摩擦
リリアの1日は忙しい。
老齢の祖父母は事故でこの世を去った娘夫婦の遺児であるリリアを養うため、引退していた仕事に復帰したのだが、収入は雀の涙。そのため、リリアも家計の足しになればと働きに出ていた。
朝は炊事を終えると祖父を鍛冶場に送り出し、祖母と共に紡績工場へ向かう。糸紡ぎの仕事をして半日働いた後は祖母と別れ市場の食堂に寄り、皿洗いを手伝っては小遣いを貰って食材の買出し。
帰宅後は夕食の支度、家事をして祖父母を労わり内職の裁縫をして眠りにつく。
貧乏暇なしとは正にこの事。両親が死んだ事を悲しむ暇もなく、リリアは日々に追われていた。
そんなリリアの元に突如現れた、得体の知れぬ光明。眩い太陽のようなこの国の国王と王子は、リリアにとって異質な存在でしかなかった。
「……何をしているんですか」
その日、帰宅したリリアは、目に飛び込んできた光景に溜息を吐いた。
狭い家の食卓には、我が物顔で座る国王と王子の姿。3脚しかなかった椅子は、いつの間にか5脚に増やされていた。それも、質素な平民の家には似つかわしくない豪奢なものが2つ、勝手に追加されていた。
「リリア、遅かったじゃないか。」
まるで父親にでもなったかのような顔で出迎えた国王に、リリアの頬が引き攣る。
「お疲れ様、リリア。」
そしてニコリと笑う王子アルバート。リリアは家に入る前から二人がいる事をわかっていた。何故なら家の前に護衛が立っていたから。三日と開けずやって来る国王親子に、リリアは慣れを通り越して諦めの境地にいた。
「今日は土産に宝石を持ってきたぞ。」
じゃらじゃらした金ピカの宝石を無造作に食卓に置く国王に、リリアは深い溜息を吐いた。
「そういったものは受け取れないと、何度もお伝えしたはずです。」
リリアが丁重に断ると、何を持って来てもこの反応を返されるので既に慣れっこの国王は懐に宝石をしまった。
「まったく。そなたは欲がなくて困る。それより今日の晩餐は何かな?早くリリアの料理が食べたいのだが。」
図々しいにも程があるこの国王は、王宮に帰ればいくらでも美味しくて豪華なものが食べられると言うのに、何故かリリアの作った質素な食事を食べたがる。
「すぐにご用意しますから、待っていてください。」
押し問答したところで疲れるだけなのは経験済みなので、リリアは素直に祖母のいる竈へ向かった。
少ない食材でスープを作っている間、食卓からは奇妙な雰囲気の会話が聞こえた。
「本当にリリアはよくできた子だな。あの健気な後ろ姿、つれない態度、セシリーを思い出す。そう思わないか、じじ殿。」
「は、はあ…」
国王に話しかけられたリリアの祖父は萎縮しながら頷き、そんな祖父を心配そうに見つめる祖母。
「父上はリリアの母君のお話ばかりですね。私には理解しかねます。そこまで想っていながら、どうして道を違えたのですか。
私であれば決して手放しはしません。捕まえてこの手で必ず幸せにします。それが愛というものではありませんか、おじいさま?」
「え、えぇ…」
今度は王子から話しかけられた祖父は、冷や汗を流しながら頷いた。そんな二人のやり取りを見ていた国王がフンと鼻を鳴らす。
「まだまだだな、息子よ。時には手を離すことこそが、相手への誠意になることもあるのだ。」
「それはただ逃げただけではないのですか?」
「なんだと?」
「お食事が出来ましたよ。」
険悪な雰囲気になりかけた食卓に、リリアが盆を置くと国王と王子の目線が一気に和らいだ。
その様に苦笑しつつ、リリアは大きい器を二人の前に出した。
出来上がったスープを注ぐ際、リリアは国王と王子の器に具材を多めに入れる。
押し掛けとは言え、お客様に変わりは無いのだから当然の心掛けだった。
元々多くない具材が更に少なくなったスープを、祖父母に先に出し、殆ど汁だけの残りを自分の器に入れて、切ったパンを添える。
質素この上ないこの食事が、リリアの晩餐だった。
「うむ!今日のスープも絶品だぞ、リリア。」
「とっても美味しいよ。」
満面の笑みの国王と王子に褒められ、リリアも悪い気はしない。
「ありがとうございます。」
嬉しそうに微笑むリリアに見惚れた国王と王子は、目を蕩けさせて悶える。
自分達がいる事でリリアの食事が減ってしまうことに思い至らない王族の二人は、ただ一心にリリアを愛でていた。
人間とは、順応する生き物である。
この奇妙な関係が続くと、リリアもリリアの祖父母も、次第に場違い過ぎる王族が家にやってくる事に慣れてしまった。
「…ですから、ここのところ刀の需要が減ってまして…刀鍛冶の役目は終わってしまったんです。わしは元々とうに引退した身だったもんですから。無理に手伝わせてもらってるもんで、収入なんかこれっぽっちですわ。」
「そうか。戦争が無くなり平和になった余波が、このような市井に降りようとは。参考になったぞ、じじ殿。」
国王とリリアの祖父が何やら難しい話をしている隣で、王子と祖母は和気藹々と話していた。
「その時のリリアったら、本当に優しくてねぇ。知らない子だったのに、年に一回しか食べられない誕生日の焼き菓子を、全部その子に渡してしまったのよ。」
「なんと…ああ、リリアの優しさに涙が出そうです。まるで女神のようだ。おばあさま、もっとリリアの話を聞かせてください。」
「アルくんは本当にリリアが好きねぇ。」
「ただいまー」
「「リリア!」」
そこにリリアが帰宅すると、国王と王子はまるで尻尾を振るかのように喜色満面で立ち上がった。
「おかえり、リリア」
「よく帰った」
祖父母と共に微笑む暖かい二人の笑顔。それは見方を変えれば、まごう事なき家族団欒の様だった。
そんな二人の出迎えを笑顔で受け止めたリリアは、籠から包みを取り出す。
「今日はね、食堂の旦那様から余った林檎を頂いたの。すぐに用意するから待って下さいね。」
今日も二人が来るだろうと予想していたリリアは、二人の喜ぶ顔を想像しながら林檎を持ち帰ってきた。貧しいリリアには林檎は滅多に口にできない高級品だ。しかし、国王と王子である二人にとって林檎とは朝食の隅に出されるような、あってもなくても困らない程度の果物。気が乗らない時は手さえ付けないお飾り、好きか嫌いかさえ考えた事も無いものだった。
それでもリリアが手ずから剥いてくれるというなら話は別である。嬉しそうな二人を見て貰ってきた甲斐があったと微笑むリリア。
切れ味の悪い包丁を丁寧に使い、しゅるしゅると皮を剥く。
国王と王子、祖父母へ先に剥いた林檎を出したリリアは、自分の分は芯に近い部分の切れ端だけを食べた。
それでも久しぶりの林檎の瑞々しさが身に染みる。味わっていると、早々に咀嚼し終えた国王がそう言えばと手を叩いた。
「リリア、一つ朗報があるんだが。」
「はい?何ですか?」
「実はこの度、国法を変えてな。今までは平民と王侯貴族は婚姻出来なかったが、その古臭い法を撤廃した。
つまり、これでリリアは面倒な貴族との養子縁組やら何やらをすっ飛ばして、いつでもアルバートと結婚できるようになったのだ。」
「…え」
なかなか議会に通らなくて無理に押し通しただとか、いつの時代の法なんだだとか。色々と言っている国王の言葉が、リリアにはどこか遠く聞こえた。
リリアは知らないうちに、家に馴染んだ二人を家族の様に思い始めていた。
しかし、二人は元々、リリアでは声を聞くことさえ出来ないような雲の上の存在なのだ。
法律を変えなければ交わる事が出来ないような、とてもとても遠い存在。
そして二人がこの家に通っているのは、この家を気に入ったからではなく、リリアに妻問をするため。
例えリリアが断ろうと、了承しようと。決断したその瞬間にこの暖かい時間は幻のように霧散してしまう。
心地良く感じ始めていたこの空間が仮初のものであると、まざまざと突き付けられたような気分だった。
「猶予をやると言った手前、急かすつもりはないが。準備期間も考えると早めに結論を出してくれた方が、国としては有難いのだがな。」
「あの、…私は、」
リリアが困っていると、すかさず横からアルバートが父王を睨んだ。
「父上。余計な事を言わないで下さい。」
「わかっている。そろそろ良いかなと思っただけだ。気にするな、リリア。
…それにしても、市井の林檎はこうも硬いのか。甘味も無いし、質の悪いものが出回っているのだな。」
「あ……」
今度こそリリアは言葉を失った。そんなリリアに、二人は気付かない。
こうして少しずつ、王族と平民の奇妙な団欒は摩擦を生じ始めていた。