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共有夢(2)

「はあ」


 ため息をついて、それから足を止めた。僕が顔をあげると校門前。考え事をしていると時間がずいぶんと早く過ぎていく。腕時計を確認した。まだ8時くらいである。このまま校舎に入っていくか悩ましい。ウロの夢の頃のほうが歩き続けていられただけ時間つぶしに困らなかったな。

 考えていると視界の端に何か動くものがあった。今、誰か通り過ぎなかっただろうか。


「誰かが、いるのか……?」


 誰もいない世界だと思っていた。そういう夢だと思っていた。だけど、誰かが、何かがいるなら会ってみたい。何より暇だ。会話のできる相手であればいい。

 僕は人影の見えた方へ進む。足音はなるべく立てないようにした。ウロのように不気味なやつだったら話しかけるのは憚られる。

 学校に隣接している道路を挟んで曲がり角を曲がる。壁に張り付いて様子を伺う。無事追いついたようで、女性の後姿が見えた。黒いレザージャケットと、ハネっけのあるセミショートの髪型が活発な印象を与えてくる。だけど、僕の目を惹いたのはそこじゃない。


「……何だ、あれ」


 女性の更に後ろ、僕のいる側に、コウモリの羽のくっついた犬の首のようなものが浮いていた。ここから見ていても牙は鋭く光っており、その禍々しくも悪ふざけのような造形に一種の嫌悪感を感じる。観察するに、付き従っているというよりは付け狙う獣の様子であった。


「……化け物……!」


 どう考えても穏やかな存在ではなさそうである。前を歩く女性に気づく様子はない。僕は周囲を見る。もちろん助けてくれそうな人はいない。ここは僕の夢の世界。僕に都合が良くたっていいのに。

 ……いや。そうだ。夢だ。所詮。夢の中でくらい……。

 僕は今日の昼休みのことを思い出す。カラオケで懇親会をするはずだった流れを変えた女生徒の姿。今この眼の前の状況とはずいぶんギャップの大きい想起だけれど、僕にとっての本質には変わりはない。


 目の前の出来事を前にして、流されずに自分の意志を通すか否か、だ。


「ここなら死んだって、せいぜい目覚めるだけだ」


 僕は自分を鼓舞して通りに躍り出る。そして腕時計に格納していたお茶のペットボトルを取り出した。コントロールに自信があるわけではないけど、僕はそれを犬コウモリに投げつける。放物線を描いて飛んでいった緑茶がゴン、という間抜けな音を立てて、標的へヒットする。

 ……ヒットしてしまった。

 一瞬の間。前を歩いていた女性も音に気づいたか振り返る。僕と目があってから、犬コウモリを視界に入れている。その犬コウモリはというと、女性に絞っていた狙いを僕に定め直していた。犬の目は暗い情念を秘めたように鈍く光を帯びており、炎のように揺れている。そして目を引く牙のその奥、口内は真っ暗闇の洞である。

 ――怖い!

 思うと同時に僕は「逃げてください!」と女性へ口走った。


「うわああ!」


 僕は犬コウモリが飛んで追いかけてくるのを見てから踵を返して走り出す。やばい。夢ってこんなに怖いものなのか。小学校の頃に級友が語っていた怖い夢を笑っていたのを後悔する。一心不乱に駆けて校門までたどり着く。それから相手の位置を確認するために振り返った。

 やつとの距離は変わっていない。あんまり速くは動かないようだ。僕は校門をくぐり、登校口を目指す。

 玄関から入って扉を閉めよう。教室でもどこでもいい。隠れてバリケードを組もう。目が覚めるまでは四時間もない。どうにかそれまで耐えるんだ。

 登校口まで辿り着いた僕は再び振り返った。犬コウモリが迫ってきている。ふと思い出した僕は犬コウモリに向けてキックを放つ。距離があるから蹴りなんてもちろん当たらないし、当てるつもりもない。僕の狙いは違う所にある。


「くらえ!」


 キックと同時に、『メモリ化』で靴に格納していた石を飛ばした。石蹴りしていた時に格納したやつだ。ペットボトルに続いてこれも運良くクリーンヒット。犬コウモリの眉間に当たる。子犬の鳴き声をささくれさせたような不快な音を出して、犬コウモリは動きを止める。いいところに当たったかと喜びかけた時、その炎のような目で僕を睨み、急に突進してきた。


「あ、や、ば」


 スローモーションの光景。恐怖に後ずさる自身の視界。それよりも早く迫りくる白い牙。鼓動が酷くゆっくりだ。気絶してしまいそうな恐怖を覚える中、空から一筋のきらめき。視界に強い光が入り込んで、僕は思わず目を細める。

 次の瞬間、目前まで迫ってきていた犬のかぶとは真ん中からふたつに分かれていた。


「え」


 腰を抜かしてそのまま尻もちをつく僕。追いかけるようにして両断された犬コウモリが勢いづいた慣性に流されて飛び込んでくる。僕にぶつかる寸前で黒い霧に姿を変えて、空気へと溶けていく。霧消した怪物の頭の向こう。尻もちをついているせいで低い視界。一人の女の子が僕に背を向けて立っていた。

 視点が低いから最初に目に入ったのはショートパンツとそこから伸びる健康的な脚。上に目を向ければ袖のゆるったいショートブルゾンの裾からニットが覗く。茶色い髪を揺らした彼女はキャップを被っており、活動的な印象を与える。ただ、それらよりも何よりも目立ったのはその両手。

 右手にスラリと伸びる日本刀。左手には重厚な黒塗りの鞘。今しがた怪物を切り捨てたのはあれに間違いない。


「大丈夫?」


 彼女は振り向きざまにそう言うと、左手に持つ鞘に刃を納めていく。サイドテールにしている髪がふわりと舞い、キャップに隠れていた顔が見える。

 ……知っている顔だ。僕は恩知らずなことに、苦々しく引きつった面をしてしまっただろう。


「そ、染石さん……?」


 たった今僕を犬コウモリから助けてくれた女の子は、僕のクラスメイトの染石そめいし璃乃果りのかだった。


「ほえ? 知り合い?」


 キリッとした眉を緩め、とぼけた顔で僕を見ている。それから数瞬して、困ったように笑いながら頬を掻く。


「……ごめん、どこかであったかな?」


 苦い気持ちが膨らむ。僕は小さく息を吐いてから「いや」と呟いて立ち上がった。

 頑張って自己の証明をする必要もないだろう。所詮夢だ。流されるままでいい。


「すみません、人違いでした。助けてくれてありがとうございます」


 それから僕は少し自己分析してみる。今日、新木田に『高橋』呼ばわりされたのが余程心のなかで響いているのか。確か夢には本人の悩みなんかも現れると聞いたことがある。

 変わらず困った表情の染石を一瞥、彼女の更に奥から足音とともにもう一人の女性が歩いてきているのが目に入った。そんな僕の視線に気がついたのか、染石も女性の方へ向き直る。


「あ! きいねえ!」


 染石に『きい姉』と呼ばれ、笑顔で手を振り返す女性。彼女の服装――レザージャケット――に見覚えがある。先程まで、犬コウモリに付け狙われていたご本人だ。僕が命がけで助けたというのに、ずいぶん余裕でいらっしゃる。いや、結局助けてもらう側にまわっているわけだが。というかそもそも夢だが。

 例の『きい姉』は僕たちのいるところまで来ると、「りっちゃんありがとう」と染石の頭をキャップ越しに撫でる。それから、嬉しそうな染石を横目に見ていた僕に向き直って会釈した。


「勇気があるね。君にもお礼を言わなくちゃ。名前は?」


 僕のことをすっぽりと忘れている染石の前で名乗るのははばかられるものの、僕は答える。


「……九空埜くからのといいます。お礼は大丈夫です。むしろ、僕のほうが言う立場みたいですから」


 言いながら染石の方に視線をやってみたが、彼女はえへえへと照れ笑いをするばかりで僕のことに気がつく様子もない。我が夢ながら情けないものだ。

 あんまり楽しい夢じゃないな。……後どれくらいで朝は来るのだろうか。

 僕がそう思って左腕の時計に目を落とそうとすると、『きい姉』は「そう、九空埜くんか」と僕の名前を諳んじてから言った。


「はじめまして。私は師階田しがいた。……早速だけど君、面白い能力ちからを持ってるみたいだね」

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