制度
「ふむ。なかなかに香りが良い。口当たりもまろやかで悪くない。雑草をこのように活用するとは、庶民の知恵とは凄まじいな。」
「確かにとても爽やかな香りです。華やかで品もある。何よりリリアの淹れ方が上手いんだろうな。」
「いいえ、アル様が手伝ってくださったのでいつもより美味しいんです。」
「まったくお前達は。隙があればイチャイチャしおってからに。して、大神官。本題は何だったか伺うとしよう。」
完全に家の中に招かれた大神官は、従えていた神官数人と共にリリアの狭い家にぎゅうぎゅうになって入っていた。
いつぞやもこんなぎゅうぎゅうな光景を見たなぁとリリアが思っていると、意識を取り戻したかのように大神官が居住まいを正した。
「オホン。恐れながら陛下、此度の訪問は陛下への用向きではなく、ミス・リリアに対するご提案です。どうか席を外して頂いて…」
「それは無理な話だ。」
そう言ったのは国王ではなく、王子アルバートだった。
アルバートは隣に座るリリアに目をやってから、大神官へと向き直る。
「リリアに用があると言うのであれば、私にも関係がある。このまま話せ。」
「殿下に何の関係が…いえ、まあ。どちらにしろ王宮に報告すべき案件でもあります。
この場をお借りして申し上げますが、ミス・リリアは聖女です。今後はその所属を神殿に移して頂きたい。」
物々しい雰囲気でそう告げた大神官は、数秒待ってみたがその内容に誰も反応しないことに困惑しつつ、説明を続けた。
「聖女です。セイント・セシリーがその座を辞し続けた為に聖女の称号を預かる者はここ数十年現れておりませんでしたが、ミス・リリアがその力を持っていらっしゃるのです。」
どう力説しても反応のない国王や王子、リリアに対して、大神官は汗を垂らした。
「ミス・リリア、貴女には聖女の力があるのです。」
「はぁ…」
「国王陛下、聖女ですよ。我が国待望の聖女様です。」
「ほう。」
「陛下!これは国の一大事です。もう少しご興味をお示し下さい!」
痺れを切らした大神官が声を荒げると、漸く取り合う気になったかのように国王は目に力を入れた。
「そもそも、いきなりやって来て何を根拠にリリアを聖女だと言うのだ?」
やっと話を聞く気になった国王に安堵しつつ、大神官はここぞとばかりに口を開いた。
「近頃、この近辺で多数の怪我人や病人が奇跡のような回復を見せています。」
そして水を得たと言わんばかりに、大神官は懐からガラスケースに入った細い髪の毛を取り出した。
「こちらは神聖力により治療を受けた赤子の髪の毛です。神聖力の名残が残っていたのでご家族の了解を得て頂いて参りました。
この中に残っている神聖力の残滓はセイント・セシリーのものとよく似ておりました。そしてこうやって対面してみると、紛れもなくミス・リリアから感じられるものと同一です。」
赤ん坊に力を使った覚えがあるリリアは、あの時の子が無事に家族の元に帰れたのだとそっと笑みを浮かべた。
「そうか。リリアが強力な神聖力を有しているのは認めよう。だが、それと聖女の問題はまた別である。
セシリーのように聖女を放棄したがる人間がいることも事実であろう。」
「セイント・セシリーの前例はありますが、あれは非常に特殊なケースです。
これ程の神聖力を有し、自在に使えるお方は聖女の中でも非常に稀です。歴史的観点に照らし合わせてもミス・リリアは神殿で保護すべきです。」
痛いところを突かれたと思いつつも、大神官は必死に訴えた。
「更にはここ数日、ミス・リリアの周辺を観察させて頂きましたが、彼女ほど心優しく他者を救う事に献身的な者はいないでしょう。正に聖女の器です。」
自信満々に言い切った大神官へ、国王がいつもの意地の悪い笑みを向けた。
「大神官よ。聖女もいいが、リリアは王妃の器たり得る逸材だとは思わんか。」
「は………?」
固まった大神官とは対照的に、呆れたような王子アルバートの瞳が父王を見遣る。
「ご、ご冗談を陛下…ミス・リリアは聖女の力をお持ちではありますが、平民です。」
「私は先日、平民と王侯貴族の婚姻を禁止する古い法を撤廃したばかりでな。不可能な話ではあるまい。」
ほくそ笑んだ国王の顔を見て、大神官がハッと息を呑む。
「あの突然の法改正はまさか…!」
次にアルバートに目を向け、リリアを見て、再びアルバートに視線を戻す。
「どうりで…ミス・リリアと接する殿下が普段とは別人のようだと思いましたがまさか…」
「それに悪いがな、大神官よ。ちょうど昨日だったかまた新たな法律を施行することになってな。
これまでの古臭い時代遅れの制度を一新するものなのだ。アルバート、説明を。」
「はい、父上。」
立ち上がり前に出たアルバートが一礼し、咳払いをして口を開いた。
「我が国は現在、大きな戦争もなく外交面でも経済面でも安定期にあります。そこで、これまであまり力を入れてこなかった平民の教育制度について見直すこととなりました。
現在の状況を調査したところ、我が国の平民の識字率は諸外国に比べて低く、国営の教育機関は青年期の王侯貴族の令息のみを対象としたものばかりです。
また、成人未満の労働率が非常に高く、平民が教育を受ける機会を著しく阻害しているのも事実です。」
いきなりスラスラと始まった演説に、大神官もリリアも呆気に取られる。しかし、アルバートは気にする様子もなく説明を続けた。
「未成年者の労働は高齢者や失業者の雇用を阻んでおり、その殆どの場合は労働に比べて充分な賃金を得られていません。また、医療の発達によって平均寿命が伸びた現代では収入の乏しい高齢者が増加しています。
こういった事実を鑑みて、未成年者の就労及び搾取の抑制とそれに伴う新たな教育制度を設けることとなりました。即ち、王侯貴族と平民が共に教育を受ける全く新しい教育機関の設立です。
この教育機関に通うことは未成年者の義務であり、教育機関に在学中の就労は原則禁止となります。」
リリアはアルバートの言っていることの半分も理解できなかったが、大神官はとても複雑な顔をしていた。
「また、子を教育機関に通わせない親権者は懲罰を受け、未成年者を就労させ身体的・精神的に搾取する者、教育機関に所属させず別の団体へ帰属させようとする者も懲罰の対象となります。
それが例え聖なる神殿であろうと、例外はありません。」
「えぇっと…つまり、アル様?どういうことですか?」
頭がこんがらがってきたリリアが質問すると、アルバートは心底嬉しそうに微笑んだ。
「つまり、俺とリリアが一緒に学園に通えるってことだよ。………強制的にね。」
最後の小さな呟きは、目を見開いたリリアには聞こえていなかった。
「私と、アル様が…?」
「そう。それも、国営の教育機関だから学費はかからない。平民も貴族も、一定の年齢になれば必ず通えるんだ。その分減ってしまう労働力を、おじいさまやおばあさまのような高齢者や仕事のない人が受け持つ事で低所得世帯の収入が上がり、教育を受けた平民の子はより良い仕事に就いて経済が発展する。
そして、未成年者の学業を邪魔する大人は罰を受けることになる。それが例えばとても偉い大神官だったとしてもね。」
ニコリと笑ってリリアを見たアルバートは、無言の圧力を大神官へ向けた。
「それは…素晴らしいですけど、そんな事が本当にできるんですか?」
混乱したリリアがこんがらがった頭のまま尋ねると、アルバートは物憂げに首を横に振った。
「残念ながら…今すぐ全ての国民にこの制度を適用させるには準備が足りていない。
だから、段階的に範囲を広げることになったんだ。まずは試験的に王都東部の未成年者、それも王子である俺と同年代の未成年者を対象として学園を設立する事になった。」
「それじゃあ…私も対象ということですか?」
「そうだよ。秋から俺とリリアは学生だ。一緒の学園に通って、一緒に勉強して、一緒にランチを食べて、放課後は手を繋いで帰ろう。楽しそうだろう?」
「凄いです!」
微笑み合う2人を前に、国王が鼻を鳴らした。
「と、いう訳だ。大神官よ。例え神殿であろうと、新たな法のもと学園へ入学予定であるリリアを無理矢理就役させることはできん。神殿への所属など以ての外。
リリアが16歳の成人を迎えるまでは、一切の手出し厳禁だ。
子供の教育を制度化し高齢者や低所得者にも配慮した新法だ。神殿もきっと、この新たな法を支持してくれような?」
無邪気に喜ぶリリアと王子、そしてどこまでも底意地の悪い笑みを浮かべる国王を見て、大神官は負けを悟った。何よりも国王親子の執着が酷すぎる。
特に王子の変わりようが怖い。
無表情・毒舌・辛辣・冷徹が代名詞だった氷の王子アルバート殿下は何処だ。リリアを見つめるアルバートの表情は砂糖を溶かして煮詰めたように甘く、常であれば棘とナイフしか吐かないような口からは蜂蜜よりも甘く優しい言葉が溢れている。
普段の様子を知っている者が見れば十中八九別人説や多重人格説を疑っただろう。
そして国王も国王だ。普段はのらりくらりと掴みどころのない陛下が、糸を引くように様々なものを裏から操り仕掛けている。
神殿が介入しようとする事を見越した制度、事前の根回し、ここ数日国王と王子が鬼気迫る圧力で法改正を進めているとは聞いていたが、まさか1人の少女の為にここまでするとは。
更に打ち出された新制度は、幾分か理想論が混じっているとは言え、ゆくゆくは平民の社会進出や高齢者や失業者の就職を促進し、国の発展に必ず結び付くようなものだ。孤児や浮浪者の奉仕活動が多く頭を悩ませている神殿としては、反発する要素がない。
しかし大神官は負けを悟りつつも、諦めなかった。
「でしたらミス・リリアが成人を迎えたその時に改めてお話をしに参ります。
それまで神殿は、ミス・リリアを将来受け入れるべく、神殿の象徴花をピンクローズから白百合へと改めますことをここに宣言致します。
ミス・リリア。貴女が成人を迎えた暁には是非神殿へお越し頂き、聖女の称号をその身にお預かり頂きたい。」
熱心に詰め寄る大神官を、国王と王子が全力で威嚇したのだった。