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第14章 子供ができて知った本当の幸せ

お産は確かに痛いし、不安でイライラすることもあった。つわりも苦しかったし、大きくなってくると、腰も痛くなる。お腹に夫婦で声をかけるのも、滑稽だが幸せなひととき。産まれたのは可愛い女の子だった。2週間も早く生まれたのに、顔はしっかりしていて目も見えているかのようにキョロキョロ周囲を大きな目をして見ていた。「最近の子は、しっかりしてるね」と母が驚いていた。産まれた赤ちゃんを腕に抱いた時は涙が出る程嬉しかった。「ママを選んで、生まれて来てくれて、ありがとう」と何度も何度も繰り返し、何百回言ったかわからない。赤ちゃんが生まれると家庭がいきなり華やぐ。あくびをしても、寝返りをしても、泣いても可愛くて仕方ない。そのしぐさに皆が笑顔になることが出来た。女に産まれて、本当に幸せを感じることが出来た。これだけは、体験しなければわからない。この世で一番かけがえのない宝物を神様から送られた気がする。どんなに大きなプロジェクトを成功させても、どれだけ商で何十億の利益を出しても、子供が出来た喜びに勝るものはないと思う。元々子供が好きではなかった和子なのだが、自分に子供が出来たらよその子までも愛おしくなった。自分に母性本能が、これほどあるとは思ってもいなかった。赤ちゃんと過ごす1日は朝の公園から始まり、ベランダでの日光浴、手作りの離乳食、そしてお風呂と毎日めまぐるしく忙しい。しかも、この頃の成長の早いこと。あっと言う間に寝返りをし、おもちゃに反応、目が見えているようで笑顔も。沢山おっぱいを飲んで、ゲップをさせたら眠ったら、なかなか起きない。とても育てやすい子だった。友人がお祝いに来てくれて毎日のように賑やかだったおかげかも知れない。赤ちゃんは、何故か静かにしているより、人の声がしている方が安心するのか?よく眠る。そして、仲人の安則先生に「赤ちゃんは泣いたら抱っこしてはダメ。笑った時に抱っこするようにしたら、いつも笑う子に育つから」と言われたので、それを信じて、やってみたら本当によく笑う子供になった。泣けば抱いてもらえるとインプットすると、よく泣く子供になってしまうようだ。少々、泣いているのに抱っこしないのは罪悪感に苛まれたが。結果、抱いてもらいたくて、よく笑うので皆から可愛がられ、天真爛漫。周囲を笑顔にできる子供になった。甘えて泣く子にもテクニックが必要。小さいから仕方ないと思わないで、大人に話すように諭してみよう。その時に必要なのは、何故叱るのか?という理由。怒られて泣いて誤魔化そうとしていたら、「甘えてもダメ。もう赤ちゃんじゃない。頭のいい子だから、わかる筈。こんなことして悲しんでる人がいる。気が付いていないから教えてあげるけど、みんなに愛してもらえるように、ごめんなさいは言った方がいいよ。本当は、わかっているくせに」などと語りかけていると不思議と一生懸命聞いてくれて静かになる。そこで、決して「ごめんなさいは?」と強要はしない。すると、少しずつ思いが伝わって、自然と自分から言えるようになる。ただ、子供は眠い時と空腹の時は、何を言っても無駄。その欲求を満たしてあげる以外は終息することはない。でも、子供は泣くのが仕事。腹筋も鍛えられるし、ストレスも発散できる。涙で心も浄化できる。喜怒哀楽は理に適う人間の循環システム。我慢させたり、押さえつけたら体と心が破綻してしまう。だから、人の迷惑だからと、叱ってばかりいると萎縮して正常な判断の出来ない人なってしまう。おおらかに、少々の鳴き声などには耳を貸さないことだ。そうは言っても、母親は自分の子供の泣き声だけは大きく聞こえるらしい。なので、夜中でも赤ちゃんの泣き声に気付いて起きるのだ。子供の泣き声は、案外他人の耳には届いていないと思っていた方がいいと思う。まずは一番に守らなければならないのは、自分の子供なのだから。他人の目を気にし過ぎて、子供を犠牲にしないよう気をつけなければならない。子育ての時には、何度か命がけの闘いがある。水をこぼしても、食事でお洋服を汚しても、おもちゃで部屋を散らかしても怒りはしないが、火を使うなど命にかかわるいたずらをした時は許さない。危ない事、他人に迷惑をかけないこと、そして挨拶をすること。その3つのことだけは厳しく躾をした。

子育ては楽しい。

その当時、【右脳教育】なるものがブームで、ヒマなお昼には手作りのドッツカードを赤ちゃんに見せてフラッシュ教育を施していた。音楽はクラッシックをかけ、特にモーツァルトがいいと言うので毎日聞かせていた。0歳でも、言葉はわかっていると信じ、声かけをしたり、脳に刺激を与えるように様々な試みをした。マンションの下にはプールがあったので、7ヶ月位から、毎日入っていたので家のお風呂に入らなくてもよかった。いまだかつて経験のしたことのない至福の時を過ごした。子育ては大変だと言うが、3歳までの、あの可愛いこと。「育ててもらった恩を返さなければいけない」と言う人がいるが、3歳までに子供は充分親孝行していると思う 

そのうちママ友が出来る。子供も友達がいる年頃になるからだ。子供のためなら、母親は何でも出来る。しかし、子供を一人で育てるのは不安だし、煮詰まって来る。ずっと自分のことを犠牲にして我慢していると、ヒステリックにもなる。ママ友のコミュニティは重要。互いに助け合い、慰め合い、相談できるママ友が沢山出来たら、毎日が楽しくなった。「今日は何号室に帰れば、ご飯が食べられるの?」と毎朝、主人が聞く。ママ友たちは、実に様々な能力を持っていて、飲食業をしていたママは、得意なもつ鍋やお好み焼きでご馳走してくれる。韓国人のママさんは、本格的な韓国料理を食べさせてくれたし、ケーキ作りの好きなママさんは、いつも手作りケーキを持って来てくれた。お昼も、どこかの部屋に集まって、裁縫好きの奥さんにロンパースの作り方を教えてもらったり、家にあるツナやコーンやお野菜を持ち寄ってパン作りを子供と一緒にしたりと。毎日が充実していた。マンションにはプールやフィットネスやイベントの出来るスペースもあり、クリスマスには、持ち寄りパーティを盛大にやった。子供たちも大喜びで、ママたちも互いに子供を見ながらお酒を飲んだり話をしたり。こんな企画をするのは和子の得意技。同じ年頃の子供を持つママたちは情報も欲しいし、すぐに友達になれた。これも、このマンションに選んで住んでいる人の感覚が同じだから出来たこと。加えて和子が、フレンドリーで、みんなを繋げ、それぞれの得意なことを見つけ出し、協力体制を作るのが得意だったからだ。お母さんの中には、子供の面倒を見るのが苦手な人もいる。料理が上手で片付けの苦手な人もいる。片付けが大好きで、子供を見ていてくれれば、いくらでもお掃除をしてくれる主婦もいる。なので、歳末になれば、おせちも、それぞれ1品だけ作って、交換するので経済的だ。3人のお掃除好きの主婦が、強力な洗剤やグッズを持って、各部屋の大掃除をしてくれる。同じ間取りなので、短時間で済むらしい。掃除好きは様々な便利な物を知っていて、短時間でピカピカにしてくれる。もちろん、大掃除にしか使わない強力な洗剤は、皆でワリカン。3人のクリーンレディが全部の掃除を終わらせる頃、夕食の用意はもちろん、子供たちの食事は済ませておいてくれるママたちがいる。子供たちはお風呂で遊んでいる。あとは眠るだけ。母も子も楽しい1日になった。和子はお料理を作るのが好きだった。ケーキやデザートもママ友たちに教えてもらい、買うことは無くなった。元々、家に人を呼んでもてなすのが好きだったので、いつも誰かが来ていて、一緒にご飯を食べていた。どれだけ安い金額で、ご馳走を作ることができるか?それが、結婚してからのチャレンジになった。沢山のじゃがいもが送られてきたら、山ほどのコロッケを作り、ママ友にも配った後、冷凍室に入れておく。これで、急な、お客が来ても大丈夫。手作りのコロッケなんて、家で作る人は、あまりないので揚げたてのコロッケはいつも大好評。しかも、配ったコロッケは、他のものになって返ってくる。どこの家庭も、実家から美味しい産物が届けられているし、ご主人のお土産や珍しい頂き物をおすそ分けしてもらえる。和子の田舎からも白桃や魚介類や伊勢エビや珍しいものが沢山送られて来る。とても家族だけでは食べきれない量なので、周囲のママ友に配って食べてもらっていたら、お返しに色々な珍しい物が頂けて食卓はお金を使わないで、贅沢になった。日本人は、こうして近所付き合いをして、物々交換して豊かに生活していたのかも知れない。住んでいたマンションが当時一番お洒落で、プールやコンシェルジェのような受付もあって、宅急便なども、そこで出せたので小さい子供がいるママさんたちには、とても住みやすいところだった。そんなマンションを選ぶ人の嗜好も良く似ていて、おしゃれで高所得の人が多かった。ご主人たちも、大手企業に勤めていて、転勤族も多かった。多分、子供が幼稚園に入るまでの付き合いになるだろうと思っていた。

豊かな時代だったと言えるかも知れないが。初めて子供の才能を伸ばすために行かせようと思ったのは【七田チャイルドアカデミー】だった。幼児教育が盛んになっている時で、その中でも先駆け的な存在で注目を浴びていたからだ。しかし、子供を連れて夫婦で見学に行ったのだが、見つけて来た主人が怒ってしまった。「いくら、頭が良くても、挨拶がまともに出来ないのは論外だ」と言って。見学に行った教室の先生は、他の人に紹介もしないし挨拶もしない。日本の都道府県や産物を記憶できたと自慢している幼い子供の鼻もちならないこと。『娘がこんな風になったら嫌だな』と、とても不愉快な思いをした。主人は七田さんと仕事で合っていて、その話に感動して地元のスクールを捜したのだが、教える先生のマインドが悪ければ、いくらノウハウやマニュアルがあっても上手くいかないという例なのかも知れないと結論を出した。和子は自分が子供の頃、勉強ばかりさせられて、嫌いになったので、早期学習は反対だった。『あいうえおがわからない大人はいないし、九九が出来ない人もいない。なのに叱られ、知識を押し付けられる位なら、成績など悪くてもいいから伸び伸びと笑顔で楽しく生きて欲しい』と思っていた。  

週末は山に行ったり海や川で遊んだり。子供の頃、自分が出来なかったことを取り返すが如く、良く遊んだ。幼稚園の先生が羨ましがっていた。夏は海でダイビング、秋はキャンプ、冬はスキー。海外旅行にも1歳から連れて行った。ハワイに行く飛行機の中でも、機内食を食べたら眠って、とてもやり易い子供だったから、どこにでも連れて行くことが出来た。2人目が出来た時は【宮古島東急リゾート】に連れて行った。次女は、まだヨチヨチ歩きだったが、長女が3歳になるまでには国内旅行に行こうと思ったからだ。冬には北海道のクラブメットにウインタースポーツをしに行った。子供たちはキッズクラブで親と別に楽しむことが出来る。クラブメットはフランスのリゾート会社が運営している世界的なバカンス村で、当時は北海道だけだった。今は石垣島にも出来ている。子供たちはキッズのためのスキー教室をエスケープして、持って行っていたソリばかりをしていた。クラブメットでは眠るのも惜しんで遊ぶので3日目には睡眠不足で昼寝してしまった。

食事も食べ放題。北海道の海の幸もふんだんに食べられるのが嬉しい。雪遊びの後はプールでエクササイズも出来る。外を見てみんなが騒いでいる。雪の中で裸でタートルズがパフォーマンスをしている。洒脱で、あちこちにエンターテインメントを配して、お客を驚かせるから面白い。

上の子が4歳過ぎると、子供が半額になっているツアーを見つけて、海外へ。チェラティンビーチのクラブメットが安かったので、家族と友人を誘って行った。前回行った時、主人が子供と寝てしまうので、一人取り残されて、どこにも行けなかった。子供たちはキッズクラブで友達も出来て楽しそうにしている。和子も友人と朝までディスコやショータイムを楽しむことが出来た。チェラティンはビーチでマリーンスポーツが充実している。アーチェリーや球技など、全てが無料。夜になると、仮装パーティ。子供たちは当時人気の【キャッツ】の仮装をさせられてパレードに出演している。まるで本物かと思われるようなメイクや、フランスならでのイベントの数々に驚くと共に、印象深い旅行だった。和子も、こんな旅行をしたことがない。幼い頃から、世界のエンターテインメントを見ている子供たちは、将来どんな大人になるのだろう?楽しみだ。しかも、子供たちは、誰にでもなついて、親がいなくても大丈夫。旅行に行っても他の誰にでも可愛がられた。親としては少々寂しい気もしたが、預かってくれる家の人を幸せにする娘を尊敬すらしていた。「神様は、耐えられる試練しか与えない」と良く言うが、こんなに良い子をプレゼントしてくれたのは、和子がよほど頼りないからかもしれないと感謝したものだ。目が不自由な分、子供には不便をかけるが、その分、しっかりしてくる。周囲の人も助けてくれる。子供は、沢山の人と関わって、親では手が届かないところや苦手なことを上手な人から学んで欲しいと思っていた。


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