相愛
リリアに会いたくて会いたくて、死ぬ気で公務を前倒しにし予定よりも早く帰国したアルバートは、帰国するなり意気揚々と愛する恋人の元を訪れた。
「リリア!会いたかった!」
久しぶりの恋人はやっぱり愛らしく、脇目も振らずリリアを抱き締めたアルバートはしかし。
腕に閉じ込めたリリアに、両手で押し返された。
「リリア…?」
驚きに狼狽えたアルバートと視線を合わせることもなく。リリアは、そのままアルバートへ礼をした。
「ご無事のご帰還、なによりです……王子殿下。」
「……は?」
固まったアルバートを他所に、リリアは逃げるように走り出した。
「っ!?…リリア!」
一拍遅れて反応したアルバートが手を伸ばすも、リリアには届かなかった。
これでいい。このまま、何事もなかったことにして。恋人でさえ、なかったことにすれば。例え2人が本当の兄妹であったとしても、これからも側にいられる。
これ以上傷付くくらいなら、最初から恋なんてなかったことにしてしまえばいい。別の形でも側にいられれば、それでいいのだから。そんなリリアの甘い考えは、秒で打ち砕かれた。
「えっ…?」
走っていた筈のリリアの体は、いつの間にか浮いていた。
恥ずかしいことに、走っているつもりでいたのに少しも前に進んでいない。
え、えぇ?…と、リリアが状況を飲み込めずポカンとしている間に、アルバートがゆっくりと距離を詰めて来た。
その背後から、ドス黒いオーラのようなものが漂っている気がする。
ごくりと唾を飲み込んだリリアは、笑顔なのに途轍もなく恐ろしく見えるアルバートの顔を見て口元を引き攣らせた。
「リリア…もしかして今、俺から逃げようとしたのか?」
ガンッ、と足を踏み鳴らしながら近付いてくるアルバートの周囲には、目に見える程の冷気が満ち溢れていて、よく見るとこめかみには青筋が浮いていた。
「ひっ!」
恐らくアルバートの魔法だろうが、リリアを拘束するように宙に捕らえたまま放さない力から抜け出すこともできず。リリアは、全身から冷や汗が噴き出すのを感じた。
いつだってリリアにだけは優しいアルバート…が。
どう見ても怒りのオーラを纏ってリリアに詰め寄って来ている。
比喩でもなんでもなく、文字通りアルバートの歩む後が凍り付く。地面がカチカチになりビキビキとひび割れていく。
「あ、あの…」
「まさか。ちょっと離れた間に、何かあったんじゃないよね?」
「えっと…」
一歩ずつ近づいてくるアルバートから逃げることも出来ず。とうとうリリアは、真正面からアルバートに顔を見られてしまった。
「……目元が赤い。俺の知らないところで泣いたのか?」
「…!?」
リリアは慌てて俯いたが、もう遅かった。
触れられる距離まで来たアルバートは、リリアの頰にそっと手を伸ばす。
「許さないよ。俺から離れることも、一人で泣くことも。…そんな顔で、耐えようとすることも。君は俺のものだ。
何があったのか、聞かせてくれ。…リリア。」
指先が触れた瞬間から、アルバートは恐ろしく冷徹な態度を和らげていつもの優しい瞳でリリアを見た。
その瞳の奥に焦燥と切実さを見たリリアは、堪えきれず涙を流した。
「アル様…っ!」
名前を呼んでしまうと、もう止められなかった。リリアは堰を切ったように涙を流して、アルバートの胸へと自ら飛び込んだ。
「私、私…聞いてしまったんですっ、」
そうしてリリアは、貴婦人達の噂話を聞いてしまった事をアルバートに白状したのだった。
リリアが初めて噂を耳にした後、例の噂には尾ひれがついて広まっていた。
中でも悪質なのが、国王は全てを知っていて、愛した女の落とし子を手元に置きたいが為、兄妹同士を結婚させリリアを名実共に娘にしようとしているというものだ。
それを聞いたアルバートは、吐き捨てるように言った。
「馬鹿馬鹿しい。流石の父上でもそんなことは…」
しかし、途中まで言い掛けたアルバートの口が止まる。リリアも、気まずそうに目を逸らした。
あの国王のことだ。無いとは言えない。寧ろそんな事をしでかしそうで恐い。
「…………どちらにしろ、そんなのはただの噂に過ぎないだろう?一人で抱え込んで結論を出さないでくれ、リリア。
君は俺の心臓を止める気なのか?リリアに拒否された瞬間、心が凍り付いたよ。」
実際に周囲を凍て付かせたアルバートが言うその言葉はとても冗談に聞こえず、リリアは素直に謝った。
「ごめんなさい、アル様。私も混乱してたんです。どうしようって、ずっと考えてて…夜も眠れないくらい悩みました。
アル様と結婚できないと思ったら怖くて、苦しくて…
本当は、早くアル様に会いたかった。会って安心したかったの…」
再びリリアの宝石のような瞳に涙の幕が張る。
それを優しくキスで拭いながら、アルバートは今度こそリリアを抱き締めた。
「そんな時に一緒にいられなくてごめん。もう大丈夫だ。俺はここにいるから。その噂が本当でも嘘でも関係ない。血が繋がっていようが、兄妹だろうが。どんな障害も打ち壊してみせると誓うよ。何があっても俺の気持ちは変わらない。絶対に離れないよ、愛している。リリア。」
力強く抱き締める腕、暖かな温もり、嗅ぎ慣れたアルバートの香り。全てに安堵して、リリアはあの日以来揺れ動いていた心が落ち着いていくのを感じた。
「それにしても。その噂を聞いて、俺と結婚できないかもしれないと思って苦しかったの?」
落ち着いたリリアにそう問うアルバートは、どこか期待に満ちた目をしていた。
「はい。…とっても苦しくて、胸が張り裂けそうでした。」
アルバートの腕の中で涙を拭ったリリアがそう答えると、アルバートは逸る気持ちを抑えながら更に問い掛けた。
「それって…俺と結婚したいと思ってくれてるってこと?」
少し掠れたアルバートのその声に、リリアはジッと彼を見た。
「…私、思ったんです。アル様が、他の人と結婚するのは嫌だって。」
「…!」
「だってアル様は、私のです。他の誰かになんて、絶対に渡しません。だからアル様との未来も真剣に考えたいんです。
…ねえ、アル様。お願いだから、絶対に他の女の人を好きにならないで。」
「……くっ!」
「え、アル様?大丈夫ですか!?」
突然胸を抑えて苦しみ出したアルバートを見て、慌てたリリアが手を伸ばすと。その手をするりと捕まえたアルバートが、リリアを強く抱き締める。
「リリアが可愛過ぎてどうにかなりそうだ…。こんなに好きなのに、他の人なんて考えられないよ。」
「もう。驚かさないでください。」
「嘘じゃないよ、ほら。」
そう言ってアルバートは、拗ねたリリアの手を取り己の胸に当てさせた。ドキドキと高鳴る鼓動を感じ取ったリリアは、途端に頰を染める。
暫くそうしながらも、再び瞳に憂いを乗せたリリアが小さく呟いた。
「…さっきの言葉、本気ですか?もし本当に私達が兄妹だったら…」
「関係ないさ。言っただろう?俺はリリアの為なら何を捨てたっていい。もしそれが本当だとして、俺達の関係に後ろ指を差す奴等がいるのなら。
その時は、どこまでも二人で逃げればいい。」
「アル様…」
「リリアは?どう思う?」
真剣な顔のアルバートに、リリアは真っ直ぐに答えた。
「私は…アル様がそう言って下さるのなら。どこまでもアル様について行きます。」
「ありがとう、リリア。それならば…聞いてほしい言葉がある。ずっとこれを言える時を待っていた。」
そう言ってアルバートは、握ったままのリリアの手を推し抱くように跪いた。
「リリア、君を心から愛してる。どうか俺と結婚してほしい。」
「……っ、…はい。喜んで。」
再び零れ落ちたリリアの涙は、アルバートの胸に吸い込まれていった。
それはそれ、これはこれ、である。
リリアを伴ったアルバートは、氷の王子に相応しい冷徹な表情で国王の前に立っていた。
「父上、巷で妙な噂が広まっているそうですが。何か心当たりがおありでしょうか。」
帰国の挨拶もそこそこに投げかけられた息子からの絶対零度の視線に、国王は面白そうな笑みを浮かべた。
「何やら興味深い話が流れていると聞いたな。何だったか…私とセシリーに関する噂だったか。」
白々しい父王の態度に呆れつつ、不安そうなリリアの手を握りしめたアルバートは核心をついた。
「リリアが父上の娘で、私と血の繋がった兄妹であると噂されています。真相をお話し頂けますか。」
「ほう。そんな噂があったとは。いったいどこから飛び出した噂だろうか。不届き者がいたものだな。
しかし、まったくの根拠もない噂とも言い難い。何故なら私はその昔、リリアの母であるセシリーに求婚した事があったからな。」
顔を顰めたアルバートと、不安そうに息を呑んだリリアの反応をたっぷりと楽しんだ後、国王は首を横に振った。
「しかし残念ながら、セシリーが私の想いに応えてくれたことは一度も無かった。つまり、リリアが私の娘であるというのは有り得ない。事実無根だ。」
はっきりとした否定の言葉に、リリアだけでなくアルバートもホッと息を吐いた。
この国王は飄々としていて感情が読めないことがあるが、こんなふうに言い切るのであれば、そこに嘘はない。
目を見合わせて、手を繋いだままの二人を見て。国王が鷹揚に頷いた。
「それはそうと…何やら私に話があるのではないか、リリアよ。」
したり顔の国王に話しかけられて、リリアはアルバートを見た。アルバートが頷き、リリアを促す。
「ずっとお待たせしていたお答えを、今ここでさせて頂きたいです。」
力強く言い切ったリリアへ、国王が満足そうに目を細めた。
「そうかそうか。では、改めて問おう、リリアよ。」
国王は一度言葉を切ると、あの日と同じようにリリアに言い放った。
「私の息子の嫁になってくれ。」
「はい。…どうか私を、アル様のお嫁さんにして下さい。」
真っ直ぐなアクアマリンの瞳を感慨深げに見つめた国王は、一度目を閉じると優しい声音でリリアへ声を掛けた。
「よくぞ決意した、リリアよ。断言するが、セシリーはそなたの決断を喜んでいるぞ。母に対し罪悪感を感じる必要はない。」
「え?どうして…」
まるで母の言葉にリリアが思い悩んでいた事を知っているかのような国王の言い様に、リリアが目を見開く。
「セシリーが何故リリアに平凡な幸福を説き、何故この私が王子であるアルバートの嫁にリリアを望んだのか。いい機会だ。決意を固めたそなた達に、全てを話そう。」
そうして国王は、息子とその未来の伴侶を前に、真実を話し始めた。




