第12章 ウイーンでのニューイヤーコンサート
クラッシック好きな和子は、オペラ歌手で音大の教授の安則夫妻に誘われウィーン旅行に行った。行きの飛行機の窓の外にオーロラが見えた。ニューイヤーコンサートのチケットを教え子に取ってもらえたらしく、良い席でみることができた。そのコンサートは通常プレミアがついて、高額な上なかなか手に入らないチケットだった。当時人気の指揮者シノポリとの再会が嬉しかった。依然、倉敷コンサートで一度会って、サインまで頂いたことがあった。素晴らしい【アイーダ】だった。そのツアーは贅沢にもクラッシック三昧だった。特に好きなオペラを選んで時間が許す限り聞きに行った。【魔的】やオペレッタに感動した。本場の、ナマの演奏や歌声は、魂を揺すぶられ、言葉にできないほどの感銘を受けた。冬のヨーロッパ旅行は格安で15万円もしなかったような気がする。本場社交界のような会場で、皆がタキシードやロングドレスを身に纏い、幕間にはワインを傾け談笑する。教会に行くと憧れのウィーン少年合唱団の天使の歌声が響き夢のようだった。初めてのヨーロッパ。音楽の都ウィーン。本場ザッハトルテのお店でお茶をする。シンフォニーホールの舞台監督の野々村先生夫婦も大阪音大教授でオペラ歌手の安則夫妻などご一緒するメンバーも贅沢。男性陣はフェミニストで、女性のコートをさりげなく羽織らせてくれる。日本人なのに、ダンディでタキシードも様になっている。こんな素敵な男性と、旅行をご一緒していたら、結婚も悪くはないと思えるようになった。安則雄馬先生は、本当に妻の和子先生を大切に思っているのがわかる。食事をしていても「蠣は、ウチのお姫様の大好物なんだ」とおっしゃるので、娘さんのことかと思っていたら奥さんの和子先生のことだった。おしどり夫婦というのは、この2人のことを言うのだろうと、微笑ましかった。実は、ウィーンに旅立つ前に、TBSサービスの男友達が、出雲大社に行ったとかで、縁結びのお守りを買って来てくれた。たまたま今回ウィーン行った3人が貰うことが出来た。そして、そのメンバー全員、帰国して結婚した。なので、そのことを知った独身の女性たちはお守りのご利益だと思ったらしい。『まだ結婚出来ないのは、お守りをもらえなかったせいだ』と恨まれた友人男性は可哀そうだった。でも、本当は、安則夫妻の様子を見た3人が「こんな結婚ならしてもいいなぁ」と心を動かされたからなのに。
それはともかく、ヨーロッパではクリスマスは家族で祝うものらしく、お店はどこも閉まっていて食事のできるレストランを探すのには苦労した。日本なら、クリスマスはかき入れ時。賑やかに、夜遅くまでお店は開いているのに。
教会には夜遅く、どこからともなく人々が集い、厳かにミサが始まる。その国でしか味わえない、その時にしかないものとの出会い。どれだけの偉人、聖人たちがここで祈りを捧げたことだろう?眠い目をこすりながら、不謹慎にもキリスト教の聖書も、真剣に読んだことも無いので、どうしていいのかわからない。周囲を珍し気にキョロキョロしていた。
本場でクラッシックを満喫し、ウインナーシュニッツェル(薄くて大きなトンカツのような料理)が気に入って、ケーキやお菓子の美味しさに魅了され、もちろんワインやビールも水の如く浴びるように毎日飲んで、幸せなウィーン旅行だった。その旅行で、心境の変化があって、結婚を意識した。独身生活は自由で、まだまだ男性にもモテていたので不自由はなかったし、仕事にも慣れ、スポンサーにも認められ充実していたのだけど。会社には100人ほどの社員がいた。その半分が女性なのに、1人しか結婚していなかった。だから、20代から45歳までの女性を見ていると、キャリアウーマンの行く末が見え、寂しくなったのが本音だった。何の違和感も不満もなかったのだけど、女の30歳はターニングポイント。なのに、この焦燥感は何なんだろう?デートの誘いもあったが、結婚となると、イメージできない。少々体力も目も衰えて来た。
「そろそろ潮時かも知れない」と、独身の幕切れ間近を感じていた。




