断罪
「離しなさい!何なのよ!」
取り押さえられてもなお叫ぶスザンナの前に、新たな人影が立つ。
顔を上げたスザンナは、その人物を見て喜色満面の笑みを浮かべた。
「王子様!やっと来てくれたのね!」
しかし、王子の横に立つリリアの姿を見て、スザンナの表情は醜く歪む。
「何でアンタがここにいるのよ!?」
王子がリリアの手を引いていることに気付いたスザンナは、更に激昂して怒鳴った。
「王子様!今すぐその手を離して!国王様を呪い殺したのはその女よ!早く首を切り落とすのよっ!」
指図された王子アルバートは、凍てつくような視線をスザンナに向けるだけで、何も反応しなかった。
「ちょっと聞いてるの!?王子様!その女が!リリアが!あなたの父親を殺したって言ってるのよ!?」
「誰が誰を殺したと?」
リリアの後ろから現れた三人目の人影を見上げたスザンナは、驚きに目を見開いた。
「えっ…!?」
「まさか。私が死んだと言う話ではなかろうな、アルバートよ。」
そこには、紛う事なきこの国の国王が立っていた。
邪術で死んだと思っていた国王が生きていることに、スザンナが絶句する中。親子は、冷え冷えとした会話を続けた。
「何を仰るのです。父上は生きていらっしゃるではありませんか。呪殺されただなど、馬鹿げた妄言以外の何物でもありません。」
「ふむ。私もそう思う。しかし、そこにおる娘は私がリリアに呪い殺されたと思い込んでいるようだが。」
国王と王子に見下ろされ、スザンナが息を呑む。
「な、なんで…」
「父上を殺そうとしたのはリリアではなく、貴様だろう。」
射るような鋭い視線と言葉で、王子アルバートはスザンナを見下ろした。
スザンナは何が何だかわからずパニックの中、これではマズいと必死に頭を働かせた。
「ち、違うわ!私じゃない!リリアよ、悪いのは全部リリア!」
しかし、スザンナから飛び出すのは要領の得ない否定と一方的な押し付けばかり。
そこでアルバートは、スザンナの自宅から押収した例の魔導書を取り出した。
「貴様の家にあったものだ。ここには様々な禁術が記されている。そして貴様の家の中から、若返りの魔術及び呪殺用の邪術の跡が見つかった。」
「それはっ……!」
言われて初めて、スザンナは何もかもをそのままにして家を出ていた事を思い出す。片付けるのが面倒で、全て燃やす予定だったものだ。
「そして、伯爵夫人が訪れた際、中から救出した者達がいる。」
アルバートの合図で連れられて来たのは、スザンナの母と…殆ど骨と皮だけの、弱々しく痩せ細った老人だった。
マズい、ヤバい、とスザンナの頭の中が警鐘を鳴らす中、アルバートはまずスザンナの母に冷たい目を向けた。
「恐れ多くも国王陛下の呪殺を謀ろうとしたのは貴様か?」
スザンナの母は、何も答えなかった。ただその瞳から大粒の涙を流し、傍らの老人の手を握る。
「その老人は、貴様等の家族か?」
王子の問い掛けに、スザンナの母は号泣し、スザンナは絶叫した。
「違うっ!絶対に違う!赤の他人よ!私とは関係ない奴だわ!」
老人は、この状況が分かっていないのか。キョトンと不思議そうな顔で王子とリリアを見上げていた。
「貴様には弟がいたはずだ。貴様の弟は今、どこにいる?」
「……っ!?」
まるで全てを見通しているような王子の言葉に、スザンナは唇を噛んだ。
「し、知らないわ!あんな奴、どっか行ったわよ!とにかく私は悪くない!」
醜い形相で叫び続けるスザンナ。呆れ果てたアルバートは、騎士に命じてスザンナの口を閉じさせた。
「ンン〜〜!!」
なおも暴れ続けるスザンナの前に、今度は侯爵夫人が伯爵夫人に連れられてやって来た。
「陛下、殿下、リリア様まで…これはいったい、…まあ!女神様っ!?」
驚いた侯爵夫人の視線の先にあったのは、騎士達に拘束され口を塞がれている女神スザンナの姿だった。
「侯爵夫人。そなたは、この者の術により若さを取り戻したと聞いたが、事実か?」
王子の問いに、侯爵夫人は戸惑いながらも首肯した。
「は、はい。少し値が張りましたけれど、この方の秘術をお受けしたのは間違いございませんわ。」
「この者が使用していたのは禁術だ。」
「えっ…!」
驚愕に口元を抑えた侯爵夫人は、呆然と王子とスザンナを見比べた。
「夫人が受けたのは若返りの魔術。他者の若さを代償に、対象の若返りを可能にする禁術だ。そして、多くの女性達の欲望の為に犠牲になったのが、その者だ。」
アルバートが指した方向には、先程の老人がいた。老人は相変わらず状況がよくわからないのか、首を傾げている。
アルバートは、涙を流し続けるスザンナの母へと声を掛けた。
「その者は、アンドリューだな。」
核心を突かれたスザンナの母は、耐え切れず白状した。
「うっ、うぅっ…そうです、この子はまだ幼い私の息子です!アンドリュー、ごめんなさいっ、ごめんね…あなたを犠牲にして、こんな姿にしてごめんねっ…」
ところどころ抜け落ちた白髪頭の、痩せ細った老人を我が子だと抱き寄せ涙ながらに謝罪を繰り返すスザンナの母のその姿は、とても悲惨だった。
「ど、どういう事ですの!?」
侯爵夫人が狼狽しながら王子に問うと、アルバートは的確に状況を説明した。
「侯爵夫人やその他の婦人方が、女神と自称するペテン師から受けた秘術は、幼子の命を代償にしたものだったのだ。」
「そんな…!」
絶句し、膝から頽れる侯爵夫人に。アルバートは更に続けた。
「戸籍によると…彼はまだ4歳。しかしどう見ても外見は80歳を超えている。つまり、その分の寿命と若さを引き換えにして貴婦人達の若返りを施していたのだ。
本人に自覚があったとは、到底考えられない。幼子の命を一方的に搾取し利用するなど、極悪非道な悪魔の所業である。」
「私はっ…私のこの若さは、そんなに小さな子供を犠牲に…?」
「そうだ。そしてこの禁術には欠点がある。若返った分の時間が経過すると、今度は2倍の速度で老い始めることになるだろう。」
「あぁ…」
「侯爵夫人、お気を確かに。」
あまりの衝撃に眩暈を起こした侯爵夫人を、伯爵夫人が支える。
「侯爵夫人。そなたの証言が、この非道な行為を暴く鍵となる。今一度聞く。そなたに若返りの魔術を施したのは、誰だ?」
最早言葉も出ない侯爵夫人は、それでも手を伸ばしてスザンナを指し示した。
アルバートは騎士に命じ、スザンナの口を解放させた。
「言い逃れはあるか?」
「何もかもデタラメよ!私は関係ない!そのジジイは私の弟なんかじゃないっ!!」
「ならば証拠を見せよう。大神官。」
「承知いたしました。」
アルバートに呼ばれて出てきた大神官は、スザンナの母に断りを入れると老人の白髪を一本、小さな鋏で切り取った。
「これはセイント・セシリーが生前に考案し残した秘術です。髪の毛や爪など、体の一部から持ち主の血縁関係等を確認する術です。
そして、ここにあるのは…ミス・スザンナが聖女と偽り神殿の神官を呼んだ際、採取させて頂いたミス・スザンナの弟君、当時まだ赤子だったアンドリューくんの髪の毛です。」
大神官は右手に赤く細い髪の毛を、左手に老人の白髪を持ち、詠唱しながら神聖力を注いだ。
すると近付けた2本の髪の毛は、互いに共鳴するかのように混ざり合い、青く発光した。
「光る色により結果が異なります。赤は他人、紫は血縁者、青は本人です。
青く発光したという事は…彼は間違いなく、アンドリューくん本人です。」
頭を下げた大神官の言葉に、誰もが侮蔑のこもった目をスザンナへと向けた。
「ち、違うわ!私じゃない!知らない!」
証拠も証言も揃っているにもかかわらず、否定を続けるスザンナ。王子アルバートは、また一人証人を呼んだ。
「ジョシュア先生。」
「殿下、この度は私の不注意によりこのような事態を招き申し訳ございません。大賢者の魔導書を文字も読めぬ学生に盗まれるなど、あってはならぬ失態。一生の不覚です。何なりと処分を。」
「その話は追々しよう。それより今は、先生の見解を伺いたい。この女の家にあった魔方陣についてだ。」
「御意。ご報告致します。先程渦中の魔方陣を調べたところ、間違いなく呪殺用の邪術を使用した形跡がございました。
そして肝心の、標的を示すものがこちらに。」
ジョシュア先生が取り出した一枚のメモを見て、アルバートは眉を寄せた。
「本当にそれで、父上はあれ程の呪いを受けたのか?」
「とても稀有な現象です。様々な偶然が重なり、何より大賢者の残した魔導書の魔術が多少の不具合は調整するよう造られています。
ですのでこのような文言でも、条件を満たせば充分に機能したのでしょう。」
ジョシュア先生の手にあるのは、邪術を用いる際、標的にする人物を特定する為のもの。今回の邪術の標的が誰であったか示す証拠ともなる。本来は髪の毛や体の一部があればいいのだが、代わりに個人を特定する真名や文言が代用されることもあった。
そして今回使用されたのが、下手な拙い字で書かれた文言だった。
「名実ともにその者を表し、尚且つ当人が己を表する際に使用したことのある文言。更には他者と混同される要素がない事が条件です。」
「確かに、条件は満たしているが…」
その紙には、『この国で一番偉い男』と書かれていた。
「父上。今度から妙な自己紹介はおやめ下さい。こんなもので殺されたとあっては、王家の恥です。」
「うむ…私もまさか、こんな使われ方をするとは思わなんだ。
どちらにせよ…学のある者であれば、このような幼稚な文言は選ぶまい。
私がこの文言を使い自己紹介を行ったのは過去に二度だけ。リリアと、そしてその者に向けてだ。」
国王は、不快感を顕にスザンナを見た。
「昨夜私の命を救ったリリアが、この邪術を使うなど有り得ない。全ての物証、証言、証拠が犯人を示している。言い逃れはできまい。」
スザンナはそれでもリリアが犯人だと叫んだが、誰もその言葉に耳を貸す者はいなかった。
「どれもこれも…犯した罪はさることながら、傲慢で分を弁えぬ態度。重罪は免れなかろう。
…リリア。」
「はい、国王様。」
アルバートに支えられて前に出たリリアに、国王はいつかのように告げた。
「この者の断罪の権限をそなたに与える。
今後そなたは王族となるのだ。今一度、こやつの処罰を考えてみよ。」
それは暗に、神聖力を失い聖女ではなくなるリリアを、それでもアルバートの嫁として認めることを示していた。
国王のその意図を正しく読み取ったリリアは、感激に胸を詰まらせながら、まだ立っているのが辛い自分を支えてくれるアルバートを見た。
優しく頷いてくれる彼に頷きを返し。リリアは国王に礼をする。
「承知いたしました。」
そうして顔を上げ、強い瞳でスザンナを見る。そんなリリアに、スザンナは少しだけ怯んだ。
「な、なによ…どうせ、あの時みたいに無罪放免でしょう?偉そうなのは気に入らないけど、いいわよ!アンタに許されてあげるわ!さあ、私を許しなさい!」
スザンナは、ツンと顎を上げて言い切った。
「何を言ってるの?」
リリアはとてもとても不思議そうに、そんなスザンナを見た。
「どうして私が、あなたを許すの?」
「え…?」
「どうして私が、あなたを許すと思っているの?あなたは罪を犯したんですもの。当然罰を受けるべきだわ。」
「は?…え、偉そうに!私を裁こうって言うの!?」
「ええ。国王陛下直々にその権限を頂いたもの。あなたも聞いていたでしょう?」
「ハッ、やっと化けの皮が剥がれたわね!何が優しい聖女よ!か弱い乙女を裁こうなんて、残虐だわ!」
勝ち誇ったようにリリアを指差すスザンナは、周囲の白けた視線には気付かない。
「以前、私があなたを許したのは、あなたの犯した罪が王族不敬罪で、その罪に対する嘆願がローズマリー様からあったからよ。
そしてあなたを聖女と勘違いさせてしまった私の行動に対する贖罪でもあったわ。
でも、今回はあの時とは訳が違うでしょう?」
リリアの澄んだ声が、はっきりとスザンナに突き付けられた。
「あなたは禁術を使用した。そして貴婦人達を欺き法外な報酬を騙し取った。それも幼い弟の命を代償にして。何より国王陛下を邪な方法で暗殺しようとした。どれも王国法を破る重罪よ。これらの罪は他の誰かの所為ではなく、あなた自身の行動によるもの。裁かれて然るべきだと思うわ。」
毅然としたリリアの態度に、スザンナは言い返す言葉が思い付かなかった。
「国王陛下の代理として、宣告します。
禁術使用罪、詐欺罪、国王暗殺未遂罪、これらの罪により、スザンナを斬首刑に処します。」
ひっ、とスザンナが息を呑む。
「な、なんですって…?私の首を切るって言うの!?」
恐怖に震えるスザンナを見て、リリアは一度目を閉じ。そして、再び口を開いた。
「ですが、もうすぐ行われる立太子の儀にあたり、慶事を血で汚すわけにはいきません。そこで恩赦を授けようと思います。
斬首刑を禁錮5年へと減刑することとします。但し、己の犯した罪の代償を、その身に受けることを条件とします。」
「じゃあ、死ななくて済むのね!」
減刑と聞いてはしゃぐスザンナは、リリアの言う条件が何を指すか、分かっていなかった。
「5年なんて、きっとあっという間よね、どうせならもっと短くしてくれたらいいのに。まあ、死ぬよりはマシだわ!」
「…では、その条件を受け入れますね?」
リリアが注意深く問い掛けると、スザンナは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「もうちょっと短くしてほしいとこだけど…まあ、いいわ。アンタの言う通りに妥協してあげるわよ。」
得意げなスザンナの了承を確認し、リリアは国王を見た。
「ふむ。やるな、リリアよ。ではジョシュア。禁書を学生に奪われたそなたの罰として、この刑に対する労役を命ずる。」
「陛下、それはつまり…」
「この件に関するこの一度きりのみ、禁術の使用を許可しよう。」
「…承知いたしました。準備をさせて頂きます。」
頭を下げたジョシュアは、スザンナの家に入り、残されていた魔方陣を確認した。歪んだ線を少し書き換えて、整える。
「ねえ、もういいでしょ、離してよ!」
拘束されたままのスザンナが再び騒ぎ出したところで、アルバートが蔑むような目を向けた。
「1つ。貴様に問いたい。何故父上を狙った?」
「だって、国王のせいであなたはリリアと結婚するんでしょ!?可哀想じゃない。知ってるのよ、王子様は本当は私が好きなんでしょ?だから邪魔者を消して、素直に私と結婚させてあげようと思ったの!
ね、健気な私に惚れ直した?」
スザンナの妄想に呆れを通り越して吐き気がしたアルバートは、支えているはずのリリアの手に引き寄せられて正気を取り戻した。
「貴様のその低俗な脳みそが忘却しようと、何度だって言おう。私が愛しているのはリリア一人だけだ。他の女を女として見たことなど一度もない。
貴様など、名前すら覚える価値がない愚物だ。」
ここまではっきりと拒絶されてもなお。スザンナは、不具合を起こしたかのように王子の言葉が理解できなかった。
首を傾げるスザンナに、アルバートはこれ以上相手をするだけ無駄だと悟り、リリアの手を引いてスザンナから距離を取った。
「準備が整いました。」
そこへ、戻ってきたジョシュアが頭を下げる。
「うむ。実行しろ。」
国王が命ずると、騎士達がスザンナの体を引っ張った。
「な、なに!?今度は何よ!まだ解放しないの!?」
暴れるスザンナが連れていかれたのは、整えられた魔方陣。そしてそこには、老人となったアンドリューがいた。
「条件通り、罪の代償をその身に受けよ。」
「ぎゃあ!ヤダ、何よ、やめて!」
未だに理解していないながらも、嫌な予感がしたスザンナが暴れるが。
詠唱は既に始まっていた。
「嘘でしょ!?嫌よ!イヤ、いやぁああ!」
何度も実践してきたスザンナは、若返りの魔術が作動していることに気付いて絶叫した。
魔方陣の上には、スザンナとアンドリュー。
アンドリューの体が変化し、若々しくなっていく。
それに反比例して、スザンナの体から生気が抜け落ち、体中に皺が寄る。髪は白くなり、目は落ち窪み、歯も抜け落ちた。
術が終わった後、そこにいたのは4歳の姿に戻ったアンドリューと、90歳を超える老婆と化したスザンナだった。
「その姿で禁錮5年を耐えればそなたは釈放される。なに、そなたのような醜悪な者は長寿と相場が決まっている。5年後も変わらず生きているであろう。
せいぜい己の行いを反省することだ。」
ニコニコと微笑む国王は、取り寄せた手鏡を嬉しそうにスザンナに向けた。
醜い自身の姿を目にしたスザンナは叫んだ。しかし、叫ぼうとしたその声さえ嗄れて汚く、長くは続かない。
美貌を失い、老いて醜い老婆となったスザンナは、漸く己が取り返しのつかない罪を犯したことを悟ったのだった。




