王命
王子アルバートが中心となり改革された新法による義務教育制度は、16歳の成人を迎える年の秋までが対象とされた。
時が経ち、新教育制度の第一期生となるアルバートとリリアは、15歳になっていた。そして来年の秋に卒業を迎える。
偽物聖女のあの騒動から、二人の生活は一変した。
まず、リリアは聖女として公表され、国民に広く認知されるようになった。
教育制度の適用により、聖女でありながら神殿には所属せず、リリアの力が必要な場合はあくまでもリリアの善意により神殿に奉仕するという形を取っている。
また、王子アルバートがリリアへの好意を公の場で表明したため、二人は国民公認の恋人でもあった。
リリアには聖女としての活躍以外にも、積極的に行動している活動があった。それが学園内での仲裁役である。貴族生徒と平民生徒、どちらからも一目置かれているリリアは両生徒間の橋渡し役を果たし、一時は分裂状態にあった学園を一つに纏め上げることに尽力した。
偽聖女の件で平民に対する苦手意識を持った貴族生徒と貴族に対する劣等感を抱いていた平民生徒。どちらに対しても真摯に向き合い相談に乗るリリアの姿は、次第に両者の壁を壊していった。
中でも、リリアが平民生徒がより早く文字の読み書きを習得できるよう、放課後に勉強会を開いた事が大きかった。
この勉強会には、リリアの恋人である王子アルバートも顔を出し、貴族生徒のうちからも手伝いを申し出る者が集まって、この会をきっかけに両者の蟠りは完全に解消されたのだった。
そしてアルバートは、年明けの16歳の誕生日、成人の儀を行う際に立太子することが決まっていた。
王国でたった一人の王子という事もあり、また、アルバートが新たに導入した新教育制度が徐々に国民の理解と評価を得た事もあって、アルバートの立太子に反対する者はいなかった。
心優しい聖女と完璧な王子。誰もがこの国の未来に安泰を思い描く中、その日リリアは国王から話があると言われて王宮に呼び出されていた。
「リリア!」
王宮に到着したリリアを出迎えたアルバートは、馬車から降りる彼女に手を伸ばしエスコートした。
「コーザランドの明星、アルバート王子殿下にご挨拶申し上げます。」
馬車を降りたリリアがスカートの裾を摘み膝を曲げて挨拶するのを見て、アルバートは固まった。
「本日は殿下のご尊顔を拝謁でき恐悦至極にございます。」
「リ、リリア…?」
アルバートは冷や汗を流しながら愛しい恋人を見た。
「その口調は、と言うか、殿下だと?どうしてそんな他人行儀な呼び方を…いったい何があったんだ?」
真っ青になったアルバートを見て、リリアが困ったように笑う。
「礼儀作法の先生に正しい王族の方へのマナーをお聞きしたんですが…何か間違えてしまいましたか?」
そう言われてアルバートは、リリアが最近自主的に礼儀作法を学んでいることを思い出した。
「ああ、そうか。間違ってはいない。…が。マナー講師の先生は解雇した方が良さそうだな。」
「えっ!?どうしてですか、アル様?やっぱり私、何か変でしたか!?」
驚きに目を見開いたリリアがいつも通りアルバートを愛称で呼べば、アルバートの機嫌は一瞬にして回復した。
「冗談だよ。….リリアが俺のことをいつも通り呼んでくれるならね。」
リリアにはよく分からなかったが、どうやらアルバートが"殿下"と呼ばれることに対して不満そうにしている事だけは理解し、改めてアルバートを呼んだ。
「アル様」
「うんうん。君は父上を除いて唯一俺を愛称で呼べる存在なんだから、これからもそう呼んでくれ。」
嬉しそうなアルバートに手を引かれ、リリアは苦笑しながら王宮を進んだ。
「コーザランドの太陽、国王陛下にご挨拶申し上げます。本日はお招き頂き、誠に恐悦至極に存じます。」
謁見の間で見事なカーテシーを披露したリリアに、国王は先程のアルバートと同じ表情をした。
「…マナー講師を今すぐ解雇しろ。」
そして息子と同じような事を言い出した国王に、リリアが眉を下げる。
「あの、やっぱり私の作法が変なんですか?」
気負いも堅苦しさもない、いつも通りのリリアの態度にホッとした国王は、前言を撤回したのだった。
「いや、ほんの冗談だ。気にするでない。改めて、よく来たな。リリアよ。」
国王は目を細めて並び立つリリアとアルバートを暫く眺めてから、アルバートに言い放った。
「王子よ、私はリリアと二人で話がある。そなたは退出しろ。」
「…!父上っ」
不服そうに食いつこうとしたアルバートに、国王は強い視線を向ける。
からかっているわけではなく、本気で命令されていると分かったアルバートは心配そうにリリアを見た。
「…リリア…」
「私は大丈夫です、アル様。」
とても納得はしてないと言いたげな顔をしつつ、アルバートは一礼して命令通りその場を辞した。
謁見の間には、国王とリリアのみが残される。思えばリリアは、国王とこうして二人きりになるのが初めてだった。
意地悪なところもあるが、いつもアルバートとリリアを見守ってくれる国王の事がリリアは好きだった。意地悪さの奥に見え隠れする優しさを知っていたからだ。
それでも王宮の玉座に座る国王の姿を見ると多少緊張してしまう。そんなリリアに向けて、国王は静かに口を開いた。
「リリア。そなた、また一段と美しくなったようだな。初めて会った時はまだ幼さが残っていたが、花が開くように大人の女性へと成長している。
私がそなたの元を初めて訪れたあの時、何を話したか覚えているか。」
「…はい。覚えています。」
「ふむ。そなたとアルバートはもうすぐ成人を迎える。アルバートはそなたの心が決まるまでいつまでも待つ気でいるようだが、私はそろそろそなたの答えを聞きたい。」
「…!」
驚いたリリアが目を見開いて国王を見ると、国王は玉座を降りてリリアの元へ足を進めた。
「私の息子の嫁に、なってくれるか?」
「あ、私は…」
突然のことで、リリアはどう答えていいか分からなかった。リリアは間違いなくアルバートが好きだ。愛している。しかし、未来の王妃になる自信はまだ無かった。それでもアルバートの側に居たいからと、自分なりに勉強を頑張ったり礼儀作法を習得しようとしたり、努力を重ねてはいた。
「………まだ迷いがあるか。」
「申し訳ございません…私はアル様を心からお慕いしています。でも、自信がないんです。」
正直に答えたリリアを見て、国王は一つ息を吐くと、鋭い目をリリアに向けた。
「立太子の際には、常であれば公的なパートナー、即ち正妃か婚約者の存在が必須なのだ。
わたしはな、アルバートにパートナーのいない立太子の儀を行わせるつもりはない。」
「……っ!」
リリアは国王の言葉に凍り付いた。いつも、どこか意地の悪い顔をしながらもリリアを優しく見守ってくれていた国王が、リリアに対して強固な態度を見せている。
国王が本気であると、リリアは理解して震えた。
「決断しろ、リリア。期限はアルバートが成人を迎えるまでだ。覚悟が出来ないのであれば、アルバートには別の者を正妃として娶らせる。」
「そ、そんなっ、国王様…」
絶望したようなリリアの顔を見ても、国王は発言を取り下げなかった。
「私はな、心の底からアルバートの幸せを願っている。そして、そなたをアルバートの嫁に望んでいる。しかし、この国の王として。
いつまでも覚悟できぬような者を、未来の王妃の座に就かせる気は毛頭ない。」
それはとても強い言葉だった。リリアは震えが止まらず、そんなリリアへ向けて国王はもう一度念を押した。
「リリアよ。私の息子の嫁になってくれ。それができぬのであれば、直ちにアルバートと別れ二度と顔を見せるでない。永遠にアルバートの元を去るのだ。」
それは脅迫だった。
言葉も出ないリリアは、国王の揺るがぬ瞳を見つめてただただ震える他なかった。
リリアが絶句し打ち震えようとも、縋るような目を向けようとも。国王がいつも見せる温かな眼差しをリリアに向けることは、決して無かった。




