第2話 「神谷蓮の契約書②」
翌朝。
SNSのタイムラインが騒然としていた。
いつもとは違う通知音、恐ろしいほどのアクセス数。
「うるさいな、誰だよこんな時間にアラームつけたやつ?・・・
は?え、ちょっと待って10万…? なんだこれ!」
いつも昼過ぎに起きるはずだった青年が朝に携帯画面を見て飛び起きた。
青年が作っていた曲が異様に人気になっていた。
再生数は10万、30万、100万と一晩で跳ね上がっていた
コメント欄には「ワイ古参で歓喜」「中毒性の塊」「メロい」「天才」「紅白決定だろ」と称賛が溢れた。
「来た……! これが俺だ……!」
トレンド入り、音楽番組出演、ライブイベント、企業案件。
青年は期待に胸を膨らませていた。
途絶えていた旧友からの連絡、元バンドメンバーのいいね、
元カノからのDMすべてが一変した。
「これがオレの実力だよ…ざまぁみろ!」
だがその裏で、確かに歯車が狂い出していた
「あのおっさんに感謝しないとな、まさかほんとに俺の作った曲がバズるなんて」
いつもは憂鬱そうにバイト前の準備をしていたであろう
青年がお菓子を与えられて機嫌の良い子供のような動きをしている。
青年は颯爽と家を飛び出した。
「早くバイト辞めるって店長に伝えないと、
この再生回数を見せればきっとみんな分かってくれるはず」
青年はあの日契約した場所を頭からすっぽり抜け落ちたように
走って通り過ぎていった。
蓮は勢いよく自動ドアをくぐった。
冷房の効いたコンビニの中は、いつもより妙に明るく感じた。
「お、神谷くん、今日やけに元気じゃん?」
店長がコーヒー片手に声をかける。
普段なら無視するところだが、今日は違った。
「ちょっと聞いてくださいよ!この前作った曲、バズったんですよ。
再生数、100万超えっす!」
「へえ〜、すごいじゃん……まあ、そのうち芸能界からスカウトでも来るかもねぇ。その時が来たらサインでもしてくれないかな」
軽いノリの返事に、蓮は少し肩透かしを食らったような表情を浮かべたが、すぐに笑顔を戻す。
バックヤードで制服に着替えながらスマホを見ると、通知の数がまた増えていた。
「え、マジか。今度は海外リスナー?英語でコメントされてる……意味わかんねえけどgeniusとか言ってんぞ俺のこと」
小さく笑いながら、レジに入る。
普段は誰にも気づかれないようにしていたのに、今日は逆だった。
「えっ、あの曲の人ですよね?TikTokでバズってる!」
女子高生二人組がスマホ片手に寄ってきた。
「やば、本物?まじで神谷蓮?」
「えっ、サインください!」
「……は、はぁい……どうも」
サインなんてしたこともないのに、手が勝手に動いていた。
胸ポケットのペンを掴み、女子高生が差し出してきたスマホカバーにサインをした。
彼女たちは大はしゃぎで店を出ていった。
蓮は唖然としながらも、優越感に浸っていた。
「マジか、俺、こんなに求められる存在だったんだな」
次の客がやってくる。
中年の男性。無言で缶ビールとつまみを置いた。
「いらっしゃいませ、649円です」
男は蓮を見つめたまま、何も言わず小銭を出す。
視線が鋭い。無表情で、目だけが笑っていない。
だがそれよりも、もっとおかしなことに気がついた。
決済アプリをスキャンするとき差し出されたスマホに
バックグラウンド再生で自分の曲が流れていることに気が付いた。
しかもその男の顔がどこか既視感があった。
いや、顔というより、雰囲気だ。
(……なんだ、これ。どっかで……)
男は商品を受け取り、何も言わずに店を出ていく。
蓮はしばらく目で追っていたが、店長の声で現実に引き戻された。
「神谷くん、さっきの子、ファンだったの?人気者だねぇ」
「はは……まあ……そうっすね」
そのとき、レジのPOS端末が一瞬だけノイズのようにチカついた。
液晶に一瞬、夢という文字が浮かび、そのあとすぐに通常画面に戻る。
(……気のせいか?)
次の客がゆっくりとやってきた。
腰を少し曲げた、白髪の小柄なおばあちゃん。
カゴには牛乳とバナナ袋、惣菜パン。
「あなた、昨日の夜ネットで見た子じゃないの?
すごいわねえ、あの曲、なんだか涙が出ちゃったわ」
蓮は思わず固まる。
「……あ、はい、ありがとうございます」
おばあちゃんはニコニコと笑いながら財布を開いた。
手が少し震えているのに、レジに向かう目は不思議と澄んでいた。
「こんな時代に、若い人がちゃんと夢を追ってるのを見ると、安心するのよ。おばあちゃんも若い頃、音楽が好きだったからねぇ」
「……はは、そうなんですね」
温かい言葉だった。
だが蓮はなぜか言葉通りに喜ぶことが出来なかった
「夢は大事。でも、夢のために何かを見失わないようにね」
そう言い残して、おばあちゃんはゆっくりと店を出ていった。
(なんなんだよ今日。嬉しいのに、どこか、怖ぇ……)
胸の奥に、うっすらとした違和感が残った。