その名は『ダイコク』
「いらっしゃいませ〜」
開店と同時に晴人の声が響いた。
「本日はお肉コーナーのポイントが……」
「邪魔よ!卵が売り切れちゃうじゃないの!!」
「どわぁー」
開いたドアから押し寄せる奥様達の波に弾き飛ばされた男はこのスーパーマーケット『ダイコク 新北町店』の副店長である『佐々木晴人』だった。
「いてて…今日もみんな元気だなぁ…」
『業務連絡〜佐々木さーんバックルームまで〜』
「あ、はいはーい」
痛めた腰をさすりながら晴人はバックルームを目指す。
「荷物が搬入されましたのですが10tトラック3台分なんです!!今日はパートさんに病欠が出て…」
「あー今風邪が流行ってるもんな…わかった…じゃあ荷下ろし始めようかー」
申し訳なさそうな顔をする担当者の女の子と一緒に次々と降ろさせる台車を捌いてゆく…ある程度目処がついたところで再び店内放送がかかる。
『業務連絡〜佐々木さん〜お酒売り場まで〜』
「あ、はーい…じゃあ、後は任せて大丈夫かな?」
「はい!佐々木さんありがとうございます!」
「うん…君も無理しないでね?」
「はわっ!」
顔を上げる彼女の顔も少し赤い気がする…風邪でなければ良いけど……
「じゃあごめんね…次行くから」
挨拶もそこそこに次の場所に向かう。
「ふわぁ…佐々木さん…しゅき♡」
そんな彼女の呟きは晴人には聞こえなかった。
「はーい超ドライ350ml5ケースお持ちしましたー」
「悪いね車まで運んでもらって」
「いえいえ〜」
ビールの箱買いのお客様の車まで商品を運ぶ…この人は近くで飲み屋をやっている店主の女性だ。
「でも…いつもありがとうございます…隣の方が安い筈なのに…」
そう言って晴人は隣を見上げる。
このスーパーの隣には、巨大なショッピングモールが存在する。
知らない人は居ないであろう『エビスショピングモール』だ。
特にここは全国でも三本指に入る最大規模のモールでコインランドリーやスーパー銭湯、中古車販売店や家電販売店、更には地元の猟銃を取り扱っている個人店まで他のモールには無い店舗を数多く出店している。
「いやいや…ダイコクさんは昔からの付き合いだしね……ほら!向こうは駐車場まで遠いし…」
「…ありがとうございます…またご飯食べに行かせてもらいますね!」
「!!っ…あ、ああ…いつでもおいでよ……」
女店長さんが顔を赤くする…大丈夫かな?風邪流行ってるから気をつけてほしいと思う。
『業務連絡ー佐々木さん至急5番売り場まで〜』
「あっ…じゃあこれで!ありがとうございました!」
「あっ」
晴人は挨拶すると次の現場に向かう…残された女店長の伸ばされた手が悲しく空を掴む。
「…ハルきゅん…次に来た時は……うふふふ♡」
その目は獲物を狙う狩人の様だった。
「だからお前じゃ話にならないから責任者呼んでこいよ!」
「はっはひっ!」
現場に近づくと男の荒ぶれた声と怯えた女性の声が聞こえた。
「お待たせしました…お客様どうされましたか?」
「ああ?お前が店長か?!」
「あいにく店長は席を外しておりまして…副店長の私がお伺いいたします」
お客様に頭を下げながら隣の従業員…『山野梨花』さんに視線を向ける…サイドに流された肩まで切り揃えた髪が震えている……怖かったろうに……
この調子で恫喝されていたのか涙目である。
彼女の前に立つと、後手で下がる様に指示を出す。
彼女は一瞬戸惑う様なそぶりを見せたがそのままバックルームに入っていった。
「だからこの店は客を舐めてんのかっ!!」
「いえいえその様な事は…はい!はい!申し訳ございません!」
クレームと言うか…どうもアルコールが入っているお客様の様だ…内容も特にこれと言った物は無いらしい……とにかく相手の言い分に同意して頭を下げる。
「…だからよう…俺はよう…」
「そうなんですか〜いえいえ…それはそれは…」
身の上話が始まった…それでも相槌を打ちながら聞きに徹する。
「いやー兄ちゃんも大変だなぁ…」
「いえ、ありがとうございます」
何故か同情された…だいぶ落ち着いて来たようだ。
「また来るからな!」
「またのご来店お待ちしております」
最後は笑顔で帰っていった……
お客様をお見送りするとすぐに事務所に駆け込む。
「っ!!怖かったぁ〜」
「佐々木さん!すいません!」
すぐに山野さんが駆け寄ってきた…まだ目元が赤い……よく頑張ったねと心で称賛を送る。
「いやいや、災難だったね…あれはもう立派なカスハラだね…」
「怖かったです」
山野さんはつい先日入社したばかりの20代のパートさんである。
せっかく入社してくれた若い世代にはなんとしても辞めずに頑張って貰いたい。
主な業務はフロアの補充とレジの応援…なので、お客さんと接する機会も多くなる。
スーパーに買い物に来るお客さんは、老若男女,考え方も様々な人が居る。
全てが良いお客様ではないし、態度が悪いお客様がいるとしても、彼らなりにも理由はあるのだ。
「佐々木さんにはもう返しきれない程恩があるのにこんな迷惑を……」
「僕は副店長だからね…従業員みんなの安全を守る義務があるから、気にしないで…それに『あの件』はビジネスだよ?ちゃんとした契約なんだから恩なんて感じなくていいんだよ」
「でも……」
自分の席について、一休み……しようとしたところで、再び店内放送がかかる。
『業務連絡〜佐々木さん惣菜売り場まで〜』
「!はいはーい」
晴人は慌ただしく現場に向かう……
今の日本は、少子高齢化であり、慢性的な人手不足である。
SDGsや労働時間の改善やら、時給問題や年収の壁問題など、業界を取り巻く環境はもはや最悪の環境だ。
隣にモールができた時も、圧倒的な資金力により、その時給に引かれたアルバイトやパートさん達が根こそぎいなくなってしまった。
今残ってくれているのは、責任感の強い古参組が多い…
そんな彼等、彼女等の負担を軽減すべく副店長である晴人は馬車馬のように働くしかないのである。
そう、晴人は副店長なのである。
では、店長は一体何をしているのだろうか??
『あー晴人くん?ちょっと今日は体調が悪くてね…すまないが今日の休み代わってくれないかな?』
一週間ぶりの休みの朝のまどろみを迎えたところで、そんな電話がかかってきた。
電話の向こうの店長の隣から『ねぇ?まだぁ?』とやたらと甘ったるい女の声が聞こえてくる。
「……わかりました…」
『いや…いつもすまないね!報告書もお願いしていいかな?よろしく頼むよ』
「……」
この店長は、創業者グループの甥っ子にあたる人物で余り言いたくは無いが……尊敬出来た人ではない。
この土地は一族の所有する土地でいつまでも遊び呆ける甥っ子をまともな定職につける為に作られた店舗だと言われている……いや、そんなわけで無いでしょ?
最初は自分もそう思っていたのだが、働いてみるとあながち間違いでは無いような気がしてくるのが不思議でたまらない。
最初は不便な場所にできた店なので地元の住民からもとても感謝され、商売としては大成功であった。
そこに、彼が店長として着任するとあれよあれよと言う間に数字が悪化してしまった。
店舗の隣の空き地を売却することで、何とか倒産の危機を脱することができたが、その売却した土地に、巨大ショッピングモールが誕生してしまったのだった。
晴人は学生の頃、違うダイコクの店舗でアルバイトをしていた。
高校3年の時、両親が事故で他界してしまい、生活の為には進学を諦めて働かねばならない…そう思った時、当時の大黒の社長であった先代社長に『うちに来い!』と誘われたのだった。
晴人はこの恩に報いるために懸命に働いた。
25歳の時、その先代の社長も病で亡くなってしまったが、それでも恩に報いるために懸命に働き続けた。
社長の子供達が会社を継いで経営方針やコンセプトが色々と変更になったが、それでも晴人のすべき事は懸命に働くことだけであった。
たとえ、その内容が側から見ればブラック企業と呼ばれる様な内容だとしても、晴人にとっては先代社長への恩義からの忠誠心とも呼べる物だった。
気がつけば、30代を迎えており、副店長就任とともに、この店へと異動してきたのだった。
二ヶ月も働けばこの店の異常性が良くわかった。
店長のモットーは『やらない しない 働かない』を絵に描いたような勤務態度で各部署の作業が進まないことが多く全て古参のパートさん達が自分を犠牲にして運用していた。
サービス残業当たり前、休日出勤これ当然、どんどん仕事が溜まる一方なのに文句も言わずに働く従業員は心のどこかが壊れていたんだと思う。
晴人はまず作業の見直しから始め、担当者とその従業員の適正な業務の割り振りを行なった。
勤務時間も厳守とする上で作業の計画をしっかりと行いPDCAサイクルで常に適正化を図った。
その結果,従業員の作業環境はホワイトに改善され,サービス残業は無くなり,週休二日は当然ながら,育休,産休,計画連休と全店舗でもできていないような素晴らしい環境の店舗へと変貌を遂げたのだった。
しかしそれは全て晴人がその負担を請け負った為でもある。
休みはろくに休む事なく 日々は日付が変わるまで残業しワンオペなどしょっちゅうである。
当然,社長より素晴らしい店舗と紹介されたがその手柄はなぜか店長の物となった。
しかし晴人はそんなことは気にする事も無く働き続けたのだった……全ては自分の恩返しの為に………
だが,そんな状況を従業員達は許しはしなかった。
本部に告発の電話を入れるが内部の親族が手を回しておりその情報は途中で握りつぶされた。
ダイコク一族にはそれだけの地位と権力,そして資金があったのだった。
太刀打ちできない従業員達はそれでも晴人を助けたい一心で連帯し今では担当部署の違う人たちが連対する夢の様な職場へと進化していたのだった。
その熱意や環境の良さはお客様にも伝播し,地域に愛される店として日々,隣の巨大モールにも負けない店として立派な地位を確立していたのだった。
勿論愛されているのは店だけでは無い。
「お疲れ様♡晴人君」
「あ、お疲れ様です」
「ね、ねえ…今夜夕食を一緒に」
「あ、自分夜間集計なのでごめんなさい」
「次の休み一緒に市内で……」
「あ、その日は本社の会議に出席しないと行けないので…ごめんなさい」
「晴人君♡お疲れ様♡肩凝ってない?マッサージでも……」
「あ、すいません今パワハラとかセクハラとかまずいんでその気持ちだけで十分ですよ」
「晴人!明日の合コン一緒に行こうぜ!」
「あー明日は特売準備があるから難しいかな…また今度ね!」
合コンに誘ったおじさんは見えないところでパートさん達に袋叩きになっていた。
「ちょっと…!鈍いというか……働きすぎじゃない?!」
パートさん達は皆撃沈しつつも彼を支えたい一心で『明日こそは!』と気持ちを新たに業務に取り組むのだった………
そんな日々がずっと続くと思っていた晴人だが
運命のあの日がやって来たのだった。
『地震です!地震です!』
「「!!!???」」
店内で一斉に警報アラームが鳴り響いた。
その直後、凄まじい揺れが店内を襲った。
体感にして一瞬の出来事だったがその衝撃は凄まじかった。
「!!お客様の誘導を!!」
すぐに晴人は店内放送を流し客の誘導、避難を指示した。
「晴人さん!」
「山野さん!お客さんを店外に誘導して!向こうの小学校と中学校が避難場所になるから!」
「はい!」
従業員に指示を出し安全にお客様を誘導する。
床には商品が散乱しているが、従業員とお客様には怪我人は居なかった。
「よし、じゃあみんなも避難を……!?」
そう言いかけた時、隣のモールの屋上から爆発音が聞こえてきた。
慌てて外に出れば建物から慌てて飛び出す多くの人達が見えた。
見れば至る所から煙の様なものが上がっており、内部で火災が発生したと思われる。
モールの駐車場は逃げ惑う車で混雑し、日頃から起こっていた渋滞がさらに酷くなっていた。
「!!」
晴人の脳裏に両親の亡くなった事故現場がフラッシュバックした。
「みんな!手伝ってくれるかい?今からこのフェンスを取り除いてこちらにも車を誘導するよ!」
「ええ!!…よし!他ならぬハルきゅんの頼みだ!いくよ!みんな!女を見せろ!!」
「「「おおっ!!!」」」
「ハルきゅん?」
パートさん達は一致団結し晴人の指示に従った。
晴人は店で使用するフォークリフトに乗り込むとダイコクとモールの境目のフェンスの一部を破壊した。
『皆さん!こちらにも誘導します!慌てず!落ち着いて!指示に従ってください!』
その場で拡声器で車内の人達に呼び掛けるとパートさん達が車を誘導して避難場所になっている学校へと誘導する。
隣接する立体駐車場は地震の影響は受けておらず晴人達の誘導もありスムーズに避難が進んでいた。
向かい側にあるモールの入り口からは列になって避難する人達が見えた。
「向こうも安全に避難できているみたいだ……後は……」
駐車場の奥の施設が並ぶ建物……見れば黒煙や崩壊している部分が見えた。
「逃げ遅れた人がいないか見てくるよ!」
「ええ?!晴人君!危ないわよ!モールの人に任せればいいじゃ無い!」
「でも…あそこには地元の店も多いから、この店の常連さんがいるかもしれない!!」
「!!わ、私も行きます!!」
晴人の言葉に梨花も声を上げた。
「山野さん!危険だよ?!」
「大丈夫です!私…昔解体現場でアルバイトしたこともありますから!」
彼女の真剣な瞳は有無を言わさぬ迫力があった。
「わかった…向こうでは離れないように絶対に僕の指示を聞いてね?」
「わかりました」
彼女がうなずくのを見届けると、向こうで作業していた年配の従業員…通称おやっさんに声をかけた。
「おやっさん!!トラックに水と食料積み終わったら、避難場所にピストン輸送して!パートさん達には避難場所の手伝いをしてもらって!男性陣はとにかくモールから逃げてきた人を避難場所へ誘導してあげて」
「晴人!お前はどうするんだ?」
「モールを見てくるよ!遅れた人がいるかもしれない」
「こんな時までくそ真面目だな!気をつけろよ!」
おやっさんに手を挙げると、モールの中に向けて走っていくのだった
「誰かいませんかー!!」
「誰かーいませんかぁー!」
モールの外周に沿う様に並ぶ店舗の間を二人は声を上げながら進んだ…ここは地元の商店街からの店がテナントとして入っているエリアだった。
「おーい!ここだ!」
声の方に進むと二、三人の人達が座り込んでいた。
「大丈夫ですか?」
「道がわからなくて…煙が出てきているから…」
「大丈夫ですよこちらのロープを辿ってください。隣のスーパーの駐車場に出れます」
晴人は手元のロープを見せた。
それはすぐ側の街灯の柱に括り付けられており、道に沿って伸びていた……こちらにくる前におやっさんに言われて店の柱に括り付けてきた道標だった。
「ありがとう!ありがとう!」
「お母さんもうすぐだよ!」
家族であろう人達がロープを伝って避難してゆく…
「佐々木さんは凄いですね…怖く無いんですか?」
「いや…そりゃ僕だって怖いよ?さっきももの凄く揺れたもんね?」
「そう言う意味じゃなくて……あのまま逃げていれば安全なのに…こうして危険な場所に飛び込むなんて自殺願望でもあるんですか?」
あの時だってそう…他人を助けるなんて…私からしてみれば信じられない…
みんな自分の事ばかりで、誰も他人の事なんて気にも掛けないのが普通なのに……
「??困っている人がいたら助けないと…おかしいかな?」
「!!…佐々木さんらしいですね…そうゆうの嫌いじゃ無いですよ」
「……先を急ごうか?」
「ちょっと!折角いいこと言ったんだからもっと反応しても良くないですか?!」
「ふふふ、やっぱり山野さんは元気なのが一番だね」
「っ!!」
「じゃあ進むよ?はぐれないでね?」
暫く声を出しながら進むと建物が半壊した場所に出た。
「上野のおばあちゃんのお店が……」
「上野さーんいませんかー!!」
店内には棚から落下したであろう様々な商品が散乱していた。
一応健康食品の店……なので薬草の様な独特の匂いがしていた……
二人は店の奥に声をかける……何かの物音がした。
「見てきますね」
「えっ?!ちょっ!佐々木さん!!」
気がつけば晴人は瓦礫を避けながらスイスイと奥の部屋に行ってしまった。
周囲にはサイレンが鳴り響き遠くからはパトカーや消防のサイレンの音が鳴り響いている……
非日常の空間にいる自分が凄く異質な感じがして心臓が早鐘の様に打っている。
「山野さん!」
「!!おばあちゃん!」
声のした方を見れば、佐々木さんが上野のおばあちゃんをおんぶして出てくるところだった。
「大丈夫?」
「あー…たまげてしもうて腰が抜けてしもうたんじゃ」
「怪我は無い……よかった……」
梨花は知人の無事に胸を撫で下ろした。
「他には人はいないみたいだから一旦戻ろう…」
上野のおばあちゃんを背負ったまま、2人はロープを使って店に戻っていく。
途中モールの本館を見れば警察が到着しており、安全かつ迅速に避難を進めてくれているようだ…晴人達がフェンスを壊したことにより渋滞が緩和され、車での避難もスムーズに行われているようだ。
「誰か!誰かいないか?!」
その途中、施設の非常口のような扉の向こうからドアを叩く音人の声が聞こえた…
「大丈夫ですか?鍵は開きそうですか?」
「!!そちらから開けられないか?柱が曲がって鍵が回らないんだ。」
「……少し待ってください!道具を取ってきます!」
「急いでくれ!怪我人がいるんだ!」
晴人は一旦その場におばあちゃんを下ろすと梨花に向き直った。
「山野さん、おばあちゃんを頼めるかな?」
「佐々木さんはどうするんですか??」
「何とかここ開けてみる…向こうの源さんの店なら道具があるかもしれない」
「わかりました……私も必ず戻ってきます!おばあちゃん行こう!」
梨花は上野のおばあちゃんを背負うと店の方に向けて走り出した……
それを見送ると晴人は向かいにある源さんの店……現場用品の店に向かった。
入り口は傾いており中を覗くと源さんが何かを取り出そうともがいていた。
「源さん!!」
「!?晴人!お前どうしてここに…ちょうどいい手伝え!」
見れば崩れた天井の向こうに小さな神棚があった……そうか…奥さんの写真か!
「こいつを置いて一人で逃げるなんてできるかよ!」
「任せて!それより源さん!向こうのドアをこじ開ける道具が欲しいんだ!」
「よし待ってろ!」
源さんが道具を物色する間に隙間から手を入れて無事に写真を取り出せた。
「……アケミさん……」
それは三年前に亡くなった源さんの奥さんだった……
ここに赴任したばかりの晴人を気にかけてくれた源さん夫婦は晴人にとって第二の両親のような存在だった。
「!!晴人!ありがとう!!」
「源さん!ここは危ないから!店の方に逃げて!」
「お前はどうすんだ?」
「モールの方に逃げ遅れた人がいるんだ!」
「…よし、俺も行くぞ!!」
「源さん?!」
「お前を1人で行かせたなんて明美のやつに怒られちまうだろうが!!」
そう言って、原さんは持ってきたバールを片手に歩き出した。
「お待たせしました!今からドアを壊します!下がってください!」
ドアに辿り着いた晴人と源さんは、バールを隙間に差し込むとテコの原理でドアを壊し始めた。
「佐々木さん!」
「山野さん、それにみんな……」
「ハルト向こうは大丈夫だ!俺たちも手伝うぜ!」
梨花と一緒に戻ってきたのは、おやっさんを始めとするダイコクの男性陣だった。
「おらっ!!お前ら根性見せろ!!」
「「「うおおおおおお!!!」」」
男性陣が力を合わせて、バールや木材をドアに差し込み力任せにこじ開けることに成功した。
「よし、みんな誘導しろ!こっちだっ!!」
中からはモールの職員がゾロゾロと出てきた。怪我をしている人も多くいたが命に関わる様な怪我では無いらしい。
「まだ…奥に…奥に店長達が居るんだ!」
「!?わかりました!皆さんは避難してください!」
「晴人?!おいっ!」
「僕が行きます!皆さんはここをお願いします!」
通路の奥は瓦礫が散乱しており、少し煙が充満しているようにも見える。
晴人は臆する事なく奥へと進んでいく。
やがて小さなフロアに出ると奥から人の気配がした。
「大丈夫ですか?!」
「君はっ!?…こっちだ!!」
そこにはモールの店長と数名が天井から落下してきた梁に押し倒された棚の下敷きになった人を救助しようとしていた。
「これが重すぎてね!どうする事も…」
「佐々木さん!」
そこにやって梨花と源さんだった。
「…よしロープあるか?」
「はいっ」
源さんは梁にロープをかけるとそれを受け取った梨花がまだ残っている頑丈な鉄骨にかけると簡易的な滑車を作り出した。
「持ち上げろ!」
全員でロープを引く…僅かだが資材が動いた気がする。
「引っ張り出せ!よーしもう一度引くぞ!せーの!」
号令に合わせて力いっぱいロープを引く……今度は先ほどよりも大きく音を立てて梁が動いた。
その先を梨花が下敷きになった人を引っ張り出した。
「気を失ってますが…大丈夫です!」
「よし!これで全員ですか?」
「ありがとう…ありがとう…」
涙を流しながらゆっくりと歩く店長はずっと感謝の言葉を口にしていた…彼らにも心配する家族がおり、彼らを待っている家族がいるのだ……それを助けることができて本当に良かったと晴人は感じた。
『地震です!地震です!』
再び全員のスマホから警報の音声が鳴り響いた。
「みんな!急いで!」
全員慌てて出口に向かい走って行く……
その瞬間、先程の地震とは、比べ物にならないような衝撃が襲いかかった。
轟っ!!!
「「「?!?!?!」」」
直後に凄まじい衝撃が襲いかかり今、自分が立っている事さえ見失うほどの衝撃が襲いかかった。
「うわわわわっ!これはあかん奴じゃ!!」
「頭を低くして!……収まった?」
「出口はもうすぐです…頑張りましょう!」
再び全員が歩き出し,出口に向かって進んでゆく……出口からは救助隊が覗き込みこちらに声をかけている……これで安心だ…もうここでできる事は無い……ゆっくり休んで復興に向けて頑張ろう………
「山野さんもうすぐ……」
「佐々木さ……」
背後の梨花に振り返った晴人が見たのは足元の床が崩落して地の底に落ちてゆこうとする梨花の表情だった。
『佐々木さん…ごめんなさい…最後まで私…迷惑ばっかり……』
そんな梨花の幻聴が聞こえてくるような彼女の表情は穏やかでどこか泣いている様にも微笑んでいる様にも様に見えた。
「!!梨花!!」
晴人は迷う事なく手を伸ばしその体を抱き抱えると底の見えない漆黒の暗闇へと消えていった。
「!!晴人おおおおおおおお!!!!」
「梨花ちゃん!!」
残された人達の叫びだけが木霊した。
「くっ!!ここも危ない!早く避難するんだ!」
「晴人!!晴人!!」
救助隊の人たちに力づくで連れて行かれる源さん達その声だけがいつまでも周囲に響いてた。
「な,なんだ?!」
避難所に身を寄せていた人達が腹の底から響くような轟音に困惑した。
「見て!モールが!!」
誰かが指差す方向にあるモールが崩壊を始めていた。
正確にはモールの地下に空洞が発生し,そこに地上の建物が崩落を始めていた。
大自然の猛威の前に人たちは成す術無く,見守ることしかできなかった。
「佐々木さん」
「……ん………山野さん……」
微睡む意識の中で梨花に呼ばれて覚醒した。
「ここは……っ!!ああ……腕が……」
「動かないでください……ベルトで固定しています」
「…ありがとう……山野さんは大丈夫?…」
「おかげさまで…というか佐々木さんの方が大変なんですからね!右腕はわかんないけど…両足は絶対折れてますからね!!」
「あぁ…通りで感覚がないはずだ…」
周囲は薄暗くかすかな水音と天井付近から差し込むわずかな光だけが唯一の灯りだった。
「何故あの時…私なんかを助けて……」
「なんであんな全てを諦めたような顔をしてたの?」
「!!……だって…私…これ以上佐々木さんに迷惑かけられない!!」
「そうか……やはり気にするなと言っても気になるよね……」
この二人は職場の同僚……でもあるがそれ以前に知り合いでもあった。
二人の出会いは半年前,繁華街での出来事だった。
梨花には失踪した両親の残した借金があった。
高校を卒業した後はアルバイトを掛け持ちして返済に充てていた。
しかしその生活にも限界はあり,ついには梨花自身が借金の担保にされそうになっていた……そんな現場に偶然出会してしまったのだった。
『お兄さん達…そんなか弱いお嬢さんに対してよく無いですよ?』
そんなふうに話しかける佐々木さんに対して借金とりの下っ端は声を荒げて威嚇したが佐々木さんの対人スキルにいつの間にか懐柔され,梨花の身の上を話してしまった……私の個人情報が………
『うーん……じゃあその三千万…僕が建て替えましょう』
『『『え?』』』
その日に出会ったこんな訳も分からない女の借金を肩代わり?こいつ頭おかしいんじゃないの?……それが晴人の第一印象だった。
しかしそれは冗談でも何でもなくそのまま銀行に向かうと三千万を持ってきてあっという間に梨花は借金完済となってしまった。
『……私をどうするつもり?』
『え?いやいや何もしないよ?』
何もしないなんて……まだ体を要求された方が現実味がある……しかし佐々木さんは何も要求しなかった……毎月1万円返してくれたらいいよだなんて……生きているうちに返済できそうに無いんですけど?
『それじゃあ……お仕事を紹介するから……できれば辞めずに頑張ってほしいな』
はいはい…やっぱり…風俗に沈められちゃうんですね……そうだと思ってました。
しかし実際は違っていた…紹介された仕事はスーパーのフロア補充の仕事で時給もいたって普通だった……社員用の社宅もあり、すんなり引越しも終わった……
本当に健全な社会生活の始まりだった。
佐々木さんはそのスーパーの副店長で周囲から見てもあり得ないほどのブラック勤務の常習犯だった……ドMなのかな?
しかし彼は至って常識的な考えの持ち主で借金を肩代わりしたからと言って高圧的な態度をとる訳でもなく,私に無理難題を強要する訳でもなく至って普通の関係だった……
やがて申し訳ない気持ちが溢れ,同じ社宅に住む彼がなかなか休まないので家事洗濯が滞っている事を知った梨花は彼の身の回りの世話を申し出た……少しでも恩返しがしたかったのだ……
しかし 洗濯,掃除,食事の準備などそれぞれの作業に1万円の対価が設定された……
一体どうすれば良いのだろう…?このまま彼に尽くせば本当に完済が見えて来るのでは無いだろうか?……
「っ!!………」
こんな彼に対して恋心を抱かない筈がない……しかし今の自分が彼に尽くしても全ては契約の上での対価でしかないのだ……だからこの気持ちは心の奥底に封じなければいけない……借金を完済して彼と対等な立場になった時に……ちゃんと伝えるのだ……
「…!!…いやだよう…晴人さんが死んじゃったら嫌だよう!!」
「……山野さん……」
「好きなんだもん!私の事助けてくれて!仕事も教えてくれて!いつもいつも私を甘やかせて!!今日もあんなにかっこよく助けてくれて!!でも…!でも!借金があるから引け目だと思われたくないんだもん!!」
「ああ…そうだよね…君もだったんだ……」
「ううう……?君も?」
「そうだよ山野さん……いや梨花ちゃん…君に好意を向けてもきっと君はお金の事で絶対に逆らえない…僕からの好意は命令でしかないんだ……もうお金なんてどうでも良いんだよ…梨花……君のことが好きなんだよ……」
「!!晴人さんが…!!私の事?!わ…私も!私も晴人さんが好き!!」
「ははは…両想いだ……」
梨花は無事な左腕側に近づくと晴人にしがみついた。
周囲には、先ほど地の底から響くような地鳴りが聞こえている…まだどこかで崩落が続いているのかもしれない…そう考えると、ここも安全と言う保証はどこにも無い。
「晴人さん…私達……」
「ねぇ梨花ちゃん……梨花は助かったら何がしたい?」
「えっ?…あーそうですね…晴人さんとダイコクで働くのも良いですけど…田舎でのんびり農業とかも興味はありますね」
「いいねースローライフ…ちょっと僕も働きすぎかな?そろそろゆっくりしてもいいかもしれないね……」
「そうですよ!晴人さんは働きすぎです!ブラックです!真っ黒ですよ!!」
「ははは…そうだね…僕が働くのは恩返しだったんだ……」
晴人は梨花に自分の生い立ちについて話した。
「…なるほど…恩を返すために一生懸命に……それって晴人さん…私のこと言えなくないですか?」
「そうなんだよ…君を見てたら…あぁそうなんだーって君の考えてることがすごく理解できてね……気がついたら好きになってたんだ」
「〜っ!!…きゅ…急にそんなこと言わないでください!!……でも…嬉しいです」
体が寒い……でも梨花ちゃんがくっついている辺りは暖かくて幸せだ……
「…… 二人で…小さなお店をやっていくのもいいね…」
「…またスーパーですか?」
「いやいや、もっと小さな…上野のおばあちゃんのようなこじんまりとしたお店でいいんだ…食料品でも雑貨品でも別に売れなくてもいいんだ…君がいて…仲の良いみんながいて…」
「晴人さん…」
そう、わかっているんだ…この状況で生還が絶望的なことぐらい。
晴人の怪我も手足だけでは無いだろう…さっきまで感じていた……痛みも今は感じない。
今は意識を失わないように語りかけ続けているんだ…彼女1人にしないために。
「晴人さんお店の名前は何にしますか?」
「そうだな……やっぱり思い出のある大黒にしようかな」
『それ面白そうね……二人でやってみない?』
「「えっ?!」」
どこからか、女性の声が聞こえてきたとかと思うと、2人の周囲が光輝き始めた……その輝きはどんどん光を増して………
やがて目も開けていられない程の輝きを放ち、晴人と梨花を飲み込んだ。
この地域を襲った地震はM6太平洋側の活断層を震源地とする突発的な地震であり各地に大きな被害をもたらした。
ーー特筆すべきは,北の地方での『エビスモール崩落事故』であろう。
日本最大規模の広大な敷地面積を誇るモールに大きな亀裂が発生し商業施設を含む全施設が崩落し一年経ったまでも復旧の目処は立っていない。
これだけの規模の施設が壊滅的な被害を出したにも関わらず,軽傷者2300人 重症者24人 行方不明者2名 死者ーーー0名 過去の日本史を紐解いても奇跡的な数字である……救助においての功労者であり行方不明者である『佐々木晴人』と『山野梨花』の消息はいまだに不明である。
「晴人のやつ…今頃何してるんだろうな……」
「アイツの事だ…休まず働いてるだろうよ…」
「違いないね……」
あれから一年……スーパーダイコクの駐車場に臨時設置された慰霊祭の会場で源さんとおやっさんと常連の女店長が缶ビールを片手に二人の事を語り合っていた。
今日の慰霊祭の為に多くの人が集まっている……
事故の後マスコミが大挙して押し寄せ現地取材合戦が始まった……その中で語られる『スーパーダイコク』の奇跡の物語に各社はすぐさま飛びついた。
『自分の店はもとより隣の巨大モールの客間でも救った店長の鏡』
『動けなかった老婆を背負い救助』
『亡き妻の遺影を取り戻すために燃え盛る店舗に飛び込む』
『ライバル店の店長も救出』
『崩落に巻き込まれた同僚を救うために自らも崩落に飛び込む』
今や『晴人』の名を聞かぬ日は無いぐらいに現代の英雄として取り扱われていた。
もちろん弊害もあった。
毎日顔を合わせる晴人の事を『店長』だと思い込んでいる人々により『店長』が英雄扱いされてしまったのだ。
当然『本物の店長』は英雄とは似ても似付かぬ人物であり 内部告発により当日はおろか日頃から無断欠勤や勤務態度,その他諸々の実態が明らかになり処罰対象となった。
『ダイコク』本部は『佐々木晴人』店長の功績を讃え名誉店長としてその名を刻んだ石碑をこの駐車場の一角に設置することにした……本日はその披露会でもある。
「別に晴人の奴は役職なんかには興味は無かったからな……」
「そうだな…あいつは…『ダイコク』で働くことが好きな奴だったからな……」
「ハルきゅんの元気な声が聞こえてきそうだわ……」
「……ハルトは元気でやっとるぞ?」
そんな三人の所に現れたのは上野のおばあちゃん……上野チヨだった。
「ははは…そうだな…梨花ちゃんと仲良くしてるだろうな……」
「おお…梨花も一緒に元気にしとったぞ?今度自分の店を出店する言っておったぞ?」
「??チヨさんもうボケたのかよ」
「ボケたりしとらんぞ!!」
「ちょっと…どうゆうこと?」
「……最近よくハルトが夢に出てきてのう………」
そこは何もない真っ白な空間だった。
チヨは一人でこたつに入っていた。
突然、目の前に四角い板が現れそこから声が聞こえてきた。
『チヨさん!』
「!!晴人!お前元気で……!!」
『あー元気なんだけどね?実は……』
四角い板の中には元気そうな晴人と中良さ様に寄り添う梨花の姿があった。
よくわからないが二人は異世界の女神様に助けられて違う世界に転生したらしい…
そこで二人で食品を販売して生活をしていると言う。
「……ははは…面白え冗談だな…婆さん…でも悪くねぇ」
「そうね…あの二人なら本当にやりそうね…」
「…後、晴人が梨花に告白して付き合うことになったって言ってのぅ」
「梨ぃ〜花ぁ〜!!!それは笑えないわねっ!!」
「ははは……だが…もしそれが本当なら…いいじゃねーか!」
「あぁ…こうやってうじうじと考えるよりは…そう考えている方がずっと良いな!」
「う〜…ハルトきゅんがまだフリーって設定なら納得ね!まぁチヨさんのボケ話もたまには満更じゃないわね」
そう言って三人は笑顔で笑いあった。
「いやいや…ワシはボケとりはせんぞ?本当の話なんじゃからな?!」