中編
「切手はいらないから、あとは封蠟を押すだけ、と」
最初の手紙は言われたとおり定型文を書き、姉と一緒に郵便局へ持って行った。
驚いたことに、この『心眼選定』はわりと行われているようで、郵便局の片隅にはそれ専用の窓口があった。受け取る郵便局員から、こちらの姿は見えないようになっている。
「今後、手紙のやり取りは窓口で行います。パティさんの場合は第二、第四水曜日、スレストさんの場合は第一、第三水曜日にお返事を受け取りにいらしてください」
──私は『茶碗』という筆名をつけた。姉はらしいというか『最高』で、相手はなんと『税金』という面白い名前をつけていた。
「あー、面倒。今どき手紙なんてあり得ない。三か月も文通? しかも定期的に取りに行かなきゃならないなんて意味わかんないわよ」
姉はなんの根拠もなく自分が選ばれる前提で文句を言っている。
「……便箋と封筒をたくさん買っておいたら? 私はちょっと職場に寄って帰る」
私も私で根拠なく、自分は選ばれないだろうと思っていた。
それなのに。
「え!? ミスティの手紙が選ばれたの!?」
なぜか相手は私の、“パティ”の手紙を選んだ。
乳白色の封筒には、綺麗な字で「パティさま」と書いてある。
「なんで!? なんでミスティなんかの手紙を選んだの!? もう、最悪!」
これまで男性から選ばれなかったことのない姉はさらりと本心を口にしながら怒り狂っていたが、私はひどく動揺していた。
「最悪なのは、私のほうなんだけど……」
三か月後に対面したら、そこで互いの本名を知ることになる。家族のこともわかるだろうし、女神ではなく苔の手紙を選んだと知った相手は必ず断りの言葉を言ってくるだろう。
いつも選ばれない私だからといって、傷つかないわけではないのだ。
「……姉さんが“パティ”になったらどう? 手紙なら私が代筆するから」
「は? なに、同情のつもり? “税金”なんてセンスの欠片もない名前をつけるような男に選ばれたくらいで調子にのらないでくれる?」
「調子になんかのってない。ねぇ、おばあちゃんの紹介……っていうか選んだ人だよ? 絶対にいい人だと思う。とりあえず三か月だけしのいで、あとは顔さえ見せれば姉さんは無敵」
言ったあと、少しだけ焦った。これではまるで「顔以外取り柄がない」と言っているも同然だと思ったからだ。
「いらない、そんな男。アンタにあげるわ」
“女神”は完全にへそを曲げてしまった。私は仕方なく、祖母の顔を立てるために『税金』と三か月間の文通をする覚悟を決めた。
◇
そして第二水曜日。
私は手紙を持ち帰り、自室にこもると急くようにして手紙を開封した。
彼の繊細で美しい文字を見ると、心が躍った。
「あら、お友達が怪我を。ふふ、カジュナさんすごく心配してる」
──文通が始まって二か月。
あんなに面倒だと思っていたのが嘘のように、私はカジュナとの文通に夢中になっていた。
「“いつかあなたと一緒に星空を眺めたいです”だって。嬉しい、楽しみだな。でも、“楽しみにしています”って返事したら重いかしら。“私も星が好きです”くらい遠回しに表現したほうがいいかも」
彼は忙しいのか、郵便局へ行ってもたまに返事が届いていないことがあった。そんな時はひどく落ち込み、返信が届くと子供のようにはしゃいで喜んだ。
「世界が薔薇色に見えるって、こういう感じなのかな」
今思えば、これは私の初恋だったのだと思う。
最初こそ姉に対してほのかな罪悪感を抱いていたが、姉には伯爵家令息との婚約話が持ち上がっていた。それに安堵し、なおかつはじめての恋に浮かれていた私は、まったく気づいていなかった。
姉が嬉しそうな私を、憎しみのこもった目で見つめていたことに。
私の輝いていた日々は、ある日唐突に終わりを告げた。
「え、間違いだった……?」
「えぇ、昨日私のところに連絡が来て、その、アイナの手紙とあなたの手紙を間違えていたらしい、と言われたのよ」
申し訳なさそうな祖母が訪ねてきたのは、はじめて彼と会うことになっていた日の前日だった。
祖母の持ってきた手土産は、並ばないと買えない高級店のバターケーキ。紅茶を淹れながら感じていた嫌な予感は、あっさりと的中した。
「……らしい、って?」
「あぁ、彼の代理人から連絡をもらったの」
「代理人? どういうこと?」
これまでの文通で、代理人の話を聞いたことは一度もない。
「あら、ミスティったら本当に人の気持ちがわからないのね。“人違いでした。あなたのことを気に入ったわけではないです”なんて直接言えるわけないじゃない。代理人を立ててくれた優しさに感謝しなさいよ」
姉アイナが呆れたように笑った。確かに、そうかもしれない。
「わかった。じゃあ明日は私、休日出勤でもするわ。明日はアイナが会うんでしょう? 私、同席しなくても大丈夫よね」
頭の中がグルグルと回り、眩暈と吐き気がこみ上げてくる。
──間違い? どうして? だって、三か月も文通をしていたのに? 一緒に星を見たいっていうのも、間違いだったの?
「それは、えぇ、大丈夫だと思うわ。そう、研究所に行くのね、お仕事が溜まっているなら仕方がないわよね」
──明日のために私、はじめてドレスなんて買いに行ったのに。あなたが青い目だっていうから、勇気を出して海みたいに青いドレスを選んだの。二時間も、かけて。
「そうとなったら、ちょっと資料をまとめておかなきゃ。私、部屋に戻るね」
「えぇ、無理しないようにね」
「平気よ、慣れているから」
──祖母は私を引き止めようともしない。状況が状況だけに、祖母も気まずいのだろう。
「えー? 私、明日は商会のご長男とカフェに行く約束をしてたのに」
「カフェは延期してもらったら? じゃあ頑張ってね、姉さん」
どこまでいっても所詮、苔は苔でしかなかったのだ。私は必死で平静を装いながら、紅茶を一気に飲み干し澄ました顔で立ち上がった。
両手で頬を挟み、可愛らしく困った顔をしながら喜悦に顔を歪めている姉を見ないようにしながら。
********
「……今日来るのは副長さんか」
査察連絡の書類には、まるで殴り書きのようなサインがしてある。見慣れたものだが、自分の名前くらいもう少し丁寧に書けばいいのに、と毎回思う。
魔導研究所には月に一回、我がナナロンゲル共和国大統領ドゥルバールの命を受けた騎士団の査察が入る。そこで研究の成果や進捗を説明するのだが、正直なところ一か月程度で進むような研究はない。
だが大統領は「せめて半年おきにして欲しい」と所長が何度頼んでも、毎月必ず騎士団の人間をよこす。
大統領は非常に神経質で疑り深いことで有名だ。魔法という人智を越えた力を研究している研究所を警戒し、監視をしているのだろう。
「さぁ、副長さんが来るまでにさっさと帰らなきゃ」
このあと、騎士団副長のエスラス・カートパダムがやって来る。彼は職務の合間に訪れる他の騎士と違い、職務が終わった時間に現れる。勤務時間外の訪問には所長が応対してくれる代わりに、私たち研究員は全員、定時後は即時帰宅が義務づけられている。
そのため研究所に就職して三年も経つにもかかわらずいまだに彼の顔を見たことがない。というか、彼に関しては見たことがない研究員のほうが多いのではないだろうか。
「……本当に汚い字」
見ていると、なんだか笑いがこみあげてくる。
私はいつものように、査察対象になる資料の上に『お疲れ様です』と書いたメモを乗せた。そして少し考え『せっかく素敵なお名前なんですからもう少し丁寧にお書きになってみては』とつけ加えてみた。
「怒らせてしまうかしら。まぁ、別にこの人に嫌われたところで構わないけど」
『心眼選定』で手紙違いを指摘されてからほどなくして、私は家を出て一人暮らしを始めた。
私は知らなかったのだが、姉に来ていた伯爵家との縁談は“手紙違い”が発覚する直前くらいには立ち消えになっていたらしい。あちら側の不手際があっただかなんだかのようだが、詳しいことは知らない。
姉はひどく荒れていたようだが、カジュナさんとの縁談が滑り込んできたことですっかり機嫌を直したのだろう。両親の腫れもの扱いも嫌だったが、姉が彼とのデートから帰ってくるたびにわざわざ部屋までやってきて自慢してくることに耐えられなくなった。だから逃げるように家を出たのだ。
「……やだ、涙が出てきちゃった。私ってこんなに未練がましい女だったんだな」
自分でも驚きながら慌てて目を擦ったその時、廊下から足音と話し声が聞こえた。
「おい、なんでお前もついてくるんだよ」
「いいじゃないか。さっさと済ませて飲みに行こうぜ。そうカリカリすんなって、カートパダム副長」
聞こえた名前に、思わず時計を見る。時計の針は十七時半を指していた。らしくもなく浸っている間に、時間がけっこう経っていたらしい。
「え、どうしよう」
どうしようもなにも、普通に挨拶をして帰ればいいだけの話だ。それなのに私は、なぜか机の陰にしゃがみ込み隠れることを選択してしまった。
「それにしても、毎月来るのはやり過ぎだよな。最近は所長も迷惑そうな顔を隠しもしないんだぜ?」
「あー、だから出迎えがなかったのか。仕方ない、支持率が下降気味だから大統領も焦ってんだろ」
「仮にすごい魔法が復活したとしても、それはここの学者先生たちが頑張ったからであって大統領の手柄ではないんだけどな」
低く落ち着いた声と、どこか軽薄そうな声。
二つの声と足音はどんどん近づき、ついには室内に入ってきた。とりあえず、どっちが副長なのかよくわからない。そして私は完全に出るタイミングを逃してしまった。
ここはこのままじっとして、彼らの用が終わったらこっそり出て行くのが最善策だろう。
「そういえば副長、あの美人の“最高”とはもう寝た?」
その言葉を聞いた途端、私の心臓がどくんと鳴った。
──美人の、最高?
「……そのことは口にしない約束じゃなかったか?」
「あ、ごめん。そうだった。でもほら、あんな美人そうそういないだろ? 乗り換えて良かったじゃないか。嘘までついた甲斐があったよな」
──乗り換えて、良かった。嘘まで、ついて。
待って、どうして? だって、この『心眼選定』って個人情報はそこそこ守られているんじゃないの?
え、なに? まさか調べたの? それは駄目じゃない? 自分が選ばなかったほうが女神だってわかって、あー、俺って苔の生えた手紙なんてどうして選んじゃったんだろうって我に返って、間違えたって嘘までついて、手紙が楽しみだとかなんとか調子いいこと書いていたくせにあっさり手の平返してきたの?
私は震える手で床をつかみながら、机の陰からそっと顔を覗かせた。
黒い外套に身を包んでいる、二人の男性が見える。
一人は赤毛で、もう一人は姉のようにまばゆいばかりの金髪をしている。赤毛の青年もそれなりに整った顔立ちではあるが、金髪のほうは作り物のように美しい顔をしていた。腕に、二本の青い線が入った腕章をつけている。
と、いうことは。
「副長さんが、カジュナさんだったの……?」
騎士団のお給料は税金だから、それで筆名が『税金』だったんだ。
「あはは……あぁ、そっか。そういうことなんだ」
副長エスラス・カートパダムは本来、美貌に似つかわしくない雑な文字を書く。けれど、手紙の文字は溜め息が出るほど繊細で美しかった。
──つまり、彼は代筆を頼んでいたということだ。
彼は最初から『心眼選定』に興味がなかったのだ。だから適当に代筆を頼み丸投げし、定め事に反しているのであろう相手の身辺調査をしてこちらの情報を手に入れた。騎士団所属であれば、その程度の調査は容易かっただろう。
その時点でなぜ姉の手紙を選ばなかったのかわからないが、代筆者となにかしらの行き違いがあったのかもしれない。
気づくと、いつの間にか二人はいなくなっていた。早々に用事を済ませ、帰ってしまったのだろう。
「……容姿が地味で劣っている女には、なにをしてもいいって思ってるのね。なんて傲慢なの」
姉に乗り換えたことは別にかまわない。
私が一番許せないのは、手紙を自分自身で書いてくれなかったことだ。私は文章から彼の心を汲み取ろうと一生懸命になっていたのに、彼はそれを人任せにしていた。私の手紙も、おそらくはまったく読んでいなかったに違いない。
「最低、大っ嫌い……!」
あんな空っぽの手紙に、一喜一憂していた自分はなんて滑稽だったのだろう。
私は震える両足を必死になって支えながら、ただぼうぜんと立ち尽くしていた。
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この時、私はもう少し冷静にならなくてはいけなかった。
怒りと悲しみに支配される前に、深呼吸をして落ち着いてよく考えるべきだった。
それが出来てさえいれば、あんな取り返しのつかない過ちを仕出かすことはなかったはずなのに。