女神
「リリア!凄く綺麗だよ。」
初めて豪華なドレスを身につけたリリアは、恥じらいながらアルバートを見た。
「変じゃないですか?」
「変なわけないだろう。凄く似合ってる。女神みたいだ。こんなに素敵な女性と婚約できるだなんて、俺は幸せ者だな。」
熱心に褒めてくるアルバートに頰を染めながら、リリアは鏡の中の自分に目を向ける。
キラキラと輝くようなドレスは緻密な模様が刺繍されていて、肌触りの良い滑らかな生地がふんだんに使われている。煌びやかだが、重たくもあるドレスだった。
「行こう。」
優しく微笑むアルバートに手を差し出されたリリアは、愛する恋人にエスコートされて会場へと向かった。
今日は、二人の婚約式。
アルバートの立太子を前に、決意を固めたリリアの気が変わらないうちに早くとでも言いたげな国王親子により、超特急で用意されたこの場はリリアのお披露目の会でもある。
公衆の場に初めて出るということもあり入念に準備をしたいリリアとは裏腹に、アルバートは何を着てもリリアは綺麗だと繰り返す程のリリア馬鹿なので、今日までにリリアはとても神経をすり減らした。
更には王子以上に厄介な国王が何かと邪魔をしてくるので、気苦労は半端では無かった。
それがやっと終わる、というのがリリアの正直な思いだったが、いざ着飾りアルバートの横に立つと、ドキドキが止まらなかった。
揃いの生地で色味を合わせたアルバートの礼服姿もまた、とても格好良く、改めて彼と結ばれるのだと思うとリリアの胸は高鳴って仕方がなかった。
それと同時に、立太子が決まっているアルバートの婚約者になるという重責も感じていた。今までのように平民の少女として思うまま生きることは許されなくなる。
現王室には、女性王族がいない。つまりリリアは今後、様々な王室行事を担わなければならなくなる。完璧な礼儀作法、教養も求められることになる。
それでもリリアは、後悔など微塵もしていなかった。
「リリア、緊張してる?」
表情の硬いリリアを心配したアルバートがそう問い掛けると、リリアは大好きなガーネットの瞳を見上げて微笑んだ。
「緊張はしています。だけど、アル様の隣にいられる事の方が嬉しくて…」
「…なんだそれ可愛いな…」
「きゃっ、」
堪らなくなったアルバートが、リリアの体を抱き締めた。
「アル様、ドレスが乱れてしまいます。」
「…やっぱり婚約式じゃなくて、結婚式に変更しないか?」
何度か冗談で言っていたことをここに来てまた言い出したアルバートに、リリアは声を出して笑った。
「アル様ったら。何度も言いましたでしょう?歴代の王太子の方で、婚約式をせずに結婚された方はいらっしゃらないんですよ?
アル様の立太子に傷を付ける訳にはいきません。こういうのはちゃんとしないと。」
「その気持ちは嬉しいが…秋の卒業までリリアを妻にできないだなんて。切なくてどうにかなりそうだ。」
「もう、アル様。冗談はそれくらいにして、そろそろ行きましょう?皆様をお待たせしちゃいます。」
そう言ってリリアは、アルバートの手を引いた。
出逢った頃は脆く儚い印象のあったリリアが、今やアルバートの手を引き堂々と歩いている。マナーも知らず拙かった彼女が、淑女の見本となるような美しい所作を身に付け、王国の歴史や文化に関する教養を身につけて己を日々磨いている。
アルバートの為に未来の国母となるべく努力を弛まぬ彼女のその姿に、アルバートは何度でも恋に落ちてしまうのだった。
神殿の祭壇に向かう道中、二人の頭上からは祝福するような美しい鳥の囀りが聞こえてきた。
「アル様、ハクちゃんも来てくれたみたいです。」
「ああ。聖鳥の祝福か。有り難いな。」
真っ白な羽を清らかに光らせて美しい声を響かせる聖鳥に、参列客も感嘆の溜息を漏らした。
最前列では満足そうな国王が楽しげに頷き、祭壇では大神官が二人を歓迎した。
神殿側は、本音を言うと王子と聖女の婚姻には難色を示したかった。聖女が王家に嫁いでゆくゆくは王妃となってしまえば、神殿との繋がりが薄れてしまうためだ。
しかし、リリアは公務と両立して聖女としての責務も全うすると宣言した。王子であるアルバートも、リリアの意思を全面的に尊重するとした。
大神官は二人の心意気に感銘を受け、神殿や聖女の在り方も変わるべき変革の時が来たとして、二人の婚姻を支持し祝福することにした。
そうして迎えた婚約式は、恙無く執り行われた。
全国民に祝福され、幸せそうに微笑み合う二人を見て。この幸福を阻む不届き者などいる筈がない。と、誰もが信じて疑わないのであった。
婚約式を無事に終え、正式に婚約者となったリリアとアルバートは、平穏な学園生活を謳歌していた。
誰もが二人を慕い、国の安泰を喜ぶ。そんな中で、かつて二人の仲に割り込もうとした身の程知らずな少女がいた事など、すっかり忘れ去られていた。
「女神…ですか?」
「ええ。社交界の貴婦人を中心に、噂になっているようです。」
ある日のこと。リリアはその話を、ローズマリーから聞いた。
「美を司る女神だと名乗っているようで、女性の様々な悩みを解決して下さるそうです。先日、夜会にいらっしゃった侯爵夫人が驚く程に肌艶が良く、若返ったように見えて話題になっておりましたわ。
それもその女神様のお陰だと侯爵夫人は仰っていたそうで、その詳細について尋ねられる貴婦人達が大勢いらっしゃったそうです。」
「…まあ。そんな話が…。新しい美容法や化粧品の販売、という事でしょうか?」
社交界は噂話の宝庫であり、リリアはアルバートの婚約者として、少しずつその風潮に馴染もうと、ローズマリーに協力してもらいながら情報を集めていた。
そんな中で聞いた"女神"という怪しげなフレーズにリリアはそこはかとない違和感を感じた。
「解りません…ですが、世の女性にとって、美容とは永遠のテーマでもありますでしょう?貴婦人達が最もお金を使う事案でもあります。
正当な商売なら良いのですが、怪しげなものだとちょっと…」
ローズマリーもその噂に不信感を持っていたようで、声を潜めてリリアに告げた。
「あくまでも噂ですが…その女神は、若返りの条件に法外な費用を要求しているそうなのです。中には破産寸前のご婦人もいらっしゃるとか。」
「そんな…ローズマリー様、こういう時はどうすれば宜しいでしょうか。自由市場を尊重し、傍観すべきですか?それとも調査すべきでしょうか?」
ローズマリーは、リリアのこうした素直なところにとても好感を持っていた。王太子となるアルバートの婚約者にして未来の王妃である為、慎重さを身に付けながらも。気兼ねなく意見を求めてくれる姿に、友人として力になりたいと思ってしまうのだ。
「今の段階では何とも言えません。ですが、私ももう少し噂を集めてみます。幸い、母もこの噂を怪しげに思っております。伯爵夫人である母の協力が得られれば、より詳細な話が聞けるはずです。
それと…もし気になるようでしたら、アルバート殿下にご相談してみてはいかがでしょうか。」
ローズマリーの提案に、リリアは真剣に考えながら頷いた。
「アル様に…そうですね。いずれはアル様のお手を煩わせずに解決したいですが、今の私では力不足です。
アル様に相談してみようと思います。ありがとうございます、ローズマリー様。」




