そこいらのセレブとは違う。外車で来た人で、どんどん行列は長くなる。「なるほど、お金儲けの話はお金持ちのところにしか行かないものらしい」と思うくらい、並んでいる人のレベルが高かったようだ。海外から来ている人も多かった。既にサインアップしている人がいなければ、契約用紙は買えないのだから。和子も1年前から輸入して使っていたものだから、目の前にある契約書を貰ってサインをした。アメリカから来たというのが、麻酔科医の奥さんだった。細くて上品な女性で、アメリカから持って来たニュースキン製品を色々使わせてくれた。どれも、気持ち良くて、気前がいいので頂くことが出来た。1年以上前から情報を頂いていたメンバーはビジネス的で、金儲け主義で嫌だったので、優しい主婦仲間のようなグループに出会えたことは本当にうれしかった。お医者チームなので、ビジネスセンスはない。人柄がいいので、儲け度外視。でも、その繋がりのおかげで人生は豊かになった。タイトルよりも人脈。お金よりも高いレベルの情報を得ることが出来た。どんなビジネスをしていても、たぶん目立っている人は一握り。ご縁のある人も、運命のように決まっている。普通では巡り合えない人と、ラインを超えて協力し合い影響を受けた。自己能力開発のセミナーに30万円も出して受けるなんて、考えもしなかった。自分の能力を開発しようと思えたのは具体的な目的と、確実な結果が見えるビジネスをしていたからに他ならない。今まで考えたこともない他人の幸福。「誰かに1万円をあげることは簡単だけど、1万円を毎月稼がせてあげることの方が素敵だとは思わない?」と、アップのウィニーさんが言った。「だから、豊かな国より、フィリピンのような貧しい国に行って、広めたいのよ」と。彼女の目は、真剣だった。「たった1個のりんごを食べてしまうより、リンゴの種を撒いて、1本の木でも育つことが出来たら、その樹の下に沢山の動物たちが集い、多くの命が飢餓から救えるだろう」と。考えたこともなかった壮大なストーリー。「貧しい国に、このビジネスが伝わり毎月豊かな国の人が使った何%の利益が振り込まれたら?その人も豊かになり、周辺の人々も恩恵をうけることが出来るだろう。そして、頑張る人が増えたら国も豊かになるかも知れない。本当の格差のない世界になるとは思わない?」と目を輝かせて言った。その夢のために、命さえ危ないフィリピンなどにも果敢に挑んでいる女性だった。このビジネスをする前は、ウォール街で、1日何億も動かせていたキャリアウーマンだっただけあって、発想がグローバル。台湾湾生まれで、国からの奨学金でスタンフォード大学を卒業した才女だった。ニュースキンで健康を取り戻し、ブルーダイヤモンドになって世界を股にかけて活動していた。彼女と話していたら、小さな芽から一本の木になり、たわわに果実がなり、やがて沢山の果実の種が植えられ樹になって、やがては大きな森になる映像が目に浮かぶ。何年、何十年後の未来を見通してやるべきこと、やりたいこと、やってて楽しい事を選択しているように見えた。
ほんどのアップがニューヨークにいたので、子供を連れて大好きな町にまた行くことが出来た。ニューヨークは好景気で、物価も高くホテル代もバカ高かった。なので、アップの家に泊まらせてもらえたのは、本当に助かった。ケビン先生のお宅はニュージャージー州にあった。ニューヨークまで30分くらいの高級地。お嬢さんがフィギアスケートの選手でオリンピックを目指していた。なので、中国にも有能な先生がいるらしく、アメリカと中国を行き来して練習していた。次女は子供たちと同年代ということもあって、3人でいつも一緒に遊んでいた。長男は真面目で、ピーターパンを観に行っても、「こんな暴力シーンのあるミュージカル、教育的に問題があるのでは?」と難しい顔をしていたが。父親は他の3人の子供たちと、はしゃいで願が叶うという粉(金色の小さく切った紙)を集めに行っていた。そして、頭からかけて、「空を飛びたい」と願っていた。どちらが子供なのか?わからない。
娘たちに、興味があるのか?息子は悪戯ばかりして、ちょっかいをかけて来るようで「ママ、嫌いって英語で何て言うの?」と娘が聞くので、「アイラブユーよ。」と教えてあげる。娘たちは大声で息子さんに向って、「アイラブユー」と叫ぶ。すると、急に、真っ赤な顔をして、悪戯をしなくなった。2人の娘は「やってやった」とばかり、満足気だが。どんな悪ガキだって「大好き」と何度も言われたら、恥ずかしくなる。英語を知らなさすぎる娘たちに笑いを凝らす。100坪もありそうな邸宅は一見平屋だと思ったが、地下に部屋がある。広い子供部屋にはトランポリンがあったり、部屋の壁面には絵が描かれていた。本当に自由な国だ。朝はベーグルにスモークサーモンとチーズや野菜が盛りだくさん。周囲は森が広がっていて、リスや鹿が遊びに来る。小鳥の囀りを聞きながらベランダで頂く。奥さんが日本人なので、食卓は日本食も多いのでホッとする。
車でどこにでも連れて行ってくれる。5番街やアウトレット。ブロードウェイに子供たちを連れて行くには車だと助かる。車の中でバーガーキングを皆で食べる。オニオンリングはアメリカ人の大好物らしい。和子はチキンバーガーが気に入っている。アップの経営しているお洒落なバーでご馳走になる。映画の舞台にもなったという有名なお店だった。イーストウッドに似たハンサムなオーナーだった。旅の後半はあのプリティウーマンでも有名な高級住宅地にあるウィニーさんのお宅にステイさせてもらった。大きな家でプールもある。大理石のフロアを3人の悪戯娘たちが、泡風呂でさんざん遊んで、濡れたままで駆け抜けていく。「大理石は滑るから走っちゃダメ」と叱られている。バケツいっぱいのチッパッチヤップスが1日で空っぽになったと、また3人が叱られている。3人寄ればとにかく悪い。長女は着いたばかりでプールを見に行っていたが、服のままで落ちて濡れ。着替えの入っているサムソナイトは、まだ届かないのに。その日は日本から来た和子たちのためにパーティを企画してくれていた。ヨーロッパからも同じグループのお医者様とか、黒人の看護婦さんの家族、テキサス州からオープンカーでやって来てくれたアップにも初めて会った。本当にカーボーイみたいな帽子をかぶっていた。腕も和子の太ももよりも太かった。「このままテキサスの我が家に来ないか?」と誘われたが、何十時間もかかると聞いて、お断りした。改めてアメリカ大陸の広さに驚いた。大きな家で、お料理もホテルのバイキングみたいだ。メインはホットドッグ。バーベキューのコンロの上には大きなフランクフルトが焼いている。それをパンに挟んで、豪快に食べている。ウィニーさんは菜食主義なので、サラダやフルーツがふんだんにあるのが嬉しい。大きな家にはゲストルームが何部屋もあるので、遠くから来たお客を泊めることが出来る。どこも綺麗に掃除されていて一流ホテルに宿泊しているみたいだった。何より嬉しいのは、ニュースキン製品を贅沢に使えることだ。ニューヨーク在住の名士がプレミアがついてなかなか取ることができない【ライオンキング】のチケットを取ってくれたので、子供をウィニーさん宅に預けて観に行くことが出来た。子供がいると入れない場所が多いので、友人と2人でニューヨークを満喫できた。ネットワークビジネスの醍醐味は、こうして縁のなかった成功者と繋がり、至れり尽くせり。アップが皆でもてなしてくれる。中華の名店や、贅沢なカニの食べ放題や、日本食にも連れて行ってくれた。しかも空港まで送り迎えまでしてくれた。時間とお金が自由になるトップリーダーならではだと感謝。泊まりも食事も全部アップ持ち。こんな贅沢な幸せな旅は、初めてだった。そこまでもてなされる程、ビジネスに貢献してはいなかったのが心苦しい。他人の幸せを願うビジネスに長年関わっていると、「ギブ&ギブ、&ギブン」が、当たり前になる。他人に尽くして与えていると自分にも、いつか返ってくると言う教えのようだ。そう思えば、人には優しくなれる。【一期一会】会えた時に、精一杯、相手に心づかい出来るか?日本人の、おもてなしの心を、アメリカで体験するとは思いもよらなかった。こういう人が、世の中にいるということを信じられるようになっただけでも、心が豊かになった気がした。
そして、それがニュースキンビジネスを夢中で出来た最後のご褒美となった。




