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後編

 

 すっかり人を信じられなくなった私だが、さすがに一年も経つと気持ちが落ち着いてくる。


 私は研究に没頭し、炎や雷の魔法力を魔獣の体液から作った特殊な液体に溶け込ませることに成功した。それを魔獣に注射すると、本来その個体が使えないはずの系統の魔法を、一時的に使えるようになった。


 まだまだ発展途上の研究だが、この成果は私を魔法化学研究部主任の地位に押し上げてくれた。


 実家にはまったく帰っていない。風の噂では姉とカジュナさん、騎士団副長は破局したらしい。理由はよくわからない。


 ただ、ここのところ王都で身寄りのない老若男女の行方不明事件が相次いでいて、街中を歩いていると高確率で憲兵隊や騎士団に遭遇する。そして事件はいまだ、解決の兆しを見せていない。


 姉は自分を一番に優先して欲しい性格だ。


 しかし副長ともなると不穏な事件が未解決のまま、恋人と呑気にデートなどするわけにもいかない。別れの原因はおそらくその辺りにあるのではないかと、私は勝手に思っている。


「とりあえず、今は人のことを気にしている場合じゃないのよね」


 街中は不穏な事件で騒がしいが、私たち研究所の職員も色んな問題を抱えていた。


 隣国の魔法科学者が魔法を手の平サイズの容器に封じ込めることに成功をしたのだ。容器と液体の差はあるが、私の研究もここまでは来ている。


 だが隣国の科学者は一歩先を行っていた。なんとその容器を放り投げるだけで、封じ込めてある魔法を使うことができるのだという。火炎瓶の魔法版、といった感じだろうか。


 今はまだ兵器化できるほどの規模ではないようだが、それは私たち及び周辺国を十分に焦らせることができる成果だった。


 危機感を持った大統領から今まで以上にせっつかれているのか、ここのところ所長は顔色がずっと悪くやつれ果てている。どうやら食事も睡眠も、碌にとっていないらしい。


「所長のためにも、なんとか結果を出したいんだけど……」


 今、研究しているのは魔力をこめた魔石を魔獣に埋め込み、こちらの意のままに動かせる改造魔獣を作ることだ。だが魔獣自体の凶暴な意志を抑え込むことがなかなかできず、研究は遅々として進まない。


 従順な犬や大人しい山羊や羊などを使えば違うのかもしれないが、動物好きで有名な大統領の意向もありナナロンゲル共和国は動物に対する保護が徹底している。なんなら人間よりも保護されているかもしれない。そんなわけで、彼らを使って実験をするわけにはいかないのだ。


「さぁ、明日から三日間お休みだし、多めに餌を入れておかなきゃ」


 有休を消化するために、私は明日から三日間旅行に出かける。その前に、魔獣の餌箱に食料を補充しておかなければならない。


「早く早くって詰められるのは嫌だけど、査察が減ったのは良かったかもしれない」


 騎士団は今忙しくて、査察にはほとんど来ていない。ふと字の汚い彼のことを思い出しながら、自分の胸にそっと手を当ててみる。


「……うん、大丈夫。もう、彼のことを考えてもなんともないわ」


 胸は痛まない。出世もしたし、一人で生きていく道筋は十分にできている。大丈夫。彼への未練は完全になくなった。愛情も悲しみも憎しみも絶望も、私の中からなにもかも消え去っている。


 ──けれど、それは大いなる勘違いだった。


 私は自分が思っている以上に根に持つ性格だったのだ。そしてある意味、執念深くないとやっていけない科学者だということもすっかり忘れていた。


 そして気持ちが安定しているように思えたのは、未練がなくなったわけではなく単に『彼』の存在を身近に感じることがなかったからにすぎない、ということを。


 ◇


「……え? ど、どういうことですか?」


 ある日の帰り際、珍しく所長に呼び止められたかと思うと耳を疑うような話を聞かされた。


「犯罪者を研究に貢献させろ、と言われた。昨夜、大統領府に呼ばれて該当する人物の資料を受け取ったよ」


 所長は手に持つ封筒を渡しに向かって差し出しながら、深い溜め息をついている。


「研究に貢献って、助手にしろってことですか? 犯罪者、ということはひとまず置いておくにしても、そもそも我々の研究は素人に理解できるものではありません。助手と言われましても……」

「いや、その、そういうことではないんだよ」


 ──珍しく所長の歯切れが悪い。


 この人は優秀な科学者なのだが、少し押しに弱いところがある。魔法の研究なんて機密事項しかないし、人数が増えればいいというものでもない。大統領もその辺りは素人なのだから、いくらでも言いくるめることは出来たはずだ。


「大統領はなに考えているんですかね、行方不明事件が解決したとたん出しゃばってくるなんて。それで、助手候補ですか? とりあえずその犯罪者さんの資料を見せてください」


 国を震撼させていた行方不明事件は、先日無事に解決をした。犯人の職業も名前も動機も明かされていないが、即刻処刑をされた、というのは新聞で知った。


「……あぁ、どうぞ。驚くと思うよ」


 所長の意味深な台詞。


 手紙を開けた私の目に飛び込んできたのは、予想だにしていない人物の名前だった。


「エスラス・カートパダム……!? え、副長さん!?」

「なぜ彼なのか私も信じられない。ただ彼は、例の行方不明事件に関与している可能性が高いと聞いている」

「証拠は? 証拠はあるんですか?」


 明確な証拠があるのならともかく、曖昧な状態で犯罪者呼ばわりは相手が誰であろうと許せない。


「もちろん、彼の誠実な人柄は私が一番よく知っているよ。彼を利用するなど到底賛成できるものじゃない。ランガル博士もそう思うだろう? だから反対をしてくれないか? 所長の私と主任のキミがともに反対意見を口にしたら、大統領もきっと考え直してくださるはずだ」

「誠実な、人柄……?」


 ──その時、胸の奥でなにかがぱりんと割れた音が聞こえた気がした。


「……誠実な人間が、あんな振舞いをするはずがないわ」

「ん? すまない博士、よく聞こえなかった。なんだって?」

「いえ、なんでも。ところで、いいんじゃないですか?」

「え、いいんじゃ、ないですか……?」


 なぜか所長は、後ずさる勢いで驚いている。


「はい。彼は騎士なんですから体力もあるでしょうし、国に尽くすことは本望だと思いますよ」


 私はひび割れた心から滲みだしてきた怒りと悔しさのまま、所長に素っ気なく背を向けた。


 ──せっかくだから、思い切りこき使ってやって欲しい。専門用語も器具の名称もわからない中、色々と面倒なことを押しつけて困らせてやればいい。


 今となっては言い訳にすぎないが、この時、私が考えていた仕返しはこの程度のことだった。本当に助手として働かせろと言っているのだろうと、心底そう思っていた。


 “犯罪者を研究に貢献させろ”という言葉にあんな意味が隠されていたなんて、考えもしなかったから。


 ──私は正にここで、決定的に間違えたのだ。


 あれほど大騒ぎになった『行方不明事件の首謀者』という大事件の犯人の名前が明かされることなく、新聞記事でさらりとその後に触れただけの不自然さに気づきもしなかった。そもそも犯人は処刑されたはずなのだ。それなのになぜ、エスラス・カートパダムの名前があがったのかを考えることすらしなかった。


 所長の言葉の意味を深く考えようともせず、幼稚な復讐心をいつまでも抱いていたせいで私はこの日、白鳥になる機会を永遠に失ってしまった。


 ◇


「ん……?」


 三日ぶりに出勤した私は、所内の異様な熱気に気づいた。


「おはよう。どうしたの? なんか朝からばたばたしてるけど」


 この雰囲気は、私が魔法液を完成させた時の感じによく似ている。もしかして、誰かがなにか研究を成功させたのかもしれない。


「おはようございます、ランガル博士! それからおめでとうございます!」

「え? おめでとうって、なにが?」

「博士の開発した魔法液を使った実験が成功したんです! いや、突然変異体の二足歩行の魔獣に人間の細胞を移植してから魔法液を注射するなんて、稀少な魔獣が手に入ったとはいえよく考えつきましたね! さすがです!」

「……え?」


 後輩の言葉の意味が、まるで理解できない。


「成功体は今、地下室で休ませています。様子を見に行かれますか?」


 ──突然変異体の、二足歩行の魔獣? 人間の細胞を移植? 魔法液を注射?


 一体、なんの話なのだ。私はそんな突然変異体なんか知らないし、魔獣に人間の細胞を移植する許可だって申請していない。魔法液の注射は魔獣の凶暴性を抑える方法が見つからないことから、いったん休止していたはずだ。


「ね、ねぇ、私は昨日まで旅行に行っていたんだけど、誰が、その……」

「博士、その旅行って延期にできなかったんですか? 術式だけ所長に伝えて行っちゃうなんてもったいないですよ。所長、危険を伴うからって全部一人でされたんです。見学くらいさせて欲しかったなぁ」

「……所長が、一人で」


 まさか。


 頭の中に、所長の言葉が蘇ってくる。


『犯罪者を研究に貢献させろと言われた』


「まさか、じ……っ」


 口にしかけた言葉は、なんとか寸前で呑みこんだ。そしてそのまま、一目散に地下室へと走る。


 ──違う、違う! 私は、慣れないお仕事をさせてちょっと意地悪をしたかっただけ! 「いいんじゃないですか」っていうのはそういう意味で、だってそんな、まさか。


「まさか、人体実験をするなんて、思わないじゃない……!」


 後輩の話を聞く限りでは、“被験者”は人型を保っているのだろう。当然だ。“彼”は人間なのだから。それをごまかすために所長は、“突然変異体の魔獣に人の細胞を移植”と嘘をついたのだ。


「う、ううん、待って、気のせいかもしれない。そう、そうよ。あの優しい所長がそんな非道なことをするはずが──」


 階段を駆け下り、石の廊下を全力で駆ける。そして見えてきた地下室の扉を、勢いよく開けた。



 ********



 日誌を書き終えた私は、ちらりと所長室に視線を向けた。


 所長はすでに帰宅しているため、室内には誰もいない。


 ──あの日、異形に姿を変えた『彼』を地下室で見たあと、私は吐き気をこらえながら所長室に飛び込んだ。


 そこで目にしたのは、床に倒れ伏す所長の姿。


 床に空の小瓶が落ち、絨毯に橙色のしみがついていたことから、魔法液を調合するのに使う毒薬をあおったのだとすぐにわかった。急ぎ手当をしたおかげで一命を取りとめたが、過ぎる罪悪感は所長の精神を蝕み、意識を取り戻した時にはその記憶をすっかり歪めてしまっていた。


 今の所長は本気で『彼』を実験のおかげで力と知性を得た突然変異の魔獣だと思い込んでいる。


 そして『彼』も自分が人だった時の記憶を一切失っていた。


 髪や肌の色までも変えるほどの苦痛と絶望を味わった彼からその記憶がなくなったのは良いことなのかもしれない。それに今は騎士団も大変だ。


 せっかく『彼』を研究所に売り渡し行方不明事件に関してなにもかもうやむやに済ませたというのに、先日は新しく副長になった騎士が不慮の事故で亡くなっている。


『彼』はそれを知ることもない。けれど、その代わりに彼がこれまで大切にしていた思い出なども消してしまったのだということを、私は決して忘れてはならない。


 この残酷な真実をたった一人で背負うのは正直に言うと辛い。


 けれど、これは罰なのだ。


 優しい所長が限界まで追い詰められていたことにも気づかず、自分のことばかりで小さな私怨を晴らそうとした、罪深すぎる私への。


「……さぁ、そろそろ帰らなきゃ」


 いつの間にか、時刻は二十三時前になっていた。


 研究所の外に出て、そっと夜空を見上げた。煌めく満天の星。見上げているうちに、勝手に涙があふれこぼれ落ちていく。


「……あなたと、一緒に星空を眺めたかったな」


 けれど、そんな機会は永遠に来ない。


「はぁ、お腹空いちゃった気がする」


 なにか食べて帰ろうか、と一瞬思ったけれど、やっぱりこのまま帰ることにした。どちらにしても、今の私はなにを食べても味なんかしない。外食するだけ無駄なのだ。


「大丈夫、私は大丈夫。……()()、大丈夫」



 私の胸元で、橙色の液体が浮かぶガラスのネックレスが、静かに揺れている。



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