学園
制服を初めて手にした時、リリアの心は踊った。
普段は生活を切り詰める為に母のお古を継ぎ接ぎして着ていたリリアにとって、まだ誰も袖を通していない服を着るのはとてもドキドキした。
国王と王子が制服のデザインには殊の外こだわって力を入れたと言っていただけあって、新しい学園の制服は可愛らしく洗練されたデザインでリリアによく似合っていた。
入学の日、新品の制服に身を包んだリリアは、水瓶の中を覗いて反射した自分を見る。服が違うだけで別人になったかのようだった。
「おじいさま、おばあさま。いってきます。」
「いってらっしゃい、リリア。」
「気を付けてね。楽しんでくるのよ。アルくんの言うことを聞いて、目立った事はしちゃダメよ。」
「うふふ、わかってるわ。」
孫娘の晴れ姿に目頭を熱くしていた2人は、笑顔でリリアを見送った。
そしてリリアが家の扉を開けて外に出ようとしたところで。
当然のように待ち構えていた国王と王子を見つけて、リリアの顔に苦笑が広がる。
「リリア。」
「アル様、どうしてここに?」
国王親子に挨拶した祖父母が家に戻ったのを見届けてからリリアが尋ねると、アルバートは照れ臭そうに笑いながら話した。
「リリアと一緒に登校したかったんだ。ダメかな?」
「そんな、嬉しいです!でも…アル様は王子様だから、目立ってしまうのでは?」
「それなら大丈夫だ。ほら。」
そう言ってアルバートが制服の首元から引っ張り出したのは、リリアが持っているのと同じデザインのペンダントだった。ただし、嵌め込まれてるのはガーネットではなく、アクアマリンだ。
「リリアのとは少し違うけど、同じように俺の姿を認識しにくくしてる。だから気付かれる事もないよ。」
「うわぁ!綺麗な宝石ですね。おそろいみたいで嬉しい。」
アルバートは、完全にこのリリアの無自覚な発言と微笑みにやられた。胸を押さえ付けてうずくまりそうな程、キュンキュンして止まらない。一生保護しようと固く決意しているアルバートの横から、国王が満面の笑みでリリアを褒めた。
「その制服、やはりリリアによく似合っているな。リリアに似合うデザインを作らせた甲斐があった。こんな美少女と青春を共にできるとは、我が息子ながら嫉妬でどうにかなりそうだぞ、アルバート。」
「リリアは父上には一生手の届かない存在です。どうぞ存分に羨ましがって下さい。」
相変わらず父に対して辛辣なアルバートがあしらうようにそう言うと、国王は含み笑いをした。
「息子の嫁は私の嫁も同然…ちょこっとあれやこれや味見したところで問題はあるまい。」
「父上…父上はどうやら息子から謀反されることをお望みのようですね。尊敬する父上の為です。本当は気が進まないですが、私が父上の首を刎ねその願いを叶えて差し上げます。」
「落ち着けアルバート。ほんの冗談だ。私は息子の嫁に手を出すほど好色家ではない。」
「奇遇ですね、私も冗談です。謀反など起こすはずがありません。父上ならお分かりでしょうが。」
「ええっと…アル様、遅刻してしまいます。早く行きましょう?」
なんとも危ない雰囲気の会話を繰り広げる国王親子を見て、リリアは敢えて明るい声でアルバートの手を取った。
「リリア…あぁ、そろそろ行こうか。」
途端にアルバートの瞳は蕩け、棘のような氷のような空気が霧散して甘くなる。
自然と手を繋いで歩く2人を見送る国王は、普段決して人に見せないような、優しい目をしていた。
「アル様のこのペンダント、本当に凄いですね。誰も私達に気付いてないみたいです。」
リリアが周囲を見ながら感心したように囁くと、アルバートは得意げに口元を緩めた。
「ちょっとした魔法だよ。人を外見でしか判断していない人間ほどこの魔法に掛かりやすい。逆にその人の内面をよく知る人間はこの魔法の影響を受けないんだけどね。
だから初対面の人や俺達をよく知らない人にも魔法は掛かりやすいんだ。
でも勿論リリアには、俺がいつも通りに見えてるだろう?」
「はい!そう言われてみれば、アル様の姿に何の変化も感じませんでした。じゃあアル様も、この魔法があっても私が普通に見えてるんですね。」
「勿論。俺にはいつだって、君が輝いて見えているよ。」
目を細めたアルバートに、リリアは頬を赤らめて俯いた。こんな美少女が驚くほど愛らしい仕草をしていると言うのに、周りは誰も気付かない。アルバートは何とも言えない優越感に浸りながら説明を続けた。
「父上やおじいさま、おばあさまも俺達をいつも通り見てくれていただろう?この魔法は防衛の役割もあるが、周囲の人間が俺達にとってどういう存在か確認する指標にもなる。
この魔法に惑わされるような輩は俺達をよく知らないか、知っていると思っていても外見にしか興味がない奴らだ。充分注意してくれ。」
「そうなんですね…そう言えば、いつも声を掛けてくる男の子やおじさま達が私に気付かないのもそういう事なんですか?」
このリリアの発言に、アルバートは足を止めた。
「アル様?」
「リリア…その、いつも声を掛けてくる男…とは?」
「え?えっと、魚屋の男の子とか、パン屋のおじさま、靴屋のお兄さんに食堂の旦那様…あとは工場のご子息とか、たまに街に来る行商人の方々…」
次から次へと出てくる人物は、アルバートの優秀な脳に記憶されていく。
「ああ、皆リリアの外見しか見ていない最低最悪な男達だ。関わらない方がいい。…もしかしてと思うが、中に記憶が曖昧になってそうな奴はいなかったか?」
「あ、皆さん私のことを忘れているようだったんです!あれもアル様の魔法ですよね?ちょっと困ったけど…アル様って凄いんですね、あんな魔法をかけられるなんて!」
無邪気に笑うリリアに、アルバートの笑顔が黒くなる。確かに笑っているのに、何だかとても怖い。
「リリアのペンダントには、実は他にも色々と魔法を掛けておいたんた。
例えば…リリアに下心を抱いた事のある不届き者には忘却魔法が発動する、とかね。
そうか。そんなにいたのか。ふーん。へぇー。」
「あ、あの、アル様?」
あまりにも黒いオーラを漂わせるアルバートにリリアが戸惑っていると、アルバートはリリアの手を強く握り直した。
「ねえ、リリア。そのペンダント、絶対に外しちゃダメだよ?」
「は、はい。わかりました。」
有無を言わせない迫力のアルバートを前に、リリアは素直に頷いたのだった。
学園に着くと、大きな学舎に圧倒されるリリアを誘導してアルバートは教室に案内した。
「ここがリリアの席で、隣が俺の席だよ。」
「え?アル様の隣なんですか?」
「ああ。リリアが頑張ってくれたお陰で、同じクラスになれたんだ。」
誇らしげなアルバートにエスコートされて、リリアは自分の席に座った。
いくら王侯貴族と平民が一緒に学ぶ平等な学園と言っても、これまでに受けてきた教育に差のある生徒達がいきなり同じ授業を受けるのは難しい。
そこで、取り敢えず文字の読み書きができない生徒は文字の授業から始め、読み書きできる生徒から本格的な授業を始めることとなった。
これを聞いたリリアは、アルバートに読み書きを教えてほしいと頼み込んだのだ。
聞けば、リリアはアルバートと同じ授業を受けたいと言う。そんなリリアに完敗のアルバートは、懇切丁寧にリリアに文字を教えた。
もともと、亡くなった母セシリーから簡単な教育を受けていたリリアは、瞬く間に読み書きを覚えて入学前のクラス分けテストに自力で合格した。
そうして今、王子であるアルバートの多少の根回しの末、アルバートの隣の席に座ることになったのだった。
「はあ。快適だったけど、そろそろ魔法を解かないとな。王子が居ないとこの学園の意義が半減してしまう。
リリア、今から俺は魔法を解くから、あちこちから視線が来たり囲まれたりするかもしれない。嫌な思いをしたらすぐ言ってくれ。」
「はい。私は大丈夫です。それよりアル様の方が心配です。」
「そんなことを言ってくれるのはリリアくらいだよ。俺は慣れてるからいいんだ。いざとなればまた魔法を掛ければいいからね。」
そう言ってペンダントの魔法を解いたアルバート。
突然現れた王子を見つけて、周囲から黄色い悲鳴が上がる。
一瞬にして好奇な視線や女子生徒の熱い眼差し、男子生徒の羨望、嫉妬、その他色んなものに包まれたアルバートはうんざりしたように溜息を吐くと。
普段リリアには見せないような、絶対零度の冷たい雰囲気を纏って表情を無にした。
氷の王子と謳われるアルバートを一目見ようと、他のクラスからも見物人が訪れる。
その中でも血走った目で熱心に王子を見つめる1人の少女の異常な視線に、アルバートもリリアもこの時はまだ気付いてはいなかった。