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第15章 子供の教育環境のために転居

和子も2人の子供ができ、少々部屋が狭く感じたし、学校を考えると将来的にはレベルの高い、環境の良い地区を選ばなければならないと感じていた。しかも、テレビを見ていたら、70歳過ぎると賃貸だと住むところが無くなると言っていた。建て替えなどを理由にして、追いだされてしまうと次に貸してくれる所がないと言っていた。そこで、初めてマンションの購入を真剣に考えるようになった。しかし、バブルがはじけたと言っても、まだ値段も高く、申し込んでも当選することが出来なかった。初めて当選した兵庫の岡本にある新築マンションに決めようと、頭金を親に出してもらえるよう手筈をしたのに、主人が反対した。まさか当たるとは思わなかったようで、「あんな、お高くとまっている町は嫌だ」と言い出したのだ。岡本は芦屋の隣で、甲南大学や甲南女子大があるお洒落な町だ。和子には馴染みのある町だし、友人もいるので心強い。なのに、大阪生まれの主人には敷居が高いようだ。そこで、初めて真剣に住む場所や、理想のライフスタイルについて話合った。モデルハウスも見に行ったし、説明会にも参加した。そこでわかったことは、少し無理してでも高い物件を買った方が、子供たちの環境を考えると良いという結論だった。「ガラの悪いところは安い。「田舎になるとリーズナブルだし、子供たちにもいい筈だ」と主人は三田のマンションに憧れる。しかし、目が不自由な和子にとって田舎暮らしは厳しい。車にも乗れないから、買い物にも困る。田畑で道に迷っても周辺に助けてもらえる人はいない。実家の母方の生活を知っているから、田舎暮らしの不便さは身に沁みている。主人は仕事に出かけているので週末を自然の中で暮らしたいと思うのだろうが、毎日病院や美容院やスーパーまで車でしか行けないマンションに閉じ込められて、子育てなんて自信がない。『1千万円くらい安かったって、毎日車で会社に行くガソリン代や高速代を考えると、目に見えないお金がどれだけかかるかわからない。往復2時間以上の通勤時間だって、何十年も続けば、どれだけの損失なのか?』と、出来るだけ都市に住むことを提案した。どうせ、田舎暮らしなど、すぐに飽きてしまう。子供たちも、自然の中で遊ばせたいなら土日に行けばいい。そのうち、自然の中で遊ぶ年頃でもなくなるだろう。それよりも、女の子2人なので、人の目が少ない田舎だと通学路も心配だ。自然はいつも綺麗で、すがすがしいわけではない。豪雨や天変地異があったら?池や川での事故も多いし、蛇や毒を持った動植物だって多い。何より和子は昆虫が苦手なのだ。電灯に集まる昆虫類や、蜘蛛やムカデが特に苦手。田舎の親戚の家に行くと、蚊も多く、蛇やイモリや鳥類にも嫌な思い出がある。大阪育ちの主人の憧れは、こういう理由でことごとく論破し、たまたま通りがかった大阪の福島区のマンションに決まった。まだ建設中だったので、モデルルームの部屋を申し込んだのだが、当選することができた。完成するまで、賃貸料金を惜しんで、大阪の主人の実家に9ヶ月同居させてもらうことになった。数か月マンションが出来るまで上の子の幼稚園に電車で送り迎えしなければならないからだ。そして、同居している時に阪神大震災があった。すぐに、以前住んでいたマンションと甲子園に住んでいる友人の安否が心配で車に水を汲んで持って行った。電車の線路が落ちていたり、マンションが崩れていたり。道には布団を被って、どこに行くのか?道路を歩いている家族がいたり。寒い夜だった。どこからかガスが漏れている臭いもしていた。住んでいたマンションに行くと、こんな怖い想いはしたけれど被害などはなく、プールの水もあるので電気はまだだが大丈夫そうだった。次に甲子園に向ったが、橋が落ちていたり、道路も悪く、ガラスの破片が散らばり、信じられない光景ばかりだった。友人2人を、とりあえず確保して、大阪の家に連れて行った。大阪も揺れたが、ガスや電気は無事だし、事務所も中はぐちゃぐちゃだったが、片づければすぐに仕事は出来る状態だった。連れて来た2人の友人たちは、朝から食事も出来ていなかったので、簡単な麺類を作ってあげた。淀川を渡って大阪に入った途端、何事もなかったように町が機能していることが2人には信じられないようだった。コンビニの棚は空っぽで、何も買えなかったそうだ。水も出ないので、地域の人が協力して分け合ったそうだ。「まだ、余震もあるし、危ないから、何日いてもいいよ」と言うのに、2人共、2日もしないで、阪神電車が動いたら自分たちのマンションに帰って行った。自分の家の状態が心配らしい。後で聞いたら、それから何か月も電気やガスも使えず、食料も無くて困ったが、やがて地域の世話役中心に炊き出しがあったり、物資の配給があったりと楽しかったようだ。日頃付き合いのない近所の人たちが繋がり、心が返って豊かになったそうだ。なかなか経験の出来ない事ばかりで、大変だったけれど面白かったと言っていた。もちろん、死人も沢山出て体育館には本人確認の出来ない死体がごろごろ横たわっている現場で地獄を見た人もいた。その時、お金も無く、身よりも無い死体を葬らなければならない冠婚葬祭の仕事をしていた女性が、【小さなお葬式】の会社を立ち上げたそうだ。「お金が無くてもお葬式をしてあげることは出来ないのか?」と、次々に運び込まれる死体と接しながらの考えたのだ。今では【家族葬】などという簡素な葬式も一般的になったが。こういう人がいるから、神戸は復興できたのだと思う。岡本の買おうと思っていたマンションも揺れで壁が落ち、あちこち亀裂が入っていて住んでいる人の気配もない。しかも、その周辺は火事で随分様子が変わっていた。主人が拒まなければ、住んでいてかなり怖い思いをしたに違いない。その辺りの人は、小学校で、みんな避難生活を何日も強いられたそうだ。岡本の新築のマンションも建て替えなければ住むこともできそうになかった。こうして二重ローンに苦んだ人は多かった。ちょうど、5年間は格安の返済で、購入すると税金等の特典も色々あって、新築マンションが売れている時だった。購入した大阪の福島のマンションは、まだ鉄筋を組んでいる途中だったので、震災のおかげで耐振に強度な施しをしたようで、今も自身があっても、あまり揺れない。ラッキーだったが、二重ローンや建て替え費用が無くて悲惨な思いをした人が沢山いたので、手放しでは喜べない。わが身に降りかかっていたかも知れないのだから。神戸は、それまでポートピアやユニバーシアードなどの博覧会と共に、どんどん拓けていっていたし、美しい街並みにはお洒落なカフェや店も多かった。芦屋に学生時代から長年住んでいたので、震災後、お気に入りのお店が跡形もなく無くなっているのにショックを受けたものだった。それでも桜は毎年満開で、夙川や芦屋川の川べりを切なくも美しく桜色に染めてくれる。 



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