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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

王子をかばって顔に傷を負った侯爵令嬢は、婚約破棄されたので傭兵になります。

作者: なつも

「こ、婚約破棄ですか?」


「…すまない、リリー。だけど、僕はどうしても君が怖いんだ…」


顔をうつむけたまま、かすれるような声でそうつぶやいたのは、私の婚約者のデヴィン王子だった。

久々に誘われた二人でのお茶会で、久々に令嬢らしく似合わない可憐なドレスを身に着けて王城へと足を運んだというのに、寝耳に水とはまさにこのことだ。


デヴィン王子は我がリンドバーグ王国の次期国王と目されている方で、私リリー・ナイトレイはその婚約者である…はずだった。


慣例に従って私が十五歳の時に社交界デビューを果たしたその夜、初めて出会ったデヴィン王子に見初められたのが婚約のきっかけであった。

それから今日までの約三年間、少し頼りないところもあるけれど、誰にでも優しく、音楽や詩を愛し、平和を愛するデヴィン王子のことを憎からず思っていた。

そして彼を支えていくべく次期王妃としての教育にも励んでいたのだけれど、ここに来て婚約破棄されてしまうとは。


「怖いというのは、この傷のせいですか?」


私はそう問いかけながら、自分の顔に走る傷をなぞった。

鼻のあたりから、右頬にかけて大きな傷跡がはっきりと刻まれている。


「傷…だけではない。君を見るたびにどうしてもあの日の戦場が、まとわりつく様な血の臭いが、肌を刺すような殺意の視線がよみがえってしまうんだ」


「なるほど、もはや私のことは生理的に受け付けられないと」


「すまない。僕を守ってくれたのは君なのに。自分がどれほどひどいことを言っているのかは自覚している。だけど、本当に君を見ると、どうしようもないんだ」


私と一瞬だけ目を合わせ、そしてすぐに視線を外したデヴィン王子はごまかすように紅茶に手をつけたが、ティーカップを持つその手はわずかに震えていた。

確かにこんな状況ではたとえこのまま結婚をしたところで、まともな夫婦生活が送れるはずもない。


「それならば、仕方ないですね。婚約破棄を受け入れましょう」


「え!? 受け入れてくれるのか!?」


「はい。婚約破棄にあたって王家からそれ相応の誠意をお見せいただければ、我が父も否とは言わないでしょう」


「しかし、リリー。君はどうするんだ?」


「私は…そうですね。今後はデヴィン様の視界に入らぬよう、身の振り方を考えますのでご安心を」


カップに残っていた紅茶を一気に呷って、席を立ちあがり、そのまま最後の一礼を済ませてから踵を返した。

油断すると今にも漏れそうなため息をグッと呑み込んで、二度と婚約者であった男を振り返ることなく、王城を後にした。



*********



「最近、距離を置かれていることは自覚していたけど、まさか婚約破棄されるなんてね。あんな猛獣でも見るかのような怯えた目を向けられたら、さすがの私も少しは傷つくぞ」


自分の屋敷へ戻り、早速母上に婚約破棄の旨を伝えると、ショックを受けて寝込んでしまった。母上の介抱はメイドに任せ、北の砦にいるナイトレイ侯爵家当主の父上に報告書をしたためつつも、トゲトゲした感情がつい口から洩れてしまった。


「リリーお嬢様は何も悪くないです。悪いのは全てあの玉無し王子ですから!」


「本人の前で言ったら不敬罪だからね。でもありがとう、マリア」


幼いころから私に仕えてくれている同い年のメイドであるマリアが淹れてくれたラベンダーのハーブティーを一口飲むと、少しだけ気持ちがほぐれた。


私リリー・ナイトレイは、リントバーグ王国の侯爵家の一人娘として生を受けた。

ナイトレイ家は古くから武門として名高く、代々に渡って王国の将軍職を担う人材を輩出してきた由緒ある家柄であった。

その家訓として、ナイトレイ家に生まれた者はたとえ女であろうと、武芸を子供の頃から徹底的に学ぶこととなる。


かくいう私も、物心つく前から剣・槍・弓・乗馬といった基本的なものから、投石具や投げナイフ、盾の取り回し、レスリング、甲冑体術等々、様々な武芸を文字通り血反吐が吐くまで叩き込まれる幼少期を過ごした。


特に私は女の身でありながら歴代のナイトレイ家の中でもかなりの素質があったらしく、十歳の頃には父上が率いる誉れ高き北狼騎士団の一般兵相当の実力を身につけた。

そして十四歳の頃には、北狼騎士団内でも指折りの実力を持つ騎士たちと互角の勝負をすることができるまでになっていた。


北狼騎士団の団長である父上にも実力は認められ、成人となる十五歳からは騎士として正式に北狼騎士団に所属することを許可されていたのだけれど、母上に社交界デビューだけはしてくれと泣きつかれて、一度だけという気持ちで参加したその会場でデヴィン王子と出会い、私の人生設計は大きく変更を余儀なくされた。


「美の女神サファリア様さえ嫉妬するような美貌と、戦神アポリス様に愛された剣の才を併せ持った、空前絶後の完璧超人なお嬢様を婚約破棄するだなんて! 王子の愚かさには開いた口がふさがらないです!」


マリアのあまりの持ち上げ方にハーブティーを吹き出しそうになり、どうにか直前で留めたものの、代償として派手にむせてしまった。

そんなことは意にも介さず、怒りに燃えたマリアは続けた。


「王子の肝っ玉はきっと粉砂糖一粒分くらいしかないんですよ。お嬢様がいなかったら王子の命はもとより、北の砦が陥落していてもおかしくなかったのに」


「ま、まあ王子がトラウマになるのもわかるほど、苛烈な戦場だったしね。命拾いしただけでも儲けもの、と考えるしかないのかな」


かくいう私も、雨の日に顔の傷がうずくたび、未だあの戦場のことを生々しく思い出してしまう。あまりに多くを殺し、あまりに多くを亡くした、あの地獄の底のような籠城戦を。



*********



昨年、慣例の視察のために北狼騎士団が守る北の砦を訪ねたデヴィン王子に私も同行した。北の砦は隣国であるアリストラ帝国との国境線を守る要所であり、ここ数年の間は両国の緊張状態が高まり、頻繁に衝突が続いていたため、砦を離れられない父上と私は二年ほど会えておらず、それを不憫に思ったデヴィン王子が視察への同行を誘ってくれたのだ。


本来、次期王妃となる婚約者を砦の視察に誘うなど非常識ではあったものの、北の砦はリンドバーグ王国が建国されてから一度も破られたことのない難攻不落の砦であったことや

季節が通常は戦争の起きない冬であったことなどもあり、周囲からもそれほど反対意見も出ることなく、私の同行は許された。


そして王子が砦に着き砦の主である私の父上が、王子の歓迎のための宴を開いた夜、何者かが祝宴の席で出された酒に毒を混ぜていたために、私の父上を含めた北狼騎士団の幹部・騎士たちの多くが倒れた。

そして同時にアリストリア帝国による大規模な夜襲が起こったのだった。


不幸中の幸いとして、下戸の王子に合わせて酒を飲んでいなかった私は、毒で倒れることはなかった。

迫りくるアリストリア帝国兵はおよそ六千。一方の砦側の動ける兵は二千に満たず、兵を指揮した経験がある者もごくわずか。王都へ援軍要請を送ったものの、いくら難攻不落といわれる砦といえども、その援軍が来るまで堪え切れるかは分の悪い賭けだった。


武芸と共に、私は過去の先人たちが遺した膨大な戦略・戦術の記録を、諳んじられるようになるまで繰り返し精読させられてきた。そのことから、指揮系統が正常でない軍がいかにもろいかも理解をしていた。

経験も実績も信頼も何もない。だが、騎士団長として立ち振る舞う父上の姿をずっと見てきた私には、その真似事くらいならできるだろう。そう開き直ることで、北狼騎士団の指揮を執ることを即決した。


想定外の修羅場におびえるデヴィン王子に、この砦の臨時の指揮官として任命することを迫り、半ば無理やり承諾を得ると、動ける全ての兵の前で演説をぶった。


『敵は卑怯な策略で、砦の酒に毒を混ぜた。我が父・オースデンとその他の騎士もその毒に倒れた。迫りくる敵は約六千。対する我らは二千に満たない——だがそれがどうした! 我らは王国の北狼! その爪で臆病者の腹を斬り裂き、はらわたを引きずり出せ! その牙で卑怯者の頭を噛み砕き、脳漿をぶちまけろ! この大地を、己の身を、敵の血で染め上げてみせよ!!』


北狼騎士団のほとんどは、私が子供の頃から知っている顔ばかりだった。

その一人一人の瞳に凶暴な光が宿り、獣のような気勢を上がった。

そしてそれから始まったのは、まさに血で血を洗う泥沼の攻防戦。


寄せては返す波のように、攻め手を交代させながら絶え間なく襲い掛かってくる敵軍を、父上が育て上げた精鋭揃いの北狼騎士団の兵士たちは果敢に迎え撃った。

おそらく普通の軍であれば、数刻ももたなかったであろう程の苛烈な攻め手をどうにか食い止めるべく、喉の奥が切れて血を吐こうとも、各所へ指揮と檄を飛ばし続けた。


そして自身も城壁にとりついた敵相手に槍を振るい、熱した油をかけ、石を落とし、弓を射かけた。当然、「殺人」は初めてだったが、感傷に浸る間さえ与えられず、目の前の敵をいかにして殺すかだけを考え続けた。


だが一日一日と、次第に北狼騎士団の数は削られていき、攻城戦が始まって3日目の昼、奮闘むなしく遂に敵の破城槌によって北門が破られ、敵軍が城内に雪崩れ込んできたのだった。


そして北門が破られたことを確認した私は、他の兵たちと共に砦の南側にある城主の居館を最終決戦の場と決め、退却することを選んだ。

砦の城主の居館には、戦いが始まった当初から毒で倒れた者たちや非戦闘員たちを避難させていた。婚約者のデヴィン王子も、王都へ先に退避させれば砦の士気を下げることに繋がるため、彼らと共に監禁…もとい避難してもらっていた。


しかし、タイミングの悪いことに劣勢を感じ取った王子は、王都から連れてきた護衛たちと共に居館から抜け出し、南門から王都へと逃げ出そうとしたようで、そこを敵軍に囲まれてしまっていた。

王子の護衛たちもそれなりの使い手揃いであったが、敵の将兵らしき漆黒の甲冑を着込んだ男は、尋常ならざる大剣を片手で軽々と振るい、一人また一人とまるで枝木を払うかのように斬り伏せられていった。


その漆黒の甲冑と、大剣に刻まれた獅子の紋様。

その男が『黒獅子』と呼ばれ、数多の戦場で死体の山を築いてきた有名な怪物であることに気づいた。銀狼騎士団の精兵たちを幾人も斬り殺してきた仇敵であった。


そして遂にその剣が王子に迫ろうとしたその瞬間に、私は人垣の隙間を縫ってどうにか身体を王子の前に割り込ませ、黒獅子の剣を正面から受け止めた。

いや、正確には受け止めようとした、だ。


その衝撃たるやすさまじく、とても受け止めきることはできずに私の剣は粉々に砕け、甲冑の頬当ごと鼻から右頬にかけてを深く斬り裂かれた。

だがどうにか剣の軌道を逸らして致命傷は避けられたので、砕けた剣を放り投げ、すぐさま王子の腰に差したままになっていた剣を拝借して黒獅子と対峙した。


『女?』


『狼さ』


そんな短いやり取りだけ交わし、私と黒獅子はぞんぶんに剣と剣で応酬を重ねた。

剣を合わせては駄目だ。腕力が違いすぎる。その斬撃の全てを躱し、黒獅子の甲冑の隙間に己の剣を滑り込ませる。欲張らず、深追いをせず、動き回れ、翻弄しろ。呼吸を読め、目線を読め、そしてその全ての裏をかけ——。


敵軍と自軍が入り乱れ、怒号や悲鳴が飛び交う中、

しかし私には黒獅子の存在だけしか視界に入らず、黒獅子の呼吸や剣が空気を斬り裂く音だけしか聞こえず、まるで二人だけの世界にいるような感覚にまで深く潜りこんでいった。

死があまりに身近に迫っているというのに、尋常ならざる剣の使い手である黒獅子との濃密な剣の駆け引きに、知らず知らずの間に口角が上がってしまっていた。


『っち、時間切れだ』


終わりは唐突にやってきた。

黒獅子がそう言って剣を鞘に納めると、途端に私の視界も元に戻り、敵軍から撤退の鐘が打ち鳴らされていることを知った。

自軍の兵たちが、「王都からの援軍が来たぞ!」と歓喜の声をあげており、ようやく状況を把握した。援軍が紙一重のところで間に合ったのだ。


『名は?』


『リリー・ナイトレイ』


『覚えておく』


気が抜けていたのか、素直に自分の名前を教えてしまったことは今でも悔やまれる。

だが、黒獅子は部下たちにいくつか指示を与えると、甲冑と同じく漆黒の毛並みが美しい馬にまたがり、風のような速さで立ち去っていった。


そうして北の砦は首の皮一枚のところで、陥落を免れることとなった。


もちろん北の砦の攻城戦で、デヴィン王子の婚約者である私が総指揮を執って戦ったなどという事実は隠蔽され、アリストリア帝国軍を撃退した功績は全てデヴィン王子のものとして王国中で喧伝され、王子の国民人気はうなぎ上りとなった。


毒を飲んだ北狼騎士団のうち、数十人はそのまま息を引き取ったが、私の父上は一週間後にはいつも通りの訓練をこなすほどに快復をし、先月また北の砦へと戻っていった。

北狼騎士団の損害は大きく、籠城戦を通してその半数以上が死傷したため、大幅な再編成と兵の補充が行われ、しばらくは新兵を鍛え倒す日々が続きそうだと父上は笑っていた。



*********



「お嬢様はこれからどうなされるんですか?」


「身の振り方を考えないとね。さすがに王子の元婚約者である私が再び戦場に出ることは国が許可しないだろうし、かといって婚約破棄された傷物の私に新しい婚約者が現れるとも思えない」


「お嬢様はこの国を救った英雄ですよ! それなのに、なんでそんな仕打ちを受けねばならないのですか…! 王子のせいですよね? 私が王子を殺せばどうにかなりますか!?」


「とりあえず落ち着こうか、マリア。王子殺しても状況悪化するだけだから」


私の代わりに涙を目に湛えながら意味不明な方向で怒ってくれるマリアの素直さにくすぐったさを覚えた。

この可愛い大事なメイドのこの先の幸せを、願わずにはいられなかった。


「このまま屋敷にこもって後ろ指をさされながら余生を過ごすというのは性に合わないし、私の取り柄と言ったら磨いてきたこの武芸しかない。となると家名を捨てて王国を離れ、別の国で軍人になるか、傭兵になるかといったところかな」


「お嬢様! 私もついていきます!」


「駄目だ」


食って掛かる勢いで、私に同行することを提案してきたマリアの鼻先を人差し指で押しとどめた。


「しばらくは自分の生活基盤を築くので精一杯だろう。マリアは足手まといになる」


「そんな…」


「もし安定して稼げるようになったら連絡するさ。今の給金以上は約束するから、その時はまた私に仕えてくれるか?」


「はい…はい! 喜んで!」


そう簡単にマリアを雇えるほど稼げるようにならないだろうことはわかっていた。

だが、こうでも言わないと本当について来かねないマリアの素直な性格も知っていた。

感極まったように、そういって私の胸に飛び込んできたマリアを抱きとめ、その頭を撫でてやりながらふと、私にもこれくらいの可愛げがあれば婚約破棄されなかったのかもなと思い、少し切なくなった。



その翌日には身支度を済ませて、母上に別れの挨拶をしてから、出奔した。

母上も朝には冷静さを取り戻しており、私が他国へと逃れることに賛成をしてくれた。そして金貨の詰まった巾着と、本当は嫁入りの際に渡すつもりだったという、海の色を溶かし込んだような碧の宝石があしらわれた首飾りをもらい受けた。


母上の家に代々伝わる家宝らしく、いざとなればその首飾りを売って生計を立てろと言ってくれたが、私は静かに首を横に振ってその場で首から下げた。その日以来、私は寝る時も肌身離さず、その首飾りを大事に守っている。


ちなみにその場で私も腰辺りまである銀髪を、首元辺りでバッサリ切った。少なくとも旅の間は無用なトラブルに巻き込まれないよう男の格好をするつもりであったし、王子の婚約者になってから伸ばし続けていた髪と別れることに、清々した気分にもなった。


そして、最低限の武装と荷物を持って乗合馬車を乗り継ぎ、王都を離れて西へ西へと移動していった。

一週間後には国境の街に着き、そこからは足取りが掴まれぬよう街道を外れて山に入り、尾根沿いに歩き続けること4日、遂にキュリジオ連邦の街の一つにたどり着いた。


キュリジオ連邦は、大国であるリンドバーグ王国とアリストリア帝国に国境を接しているため、両国からの独立を保つべく複数の小国が同盟を組んで誕生した連邦であった。

大国に比べれば資源も乏しく農作地も貧しく、そのため同盟を組んではいるものの、小国同士の小さな争いが絶えない土地でもある。


かといって大国のように大規模の常備兵を養えるほど豊かな国もないため、傭兵の需要が常に絶えず、自然と数多くの傭兵団が生まれて消えを繰り返している。

つまり傭兵天国なのである。


傭兵と一口に言っても、軍隊並みに規律の取れた傭兵団もあれば、ゴロツキや山賊と変わらないような連中が集まった傭兵団も存在する。というより、後者の方が圧倒的に大多数を占めるのが現実だ。そのため、私もキュリジオ連邦に到着してからひと月かけて街を転々とし、まずは傭兵団に関する情報を集めた。


連邦内でも勇名が轟く傭兵団は『紅蓮の烏団』『ニワトコ団』『双頭の毒蛇団』の三つ。


『紅蓮の烏団』は連邦内でも最も所属する傭兵の人数が多く、常に三百人前後の構成員がある大所帯の傭兵団だった。傭兵団内の役職も細分化され、兵の連携もそれなりのレベルにあった。

『ニワトコ団』は、百人ほどの中規模の傭兵団だが、その一人一人が精鋭であり、特に団長を務めるゾーイという傭兵は、鬼神のごとき強さであるとのことだった。

『双頭の毒蛇団』は、三つの中で圧倒的に評判が悪く、金に汚く、手段を択ばず、汚れ仕事も積極的に請け負うということで、周りの傭兵団からも忌み嫌われていた。だが、その実力に関しては誰も疑う者はいない。


その中で私が選んだのは、『双頭の毒蛇団』だった。

理由は単純で、『双頭の毒蛇団』の団長が双子の女傭兵であったからだ。



*********



「リリーは『ニワトコ団』のゾーイを見たことはあったのだったかしら」


「いや、まだ見たことない。素手で人の首を引きちぎるとは本当なのか?」


「それくらいやりかねない化け物であることは間違いないぜ!」


『双頭の毒蛇団』に入団して早二か月が経っていた。

傭兵は弱肉強食の世界。力を示せば直ぐに傭兵団の中での序列も変わり、私は己の剣の腕を認めさせ、既に団長の双子であるイレネとカイネの二人に次ぐ、第三席の座を手にしていた。


毒蛇などと自称しているイレネとカイネも、話してみると気の良い姉妹だった。

傭兵団には私の他にも女の団員が二十人ほどおり、皆戦争や略奪で行き場をなくした女たちで、周りから舐められないために意図して悪名を自ら広めてきたのだそうだ。


今では私の戦略や戦術に関する知識を見込まれて、傭兵団の作戦指揮についても相談を受ける間柄となっている。

そして今日も夕食後に、野営をする双子の天幕に一人呼び出されていた。


「今回の私たちはベルセリア国に雇われたわけだけど、敵対しているトリュール国が『紅蓮の烏団』を雇ったらしいのよ。それで慌てたベルセリアは『ニワトコ団』も追加で雇い入れ、今度の仕事では私たちと『ニワトコ団』が軍の主力を担うことになったわ」


「今回はここ数年で一番デカい戦になるってことだぜ! 血が沸くな!」


姉のイレネの言葉に、妹のカイネは自分の手のひらに拳を打ち付けながら嬉しそうに目を輝かせた。この二人は双子で見た目はそっくりなのに、性格はもちろん、口調も表情も正反対と言っていいほど異なるので、すぐに見分けがつく。


「明日の夜、宮殿でベルセリア側につく傭兵団の団長と幹部が招待された集会が開かれる。それにリリーも参加してほしいの」


「ああ、わかった」


「ただね、ベルセリアの王様は傭兵を招待しておきながら、正装してくるよう要求してきたのよ。武装解除させたいという狙いもあるのだろうけれど。というわけで、これ」


そういってイレネは銀の刺しゅうが入った豪華な深紫のドレスを私に手渡してきたので、思わず顔が引きつってしまった。


「悪いけど明日はこれを着て参加して頂戴。もちろん、ダガーくらいは忍ばせておいてね」


「ぎゃはは! リリーにドレスなんて似合わなそうだぜ!」


「カイネには言われたくないぞ! 強く否定も出来ないけど…」


今更参加しないとは言えない私は、しぶしぶドレスを受け取って、自分の天幕へと戻った。ドレスを着るのは婚約破棄をされた日以来のことで、もう二度と着ることもないものだと思っていたのに、人生わからないものだ。


翌日の夜、ドレスで着飾った私と双子の三人は、傭兵団の所有する馬車に乗って、王都の宮殿へと向かっていった。

イレネとカイネは女性らしい身体のメリハリがあり、髪色にあわせた黒のシックなドレスが素晴らしく似合っていた。

イレネはもちろんのこと、口惜しいことにカイネも黙ってさえいれば良家の御令嬢と言われても知らない人は信じてしまうだろう。


「こうして見ると二人とも、まさか悪名高い傭兵団の頭とは思えないな」


「まあな! あたしもイレネも、リリーと違って胸がでかいから、こういうドレスも似合っちゃうわけよ!」


鼻高々にマウントを取ってくるカイネの鼻を無言でつねり上げていると、馬車は宮殿に着いたようで、馬のいななきと共に停車をした。


「大丈夫よ、リリー。貴女もちゃんと似合っているわ。私が選んだドレスだもの。まるで本物のお貴族様みたいよ」


先に馬車を降りたイレネは、そう言って妖しく微笑み、続いて馬車を降りる私に手を貸してくれた。

私の素性をどこまで調べ上げているのかはわからないが、私も内心の動揺は見せぬよう、「ありがとう」と余裕をもって微笑み返した。


招かれた宮殿は、大国であるリンドバーグではせいぜいが地方貴族の館程度の大きさであった。

大広間に通されるとそこには料理や酒がすでに用意されており、人相の悪い傭兵たちが似合わないきれいな格好をして、好き勝手に飲食をしていた。


「ぎゃはは! どいつもこいつも正装が糞ほど似合ってねえ!」


「こら、カイネ! 思っても口に出すんじゃない!」


慌てて私はカイネの口を無理やり手で塞ぎ、突き刺さるような周りの視線に対して愛想笑いを返しながら、目立たない壁際までカイネを引きずっていった。

どうやらこうなることを見越して、イレネはカイネの子守り役として私をこの場に呼んだのだろう。

気が付くといつの間にかイレネは私たちから離れて、他の傭兵団の団長たちと談笑をしていた。


「外交はイレネに任せて、私たちは大人しくしていよう。それにしても、思ったより人が多いな。」


「ああ、あそこにいるのが『密林のサソリ団』の奴らで、あっちのが『暁の千剣団』、んでもってあっちのが『猛牛ぶっ殺し団』だな。アタシら含めて5つくらいの傭兵団に声をかけたみたいだ」


「色々変わった名前の傭兵団もあるんだな。それで、例の『ニワトコ団』は?」


私がそう問いかけると、カイネはテーブルから取ってきていたチキンの足を噛みちぎりながら、ある一点を指さした。

そこには、周りの屈強な傭兵たちからも頭一つ分抜けて背の高い大男がおり、テーブルに用意された料理を大皿ごと取って、豪快にかっ食らっていた。


「なるほど、あれが噂のゾーイか。確かに、怪物じみているな」


人間の中に一匹だけ熊が紛れ込んでいるようなものだ。

遠目からでもその丸太のような腕の太さを見れば、その怪力ぶりが容易に想像できる。


「どうだ、リリーなら勝てそうか?」


「どうだろうな。だが、できれば戦場で敵としては出会いたくないよ」


「嘘だね。にやついてるぜ、リリー」


そう指摘されて私は思わず口元を手で隠した。

ゾーイとの戦闘を想像していたのだが、私としたことがはしたないことをしたものだ。


「失礼。お二人は『双頭の毒蛇団』の方々ですか?」


横から話しかけてきたのは、この場では珍しく正装姿がよく似合った、端正な顔立ちの黒髪の男だった。


「そうだぜ。あたしは副団長のカイネ。んでもってこいつは新人のリリーだ。新人っつっても剣の実力じゃ、傭兵団一の使い手さ。んで、あんたは?」


「俺は『ニワトコ団』のレニスと申します。今回はうちと、『双頭の毒蛇団』さんが戦いの主力を担うことになりそうですので、ご挨拶をと思いお声がけさせていただきました」


「傭兵らしくねえ、お貴族様みてえな喋り方する奴だぜ。いけ好かねえが今回は味方だ。せいぜい足をひっぱんなよ」


挑発するような言い草のカイネの頬をつねり上げ、私が代わりに「すまない」と頭を下げた。

レニスはカイネの言葉に気分を害した様子もなく、気づけばただじっと私の方を見つめていた。


「何か?」


「その顔の傷…いえ、何でもありません。それではまた」


わずかに言い淀んだが、それからすぐに作り笑いを浮かべると、レニスは踵を返してまた別の傭兵団の人間に話しかけにいった。


「なんだあ? 傭兵の顔の傷なんて珍しいもんでもないだろうに」


私の顔の傷をツンツンと指先でつつきながら、カイネは首を傾げた。

確かに女傭兵の数は男に比べればそれは少ないものの、傭兵の総数が多い連邦では目立って珍しいという程ではないし、戦場を生業としている以上は顔に傷を負ったものもごまんといる。


「カイネ、あのレニスというのは名の売れた傭兵か?」


「いやあ、アタシは知らないぜ? 『ニワトコ団』はゾーイの他だと、有名どこは切り込み隊長のポットブルあたりか? 結構あそこは傭兵の入れ替わりが多いんだよ。ただ、レニスって名前は初めて聞いたな。優男だったし、腕っぷしより頭を使う側なんじゃねえか?」


「そうか」


そのカイネの話を聞いて、私の中でレニスという傭兵に対する警戒心が秘かにまた一段、上がった。


それからほどなくして傭兵たちを集めたベルセリア王が大広間に現れると、退屈な演説を長々と垂れた。これから始める戦争の正当性を仰々しく謳うものではあったが、傭兵たちは皆白けた顔をして、その話を聞き流していた。


続いて摂政と名乗る貴族が、これからの行軍予定や報酬、敵戦力の予想などの説明が終わると、それから傭兵団同士の懇親会は再開された。


カイネは昔馴染みの傭兵仲間を見つけ、酒の飲み比べを始めたので、私はカイネから離れて一人壁の花となりながら、ちびちびとワイングラスを傾けていた。

出された料理の質はいまいちだったが、ベルセリアの白ワインはなかなか美味で、ついつい酒が進んでしまっていた。


「隣、よろしいですか?」


「ああ、構わないよ」


レニスが声をかけてきたので、私は小さくうなずいて肯定した。

そしてレニスが持っているグラスは、ワインではなくオレンジの液体で満たされていたので気になって見ていると、レニスは苦笑しながら説明を始めた。


「あ、これですか? 俺、酒は飲めない質でして。そう伝えたら、気を利かせてオレンジを絞った飲み物を出してくれたんですよ」


「そうか。勿体ないな、白ワイン美味しいのに」


ちらっと、同じく下戸であったデヴィン王子のことを思い出し、甘かったはずの白ワインがとたんに苦みを増したように感じた。


「リリーさんは『双頭の毒蛇団』には最近入られたとのことでしたけど、傭兵稼業も始められてまだ日が浅いのですか?」


「傭兵になったのはつい最近だ。だから、今回が初めて傭兵として参加する戦争になる」


「なるほど、それはそれは。リリーさんは剣の腕が立つということですし、さぞや戦場という晴れの舞台が楽しみでしょう」


「いや…そうでもない。傭兵の宿命とはいえど、金のために人を殺めるのは正直、気が引ける。今回の戦争で自分が傭兵を続けられるかを見極めるつもりだ」


「リリーさんは変わっていますね。人を殺す理由に上下なんてないのに」


ここ数日、自分が真剣に思い悩んでいたことに対して、理解できないというように薄ら笑いを浮かべながら肩をすくめてみせるレニスに、少しだけ感情が逆立った。


「そんなことはない。己の国や大事な人を守るために戦って人を殺めることと、日銭を稼ぐために人を殺めることは違うだろう」


「それは殺す側の論理であって、殺される側からしたら一緒でしょう」


反論をしたところ、すぐに返されてしまった。

それも自分にはない考え方であり、それをすぐに否定できる答えを自分の中に見出すことができなかった。


「確かに貴方が言うことは正しいのかもしれない。でも、私はやっぱりどこか違うと思う。理由はまだ上手く言葉にできないけど」


「素直な方ですね。それに美しく、聡明でもある」


「へっ!!?」


しれっと、褒められたので思わず動揺してしまった。

それが恥ずかしくなって、私は半ば無理やり話題を変えることにした。


「そ、そういえば、さきほどは私の顔の傷のことで気になることでも?」


「いえ、可憐な女性の顔に傷をつけた不届き者は、どんな奴だったのかと気になっただけですよ」


「うぐっ! …さっきからからかっているのか?」


「本心ですよ」


きっと顔がいい男だから、遊び慣れているのだろう。

歯の浮くようなセリフを、自然とすらすら並べてみせるので、防戦一方になっていることを自覚した。


「こ、この傷をつけたのは、すさまじい剣士だった。戦えたことを誇りに思えるような」


「その相手を恨んでいないのですか?」


「剣を交わすとその相手を知ることになる。あの剣は、血のにじむような努力を途方もなく重ね続けてきた者の剣だった。そして何か大きな責任を背負った剣でもあった。だから、今も敵ではあるけれど、私は彼の剣を嫌いになれないんだ」


「…剣を交わすのは、会話を交わすも同じということですか。達人の世界は俺にはわかりませんが、興味深いものですね」


「謙遜しているのか。それとも私が見くびられているのか。どちらだ?」


「どういう意味ですか?」


「その鋼のように鍛えられた肉体、歩く際の重心の据わり方、こちらが隠し持つダガーの間合いを読む観察眼、剣ダコもできぬほど厚くなったその手のひら。貴方はこの場でも指折りの強者だろう」


私がそう指摘すると、レニスは目を細めた。

自ら弱者の擬態をする理由はわからないが、嘘をつく人間は、いくつの嘘をその身に重ねているのかわからない。つまりこの男は何も信用しないと、私は考えることにした。


「…なるほど、ますます欲しくなった」


レニスの口調も、纏う雰囲気も、別人のように変わった。

先ほどまでの軽薄そうな笑みとは打って変わって、氷のように冷たく妖しい微笑を湛えたレニスに見つめられると、まるで大蛇に睨まれたかのような息苦しさを覚え、私は自然と足に隠し持っていたダガーに手を伸ばした。


「リリーさんは今、恋人はいますか?」


「ん!? いや、いないが…」


「では、俺が貴女を口説いても問題はないですよね?」


「は?」


「貴女に恋をしてしまったようです」


「えあ!? あ、うん、え、おお…え!?」


つい先ほどまで緊迫感のある空気だったはずが、どうしてそうなる!?

王子に見初められた際も、王家経由で私の家に婚約の打診が来たため、こんなアプローチを正面切って受けたのは人生において初めてのことで、全く脳みその処理が追い付かない。


「てめー、うちのリリーになにコナかけてくれてんだ! その粗末な息子切り落とすぞ、コラ!!」


突如、後ろからレニスに飛び蹴りを食らわせたカイネの乱入によって、その場は一時騒然としたものの、気が付くとまた先ほどまでの軽薄そうな顔に戻っていたレニスが如才なく立ち回り、その場はうやむやとなった。

その後はレニスと会話を交わすことなく、その夜の集会はお開きとなったが、私の中ではレニスという男の存在は、要注意人物として深く刻まれた。



*********



「いつまでにらみ合っているつもりなんだあ? 眠くなってきちまったぞ、アタシは」


膠着した戦況に飽きたのか、カイネは馬上で大きなあくびをしながら愚痴った。

集会から4日後の昼。ベルセリアとトリュールの国境に広がる、大平原にて両国の軍は陣を広げ、朝からにらみ合いを続けていた。


ベルセリア国は傭兵約五百、徴兵した兵士約千五百のあわせて二千の戦力。

対するトリュール国は傭兵約四百、徴兵した兵士約千九百のあわせて二千三百の戦力となり、その差はわずかながらトリュールの方が多い。


私たち『双頭の毒蛇団』は陣の左翼に集められ、『ニワトコ団』は反対の右翼に集められていた。

そして、敵の陣に目を向けると、私たちと正対して『紅蓮の烏団』の赤い団旗が風になびいていた。


「私たちが『紅蓮の烏団』が主力となる敵左翼を食い止めている間に、『ニワトコ団』とベルセリアの騎兵が敵右翼を潰して、横面から敵本陣を食い破ろうって作戦かしら。どうやら外れくじを引かされたわね」


親指の爪を噛みながら、イレネは敵陣を見つつ舌打ちをした。

そしてその戦略予想には私も同意だった。

私たちが崩れるのが先か、敵右翼が崩れるのが先か。

私たちに課せられたのは攻めではなく、守りの戦いということだ。



「『紅蓮の烏団』か。明らかに他の傭兵たちや徴兵された農民たちよりも良い装備をそろえているな。どれほど持ちこたえればいいと思う?」


「『ニワトコ団』次第ね。といっても私たちは傭兵。この戦いに殉じる筋合いはないわ。持ちこたえられないと判断したら逃げの一択よ。その時の殿は…頼めるかしら、リリー」


「ああ、承知した」


敗走した際の殿は、最も危険で最も重要な役割だ。

殿の働き如何で、味方の死人の数は大きく左右される。それを任せられるというのは、それだけイレネが私の剣に信頼を置いてくれているという証でもある。


そしてイレネは「外れくじ」と言ったが、私は内心ほっとしていた。

敵を攻める戦いよりも、仲間を守る戦いの方が私には性に合っていると思う。


その後、日が傾き始め今日はもう戦はないかと思った矢先、敵陣から突如として鬨の声が上がり、『紅蓮の烏団』が前線を担う敵左翼がわずかに先行しつつ、敵軍全体が前進を始めた。


すると、呼応するように味方からも鬨の声が上がり、指揮官たちが「全軍前進!」と野太い声で指示を出した。

所詮は寄せ集めの軍であるため、兵たちの足並みがそろうことはなく、敵も味方も動き出せばすぐに陣形も不細工に歪んでしまう。

それだけ統率された動きを取り続けることは難しく、長期間の訓練が必要なのだ。

傭兵団といえども、普通は綺麗な陣形を保ち続けることなどなかなかできない。しかし、正面から近づいてくる『紅蓮の烏団』は、それなりの統率を見せて迫ってくる。


「なるほど、これは手ごわそうだ」


思わず剣を握る手に力がこもってしまう。

はやる気持ちを落ち着かせるためにも、改めて味方の陣形に目を向けると、『ニワトコ団』が主力の左翼が、大きく陣から突出しているのが見えた。

その先頭を駆けるのは、騎乗した団長のゾーイと、そしてその隣にはレニスが馬を駆け、並走していた。


あまりに『ニワトコ団』は先行しすぎており、これでは敵の弓兵の良い的だ。

案の定、敵の弓兵隊が放った矢の雨が『ニワトコ団』を襲うが、その直前で突如として方向転換したレニスの馬を追いかけるようにして『ニワトコ団』は大きく弧を描くように右側へと逸れて、弓を躱して見せた。

そして変えた進路をそのままに、『ニワトコ団』は最も兵が厚い敵陣中央へと突撃していった。

あまりに無謀だが、その突撃は強力だった。

敵からしても予想外だったこともあり、混乱する前線の敵兵たちをやすやすと吹き飛ばし、敵陣を中央から深く斬り裂いていった。


「イレネ! 先頭は私が!」


「っ!  『双頭の毒蛇団』! 全速力で前進!! 『紅蓮の烏団』を『ニワトコ団』の背後に回らせるな!」


私の意を即座に汲んだイレネは、すぐさま傭兵団に前進の指示を出した。

『ニワトコ団』がいかに強力といえども、敵陣中央を攻める今、『紅蓮の烏団』に背後を取られれば袋のネズミとなって壊滅は必至。

つまり、そうさせる前に私たちが『紅蓮の烏団』に襲い掛かり、動きを止めなければならない。


私は味方左翼の先頭で馬を駆け、『紅蓮の烏団』へと斬り込んでいった。

『紅蓮の烏団』も予想外の展開にわずかに陣形の足並みが乱れており、攻め入る隙間ができていた。そこに剣を振るいながら滑り込むようにして分け入っていく。


すぐに飛び交う怒号と悲鳴で耳鳴りが起こった。

無我夢中で剣を振るい、血煙が視界を赤く染め上げた。

汗と血と糞尿の臭いが鼻の奥を針のように突いた。

人を斬った脂で剣はすぐに切れなくなり、ただの鈍器となっても振るい続けた。

敵の槍がわき腹をかすめ、飛んできた矢を兜がはじき、火花が散った。

それでも止まらず、味方を振り返ることも瞬きすることも忘れて、ただ剣を振るいながら前へ前へと馬を駆け続けた。

何人斬ったかもわからず、いつまで続くかもわからず、終わりなどないのではないかと疑い出したところで、ふいに視界が開かれた。


どうやら、敵の右翼を抜けたようだ。


そこで初めて後ろを振り返ると、血だらけになったイレネとカイネ、そして『双頭の毒蛇団』の面々が数を減らしながらもついてきていた。

ここまでついてこられたのは団の半数の百名程度。

残りは足止めを食らったか、逃げ出したか、殺されたか。


「イレネ、どうする!?」


「ここまで来たら、敵の本陣を背後から襲うわ!」


「わかった!」


息つく暇もなく、再び馬を反転させて、今度は敵中央の本陣を後ろから狙うべく馬を走らせた。

敵は正面から迫る『ニワトコ団』に注意が集中し、こちらにまるで気づいていない。

馬を走らせながら、服の袖で剣についた血糊をぬぐい、腰に下げた水筒の水を一口飲んで、残りを頭からかぶった。

そして、鼻から深呼吸を繰り返して息を整え、覚悟を決めて再び敵陣へ背後から襲い掛かった。


直前で敵方の指揮官もこちらの存在に気づき、慌てた様子で指示を飛ばしていたが、戦場では兵をすぐに反転させることは不可能に等しい。

そのまま指揮官の首を斬り飛ばし、敵本陣へと侵攻すると、前方にひときわ豪華な装備でそろえた兵の一団がおり、毛並みの良い白馬に乗ったトリュール国の王とその王太子と思しき人物を守るように囲んでいた。


私を突きかかってきた敵兵の槍を紙一重で躱すと同時にその指を切り落とし、槍を奪い取った。そして馬上からトリュール王に狙いを定めて槍を投げつけた。

狙い通りまっすぐ王へと飛んで行った槍は、しかし直前で王の側近の兵に気づかれ、弾き落された。

流石に王の近くには精兵をそろえているらしい。


私は一度だけ、母から譲り受けた首飾りに手を添えて、それから放たれた矢の様に、一直線にトリュール王の首を狙いに馬を駆けた。


当然、王を守るように立ちはだかる精兵の攻撃を躱して剣を振るい続けたが、途中で敵は私の馬に狙いを変えてきた。敵の槍が深々と馬の足に突き刺さった瞬間、馬は悲鳴を上げてのけぞるようにひっくり返り、私も地面に放り出された。

空中でどうにか体勢を整えて足から着地するや否や、弾かれたようにそのまま身を低くして駆け出した。一瞬でも止まれば、そのまま人数で押しつぶされて死ぬ。

敵の突き出してくる剣や槍を、地面を這うようにしてギリギリのところでかいくぐり、ひときわ大柄な敵兵の肩を足場に跳躍し、一気に敵兵の壁を飛び越えた。


「女!!?」


こちらに振り返った馬上の王太子が驚いたように目を見開きつつ、剣の柄に手をやった。

その剣が抜かれるよりも前に、私は王太子に手にしていた石を投げつけ、身をすくめた隙に馬上から引きずり下ろし、その首に深々と剣を突き刺した。


「ビンター!? 貴様よくも! 皆の者、その女を殺せ!!」


息子の死を目の当たりにしたトリュール王は、顔を真っ赤に染め、血走った目でこちらを睨みつけてきた。

無我夢中でここまでやってきたが、そこで冷静になって周りを見ると、私は一人敵兵に囲まれていた。そして膨れ上がる殺意を全方位から浴びて、全身から冷や汗が噴き出た。

近くの王太子ではなく、先に王の首を獲るべきだった。

そうすれば指揮の混乱の隙に、この場から逃げ出すこともできたかもしれない。

その判断ミスが、自分を今、死地に追い込んでいた。


じりじりと少しずつ距離を詰めてくる敵兵の囲みに対して、さすがに抜け道を見出すことはできなかった。


「ならば最期まで噛み付くのみ」


その最後の最後まで誇り高い狼のように生きあがこう。

覚悟を固めて剣を構え、深く集中をする。

敵兵も空気の変化を察したのか、それまで以上に油断なく武器を構え直した。

張り詰めた空気に息が詰まりそうだ。

そう思った次の瞬間、敵の囲みの一部が文字通り吹き飛んだ。


囲みを食い破って中に侵入してきたのは、返り血で全身を赤く染め上げた『ニワトコ団』のレニスであった。

そのままトリュール王のもとへと馬を駆けると、すれ違いざまに振るった剣は王の鎧ごと、その身体を上下真っ二つに斬り裂いたのだった。

そして下半身と別れた上半身だけが、不気味な音を立てて馬上から地面に落ちた。


「トリュール王、討ち取った!!!」


その場にいる誰もが呆気にとられているうちに、レニスが勝鬨を上げた。次の瞬間、『ニワトコ団』のゾーイやその配下のものたちも勝鬨を上げながら、囲いを破って雪崩れ込んできたことで、混乱した敵兵は散り散りとなって壊走し始めた。


「ゾーイ、あとは適当に蹴散らしておけ」


「ハッ! 承知致しました、若!」


レニスは一言、ゾーイに対して声をかけると、自身は馬を降り、私の方へと歩み寄ってきた。

ちらりと、地面に横たわった王太子の死体を見やると、不敵な笑みを浮かべた。


「単身で王太子の首を獲るとは流石だな、リンドバーグの狼」


「そうか、貴方は黒獅子だったのか…!」


先ほどの王を一刀両断にしたその豪剣。そして見事に洗練された無駄のない太刀筋。

それは紛れもなくあの日、死闘を繰り広げた黒獅子のものであった。


「アリストリア帝国の将である貴方が、なぜこんなところで傭兵の真似事をしている」


「狼にやられた傷が漸く癒えたのでな。快気祝いの腕慣らしといったところだな」


「まさか…『ニワトコ団』は、貴方の配下か?」


「ご明察。『ニワトコ団』は皆、俺が率いる黒獅子騎士団の連中さ。普段は経験が少ない新兵に実戦を積ませるため、ゾーイが教育係として傭兵の真似事をさせている…それより、まずは剣を下ろしてはくれないか?」


レニスにそういわれて、初めてまだ私は剣を構えたままでいたことを自覚した。

慌てて剣を下ろし、べったりとこびりついた血糊を服の袖で拭ってから鞘に納めると、レニスは水筒を投げ渡してきた。

それを受け取り、一瞬ためらったのちに、喉の渇きには敵わず一気に飲み干した。


「俺はアリストリア帝国の第二皇子、レニスフィア・デン・アリストリアだ」


「皇子、だと?」


黒獅子が帝国の皇子であるなど初耳であった。

その悪名こそ轟いているものの、黒獅子の正体については謎が多く、リンドバーグ王国でも情報をほとんどつかめないことも、その存在を不気味な怪物じみたものとしていた。

だが、そこまで情報統制をしていた理由が、その正体が皇子であったからなどとは夢にも思わなかった。


「北の砦ではこちらだけ名乗りもせず、失礼をした。リリー・ナイトレイ殿」


「今はただのリリーだ。事情あって家名は捨てた」


「家名を捨てただと? 身分を隠して我々同様、傭兵の真似事をしていたのではないのか? リンドバーグ王国の銀狼騎士団を率いるナイトレイ侯爵家の一人娘にして、第一王子の婚約者である君が、なぜ?」


あの時、素直に名前を教えた私が悪いのだが、どうやらこちらの素性は調べ上げているらしい。だが、婚約破棄の話までは伝わっていないようだ。


「貴方に受けたこの傷のせいで、王子に婚約破棄されたんだ」


「なに?」


「仕方なく国を出て、傭兵として生きようと思ったんだが…どうやら傭兵も向いてないみたいだよ」


自分が信じる正義もなく、金のために敵を殺すこと。

実際にやってみると、戦場は戦場でしかなく、無我夢中で自分の命を守るため、敵の命を奪うために最適な剣を振るい続けるだけだった。

戦いには勝ったが、今私の胸を占めるのは虚しさばかりだった。

その虚しさに慣れ、飼いならすこともできるとは思う。

しかし、それは斯くありたいと願う自分ではない。


また違う道を探すかと吹っ切れて顔を上げると、呆然としているレニスがいたので、思わず吹き出してしまった。


「すまない。つい恨み節のようになってしまったが、婚約破棄されたのはこの顔の傷だけが原因ではないから、そんな顔をするな」


「いや、リンドバーグの王子が予想以上の愚か者で驚いていただけだ。しかし、これは何という幸運か。いや運命か。神に生まれて初めて感謝をした」


そう言うと、レニスは先日の集会の夜のように、再び血だまりの中で片膝を突き、私の手を取った。


「俺は君が欲しい。あの集会の夜の言葉に偽りはない。婚約者がいないのであれば、俺の妻となってほしい」


「はあ!!? ま、またおかしなことをっ!」


その真正面からの告白に、不覚にも心拍数が跳ね上がった。

お互いに返り血に染まり、死体がそこかしこに転がる戦場で、ムードもなにもない。

しかし、私はその熱のこもったレニスの瞳から目を離すことができないでいた。


「君にもメリットがある。君がリンドバーグにいないのであれば、次こそ北の砦を落とし、王都を蹂躙してみせる。だが、君が私の妻になってくれるのであれば、私はリンドバーグと和平を結び、君が生きている間は侵略しないと約束しよう」


「それは脅しでないか!!?」


「事実だ。それは我々と戦った君が一番理解をしているのではないか?」


そう言われると、押し黙るしかなかった。

銀狼騎士団は、先の砦の戦いでその多くが戦死し、戦力は大幅に削がれた状態にある。

人の数だけであれば補充はできるだろうが、また同様の規模の侵攻が行われた場合、練度の足りない団員たちが堪え切れるかは分の悪い賭けと言わざるを得ない。


「だ、だが私はこの顔の傷もあるし!」


「その顔の傷は戦士の誉だろう。それにその傷が君をより美しくしていると、俺は思う」


「ふ、普通の令嬢と比べて凶暴だぞ!?」


「普通の令嬢と比べるまでもなく、俺と互角に渡り合える剣士は帝国でも片手で数えるほどしかいないさ。そして俺はその強さを、好ましく思う」


「っ……!!!?」


「好きだ、リリー。俺の妻になってくれ」


レニスの手が緊張からかわずかに震えていていることを感じ、その言葉が本気であることが嫌というほど分かった。

そのため、私も覚悟を決めることとした。


「…貴方が本気なのは分かった。だが、貴方は卑怯にも銀狼騎士団に毒を盛って奇襲をかけ、多くの戦友を殺した仇敵だ。同時に、武人としての貴方は畏敬の念を抱かざるを得ないほどの高みに居るのは事実であるし、先ほどは命を救ってもらったという恩もある」


「なるほど、つまり俺の妻になってくれるということか?」


「ま、待て待て! そうは言ってない!!」


慌てて否定をすると、レニスはにやりと笑ってみせた。どうやら、レニスは私をからかって遊んでいるらしい。


「ひとまず過去の遺恨は全てを水に流す。そして、まずは良き友人からというのはどうだろうか?」


「そんな悠長なことをしている時間はない。今年中に皇帝はリンドバーグを再び攻めるよう、命を下すだろう。しかし、君が俺と結婚をしてくれるのであれば、俺が必ず戦争を回避してみせよう。必要であれば帝位の簒奪もしてみせるさ」


帝位の簒奪。

それはつまり、現皇帝である父上と、自分より高位の継承権を持つ兄弟を殺すということだ。

情熱と脅しと狂気をもって、全力で口説かれている。


「結婚を選べば、戦争は回避できるということだな」


「その通りだ」


「しかし、戦争を回避する手は一つあるぞ?」


「なに?」


「貴方を今ここで、私が殺せばいい。黒獅子さえ欠けば、銀狼騎士団が遅れをとることはないだろうさ」


私が瞳に殺意を込めて睨みつけると、レニスは猫のように後ろに飛び跳ねて、すぐに臨戦態勢を取った。


「そう来たか…! そこまでして、俺との結婚は嫌か?」


「求婚自体は検討中だ。だが、結婚するにしても、しないにしても、私が脅しに屈するような女でないことを貴方には思い知らせなければならない」


私は静かに剣を再び抜きながら、そう告げた。

すると、レニスも大きくため息をついてから、柄に手を置いた。


「確かに狼の様に凶暴だよ、君は」


そうして、私たちは戦場で二人、剣と剣の火花を散らし、夢中になって踊り明かしたのだった——。






※連載版を始めました。連載版の第四話からがこちらの短編版の続きとなります。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 北の狼が途中から銀の狼になっとる。 って、よく見たら前にもツッコミ入ってるや。 直すつもりはない模様。
[良い点] とても面白かったです。破棄ではなく解消がやはりしっくり来るかなと思いましたが、解消する理由は(たとえ情けなかろうが)理解できる道理は通ってるのでちゃんと納得できました。 すごく気持ちのいい…
[良い点] しびれる!!!カッコいい主人公!!! 元婚約者とは絶対に合わなかったと思う… 連載版についていきます(^-^ゞ
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