恋慕
「父上!いったいリリアに何を言ったんですか!?」
いつも冷静な王子アルバートは、恋人のこととなると豹変したかのように必死になる。今日もアルバートは、父である国王に向けて焦った顔を見せていた。
「謁見の間から青褪めて出てきたかと思えば、何を聞いても話してくれません。少し一人で考える時間が欲しいと言われました。
何があったのですか。説明してください。」
「落ち着け、アル。大したことではない。」
「そんなわけないでしょう!リリアのあんな顔は初めて見ました。しかも震えていた。父上がまた余計な事を言ったんじゃないんですか?」
血相を変える息子の顔を見て、国王は息を漏らした。
「お前はリリアのことになると、冷静さを欠き過ぎる。昔は感情を表に出さず心配だったが、どうしてこうも極端なのだ。」
「そんなの決まっています。それだけ私がリリアを愛しているからです。」
「…………はあ。まったく。よかろう。教えてやる。リリアには、王子が成人を迎えるまでに答えを出すように言った。それができぬのであれば、アルバートと別れて二度と会うなと。」
「なっ!!?」
驚愕したアルバートが口を開けたところで、国王は手で息子を制した。
「お前の言いたいことは分かってる。わざわざ喚かずとも、お前が激怒する事を考慮済みでリリアには伝えたのだ。
アルバート、王子よ。お前は次期王太子、そして次期国王である。中途半端な状態でいつまでもいられるわけなかろう。
お前もいい加減、自覚を持て。」
「……ですが、」
「何も今すぐ別れろと言ったわけではない。私とて、リリアのことは可愛く思っている。何よりセシリーの娘であるリリアを王室に、お前の伴侶にと望んだのはこの私だ。」
「………」
顔を歪ませたアルバートへ、国王は問い掛けた。
「リリアが決断できない場合、他の者を正妃として娶る気はあるか?」
「ありません。私の伴侶は、リリアだけです。それが叶わぬのなら、王太子の座など要りません。」
どこまでもリリア馬鹿な息子に呆れつつ。国王は、いつもの意地の悪い笑みを浮かべた。
「ならば、ぐずぐずするでない。何としてもリリアの気持ちを動かすのだ。アルバートよ。お前は、リリアを好き過ぎるあまり過保護すぎる。いつまでもそのままでは、いずれ破綻する。
リリアには…覚悟を決めきれない理由がある。それを取り除き、結婚を承諾させるのだ。」
「理由?父上はそれをご存知なのですか?」
「知っている。故に、このままではダメだと言っているのだ。このままではリリアは、決断できぬであろう。リリアの不安を取り除き、お前達が真に想い合い結婚を決めたその時、お前を真の王太子として認めることとする。」
行ってこい、と笑う父の顔を見たアルバートは、その瞳の奥に寂寥感を見た気がしたが、今はそれどころではない。
国王の御前を辞し、急いでリリアの元へ向かったのだった。
アルバートがリリアの家を訪ねると、リリアの祖父母はホッとした顔をした。
帰ってくるなり暗い顔をして部屋に閉じこもってしまった孫娘のことを心配していたのだ。
祖父母はアルバートに任せることにして、そっと家を空けてくれた。
「リリア、俺だ。大丈夫か?」
リリアの部屋の扉の前から呼び掛けたアルバートは、中から聞こえる小さな嗚咽に身を固くした。
リリアが泣いている。そう思うだけで、アルバートの胸は張り裂けそうだった。
「リリア…頼むからここを開けてくれないか。君の側にいさせてくれ。お願いだ。」
必死なアルバートの声を聞きドアを開けたリリアは、泣き腫らした赤い目でアルバートを見上げた。
「アル様…」
堪らずアルバートがリリアを抱き締める。
「一人で苦しまないでくれ。君が辛い時、側に居られないことが一番辛いんだ。悩みがあるならいつだって話して欲しい。どんなに頼ってくれたっていい。寧ろその方が嬉しい。
何があっても、俺はリリアから離れるつもりはないから。」
アルバートの服を掴むリリアの手に、ギュッと力が込められる。それを感じたアルバートはより一層強くリリアをかき抱いた。
「私もアル様と離れたくない!でも、恐いんです。どうしても、アル様のお嫁さんになるって言えなくて…
勉強も頑張って、礼儀作法も身に付けて、アル様の伴侶に相応しい女性になろうって、努力してるのに…いつまで経っても、恐いんです。……でも、」
リリアはそこで、涙に濡れた目をアルバートに向けた。
「アル様と離れる事は、もっと恐い。…アル様とお別れするなんて、無理です。あなたを愛しているの。あなただけを愛してる。
私はどうすればいいんですか?助けて、アル様…」
リリアの涙を拭い、アルバートは、そのままより深く彼女の体を引き寄せた。
「一緒に考えよう。それでもしリリアが、未来の王妃になるのが恐いと言うのなら。俺は王室を出たっていい。俺の伴侶はリリアだけだ。リリアのいない人生なんて考えられない。俺も君を愛してるんだ。君の為なら何を捨てても惜しくは無い。
だから、もう泣かないでくれ。何があっても、俺がずっと側にいるから。」
そうしてアルバートは、リリアの濡れた頬に手を滑らせた。擦り寄るような仕草を見せた彼女に堪らず、その華奢な輪郭をなぞり、顎をそっと上に向けさせる。
目を閉じたリリアに、アルバートは初めてのキスをした。
柔らかく触れ合う唇は甘美で、蕩けそうなほどに熱かった。
「父上の話では、何か理由があるはずだ。リリアの不安を聞かせてくれないか。」
ベッドに腰掛けて手を繋ぎながらアルバートが問うと、リリアはモジモジと目を伏せた。
「リリア?」
「…は、はいっ」
「どうした?まだ何か…」
「何でもないですっ…」
ビクッとしたリリアがチラチラと自分の唇を見ていることに気付いたアルバートは、赤く染まったままのリリアがまだ先程のファーストキスに恥じらっていることに思い至り、爆ぜた。
かわいい。可愛いが過ぎる。そのまま囲ってしまいたい。あと百回くらい口付けてリリアがメロメロになったところで自室に連れ帰って隠してしまおうか。
一瞬真剣に悩んだアルバートは、首を振って正気を取り戻すと繋いだままのリリアの手を引いた。
「さっきの、嫌だった?」
「えっ!!」
耳元で囁かれた言葉に、リリアの顔が更に真っ赤に染まる。
「そ、そんなこと…私、あの、…と、とっても…良かったです」
両手で口元を抑えて瞳を潤ませるリリアに、アルバートは先程の妄想の続きをしそうになる己を何とか律した。
「俺も良かったよ。この先リリア以外とキスする事は無いから。」
「アル様…」
「だから、リリア。安心して話して。リリアは何が不安?何が恐い?一つずつ、一緒に解消して行こう。」
リリアは、アルバートの事を改めて好きだと思った。
アルバートはいつも、リリアのことを知ろうとしてくれる。棘苺を取ってきてくれた時も、リリアが神聖力で人々を助けたいと思った時も、スザンナを許したいと言った時も。全く異なる生活を送ってきた、身分の違う平民のリリアのことを知って、理解して、包み込もうとしてくれる。
そんな彼が好きで、アルバートと共に在りたくて、リリアは胸の内を告白した。
「私は…多分、母様の言葉が忘れられないんだと思います。」