表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/23

第13章 結婚への決断

キャリアウーマンとして活躍する毎日。お給料だって、仕事の遣り甲斐だって満足していた。しかし、2年目になると、いつもそうだ。仕事にも慣れ、人間関係もマンネリとは言えないものの、新鮮さや驚きが少なくなる。そして日常を変えたくなるようだ。しかも周囲の男性たちが「オバサン」とからかうようになる。【職場の花】から【職場のお局様】になるのは何だか切ないものがある。いくら仕事が楽しいからと言って、このまま一人で老いていくのも寂しい。宴の後の静けさのように。東京でやりたいことを自由にやれて、凄い人と出会え、沢山の学びと感動を頂くことができた。このまま何年も続けたら、心の空間は満たされるのだろうか?夜も充分眠らないで、走り続けた2年間は本当に楽しかった。でも、少々体が悲鳴を上げているようだった。何しろ目を酷使し過ぎて、随分視野が狭くなった気がする。夜は見えにくい。日本医大病院で診てもらったら、随分進行していた。薬を山ほど処方された。医者に「これを飲んだら、どんな効果があるんですか?」と聞いたら「たぶん、悪くなる速度を遅くするかも知れないと思われる薬を出している」と応えてくれた。「良くなる確証はあるんですか?」と聞くと「現代の医学では解明できない病気なので、その薬を飲んだからと言って、良くなったという症例はないので、わからない」と言われた。正直な医者だったが、その薬は飲まずにゴミ箱に棄てた。「こんなに沢山の薬を飲んだら、体が悪くなる」と思ったからだ。最近、仲の良い医者に聞いたのだが「患者は何の病気で、どうすれば治るのか?」と詰め寄るが、病気の95%以上は、わからないのだと。なのに、何か病名をつけたり、効かないかも知れないのに、薬をくれとせがむ。仕方がないから、適当な病名をつけて、薬を出す。それを飲むと安心する。プラシーボ効果もあるので、それで落ち着く人もいるそうだ『そんなことしていたら、内臓関係がやられてしまう』と思ったので、薬は一斉飲まなかった。『そんなに遠くない未来、見えなくなったら?』と思うと、ずっと孤独な人生をイメージすると泣きたくなった。結婚も子育ても嫌だが、親が死んだあと、誰も身内がいないのは何かと不自由な気もしていた。

そのタイミングで大阪で仕事を組んでいた男性から熱烈アプローチがあったので何となく快諾してしまった。彼は、5年もめげずにプロポーズしてくれていた。どんなに断っても、近くにいて色々手伝ってくれ、事あるごとに結婚を申し込む。恋人がいても関係なしで、何度もお見合いしているのに理想の相手が見つからないようだ。「私のどこがいいの?」と聞くと「テレビがいらなさそう」と言う。「ならテレビを買って下さい」と怒らせる。出会った時から、変わっていると思っていた。東京に行っても、毎日のように電話をしてくる。なので、ウィーン旅行のことも知っていて、関西空港まで送り迎えをしてくれていた。「そんなに尽くしてくれるならいいかも」と、ついほだされてしまった。こちらの欲求を全て聞いてくれると言うのだから断る理由も無くなっていた。魔がさしたと言うのだろうか?「結婚してもいいよ」と言って、岡山の実家までサムソナイトや荷物を届けてもらえるならラッキーという軽い気持ちだった。たぶん、周囲や家族は許さないだろうから無理だと半分思っていたのだが、案外みんな反対しなかった。『30歳にもなって結婚のひとつも出来ないなんて恥ずかしい』と思っていたようだ。『とりあえず、1回誰でもいいから結婚だけはしてくれ』と、相手は誰はでも良かったらしい。その上和子の気持ちが変わらないうちにと、彼は、どんどん結婚までの段取りを決められる。そして、その3ヶ月後には結婚式が。そして、退職の日、普通辞めて行く者には【寿退社】という表向きの祝辞はあるものの、関係は切れてしまうものなのだが、谷口社長の言葉は嬉しかった。「辞めて行くのは我が社を卒業したということです。いつか、またどこかで一緒に仕事をすることがあることを。その時には、今以上の戦力になって力添えをしてくれることを期待してます」と言って、みんなに拍手を促し、旅立ちを祝してくれた。その言葉を信じて、上京する際には、挨拶によく行かせてもらった。広告業界にも暗澹たる不況の波が来て、有名な広告代理店も潰れている時にも。挨拶に行くと、和子が所属していた頃の3倍のフロアに会社は大きくなっていた。さすがに、発想が違うから、しなやかに時代の波を乗り切って、変わらず活躍しているのだろうと改めて尊敬した。

平成2年の春、結婚。新婚旅行は憧れのイタリアとオリエント急行。そして、ハネムーンベイビーの長女が平成3年に産まれた。追い風とは、こういう感じなのかも知れない。なかなか子供が出来ない夫婦もいるというのに、待っていたかのように妊娠。つわりも大変だったけれど、お腹の子供のためと美味しい物を食べることが出来た。論語や帝王学の本を必死で読んでいたのは、勝手に男の子だと思っていたから。ケネディ家のような教育を目指していた。産まれて来る子供に思いを馳せ、出逢える日を夢見てあれこれ良いと思われることは何でもやった。子供が生まれたら、コンサートも映画も旅行もグルメも当分諦めなければならないだろう。なので、お腹の子供のためになると、理由づけして、活動的に外出もしていた。コピーライターの仕事も、つわりが落ち着いてから無理のない範囲で始めた。昼間、誰とも会わず家事だけしていると、マタニティブルーになってしまうからだ。

せっかくクリスマスパーティで出会った、出版業界の異端児?いや売れる本作りには定評のあるイーストプレスの創始者小林さんにも、上京した時にはお世話になった。その当時仲が良かった友人たちと束の間、独身時代に戻って自分を取り戻して、不安と闘っていた。自分の選択が正しかったのか?結婚式の日から後悔したまま、離婚も考えていたのに妊娠で飛んでしまった。好きな仕事は、子供が産まれても続けられるのだろうか?女は結婚、妊娠によって、これほど沢山のものを犠牲にし、夢を諦めなければならないのか?だからと言って、お腹に宿した命はかけがえのないものだ。悩む心も、次第にお腹が大きくなるにつれ、薄れて行った。

主人の仕事はこの頃、順調だった。大阪にいながら東京のスポンサーばかりだったからだ。

結婚して関西に住み出して初めて気が付いたのだが、バブルの終わり頃だったこともあるが、【地盤沈下】の長い長いトンネルに入ったばかりなのか?バブルの全盛期の活気も無くなり、大きなスポンサーはどんどん東京に。「もうかりまっか?」と言われても首を横に振り「あきまへんわ」と、あっちもこっちもダメな話で、笑うしかない。こうやって、大阪人は、笑いで苦境を乗り越えて来たのかも知れない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ