決意
「まさか、そんなに愚かな生徒が存在するのか…?」
リリアを教室に残し、教師陣から事の顛末を聞いたアルバートは、信じられない思いで天を仰いだ。
王侯貴族と平民の平等を謳ったはずの学園は、今や貴族側と平民側で真っ二つに割れていた。
最初から何もかも上手くいくとは思っていなかったアルバートも、ここまでの事態は予測していなかった。
アルバートは、父である国王と共に、この新教育制度を押し進めるため多くの無茶をした。
言ってしまえば、アルバートは学園の生徒であると同時に新たな政策を推し進めたこの事業の責任者でもあるのだ。
1番の目的がリリアとの学生生活であったとは言え、アルバートなりに国民を思って整備した法でもあり、その為の一歩としての学舎だった。
それが開始早々、思ってもみない悪い方向に傾いてしまった。
自分が思っていたよりもショックを受けている事に気付いたアルバートは、この事態を何とか打開したいと頭を悩ませた。
まずは原因の究明。アルバートが知る限り、貴族側は平民に友好的だった。
国全体が発展する中で、貴族中心の社会には限界があるということもあり、新たな人材発掘や商売の為、貴族側はそれなりに平民に興味を持っていたのだ。
だからこそアルバートは、上手くいくと思っていた。
本来なら立場の強いはずの貴族が友好的に出れば、平民側も受け入れてくれるだろうと。
それがどうしてこうなったのか。報告によれば、1人の女生徒がこの騒動の中心にいると言う。
その女生徒は暴力的で一方的な言い掛かりをつけただけでなく、ところ構わず自らを聖女と自称しているというのだ。
ある程度の学力の差は当然あるものだと、学園を立ち上げる際にアルバートは想定していた。
特に貴族と平民が集まるのであれば、平民の中には授業についていけず脱落してしまう者もいるかもしれないと。
しかしこれは、学力以前の問題だ。
人として、そんなにも愚かしい行動をする者がいるのかと。アルバートは呆れを通り越してカルチャーショックに近い心情を抱いた。
その女生徒の話を聞けば聞くほど、アルバートは驚きと苛立ちと訳の分からない不快感に苛まれた。
どうやらその女生徒はリリアの功績を横取りし、自分が聖女であると平民達に吹聴して信仰を得て派閥を作り、貴族生徒との対立を煽動していると言う。
教師の報告を聞いている間にも、同じ生徒が新たに問題を起こしたらしいと教員室に報告が上がる。
今度は伯爵令嬢を集団で取り囲み、伯爵家の機密を大勢の前で暴露したと言う。そして伯爵令嬢に土下座での謝罪を要求したとか。
最早、その女生徒の行動はアルバートの理解を超えていた。自己中心的で横暴で粗野で愚劣。アルバートが最も嫌いなタイプの人間だ。そしてリリアとは正反対。
そんな女がリリアの手柄を横取りし聖女を名乗っているだなんて、アルバートにとっては耐え難い苦痛だった。怒りと悔しさとで本気で胸が痛かった。
癒しを求めたアルバートは、すぐにでもリリアに会いたくて長い廊下を駆け抜けた。そうして伯爵令嬢のローズマリーと話していたリリアを見つけたのだった。
「アル様…何かあったんですか?」
ローズマリーが去って行って、二人になったところで。アルバートの顔を見たリリアは心配そうに問い掛ける。
「………いや、何でもないよ。」
アルバートはどう伝えればいいか悩み、結局リリアに何も言うことが出来なかった。
例の女生徒の問題は、聖女やリリアと関わりのある問題でもある。余計な事を言ってリリアの心を煩わせたくは無かった。
リリアには、心穏やかにいてほしい。
そんな思いで口を噤んだアルバートを、リリアは宝石のような瞳で見上げていたのだった。
「なかなかに酷い顔だな、我が息子よ。」
「…父上。」
学園での出来事を聞き付けた国王が、頭を抱えるアルバートの元を訪れたのはその日の夜の事だった。
「困った生徒がいるとか?」
「…困った、と言いますか。私にはとても理解できない愚かな人種と遭遇し、混乱しています。
人間とはここまで愚鈍で利己的になれるのかと驚愕しました。犬や鳥でさえ他者を思い遣り助け合う心を持っていると言うのに、動物以下の人間が存在したのかと戸惑っています。
サイコパスを通り越して別次元で生きる得体の知れない化け物を相手にしている気分です。理解できなさ過ぎて、どう対処してよいやら全く見当もつきません。」
息子の相変わらずの毒舌ぶりに国王がふむふむと頷く。
「よし。ここで、一つ。この父の武勇伝を聞かせてやろう。」
「……」
「アル、この父の偉大な功績を1つ挙げてみなさい。」
「父上。寝言は寝て言うものです。自慢話がしたいのなら一人でやって下さい。私は真面目に悩んでいるのです。」
ピシャリと冷たくあしらわれた国王は、慌てて息子に弁解した。
「いや、昔話を交えつつアドバイスをしようと思ったのだ。悩めるお前をからかおうとした訳ではない。信じてくれ。」
「…そういうことでしたら。父上の功績と言えば、サンタマリーニとの戦争を終結させた事でしょうか。」
「そう。その戦争終結についてだ。私はその時、とても重大な決断を迫られていた。間違えば国全体が危機に陥るような選択だった。
重責に押し潰されそうになりながらも、その大事な局面で私は何をしたと思う?」
それはアルバートが生まれる前の話だ。アルバートは当然答えを知らない。
アルバートが首を横に振ると、国王は自信たっぷりに胸を張った。
「泣きついたのだ。好きな女に。」
「……………は?」
これにはアルバートも開いた口が塞がらなかった。
「お前も知っている女だ。リリアの母、セシリー。私は選択ができず、どうすればいいか決めてくれと全てをセシリーに委ねて泣きついた。」
「………嘘でしょう?」
父のあまりにも情けない話に、アルバートが頭を抱える。
「セシリーは呆れ果てていた。今でも思い出すな、あの蔑むような瞳。ゴミクズを見るようなあの目にゾクゾクしたものだ。
しかし、セシリーが私を見放すことはなかった。共に考え、私が進むべき道を教えてくれた。セシリーが居なければ、この国の今は無かった。
彼女があの時導いてくれなければ、私もお前も、今ここには存在していなかっただろう。」
懐かしむような国王の瞳は、遠い記憶の中の愛しい女性を見ていた。
「父上…」
「何が言いたいかと言うとだな、王子アルバートよ。
お前には、支えとなってくれる存在がいる。リリアは決して弱いだけの少女ではない。庇護するばかりの対象ではないのだ。
お前の大切な未来の伴侶に、悩みを打ち明けてみてはどうだ?」
「…分かっています。リリアが弱いだけの存在でない事は。ですが、私は情けない姿をリリアに見せたくありません。」
正直に吐露した息子へ柔らかい視線を向けながら、国王は頬杖をついた。
「リリアがそんな事を気にすると思うか?お前の知るリリアは、お前が弱い部分を見せたくらいで幻滅するような、心の狭い女なのか?」
「違います」
即答したアルバートは、バツが悪そうに俯いた。
「これは…ただの意地です。リリアの前では常に格好いい自分でいたいという…」
「よく分かっているではないか。だったらその意地を捨ててみることだ。私の話を聞いた後なら容易かろう。」
鼻を鳴らし、胸を張る。妙に誇らしげな父の姿を見て、アルバートは悩んでいたのが馬鹿らしくなった。
「アル様、私…アル様のお役に立ちたいです。」
「リリア…」
アルバートは翌日、リリアに全てを打ち明けた。
自分が思い描いていた理想とかけ離れて行く学園の有様、予想だにしなかった貴族と平民の対立、そしてそれを助長している自称聖女の生徒。
新制度が上手くいかず、情けなくも落ち込んでしまっている自身のことまで。
正直に話したアルバートへ向けて、リリアは真っ直ぐに答えてくれた。
「私が、聖女の立場を受け入れ力を公表したら…少なくとも、その生徒を聖女だと勘違いしている皆さんの誤解は解けるはずです。」
「それはそうだが…その分、君は望まない立場を強いられるかもしれない。多くの人が、勝手に君を崇めたり、時には利用しようとしたり、貶めようとする者もいるかもしれない。
いずれにしろ、君の名は知れ渡り多くのことが今まで通りにはいかなくなる。それでもいいのか?」
揺れるガーネットを見つめて、リリアは微笑んだ。
「私、アル様が好きです。大好きです。」
「あ…」
アルバートの頬が朱に染まる。
「まだ結婚とかは…覚悟ができてませんが、大好きなアル様の為に、出来ることは何だってしたいんです。
アル様が私の為を思って悩んでくださるのと同じように。だからどうか、私の為に難しく考えないでください。
私が聖女となり貴族側と平民側双方のわだかまりを解くよう声を上げれば、アル様のお悩みは解決するでしょう?」
「リリア、君は本当に…」
アルバートは、堪らず愛する人を抱き締めた。
美しくて清らかで、可愛くて心優しくて、強くてしなやか。それだけじゃない。天然なところもあるのに、驚くほど周りを見ていて聡い時がある。
リリアという存在を知れば知るほど、アルバートはリリアに一目惚れした自分を褒めてやりたいと強く思った。
「本当にいいのか?」
「はい。あなたの為なら。」
躊躇わず微笑むリリアを見て、アルバートの胸が熱くなる。
「でも、あの…その、一つだけ…」
大胆に言い切ったかと思えば、急にしどろもどろになったリリアが顔を真っ赤にしてアルバートを見上げた。
「リリア?」
「私、頑張りますから…結婚はまだ無理ですけど、その……もし、もし…アル様が宜しければ…どうか私をアル様の、こ、恋人にして頂けませんかっ」
真っ赤になって涙ぐみ、とんでもなく可愛い事を言い出したリリアに、アルバートは脳みそが爆発するかと思った。
なんだこの可愛い生き物はっっ!
リリアと同じだけ顔を真っ赤にしたアルバートが、あまりの衝撃に語彙力を失くして爆ぜていると。
不安になったのか、リリアが潤んでいた目を更に潤ませた。
「やっぱりダメですか…?」
アルバートは脊椎反射でリリアの手を取った。そうして頭の中では爆発と祝砲を繰り返しながらも、何とか言葉を引っ張り出す。
「好きだ、リリア。」
「あ…」
今にも涙が溢れ落ちそうなその瞳に口付けを落として、アルバートは真剣な瞳をリリアに向けた。
「俺に、君の笑顔を守る栄誉をくれないか。そしてどうか…俺の恋人になってくれ。俺のリリア。」




